goo blog サービス終了のお知らせ 

今何処(今の話の何処が面白いのかというと…)

マンガ、アニメ、特撮の感想ブログです。

今週の一番『バクマン。』一気に駆け抜けるマンガがあったっていい

2011年12月28日 | マンガ
【12月第2週:GANKON 第九願 神と人間】
http://www.tsphinx.net/manken/wek1/wek10539.html#719
【漫研】
http://www.tsphinx.net/manken/



サイコー「一気に駆け抜けるマンガがあったっていいだろ」

(『バクマン。』第158話より)

ローズ・トゥ・人気漫画家マンガ『バクマン。』(原作・大場つぐみ、作画・小畑健)ですが、サイコーのこのセリフにはちょっと反応してしまいました。やっぱり、僕は週刊少年誌で“そういうマンガ”が読みたいという気持ちはありますね。
『サザエさん』や『こち亀』、あるいは『ルパン三世』のような何時までも続けられる物語は別としても「終わるために生まれた物語は終わるべき時に終わって欲しい」と。週刊連載を読む“マンガ読み”なら、そう思う事は多々あるんじゃないかと思います。というか、海燕さんの以前の記事ですが、これと同じ気持ちになる事は僕にもあるって話ですね。(↓)

▼Something Orange:終わる物語と終わらない物語。
 そしてそんな読者の望みに応えて、「終わらない物語」は生まれる。しかし、現代の商業主義は「終わる物語」でも「終わらない物語」でもない「終われない物語」を大量に生み出した。あきらかに物語的必然性を超えて続いていく物語に、多くのひとが失望した。

 それは、そのときのことだけを考えるなら商業的に有益な選択であったかもしれない。しかし、長期的には業界全体に対する不信感を生み出し、不利益につながった一面もあるのではないか。

 すべてを語り尽くしたはずなのに、終わることなく延々と続く物語は、なんとなく物悲しいものだ。そういった物語は、完全に読者に飽きられ、人気が衰えてはじめて終わっていった。

そりゃあ「人気のないマンガは、一気に駆け抜けざるを得ない」わけで、そのバランスの中で、まあ、キレイに終わる物語もあるのでしょうし、月刊連載などでは、然るべき時に幕を閉じるマンガの(どこが然るべき終り時か?ってのは意見が割れるとしても)比率も増えますから「まあ、それでいいじゃん?」と、そこで満足する事もできるんですけどね…。
あるいは「一気に駆けるけるマンガ」なんて概念、モロに解釈や心の持ち方の話にもできて、解釈次第、気持ち次第で「何言ってるの?「一気に駆ける抜けるマンガ」なんてそこら中にあるじゃん?」とか言い出したりもできるんですが…。その上で、自分の素直な心に耳を傾けると、僕はそこに関して“不満足”と言う事らしいです(汗)

『今週の一番』とか言って、ず~っと、週刊少年誌を観て来た人間として、あるいは発行部数の大きさから、ここが“最前線”という考え方があるとして、僕はもっともっと“ここで”、そういう『物語』を観たいなと思ってしまう。
それも「そんなマンガがあってもいい」なんて言う、稀な例なんかじゃなく「そうである物語は、そのように終り時を計って終わる」という考え方が基本にあって欲しいと思ってしまう。
少なくとも『面白い』物語は必ず長く続く力を持つ、という命題は真にはならないでしょう。売れる事と面白い事のギャップと言ってしまえばそれまでですが…。
 それは、そのときのことだけを考えるなら商業的に有益な選択であったかもしれない。しかし、長期的には業界全体に対する不信感を生み出し、不利益につながった一面もあるのではないか。

………まあ、たとえば。100の“人気”を得れば、その作品は雑誌を支える力を持ち得る(当然、連載は続けられる)として、超人気マンガは1000ぐらいの人気は余裕で獲得するとします。…そうすると、1000の人気を得たその作品が、100を割り込むまでは、相当の時間を要するでしょう。当然、その時が来るまで連載は続けられると。

…で、この時、その作品は長らく100のノルマの達成を続け一時は1000まで行った超優良作品なわけですが、同時に900の人気に「見限られた」という考え方はできないでしょうか?900の多くは「飽きて」離れたのでしょうが、一部は「失望」というレベルに達しているかもしれない。
それは本当にそれでいいのか?「100残ってりゃいい」じゃなく「1000まで来たのなら、その1000の人気(顧客)に満足してもらう方法は何か?」という考え方はないのか?※「100残ればいいじゃない。それは、1000の人気に“いつまでも”楽しんでもらえるように全力を尽くした結果だ」という考え方をするとしたら、それは物語の持つ人気の力学…自然現象を無視したものではないか?

その「飽きたり」、「失望したり」してお気に入りの連載から離れた900の人気は、どのくらい再び別のマンガを手に取るのか?…僕みたいに「何であろうとマンガを読む事を決めている人」は外して……というか放っておきゃいいんですが(笑)
別の言い方をすると、最終的に「飽きさせる」、「失望させる」作品が、どのくらいのマンガ中毒を養成し得るでしょうか?まあ、全くいない事はないでしょうけど。しかし、むしろ最終的に「飽きさせる」マンガは、マンガの“卒業者”を多く輩出するのではないか?
芝居小屋などの興行で言えば、最初は楽しませても、客は最後にはアクビして飽きて、こっそり小屋から出てゆく…そういう興行をする小屋にリピーターはどのくらいつくのか?

