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今週の一番追記:ヒロインの憂鬱

2008年05月07日 | マンガ


http://www.websphinx.net/manken/come/wek1/wek10359.html#533(今週の一番)

LD >> 「とらぶる」の春菜ちゃんと、「エムゼロ」の柊は、同じ弱点がありますね。二人とも「ヒロインであるためのヒロイン」であって、それ以上でもそれ以下でもないんですね。…いや、無論、作者がそれを打破しようとしているところ含めて。
ルイ >> 春菜ちゃんは柊と比べれば、随分と「溜め」は感じられますよ。極めて平凡な溜めで、効果があるとは思いませんけど。YOUはやく動いちゃいなYO、としか思わないけど。
LD >> ヒロインを最大公約数的にくくるのは、もう~死に札という気がしますね。特にこのマルチ・ヒロイン時代には“メイン・ヒロイン”という属性のキャラクターはいない…という考え方でキャラを組んだ方がいい。
ルイ >> ああ、なるほど。つまり「クラスのマドンナさやかちゃん!(仮名)」というだけで何かを表現できるとは、思わないほうがいいと。

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序列構造と並列構造
…まあ、一昔前の少年マンガみたいにヒロインを一人だけ添えておけば“華が立つ”という時代ではないよって………ひっじょ~に、鮮度の低い指摘ではあるんですが…(大汗)最近、ここらへんのシフトについて考えたりしていまして、キャラクターやヒロインの構造に「序列型」と「並列型」という二つの分類を用意しようと思っています。
言葉を見れば分かると思いますが「並列型」は、つまり恋愛ADVなどのマルチ・エンド→マルチ・ヒロインの類型を指しています。そして、これの対にあたる「そうではないもの」に「序列型」という言葉を与え、かつ、その序列に対して「上位」「下位」と言った評価をして行くわけです。

「エムゼロ」で言えばメインヒロインの柊愛花が「上位ヒロイン」で、観月尚美が「下位ヒロイン」と言えます。(これは「漫研」で構造評価として使う主格、従格とは意味が違うものです)では「とらぶる」のララと春菜はどうか?……構造的にはララが主格なんでしょうが、ヒロインとして評価した場合、二人は「同位ヒロイン」と観る事ができるかもしれません。議論の余地はあるでしょうけど。ただ、古手川さんや、あるいはルンなんかは「下位ヒロイン」に位置するわけで「とらぶる」全体の構造は「序列型」と言えると思います。
結局は「序列型」がとられていると…。ゲームの世界では、多少「序列」の匂いが見え隠れするものの、基本的には既にマルチ・ヒロイン=「並列型」の類型がとられているのですが、そこからメディアミックスの流れでも受けたりしない場合、マンガ作品は以前として「序列型」をとっているものがほとんどなんですね。非常にゲームの類型に近い形がとられる赤松健先生の「ラブひな」や「ネギま!」でもそれは一応、その形がとられているワケです。

つまり、最初に「鮮度が低い」と自己ツッコミしましたが、序列型がとられると、上位ヒロインには人気を引き受けるための要求が走り、最大公約数的なデザインか、あるいは動かし易さを優先して作者の最もノーマルな美少女キャラ(この場合、作者の趣味が尖っていると面白いんですけどね!w)といったデザインになり、枷もついて、アイデアを失したキャラになる危惧というのは未だに健在でもあるんですね。

サンプルとして「あいこら」(作・井上和郎)を挙げますと。メイン・ヒロインの天幕桜子は「序列一位」のヒロインなんですが、アイデアが乗ったキャラだったかどうかは僕は疑問に思っています。この見解が妥当かどうかは置いておくとして、そういった状況で「並列型」を取り入れるとその苦しさはけっこう浮き彫りになってきます。
逆に前作の「美鳥の日々」は「完全序列型」の作品だったので、そこはまずほとんど気にならない構図が引けていたと思います。(ってか美鳥はギミックが立ちすぎだったので、並列型になりようがなかったと言うべきなのか?)

「初恋限定。」という実験
現状こういった感じに、萌えキャラ文化の醸成に伴って「並列型」が指向されて来てはいるんですが、実際にそれを取り込み切るのはメディア・ミックスするといった対応か、何か特殊なアイデアを必要としていますね。というより物語性が強い状態だと、どうしても「序列」がついて「並列型」は取り込みにくい状況にあるようです。
そういった状況で、かなり「並列型」ヒロイン構造を実現して……しかし、幕を閉じようとしている連載がありますね。言わずと知れた(?)「初恋限定。」(作・河下水希)ですね。総計15人前後?の中学~高校に渡る男女の恋愛模様を代わる代わる描き、かつ、一つの大きな物語として組み上げようとした意欲作です。……最新号を読む限りどうみても終わりそうなんですけどね(汗)

「初恋限定。」は「スクールランブル」(作・小林尽)的な群像劇を目指したのでは?という指摘があって僕もそれには同感なんですね。逆に「Boys Be…」(作・イタバシマサヒロ、画・玉越博幸)のような一話完結の恋愛物を目指していたのでは?という指摘もあるんですが、僕はそれは違うかな?と思っています。まあ、実際、初動の段階ですぐに“輪”を繋げましたしねw
描かれた複数のカップル(予定者)の中で、2ラインくらいを気に入れば、読み続ける事になるかなあ?と僕は思っていたんですが……そして実際に、僕は兄萌えの小宵ちゃんと、楠田×江ノ本のデコボコラインを気に入ったわけなんですが……どうも今一つ他のキャラに乗り切れなかったというか、インパクトがというか……この作品、岬姉ちゃんが胆で、この人がシャフトの役割を果たせればけっこう回ったんじゃないかと思うんですが、ちょっと「強く」なかったなかとか…(あ~ボロボロ愚痴がこぼれ落ちてる…)

そこらへん、細々した各論の話もできるんでしょうが、本論に沿って強引に裁断してしまうと「並列型構造」というのは、なかなか受け入れられないというか、そもそも週刊連載には向いていない(かも?)という事が言えるのかもしれません。
「スクラン」は群像的に描かれつつも、天満、播磨を中心とした強固な「序列型」構造を為していて、そこが「初恋限定」との最大の差違であり、かつ、「初恋限定」は「そうでない構造」を目指したのだろと。しかし、多くのキャラを扱いながら、すんなり読者の頭の中に入れさせる「スクラン」の“強み”は正に、このキャラ構造(「スクラン」の構造に関する指摘は、いずみのさんのサイトの造詣が深いですね)に起因するところが大きいのではないかと思っています。
ここらへん「情報圧縮」の話に繋がるように考えていて、また機会を見て比較検討してみようと思います。


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