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マンガ、アニメ、特撮の感想ブログです。

「ハーレムメーカ」ってなに?(´・ω・`) マンガ編

2009年01月29日 | 思考の遊び(準備)
【ハーレムメイカー】

【物語三昧】http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20090125/p2

> まぁ類型を例証あげながら確認していこうと思うので、漫研かLDさんのブログに注視してください(苦笑)。

…おわ?な、なんか降ってきたぞ?Σ(´・ω・`;)//


…う~~ん…まあ、ハーレムメーカというと、本邦には「光源氏」という、いきなりスーパーサイヤ人4みたいな奴がいたりするよね?とか前降りして叩き台代わりな話をはじめる事にしますが…w

恋愛原子核 … 本人は特に大きなアクションをとらないが何故か美女に好かれてしまうキャラ格を持つキャラクター。基本的に特に取り柄のないさえない男だと「分かりやすい」

ハーレムメーカ … 能動的に行動をとり、結果、美女に好かれ、美女に囲まれて行くキャラ格を持つキャラクター。おそらく恋愛原子核キャラの進化形

え~っと、現状の僕の「言葉」の認識はこんな感じでしょうか?恋愛原子核の段階でも、全くノーアクションという事もなく、多くは極小のアクションを取る事で、過大の感動をヒロインに与えてしまう展開がとられるので、恋愛原子核とハーレムメーカのボーダーは限りなく薄いと言えそう。ここらへんは結局、解釈の問題とも思えるが「なぜか」そうなってしまって説明しないのが恋愛原子核で、「なぜそうなるのか?」という説明を求めるのがハーレムメーカとなってくるかな?まあ要するにそれぞれの捉え方で全然形が違ってくるので、とりあえす自分の感覚を話すしかない状態なんですが……。

ヒロインの憂鬱
「序列並列構造」と「グルーピング構造」(1)
「序列並列構造」と「グルーピング構造」(2)
「序列並列構造」と「グルーピング構造」(3)

ちょっと以前から「漫研」ではキャラクター構造の「序列」、「並列」について考察していて、ここらへんのハーレム構造の話には興味があるんですよね。とはいっても「並列構造」=「ハーレム構造」というようには考えていなくって、たとえば僕が「並列指向」の原点的に考えている「うる星やつら」は、あたるが「ハーレム、ハーレム」言ってはいるものの「ハーレム構造」だとは思っていなくって、今回の紹介から外してあります。とはいえ「ハーレム構造」が醸成されるにあたって、「うる星」~「らんま1/2」の影響は少なくないと思ってはいます。
それで引用リンクの中のチャットで何を長々話しているかというと「並列構造」のあるべき姿を検証するのと当時に、終わりに向かう一本筋の通った物語と並列構造の相性の悪さ…のようなものが取り上げられています。噛み砕いて言うと「複数の独立した物語(物語を持つキャラクター)は、その独立性が高いほど、一本の物語への収斂が困難になる」という実に当り前の理屈なんですけどwまあ、これを、そのまま独立したまま物語を放出してしまうと場合により「群像劇」と形容されたりしますよね。これが自然……と言えばそうなんですが、でも「並列構造」って群像劇が求められて顕われた志向なの?って話があるわけです。だって実際には、一人の主人公目指して複数のヒロインが集中するような構造が持てはやされているわけでね。本来的には一点に収斂したいはずなんです。……でも「序列」の発生は避けたい…なるべくそれは薄めたい……というアンビバレンツな磁場が発生しているはずなんですよねw
ここらへんの二律背反に対して、あまり手を打たず“あるがまま”に「だってそうなんだもん!」…と出されている中核キャラクターが「恋愛原子核」で、二律背反の解消目指して中核キャラクターが調整と矯正を繰り返し、半ば超人と化して行くのが「ハーレムメーカ」って事になるのかな?と想像して話を進めようかと思います。

…で、ハーレムメーカ(あるいは恋愛原子核)って話をする前に、その範囲を考えておこうかというか、そもそもハーレムって何?というか、その構造がどこから来ているか?どう線引きするか?って話が必要かなと思っていて。単純に三角関係になってその主格にいるキャラ(この場合は両手に花になっているキャラ)はハーレムなのか?…違うなら、じゃあ3人目からだといいの?それとも4人?その線がどこらへんからなの?というところを固めて行かないと、物語の恋愛構造全体が観測対象になって「言葉を殺して」しまいかねないかなあと考えたんですけどね。そんなわけで、まず、そこらへんの際(きわ)のあたりで思いつく話を連々と書いて行きますが…。