………すみません。弁を弄しました。まあ、何かデータや裏情報があるワケではないので、100とか900とかね(汗)勝手な数字で単なる与太話です(汗)
でも、僕をマンガ好きにさせたマンガのほとんどは「一気に駆け抜けたマンガ」たちでした。そうじゃないものもあるでしょうけど、俄には思い浮かばないくらい(「僕の中ではここが最終回」とか勝手に決めて折り合いをつけてる気がする(汗))です。だから、そういう物語をもっと見たいな。語りたいな…と。本当、それだけですね。


バクマン。 15 (ジャンプコミックス)
大場 つぐみ
集英社

今週の一番『空が灰色だから』~その不思議な読感を想う

2011年12月21日 | マンガ
【11月第4週:いぬまるだし 第155回 浅野犬壱キー局一斉緊急生会見】
http://www.tsphinx.net/manken/wek1/wek10537.html#717
【漫研】
http://www.tsphinx.net/manken/



『空が灰色だから』(作・阿部共実)が良いですね。以前の短期集中連載だった『空が灰色だから手をはなそう』からの本格連載化ですね。この『物語』はオムニバス…というか、一話完結で…主に日常のヒトコマを切り出して描いたもので、僕の一言で言うと「緊張が解けない連載」とでも言いましょうか。

何に「緊張」するのかと言うと、この連載、読感をなかなか決めて読めない所があるんですよ。たとえばギャグマンガなら「笑う」。アクションなら「スカっとする」。あるいはラブコメだったら、なんかちょっと「甘酸っぱい想い」をさせてくれる。萌えマンガなら、「萌える」…とか?そういう、その物語を読むにあたって、何かしら期待する“読感”があると思うんです。また、言ってしまえば読者はある程度、トビラの絵などから、そういう想像と期待をしてマンガを手に取り、ページをめくると思うのですが…。
それが『空が灰色だから』では掴めない。少なくともハッキリあたりはつけられない。頭の部分では、いつも同じような調子ではじまって、最後は、ほのぼのとできるか、嫌~な気持ちになるか分からない。いや、そもそも、そういう好悪のハッキリした感情じゃなくって、もっと、それを綯い交ぜにしたような…なんとも言えない気分にさせられる。だから読む前に、僕は微妙に“緊張”する……そんな感じの連載なんです。



たとえば、この週の第6話「夏がはじまる」。o(…こんなタイトルだよ!)では、右澤さんという、背が高くてバレー部で、男っぽい、むしろ男にしか見えないような女の子がいるんですが、そんな右澤さんと、気の弱わそうな男の子の肥田くんが、日直になって仲良く喋り始める。
女の子だと緊張してしまう肥田くんは、右澤さんとは気安く喋れるものだから、うれしくなってべらべら喋り始める。「右澤さんは、実は男なんじゃないの?男なんでしょ?」って嬉しそうに話しかける。
そしたら、最初は笑って応対していた右澤さんが、ふいに、突然「わたしは、男じゃないよ」と泣いて走り去ってしまった。…後にはしつこく「男みたいだ」と言った事を(おそらく)悔やんでいる肥田くんが残される…。

そこで終り。…で、多分、もう肥田さんも右澤さんも出ないんですよね。この先はもう、ない。だから“読感”はここで止まったまま。読者は…この場合、男の読者は?かな?この肥田くんと共感して、そして肥田くんのように右澤さんに申し訳ない気持ちになって、そこで終り。   …なんです。

いや、連載が進むと、場合によっては、また右澤さんと肥田くんが登場する日もあるかもしれないですけどね。でも、とりあえず、今の『愉楽しさ』はそんな感じなんです。次の回は、またほのぼのとしたりね、そこは一定させないので“緊張”が続きます。
でも、やっぱりこの作家さんは、人の心を「じくっ」とさせるのが上手いとは思いますね。ただ、でも人を「じくっ」とさせる事を目的で描いていないとも思います。もっと何か別の……う~ん(考)これは“反日常系”とでも言えばいいのかな?

もし“日常系”というものが、おだやかで、心地よい時が続いて行く事を描いている『物語』なのだとしたら「いや、日常って、楽しい事ばかりじゃないよね?」と言うか。
ケンカする出来事があっても、しばらくしたら仲直りする事が分かる、それが描かれるのが“日常系”なら、「いや、そこで口きかなくなって、それきりってあるよね?」…とか。「いじめられていても、毎日なら、それって日常だよね?」…とか。そんな感じなのかもしれません。いや、まだ阿部共実という作家さんを掴みかねているんですが(汗)とりあえず。(´・ω・`)つ

大好きが虫はタダシくんの

(↑)ルイさんに教えてもらったものなんですが、阿部先生がpixivなどで公開していた読切です。以前から、かなり評判だったようなんですが、これはちょっと衝撃を受けます。
『空が灰色だから』は、パッケージ化されない部分の良さがかなり出ている作品で、これは週刊ではジャンプは元より、サンデーやマガジンでもパッケージ化してしまって、その良さを半減させてしまう気がするんですよね。チャンピオンだからぎりぎり“これ”が出来ている気がします。(まあ、月刊なら他にも場があるかもしれないけど…)そんなワケで、ちょっと、注目したい連載と作家さんに思っています。

今週の一番『神のみぞ知るセカイ』~“落とし神”の臨界

2011年12月17日 | マンガ
【ハーレムメイカー】

【11月第3週:ましのの 31話 佐伯まどか】
http://www.tsphinx.net/manken/wek1/wek10536.html#716
【漫研】
http://www.tsphinx.net/manken/



『神のみぞ知るセカイ』(作・若木民喜)、桂馬は最後の女神の居場所が分かると同時に、女神持ちでないと分かったちひろを手酷く振りましたね。しかも、間が悪い事に(それとも必然?)それを最後の女神持ちの歩美に見られてしまっている。…さて、どうなるんでしょう?桂馬は恙無く“再攻略”を果たせるのか?
『神のみぞ知るセカイ』は、悪魔の世界から逃げた6万匹の“駆魂”を回収するために、ゲームの達人にして“落とし神”様と呼ばれている桂木桂馬が選ばれる物語。現在は、地獄界の悪魔的復活を目論む旧悪魔たちに対抗するため、かつて旧悪魔を封じた“ユピテルの女神たち”の復活/再集結を目指し、以前、攻略したヒロインたちの中から“女神持ちの子”を火急に探し出さなくてはならないという展開。…の本道あたりは、今、桂馬がやっていて、それを裏打ちする舗装をハクアがやっているという感じですね。

