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「おれたちとあいつら」の分裂社会はごめんだ
格差を是認する人たちの、このブログでいう絶対的貧困の中におかれている人たちをはじめ、いわゆる下流へのまなざし、共感のなさを一連のエントリーでも深く感じてきました。
『下流社会』の著者・三浦展はこうのべています。
日本でも、フリーターやニートと、大企業で働くビジネスマンが、すでに「おれたちとあいつら」のような関係になっていないとは言い切れない。
上流が下流のだらだらした生き方をどこまで許容しうるかという問題が起こりつつある。上流が下流の生き方を、自分にはできない自由な生き方として憧れることがなくなり、単に自堕落で無責任な生き方として否定するかも知れない。
このように三浦が語るとき、はたして彼の眼に下流はどのように映っているのでしょうか。読者のみなさんはどう思われるでしょうか。
叙述にしたがえば、なるほど大企業で働くビジネスマンの眼で日本の現状がとらえられ、そして今後予想されるであろうことがふれられています。けれど、このビジネスマンの眼こそ、実は三浦自身の眼ではないでしょうか。
下流を「だらだらした生き方」としてとらえ、「単に自堕落で無責任な生き方として否定」しようとしているのは、ほかならぬ三浦ではないか、と私は思うのです。
このような下流へのまなざしを欠いた、共感のなさ、あるいは否定しようという姿勢は、この三浦のような言論人だけではありません。冒頭にのべたようにエントリーへのコメントにもそれが散見されました。ということは、このような下流への共感のなさは、日本のいまの社会の中に一定のひろがりをもっていると考えないといけないでしょう。
くりかえしのべていますが、格差と貧困を考える上での最大の論点は、絶対的格差の解消だと私は考えるのです。
三浦が想定する日本の今後は、「おれたちとあいつら」に分裂した社会でしょう。そして、少なくとも構造改革をすすめた小泉前政権と、それを引き継いでいる安倍政権のかじとりをみていると、どうやらこの三浦がのべる分裂した社会を、一部の上流と、それ以外の中・下流にいっそうゆがめていく方向をめざしているといっても過言ではないようです。
ましてや、いよいよ財界が表に出て、大企業・財界への優遇をさらに政府・与党に迫り、政治に直接介入しようとする意思をあらわに表明していることを考えれば、その思いはなお強まるのです。
それをあらためるには、まず当面のいっせい地方選と参院選で、格差と貧困の打開策を示しうる政党・会派をえらび抜くことです。そのために国会と地方議会の監視を強め、選択されるのではなく、選択する自由を行使することです。
むろん、私は有権者としての一票を行使するだけでなく、地域のなかで広く多くの人びとと貧困と格差の問題で交流し具体的な行動が起きればなおよいと考えています。
たとえば北九州市は、生活保護申請を断られ孤独死にいたる事例が相次いだ、全国にも悪名高い生活保護行政がおこなわれてきました。市のとった対応は「水際作戦」とよばれました。けれど、新しく市長になった北橋健治氏は、これまでの生保行政を批判し、あらためるための調査をおこなうと表明しました。北橋氏の発言は評価されてよいと思います。今後、実際に発言どおりの行政の対応を望みたいものです。
つけ加えると、北橋市長は前民主党衆院議員でした。国会議員ですから、自らの地元の北九州の実情を知らないはずはなかったろうと思いますが、同氏が国会議員時代に生活保護行政に関してとりあげたことを寡聞にして知りません。そうであるなら、北橋氏が豹変したのでしょうか。世に、立場が変われば態度もかわるといいますが、そうなのでしょうか。そうであるかもしれませんが、北九州の生保行政をあらためようとする市民をはじめとした運動があったことを私は知っていますので、結論づければ、市民の運動が市政を動かしたと思うのです。全国的な調査団が組織され、行政との粘り強い折衝がこの間おこなわれてきたのです。北橋氏といえども、この一連の経過を無視することはできなかったのだと思います。
このように小さなことかもしれませんが、地域での貧困と格差をなくすための市民的な交流が具体的にもっと広がればいいと思います。そして、国会内、地方議会内の論戦と結合していくことが一歩、二歩であっても解消にむすびつく道だと考えるのです。