実写のドラマの話からはじめると、ハードボイルド系、バガボンド系、のドラマなんかは昔っから、けっこう事件の先々、行く先々で美女をひっかけますよね。…で、その美女…ボンドガールとか、寅さんのマドンナのイメージですがwそれを観ても分るとおり、古典において“美女囲い系”はそれほど特異なパターンではなかったりします。ただ、その話っきりで、その後登場の目はない(まあ例外はあるけど)キャラなんかがいた場合、この子たちに「また出て欲しい」あるいは「ずっと出て欲しい」と考えた人たちはいたはずで、ここらへんの感覚がず~っと繋がって今の「並列構造」等になっている一因かな?とは予想しています。

しかし、書いていて直感的に感じるんだけど、実写なんかのドラマ…ジェームズボンドのような美女とっかえひっかえの構造と、現在のマンガ、アニメ、ゲームの中にある(流行りの?)ハーレム構造とは明らかに毛色が違うように思う。それは、これからマンガの中から、ハーレム構造の形を探って行きたいと思っているのだけど、たとえば青年誌で小池一夫先生原作とかあるいは「島耕作」みたいなマンガなら、今言ったような展開はいくらでも出てくるんですよね。少年誌だけど「シティーハンター」もこれに入れていいかもしれない。でも、そこと直接繋げるのは、どうも違うというか、こっちはもっと屈折しているというか、少年向けとして抑圧されたものを一度くぐってからそこに至っているような気がします。…その後、エロゲに発展して行くとしてもw

 

そこらへん、たとえば、原初的なハーレム構造として「軽井沢シンドローム」(作・たがみよしひさ 1982年 -1985年)なんかを上げようかとも思ったんですが、まあ何か違うかなあ?とも思うわけです。軽井沢に流れ着いたヌード・カメラマンの相沢耕平と、その弟分でイラストレーターの松沼純生の恋愛遍歴物語…かな。上述した劇画系とはまたトーンがちょっと違うのですが、ただまあ、なんか気が合ったのでセックスしてみて、ピロートークで日常を語る感覚は、今の類型には当てはめない方がよさそうかな?って思います。今、「軽シン」やったら「耕平氏ね」とか言われるような気がしないでもないしw(最終的にハーレム系でここの域にまで達している作品があったとしても、それは直接繋がっているというより“一周”してそこに至っているのではないかと想像しているんだけど…どうなんだろう?)でも、本来、ハーレムメーカってキャラと構造を破綻無く物語にはめ込もうとすると、こういう感じの形になってくると思うんですよね。この話って男も女も、かなり割り切りと割り切れ無さの微妙なバランスでの付き合いが描かれていて、結局、耕平は一番割り切れない女である薫(純生の姉)に捕まるんですけど……まあ、参考にはできるとしても、あんまりモラトリアムがない話とかは、今の話題のボーダーからは外れている気がしますね。

 

逆に「軽シン」と同時期に連載された「めぞん一刻」(作・高橋留美子 1980年 -1987年)は、その後のオタク文化(?)に与えた影響を考えると、ハーレム構造的にもその影響は大きいかと思っています。…物語説明は要らないですかね?浪人生の五代裕作くんが、下宿の管理人で未亡人の音無響子さんに一目惚れする話です。基本「序列構造」で、物語を迷走させるための「序列二位ヒロイン」こずえちゃんと、物語を前進させるための「序列二位ヒロイン」八神いぶきが、重要な役割を果たしている物語ですけど、まあ、後半において響子さん含めて三方から好かれ、ハーレムっぽい展開になっていたと言えなくもない…?事もな…い?wまあ(汗)それはおいて置くとしても、この連載中にヒロインの「序列」、「並列」の捉え方に変動が起き始めていた時期ではあると思います。たとえば、画像のシーンですけど、このシーンってその後のラブコメ(ハーレム系)の中で何度も何度もリフレインされてきたシーンのはずで。……これは「どっちの料理を食べるの?」って話自体は「いなかっぺ大将」の花ちゃんと菊ちゃんの頃(この頃はヒロイン二人というのはかなり珍しかったはず)からあるのですが、このシーンは「いなかっぺ大将」(や、その他の古いマンガ)からというよりは、やはり高橋留美子の文脈が継承されているように思っています。「めぞん一刻」自体はハーレム構造か?っていうと定義にもよりますが、基本的には違うと思いますけどね。(「らんま1/2」も違ってはいるが、よりハーレム的傾向が強くなってはいる)