▼USTREAM:ハイライト:『神のみぞ知るセカイ』の話題

(↑)この展開については先日のラジオでも言及しているのですが、桂馬のこのちひろの振り方は、酷い奴と思う人もいるかもしれませんが、これは仕方ないんですよね。「大義がある」。既に、重体者を出しているこの事件に、普通人が関わる事は、下手するとそのまま死を意味します。ちひろを一刻も速く自分から遠ざける必要があった。
しかし、「大義の事情」を知らない歩美には、“そこ”は関係ないワケで「歩美に見られた」事は、女神出しの再攻略を相当に困難なものにしています。

いよいよ、桂馬が“落とし神”だとして「どの程度の神か?」を確かめる局面が迫って来ています。ギャルゲーを極め、ギャルゲーで現実世界を語り、ギャルゲーでその意志を貫き正道も危地もくぐり抜けて来た桂馬の“認識”が問われる時が、です。
…こういうのもなかなかないんですよね。ブラックサタンとの戦いでは“無敵”を貫いてきた仮面ライダーストロンガーの、『ヴェルザー軍団編』がはじまろうとしている!…と言えば特撮ファンなら通じるのかな?(汗)あるいはデビルリバースも、ウィグル獄長も、凌駕して屠ってきたケンシロウに、ラオウとの対決が迫っている…と言えばいいのか!(`・ω・´;)
…何を言っているのか分からないと思う人もいるでしょうけど、こと、ギャルゲーを戦う手段に考えた場合、桂馬はこれまで『無敵ヒーロー』を貫いてきた。無敵ヒーローそのもの…と言うとちょっと違うかもしれませんが、しかし、彼のこれまでの行状は『ピンチヒーロー』のものではない。…そうですね。『スリルヒーロー』とでも言いますか。
たとえば、ルパン三世やコブラなんてタイプの主人公は、けっこうヘマもするし、ピンチにも陥るのだけど、しかし、観客は安心してそれを観ている面があると言えます。たとえピンチに陥っても彼らには“奥の手”があるだろうと信じられるというか、それさえなくても、何とかできるはずという“余裕”を感じるというか。…『美味しんぼ』の山岡さんなら、何とかするだろう?みたいな話の方がいいのかな?(笑)
頼りにする武器が「ギャルゲーの知識」という特殊性を除けば、桂馬は、こういったタイプの主人公に属するキャラクターだと言えます。

その桂馬がピンチヒーローに変じようとしている……かもしれないぞ?というのが今の局面ですね。指標的なものを語ると…そうですね。桂馬が次に打つ手を失う時、そろそろのタイミングでハクアが帰還し、彼女の叱責で突破口を見出すような形になると、大分、ピンチヒーローでしょうか?(まあ、そう単純に語れるものでもないですけど)あるいは、逆にこのピンチも、手こずりはしても、最終的には「いつもの桂馬」で通過するかもしれません。その場合は無敵ヒーロー度はかなり上がります。“神”としての格も相当上がるでしょう。

『神知る』は、物語を通して語られる、まだ答えの出していない命題があって、それは「現実はゲームのように行かないのか?それとも、ゲームとは言え一芸に通じた者は世界(現実)を制し得るのか?」と言うものだけど、多分これは後者の方が結論になってくるはずですが、だとしても“現実”がどのくらい桂馬を困らせるか?は一つの大きな焦点ではあるんですよね。

今週の一番『神のみぞ知るセカイ』ディアナとは何者か?


この前の回、「神だから(将棋で)人間に負ける事はない」と豪語する天界人ディアナ(桂馬の幼馴染み鮎川天理に取り憑いている)との対決が決まった所でヒキで「漫研」のチャットでも「この一戦の結果で、この作品の景観が分る!」などと言って注目していました。簡単に言うと“桂馬”というキャラクターのこの作品世界における立ち位置が明確になると考えました。……もっとも、僕は前の時点で桂馬の(仮の)観立ては終わらせていて「桂馬の負けはない」と踏んでいたんですけどね(汗)

(↑)以前の記事ですが、神=ディアナと桂馬の将棋対決の結果は、今の話の中でかなり重要視しているエピソードです。色々、交錯するものがありますが、ともかく、ゲームで桂馬が遅れをとるというのは、後にも先にもこのエピソードだけです。…これを大きく考えるなら桂馬は現実(と言っても神だけど)に遅れをとる存在という事ができそうです。
つまり、これらの情報をよくよく考えて行ってみると、本質的には「ゲームが現実には通じない………しかし、それでもゲームで戦う。それしかないから」というラインが観えてくる。それは、いずれ一度は、桂馬のセカイは破壊される、という事を意味しますが…。ん~…それはちょっと残念な気もしますが、実際はどうなるんでしょうね?

まあ、いずれにせよ、歩美はこれまでの桂馬の攻略履歴の中でも最強クラスの難易度になっていると思います。男女の恋愛は理屈では語れないとは言え、それは現実の話であって、桂馬は理屈で攻略を図る。そして理屈であれば歩美は桂馬を受け入れない多くの理屈を持っていると。もし、この先、これ以上に難しい攻略ヒロインがいるとしたら……それは、やっぱりエルシィかなあ?と思ったりして。

今週の一番『りびんぐでっど』~灰田さんのゆるい生態(?)に癒されてます。

2011年12月02日 | マンガ
【11月第2週:空が灰色だから 第4話「ひとりぐらし」】
http://www.tsphinx.net/manken/wek1/wek10535.html#715
【漫研】
http://www.tsphinx.net/manken/



最近、『りびんぐでっど』(作・さと)を毎週、『面白く』読んでいます。不慮の事故で死んでしまった灰田もなこさんが、何故かゾンビとして蘇り、自分にラブレターを送ってくれていた青山圭太くんの家に転がり込んで居候している『物語』。もなこさんは時々、人を襲って肉を貪る衝動にかられますが、生肉(豚、鳥、何でもいい)を与えておけば落ち着くみたいです。

まあ、とりあえず灰田さんの身体がモロいです。それも、最近、言語を絶する程、脆くなっていて……落ちてきた“柿”で灰田さんが真っ二つになってしまった時は、ちょっとビビりました(笑)…もしかして、灰田さん、そろそろ屍体的にやばくなってる?などと要らぬ妄想をしてしまうのですが、基本、瘉されています。(´・ω・`)
当初、インドア的だった展開も、灰田さんが、あらゆる意味で危険な状態の肉体をものともせずに外にでかけるようになって、徐々に登場人物も増えて来ていて、展開や情報にも幅が出てきていて楽しいです。とはいえ、やはりキャラとして一番楽しいのは灰田さんで、一番可愛いのは“お母さん”(ぐっ)。この二人が出るだけで、毎回、割りと幸せなんですけどね。

