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今何処(今の話の何処が面白いのかというと…)

マンガ、アニメ、特撮の感想ブログです。

今週の一番『最上の明医』~世界を救う難しさ

2012年01月07日 | マンガ
【12月第3週:めだかボックス 第126箱「人の心に大切なのは」】
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【漫研】
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『最上の明医~ザ・キング・オブ・ニート~』(取材原作・入江謙三、漫画・橋口たかし)のアフリカ編がそろそろ終わろうとしているようですが…やはり、と言うべきか、この無秩序の世界を如何とも為さず、如何とも為せず、ただただ去って行く事になりそうです。いや、もしかしたら少年マンガ的に、何かの希望のかけらのような描きを入れるかもしれませんが、そこが限界で、主人公たちがこの問題の解決を本当に目指そうとしたら、ストーリー自体を大きく変更させる必要があります。…しかし、それはせずに日本に帰る事になりそうに見えますね。
『最上の明医』は、医療マンガ『最上の命医』の続編で主人公は、前作の真摯な青年医師だった西條先生に変わって、最上義明といういい加減で自己中心的な性格(しかし、意外に仲間思い)な高校生になり、半ば引きこもりのニートと化していた生活から、幼馴染の伊達を救命措置で救った事がきっかけで医師を目指すようになる『物語』。今は、義明も伊達も医大生をやっていて、彼らを見込んだ医師たちの思惑もあってケニア・ナイロビの留学メンバーとなっています。そのアフリカ編の“重さ”は以前の記事で書きました。(↓)

今週の一番『最上の明医』~ザ・キング・オブ・ニートとか言っている場合じゃないアフリカ編
このアフリカ編、アフリカに入る前から「あちらでは医師はあらゆる不正に手を染め職務も怠慢…道具や設備も手入れ不足で、壊れているのが当たり前」とか「アフリカで生き残る秘訣」の話とかをしているし、アフリカについたらついたで「アフリカでは処女と交配すればHIV(エイズ)が治るという迷信があり、二歳児でもレイプされる」とか「スラム内では人口の三割以上がエイズだとも言われる」とかキツい話を繰り返す。
その上で、後はただただ、医療設備に劣悪さを描いて行く。白衣は汚れたものしかなく、日本から持ってきた私服の方がましだとか、手術室の窓にガラスが入っていないから手術中に羽虫が大量に入ってきたりとか、それでも、彼らは機転を利かせて子供の患者を救うんですけどね。その子たちが退院したら、部族間抗争に巻き込まれて死んじゃった…とかね。

もう、医者がどうにかできる状況を超えている話なんですよね。完全にアフリカの社会問題で。

この週の話も、塀の外の目の前で男女が犯罪者たちから暴行を受けて、おそらく殺されるであろう状況で、誰もが見てみぬフリをする。塀の守衛は保安上、積極的にそうしている、という状況で、主人公の義明が、我慢ならずに塀の外に飛び出して行きましたが、それは……そんな安易に飛び出してしまう(日本に居る感覚の)寓話を描いていいのかどうか?と迷ってしまう程、圧倒的な状況の悪さがあります。

『最上の明医』という、いい意味での“いい加減さ”がウリだった物語が、なんでこんな問題に手を出したのか?という謎はありますが……というか、何かの“勢い”の話だったんでしょうけど(汗)
しかし、医局という閉鎖された空間内で、自分の思いを何の方法であれ軽く通していた、なかなか上手くいかない時もあれ何らかのオチ(落着)を見せていたこの物語の、そういうヒーロー属性の主人公・義明が、この問題に対面する~そして、おそらく大した事はできずに去る~のは『面白い』事かもしれない思っています。

それは奇しくも、「世界を救う難しさ」が描かれているって事です。多くの物語は、特に子供向けの少年マンガは「コイツを倒せば万事解決」というか、そういう状況を悪くした象徴的存在があって、それを「何とかすれば」あとは「めでたし、めでたし」に落ち着くと、そういう明快なる“形”を求められて、それが描かれるワケです。そこに、どんな破壊があっても、どんなに人が死んでも「善と悪」、「光と闇」などで語れるなら、それは秩序だった世界であり、改善できる世界だと言えます。本物の“混沌”に比べたら。
「独裁者がいたとして彼のために千人の人々が殺されている。しかし、独裁者が倒されいなくなれば、この世界は万人の人々が死ぬ事になる。じゃあ、独裁者を倒すのか?」…という例示はまだ“単純”な方で、略奪と自衛が限りなく同義のもので、律して生きる事、真面目に生きる事に“報いる社会”が構築されていないから、人は無秩序に溶ける。教育も無意味。その教育を学ぶによって得られる“社会”が虚ろだから。迷信を学ぶ方が、まだ一律の“社会”を享受できる。だか、迷信を退けようという“宗派”も外から現れて侵略をしてくる。
マクロが壊れた世界でマクロを整えると言うのは、はっきり言ってキレイ事じゃない。「ミクロで人が死なない(死にづらい)状態を作るためにマクロで人を殺す」と言ってもいい。

…まあ、アフリカ(一部のアフリカ)が、それ程、どうしようもなく無秩序な状態なのか?というのは、僕は観ても経験してもいない事なので分からないです。ネットなどで情報を集めると、相当、酷い状況であると“想像”されるだけの事なので、そこは気をつけて欲しいですが…。

さて、それを僕がどうこうしようって話ではないんですが…(←)今、マンガや、アニメの“英雄譚”的な物語の中で、そういう「世界を救う事の難しさ」にたどり着いている物語が散見されていて…それが主流になるかどうかは別として、一定の話題と力を持って来ている状態だと思うんですよね。このブログでも、いくつか記事を取り扱っています。
『最上の明医』がその途上にある作品かどうかは分からない…というかそうではないと考えていますけど、偶発的にせよ、この問題に遭遇し、その作風から取材が為される過程でかなり事細かな問題の描きに至っているのは、一つの成果であり、他の(世界を救う?)物語への参照として良いものかな?という事で取り上げました。

「そんなのは大人になれば分かる事だ」…って思う人もいるかもしれませんが、どうなんでしょうねえ。“抵抗勢力”とか“政権交代”とか、…その他、諸々の対立問題を観ても~今、僕はどこの意見に与する話もしませんが~この社会は大人になっても相変わらず「英雄譚的単純さ」で世界を分けるのが好きなように観える気がしないでもない(汗)
そのある種のテキストである子供向けの英雄譚、あるいは元型(アーキタイプ)としての英雄譚が、それを語り出し解法を見出そうと行動するのは、相応の意味があるのかなと…。いや、別に意味がなくてもいいんですが。『面白い』なと。(ん~、もうちょっと書き足したい事があったのですが、ここまで。また機会があれば…)


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