で。ちょっと資料薄いので省きますけど、ここらへんのマンガにおけるハーレム構造の基点(ゼロ・ポイント)的なものとして「男おいどん」(作・松本零士 1971年 -1973年)が上げられるんじゃないかと思っています。4畳半の部屋に下宿している大山昇太くんの話なんですが、チビメガネでインキンタムシのこの少年が、まあ~とにかく、色んな女の子に可愛がられまくりますwただし、恋愛としては一つも上手くいきません。ことごとくダメになったはず……です。(「軽シン」の純生がこの系統のキャラだ)しかし、タフで、ジェントルマンで、モテて当然のジェームズ・ボンドやあるいは島耕作みたいなキャラクターより、最終的にダメになっても、どうにもブ男のハズなのになぜかモテてしまう、女の子がよって来る…という、この「男おいどん」の構造の方が今あるハーレム構造の原点に近い感覚を持っています。




さて、長々とハーレム構造の前段階のような作品群を例に並べてみたのですけど、ハーレム構造の萌芽が見られる作品として「夢戦士ウイングマン」(作・桂正和 1983年 -1985年)を上げておきたいです。書いた事が現実になる“ドリムノート”に変身してヒーローになる夢を書き込んだ少年・広野健太が、侵略者からみんなを守って行くお話ですね。……これ、物語的にはどう考えても、ドリムノートを健太に渡した四次元人のアオイさんが正ヒロインなんですけどねえ…。実際に健太とくっつく(序列一位)は美紅ちゃんの方で…。ここらへんの複雑なヒロイン構造で既に一線を画するものがあります。かつ、この三角関係だけでは飽きたらず、健太が入った学園戦隊部(?)の女の子・桃子を端に添えます。健太の趣味方面での理解者って設置までなら、形としてはアリかなと思うんですけど、そこからさらに新聞部の久美子、それにアイドルのくるみと、ここまで来たらまあ~過剰と言っていいヒロインが投入されて、全員ことごとく、健太が好きな設定なんですよね。一応、それぞれ健太を関係づける接点が違う所が、よくできてるなあ~と思うんですけど…。作者が大の特撮ファンな事とか、明らかにフェチなトコとか、ドリムノートの万能感具合とか、今観るとなんかかなりオタク臭のする作品になっていますw
正直、構造の面白さ含めて、ここで既に一度完成している感さえある「ウイングマン」なんですけど、マンガ的にはこれがあまり継承された感がありません。…まあ「うる星」後の80年代作品なんで価値観そのものは拡散している時期なんですけど、桂正和先生の作品ではむしろ「電影少女」(1989年 -1992年)の方がその後の萌えに影響を与えているように思えます。いや、何があったかと言うと「ウイングマン」の連載開始の半年後くらいには「北斗の拳」が始まっていて、一世を風靡したこの作品が、他誌も含めた多くの連載を「北斗の拳」色に染め上げていた時期とかぶるんですよねw模倣されるならこっちの時代ではありました。また「ウイングマン」の終盤あたりで「きまぐれオレンジロード」が始まったりするのですが、萌え系の芽という評価を得つつも、「ウイングマン」と比べると大分後退してベタなラブコメに回帰した印象があります。
…で!広野健太くんは「恋愛原子核」なのか?「ハーレムメーカ」なのか?って話になってきますけど、まあ、どっちなんでしょうねえ?僕の直感的には「ハーレムメーカ」という気がしているのですが………というか、今考えながら書いているんですが「ウイングマン」って既にハーレム系の結論のようなところがありますね。健太くんのキャラクターがかなり奇特変人なところもあって美少女が寄ってくる流れに無理が無くって、基本的にみんな仲がよくって、かつ、オチ/着地の仕方も絶妙の観があります。ちょっと凄いかも…(思考中)

とまれ、マンガの話はここで一旦止めておいて、次はアニメの話に入ってみようかと思います。