それにしても、灰田さんの身体は相当おかしいというか、(ゾンビとは言え)実際、どうなってんだろう?とは思ってしまいますね。時々、はみ出した内蔵とか、鳥についばまれて持って行かれる時とかあるんですが、あれ、大丈夫なんでしょうか?「何とか回収できた」と解釈する事もできるけど、なんかそんなに簡単に思えない(汗)何か灰田さんの肉体は再生しているのだろうか?とか、余計な事を考えてしまう。
この柿で真っ二つの回も、柿で二つに割れてしまう所も衝撃だったけど(柿て…)、それに合わせて服も一緒に割れている。「……いや?服は割れないだろう?」とか、気になったり。いや、そこ突き詰めると、ぶっちゃけ、パンツとかどうなってんのよ?と。………………………いや?(汗)いんですけどね。(´・ω・`)

考えて行くと、かなり“妖怪”じみているというか、相当アバウトな設定で灰田さんは生きているんだなあと思ったりもします。(まあ、ゾンビ自体そうですけどね)「だが、そこがいい」(`・ω・´)「死んでも生きている」というゾンビなあたりが既にアバウトなんですが、それが妙に灰田さんのアバウトなキャラクターとマッチしていて、何だか妙に癒されています。


りびんぐでっど! 1 (少年チャンピオン・コミックス)
さと
秋田書店

『風雲児たち』小栗上野介キター!(゜∀゜)

2011年11月29日 | マンガ


コミック乱で連載中の『風雲児たち 幕末編』(作・みなもと太郎)で、井伊直弼の“運命の日”のカウントダウンが進む中(進んだり、戻ったりする中(´・ω・`))いよいよ、小栗上野介が登場。…いや、まだ、顔とかキャラクターとか決まってないみたいですね?今から楽しみです。
『風雲児たち』はギャグマンガの大家・みなもと太郎先生が渾身の筆致で送る“幕末もの”マンガ……幕末の物語を描くのに“関ヶ原の戦い”からはじまり、その後もいつまで経っても幕末にならない、気がつくと30巻に至り、連載誌を変えて、ようやく今、幕末をやっているという冗談のような連載ですが…。笑いあり、涙ありの、掛け値なしの傑作名作マンガです。

『風雲児たち』を読むようになって、あらためて幕末について調べたりしたんですが、その中で、この人は知りましたね(名前は以前から聞いた事はあったんですが)。バキバキの幕臣なんで(バキバキ?)、維新三傑とか、あるいは新選組とか、龍馬とか、幕末の“定番”の人からは、なかなか接続がない人じゃないでしょうか。(勝海舟とかはどうだったんだろう?)でも、すごい人です。幕末にはぐれた孤高の士のような風格すらあります。
しかし、この小栗上野介の事、あるいは阿部正弘の事、あるいは川路聖謨の事など幕府の士の事を調べて行くと、一般に流布するような佐幕=「時代が見えなかった者」、薩長=「時代に先んじた者」、という“史観”は、とても疑問になってきます。
反射炉建設、海軍操練所、造船所建設、使節団の派遣、明治の“未来”につながる多くは幕府の主導で行われている。対して倒幕を果たした薩長は“未来”に対してどれだけの事をしていたか?…というか、あの当時、世界に立ち向かえるだけの何か?をやる事ができたのは“徳川幕府”しかなかったと言ってもいいんですよね。「そんなの当たり前じゃん」と思う人もいるかもしれませんが、とにかくそうだった。
薩摩の島津斉彬は“それ”をしていたと言えそうです。しかし、それも老中・阿部正弘との協力体制でのものであるし、彼が早逝して島津久光に変わった時、どれほどの事を続けていたかは、かなり疑問です。あと、鍋島藩。うん、まあ、ここは…まあ、うん。(´・ω・`)引きこもっちゃうのはどうかな?くらい?

僕は今、幕府寄りに歴史を読み進めようとしているので、そこは注意して欲しいですが……徳川幕府の官僚たちは阿部正弘も、江川太郎左衛門も、川路聖謨も、そして小栗上野介も出来うる限りの“外国”との戦いと、そして“未来”への布石を打ってきたのだと思うんです。
いや、その戦いっぷりは、その清国をも下す列強に対するちっぽけな島国の成果としては、考えうる最上に近いものとさえ言ってもいいように思えるのですが、「倒幕(革命)!!倒幕(革命)!!とにかく倒幕(革命)!!」とがなりたてていた血気盛んな闘士たちによって、その成果の多くは奪われ、そして彼らは、それらが自分の手柄であるかのように歴史を語り継いだ……そういう面はなかったか?とは思ってしまう。

以前、『まどか☆マギカ』に引っ掛けて“幕末”を語ったりしましたが、今、述べたような感覚で書き綴っていますね。(↓)

▼togetter:『魔法少女まどかマギカ』風?に戊辰戦争時の日仏交渉を演じてみる

しかし、なら「幕府のまま」でよかったか?熱狂の渦に巻き込まれること無く、事態を冷静に察し「幕府はできるだけの事をしているじゃん!」と。そう評価して、すごすごと引き下がり、主導は彼らに任せ、協力は惜しまず、徳川幕府のまま世界に乗り出して行くのが一番“安全”だったのか?…僕は、そうも思えない。
上手く、説明できませんが、人間には、というより“人間たち”には、何かスイッチが切り替わる“儀式”が必要な時があり、この時はパックス・トクガワーナという“日常”の延長の窓枠から世界を観続けてはダメな時だったのではないかと。そんな気はします。

ここらへん、人類学者・フレイザーの『王殺し』という話を思い出すんですけどね。未開社会において見られる「宇宙の秩序を司る祭祀としての王が、その力を失った時、王は殺害され新たな王を擁立して秩序を回復させる」という“儀式”で、それはヨーロッパの市民革命や、清教徒革命においても見られる“儀式”…という事らしいですが。
…そういうものを、この維新回天にも感じます。「なぜ、徳川幕府が滅びる必要があったのか?」は僕の今後のちょっとしたテーマですね。実は彼らからは、そういう『王殺し』すらも推して引き受けているような……そんな潔さ、美しさすら感じる事もあるんです。
小栗上野介が『風雲児たち』において、どれくらいの扱いになるんかは分かりませんが、期待しています。



…あ、あと12月4日から『坂の上の雲』の第三部が始まるよ!(`・ω・´)19:30からだね!!


風雲児たち 幕末編 19 (SPコミックス)
みなもと 太郎
リイド社

今週の一番『マギ』~シンドバッドかっこいい!紅玉姫かわいい!とか書こうと思ったら…(´・ω・`)?

2011年11月24日 | マンガ
【脱英雄譚】

【11月第1週:りびんぐでっど #27:ハーフ&ハーフ・オブ・ザ・デッド】
http://www.tsphinx.net/manken/wek1/wek10534.html#714
【漫研】
http://www.tsphinx.net/manken/



『マギ』(作・大高忍)がゆっくりと着実に『物語』を積み上げて言っていますね。いや、この場合『世界』を積み上げていると言うべきでしょうか。『マギ』は…なかなか一口には言えないのですが、ユーラシア大陸を模した広大な世界が舞台の、ダンジョンと魔法使いと魔神を巻き込んだ冒険活劇…そこから発して世界と人間の運命を決める戦いに向かって行く『物語』に観えます。
僕も、静かに深く応援しています。気がつくと、週刊少年マンガの中で、並行して動くキャラクターの数がトップクラスの大河ストーリーになっている、いや、なろうとしていると言うべきか。まだ、弾込めをしているような状態のはずなので。

長期連載のマンガだと、自然とキャラクター数は膨大になって行くのですが、これは特に少年マンガの場合、いわゆる“串団子バトル”と言われるシリアルなストーリーラインから、置いて行かれる者、忘れられる者が顕著で、またギャグマンガなんかだとしまってあるキャラを時々起すという手法で多数のキャラを保持するのですが、『マギ』の、これだけのキャラに違う方向をパラレルに走らせているのはちょっと無いですね。
…いや、『ネギま!』とかあるんですけどね(汗)あるいは、今の『ワンピース』はシリアルなストーリーラインを“こっち”にシフトさせようとしているのかな?とか思ったりもしていますが…。それよりは、もう少し、バラバラとしたような……それでいて、それが大きな流れを編むような…そういう形を成して行っていると思います。



(モルジアナに「えっ?」とか言われてるよ…)…いや、しかしここで正直を言うと(汗)ヘタレ主人公であるアリババのヘタレっぷりが、どうにも好きになるのが困難でねえ(いや、言う程キライなキャラでもないですが)…(笑)モルジアナも、シンドバッドも、カッコいいなあ!と思ってるし、アラジンの正しい少年っぷりと得体の知れなさの同居が、すごく好きななんだけど……アリババがなあ…orz もう少し「こいつは、王になれる男だ!」と思わせてくれたらなあ…。
彼は作中において明らかに“ヘタレな面がある少年”として描かれているので、演出や、キャラ設計にミスがあるというわけではないのですけどね…。ここが、バシッとはまると物凄く僕好みの『物語』なのですが…。まあ、登場当初に人の生命を何とも思わない、金持ちの主人をボコッと殴った時は、充分、カッコ良かったのでアリババも何処かで落ち着いてくれるかな?



この物語、魔法の世界(裏の世界)は、暗黒結社アル・サーメン(一つの組織ではない?)と、アラジンそれからシンドバッドの戦いになって行くのでしょう。対して、表の世界の“歴史”は、覇権国家・煌帝国と、シンドバッド王の七海連合の衝突になって行くものだと思われます。さらに突き詰めると、煌帝国の第一皇子・練紅炎と、シンドバッド王の“両雄”の戦いになるのでしょう。
その趨勢は、裏の魔法の世界の活動がかなりの部分で関わって行くはずですが、だからと言ってイコールではない。シンドバッド王から、白いルフ(生命エネルギー)に隠れて黒いルフが流れるように、対する練紅炎も黒一色の男というわけではないと思われます。そういう描きに観えます。黒いマギとなって、アル・サーメンの手に堕ちているジュダルも、本当の所何を考えているのか分からない。(何も考えてないっぽいけど…)



煌帝国には他に、最近とみに可愛いと評判(?)の紅玉姫と、白龍くんがいます。白龍くんの姉の白瑛さんもいますね。彼らは煌帝国の人間だけど、シンドバッドと深く関わり、単純に練紅炎と同じ方向を向いているキャラではない。
じゃあ、シンドバッドの味方なのか?…そうとも言えるけど、肝心のシンドバッドは紅玉姫も、白龍くんも、使えるカードの一枚として扱おうとしている(…まあ、本当に簡単に使い捨てて見せるか?は、また別の分岐になりますが)。シンドバッド自身が、単純な“白い英雄”ではなくなっているんですね。
紅玉姫はシンドバッドにメロメロに恋しているのですが……相応に哀しい思いをするのは確定路線なんでしょうね(汗)その後、どうなるかは分かりませんが。
また、白龍くんは顔に火傷を負っていたり、片腕がもげたり、かなり酷い扱いを受けているんですが、基本ヘタレというか、ダメな面がある少年で、アリババの『対比』キャラなのでしょう。練紅炎がシンドバッドの『対比』であるように。…でも、僕は、この少年は好きなんですよねえ~。全然、主人公張れそうな、好少年です。



先に、怪しい人物である事を書いてしまいましたが、シンドバッド王もかなり興味深いキャラクターです。時折、断片的に語られる彼の冒険譚の数々は、彼がかつて間違いなく“物語英雄”であった事を示している。…というか、今も、一人だけチートヒーローなんですよね(汗)
迷宮攻略者たちが使う“ジンの金属器”は必ずしも絶対無敵の宝具ではないのですが、彼が振るうと一撃必殺の大破壊をもたらす。レベル99になって敵が弱くて困っているRPGの勇者のような感さえあります。
それこそ、今の、この物語は「世界の異変に対してシンドバッドが如何に立ち向かうか?」という英雄譚に集約されてると言ってもいいのだけど、しかし、彼は主人公ではない。思うがままに冒険し、勝ち上がってきた、かつての少年は、思うがままに得たものによって、思うがままを失った…というか。まあ、彼の物語もまだ、全然はじまったばかりなんですよね。でも、この人は超カッコいいです。

シンドバッドが白一遍のヒーローではない事で分かるのですが、この物語はある種の“分かりやすさ”として「光と闇の戦い」が演出されていますが、本質的にはもっと混沌と言うか…清濁併せ呑んだものを描こうとしている。もっと人も、人の心も入り乱れている。シンドバッドが白一遍じゃないのなら、練紅炎も黒一遍ではないのだろうと思える…そこが好きです。

他にもまだ、伝説のマギがいると言われるレーム帝国、革命により建国された魔法主義の国マグノシュタット(まあ、アル・サーメンが糸引いているみたいですが…)など、どう動くか分からない勢力も、物語の盤上に並べられ始めています。アリババの故郷で、煌帝国に占領されてしまったバルバッドもまた出てくるでしょうしね。(アブマド、サブマドもまた出るかな?)

本当は、このブログで僕が使っているキーワード『脱英雄譚』を引っ張ってきて「シンドバッドは『脱英雄譚』前の旧来英雄なんだ!」とか言う方が、いろいろ僕なりの理屈をつけて語りやすいのですけどね…(汗)(シンドバッドの物語の形、アリババのキャラの置き方等を観ると)今回はちょっと保留。改めてそういう角度で語るかも…。ただ、『脱英雄譚』の一つの目標である「分かりやすい物語から世界への接続を果たす」という事はやっている物語だと思います。

週刊少年誌では、大変な困難がある大河ロマンを、時に冒険やアクションを交えながら、じりじりと、しかし着実に歩を進めている渾身の連載だと思っています。それだけに、途中で打ち切られたら、本当に「何の話」だったのか分からなくなってしまう(汗)いや、アラジンがテーマ的な事をぺらっと喋れば格好はどうにでもつくのでしょうが……多分、それを様々な人々に宿る物語によって描かれる事に意味がある物語だと思うのです。
まあ、それだけに、少年サンデーにはいろいろがんばって欲しいですね。いろいろ。(´・ω・`)


マギ 10 (少年サンデーコミックス)
大高 忍
小学館

今週の一番『神のみぞ知るセカイ』~ハクアの物語昇格がぱない(`・ω・´)

2011年11月22日 | マンガ
【ハーレムメイカー】

【10月第5週:競技ダンス部へようこそ(作・横田卓馬)】
http://www.tsphinx.net/manken/wek1/wek10533.html#713
【漫研】
http://www.tsphinx.net/manken/



室長「ハクア…確かに今のお前は何もない。駆け魂隊でもない。羽衣もない。ついでに家柄もない。ツノもない。カネもコネもない…。だが努力で、一番になった。今まで「証の鎌」は家柄の高い悪魔しか取れなかった。成績優秀だから首席、と言う訳にはいかなかったのだよ。しかし、お前は成績で圧倒して、自分自身の力で首席をとった」

(『神のみぞ知るセカイ』161話より)

『神のみぞ知るセカイ』(作・若木民喜)が今、相当良くって、またすぐに記事を書く事になると思うのですが、その前に、もう一度ハクアの事は押さえておきたかったので、ちょっと書いておきます。
『神のみぞ知るセカイ』は、悪魔の世界から逃げた6万匹の“駆魂”を回収するために、ゲームの達人にして“落とし神”様と呼ばれている桂木桂馬が選ばれる物語。現在は、地獄界の悪魔的復活を目論む旧悪魔たちに対抗するため、かつて旧悪魔を封じた“ユピテルの女神たち”の復活/再集結を目指し、以前、攻略したヒロインたちの中から“女神持ちの子”を火急に探し出さなくてはならないという展開。…の本道あたりは、今、桂馬がやっていて、それを裏打ちする舗装をハクアがやっているという感じですね。

今週の一番『神のみぞ知るセカイ』~攻略ヒロインの逆襲がぱない(`・ω・´)


また、このフェーズに入ってからのハクアのヒロイン格の上がり方がすごいですね。これも書いておきたい。エルシィを昏睡したかのんの身替わりにして、端におき、ハクアを代わりのパートナーとして起用する。これをやって、動かされてしまうと「ハクアって“この為”に置かれていたヒロインだったのか!」と思ってしまう程、強力な“回り”を見せています。桂馬をサポートし、地獄界とも連絡をとり、独自に謎への迫りを見せている。三面六臂と言っていい、影日向の活躍を見せています。
“問題解決力”において、桂馬とパートナーを組んだ時のその親和性が素晴らしかったんですよね。考えてみると桂馬と一緒に問題に立ち向かうキャラ位置は、この子と、あとディアナくらいしかいない。いや、エルシィもいるんだけどちょっと置いておいて(汗)ディアナに、その全てを集約させるというのも選択なんですが、俯瞰としては並列構造のこの物語では、良いカードは分けられる方が望ましい。そうなるとハクアしかいない……と。(あと桂馬の行状全部知っていてそれを理解/許容できる立場なのも大きいですね)

この物語に対して「ずっと続ける構造」と「終わる為の構造」の二つの構造の話は以前からしていましたが、こうなってくると「続ける構造」のヒロインはエルシィで、「終わる構造」のヒロインはハクアだったのでは!?などと思えてきます。「終わる構造」のヒロインって基本、真ヒロインって事ですよw

以前の記事でもハクアの格の上がり方については触れていて、今回、それと書くことはそんなに変わらないんですが…(汗)しかし、上引用の161話において、明確にハクアに“物語解決”の使命が与えられた事は大きいです。そう宣言がされる事は言ってしまうとハクアに“物語主人公券”が発行されたと言ってもいい。…いや、ホントにそれが使われるかどうかは分かりませんが、ハクアは桂馬から離れた所で物語が綴れるキャラになっています。



群像劇として物語を綴る~誰でも主人公にも見立てられる~という意味では、別に登場人物の誰だって、物語を綴っているんですけどね。『神のみぞ知るセカイ』という物語を駆け魂退治~ひいては旧悪魔との問題決着に到る物語と観るなら、今、物語が綴れるのは桂馬とハクアって事です。たとえばノーラさんとか、かなりハクア寄りのキャラ、ハクアが気になるキャラ~従格のキャラ~として配置されて来ています。室長もそうですね。ここらへんで既にハクアは、相応の『シャフト』、少なくとも『サブ・シャフト』足り得る事は示されている。

ハクアが起つ事によって物語が立体的になっているとか比喩したいんですけどね。これ言葉で何か表すよりも、ずっと良い形/状態だと思うんですよね。
今、桂馬は最攻略というタスクをさらに同時並行で行なっているわけで、それだけでも厚みのある展開なんですが、しかし、マルチ・タスクっていっても、実際はシングル・タスクを分割して少しずつ処理するだけで、それって本当は擬似マルチタスクだよね。んでも、CPU二つが別のタスクを処理したら、それは本当のマルチ・タスクだよねと言うか……。まあ、とにかく桂馬のセレクトボタンだけでは物語が決まらない形になっていて、それは、それだけで『愉楽しい』事なんですよ。

しかし、今後の形がどうなるか?というのは、まだ予断を許さない所があります。捕らえられ隊籍を失って地獄から脱出したハクアは、とりあえず一度、桂馬と合流すると思われますが……そのまま、桂馬と行動を共にすると、これはかなり『強い』のですよね。『強過ぎ』な程。そうするとねえ……やっぱり、“ガウ・ハ・レッシィ”(別行動)が妥当かなあ…?とか思ったり。
しかし、強過ぎとか言いましたが、実は、まだ攻略ヒロインたちはフリーハンドなんですよね。これから彼女たちは桂馬が対峙している問題~旧悪魔との戦い~を知って行く事になると思うんですが、彼女らの動き次第では、強過ぎなんて言ったのは、言い過ぎかもしれない。…まあ、分からないです(汗)でも、攻略ヒロイン全員対ハクアでバランスがとれるくらいですよ、今。エルシィと、あとディアナには、まだ隠し玉があるとは思うんですけどね…。

ちょっと、ルイさんと「ハクアは真ヒロインかもしれない」→「真ヒロインとかじゃなくって主人公格じゃない?」→「んじゃ、(僕のカテゴリ分けだと)女ヒーローかな?」→といった会話を交わしたりしていたのですが、やはり『神のみぞ知るセカイ』という物語を考えた場合、ヒロインとしてどうか?という視点から観た方が通りが良さそうに思えます。
その意味ではハクアは「“主人公格カード”を手に入れたヒロイン」と言えます。このカード持っているヒロインは相当強いはずですけどね(汗)ハクアというキャラ位置のキャラが、このカード持つのはなかなかの壮事に思えます。今、ホントに彼女の立ち振る舞いで『物語』の形が決まる所だと思うんですよね。


神のみぞ知るセカイ 1 (少年サンデーコミックス)
若木 民喜
小学館

今週の一番『てんむす』予選二回戦がこんな濃密でいいのかな?(´・ω・`)

2011年11月18日 | マンガ
【10月第4週:ケルベロス 最終刻 雪房】
http://www.tsphinx.net/manken/wek1/wek10532.html#712
【漫研】
http://www.tsphinx.net/manken/



『てんむす』(作・稲山覚也)の天食祭予選二回戦の相手、長野女子体育大学付属との戦いがよかったです。『てんむす』は天性の“食べ好き”(?)である少女・春風天子が、期せずして食い道部に入部し、女子大食い競技の道を進んで行く『物語』。天食祭というのは…架空の神事を由来とした女子(巫女)の大食い競技大会で、まあ、大食いのインターハイと思えばいいんでしょうね。ここらへん、学生大食い競技がマイナーながらもある程度メジャーに歴史を持って存在するという、かなりディティールに拘った設定が組まれているんですよね。

…で、長野女子体育大学付属高校というのは、スポーツ推薦で入学した女子がほとんどの学校で、食い道部はその中で、怪我によって自分らが目指した競技を続けられなくなった子たちの集まりなんですよね。そして、勝たなければ、部の存続も危うい部でもある。
そんな中で、選手たちは、自分のかつての競技を“食い道”に活かした戦い方で試合に挑んで行く、勝ったり負けたりなんですが、その挫折からのスタートのドラマがかなり濃厚に試合展開に併せて組まれています。…実は、たかだか予選の二回戦の相手としてはもったいないくらいに感じもしました。



笑わない選手・荒川氷華さんとか……こう、直感的な話ですが、天子の物語全体を通してのライバルになり得る“オーラ”を感じるような子だったんですが……いや、「ごはんが楽しいとか分からない」とか天子と真逆の女の子でね?それでも“強い”となると、彼女が持つキャラ格は自然と大きくなるはずなんですよね。
…でも、この戦いで、割りとあっさりある程度の区切りをつけてしまっているんですよ。再登場はあるかもしれないけど、特に伏線も残さずきっちりまとめている。少なくとも「ごはんが楽しいとか分からない」事への変化を得てしまっている。…彼女が出た以上、天子のライバルと成り得る一つの形「ごはんが楽しいとか分からないキャラ」をまた出すのは、ちょっとトリッキー&リスキーですよね。その意味で、ちょっと勿体無くは思ってしまう。(…実は『てんむす』はこういう全体の構成を考えた時の『カード』の切り方に違和感を感じる事はけっこうあります)

…しかし、です。なんかネガティブな事を先に書いてしまいましたが、それ故、この“長野女子戦”は非常に濃厚なエピソードとしての仕上がりを観せていると思います。他の個々の選手のがんばりの描きも、かなり細やかに組まれていますし~要するにそれぞれ他の子にも感情移入し得るんですよ~それを冷ややかに貶す(?)やる気のない顧問・星野先生もいい。
それを考えると、単に「前の競技は挫折したけど、ここでまたがんばる」じゃないキャラとして、荒川氷華さんが入ってくるのもまた、分かるんですよね。勿体無いカードだけど、上手く組んでいる。
僕の感覚では『てんむす』は、そんなに余裕のある連載ではないはずなので、遠い展開への伏線を張るより、目の前の一戦一戦に載せられるものを出来る限り載せようとする姿勢に好感もあります。



そんな中でも、けっこうインパクトあったのは顧問の星野先生じゃないかと思います。(↑)画像二つ並べると吹きそうになりましたが(笑)こう「部室にもほとんど顔を出さない」と言われてて、怪我で挫折してそして今、食い道部にいる選手たちを「ポンコツ、ポンコツ」と繰り返して呼ぶ、嫌な先生なんですよ。反発心から自分のアドバイス~とるべき戦術~を執らなかった子を「肉体的にはポンコツですが、精神的にはアスリート失格ですね」とか言ったり。正論ちゃ、正論なんですけど「そんだけ貶してたら、そら、反発もされるわ!」とも思うわけで(笑)
それが、この先生自身がかつて事故により挫折したアスリートであった過去が明かされたと思ったら画像左(↑)ですよ?(´・ω・`)

ちょwwwwそ、そんな、宗方仁みたいな目をされてもwwwなんか星野先生でいい話でまとめようとしているけど、ちょっと無理があるんじゃ!(笑)
いや、星野先生を『読む』とね、やっぱり基本この先生はやる気のない先生、嫌な先生なんですよ。生徒をポンコツ呼ばわりするのも、激励というか奮起を促す意味が全くないわけでは無いでしょうけど、「部室にもほとんど来ず」他で愛情を注いで無い以上、単なる貶しですし、彼にとって暗い情念も入り混じった言葉なのだと思います。

だから、多くの生徒にとって星野先生は(↑)画像左に“見える”。この二つの画の違いは心象の差なんだと思います。多分、星野先生のセリフや立ち振る舞い自体は、ほとんど変わっていない。…画像右は、主将の原田みつさんから見た星野先生でして…。彼女にはこう見えるって事です(汗)
…自分の人生に後悔しながらも、結局は大してやる気なく~ある意味では飄々と?~先生をやっている星野先生の、その言葉が、原田さんにはスポッとはまる所があったと。やる気が有り余ったポジティブな原田さんとの微妙な配合で、スポッとはまるのかもしれません。
要するに馬が合ったと。そしてその原田は、他の部員ったちを大いに支えている。部員たちの尊敬を一身に集めている。う~ん、それは悪くない関係だなあ…と思ったりもしました。

そんなわけで大変良かった予選二回戦なんですが、ここで大食い競技がどういう競技の形(勝負の形)かも、他のスポーツを通して上手に描かれていたのも良かったです。競技の形が分かるというのは、ここがスタートラインという事でもありますから、この先に期待したいです。


てんむす 3 (少年チャンピオン・コミックス)
稲山 覚也
秋田書店


今週の一番『バクマン』~七峰くんの再逆襲はあるのか?

2011年11月15日 | マンガ
【10月第3週:実力派エリート迅(作・葦原大介)】
http://www.tsphinx.net/manken/wek1/wek10531.html#711
【漫研】
http://www.tsphinx.net/manken/



ローズ・トゥ・人気漫画家マンガ『バクマン』(作・大場つぐみ、小畑健)の悪役キャラ・七峰くんが、捲土重来を目指し、しかし、惨敗して去って行きました。マンガに対する審美眼を持った人たちを集めて意見を募り、それを作品に反映させる“七峰メソッド”(?)をさらに事業化という形でパワーアップさせての再挑戦だったのですが……どうも、そのやり方そのものより、試作検証に使った漫画家さんをあからさまに使い捨てにした所が、皆の反感を勝って、要らぬ奮起を促してしまったのが敗因と言えそうです。実際に“勝負”を決めたのは、その使い捨てた漫画家さんですし。
自分のやり方を認めさせるために“勝負”の形を持ち込んだ七峰くんは、もう二度とジャンプにその作品が掲載される事はなくなってしまいました。こうなると、もう、七峰くんは新雑誌立ち上げるしかないようにも思います(汗)再来しようと思ったらですが(笑)…どうするんでしょうねえ?

しかし、「七峰くんとは何だったのか?」いや「七峰メソッドとはなんだったのか?」と考えてしまったりもするんですが、今、この顛末を眺めてみると『バクマン』の中に「“勝負事”を持ち込みたかったのかなあ」と思ったりもします。それまでも「勝負っぽい」事をしようとしていたとは思うのですが、何となく感が強く、あまり勝敗がはっきりしないというか、キャラクターが互いのやる気を引き出すためのワード以上の効力を持っていなかったんですよね。

今週の一番付記「バクマン」リアル(?)なサクセスストーリーと少年マンガ志向は両立しないのか?
たとえばこの港浦さん、基本的にはダメな担当編集として描かれていて、かつ主人公たちと対立関係にあるわけですから、港浦さんは少年マンガ的に言えば“倒すべき敵”(あるいは障害)とも言えるんですね。いや、いきなり“倒すべき敵”と行っても港浦さんはそんな風に描かれていない(はず)なのでピンとこないかもしれませんが、しかし、この回の港浦さんは、こうも言っている。

もし、この読切が本誌に載り連載になって人気マンガになったら僕は編集を辞めます!

しかし、すぐに周りの先輩編集たちが「馬鹿を言うな」、「辞めるなんて嫌味になるだけだ」と言ってその発言を取り下げさせている。でも、まだ少年であり、かつ既に港浦さんにケンカを売っている認識のあるサイコーたちは(心のどこかでは)港浦さんが、そう言い出してくれる事こそを望んでいたかもしれません。「人気マンガになったら僕は編集を辞めます!」←こういう“分りやすい展開”、“決着/結末のハッキリした展開”こそが、少年マンガ的展開って言えると思うんですよね。作者もそれが分っているからこそ、港浦のセリフにこういうものを入れて、それが観えている事は示しているはずです。

勝負事のような、分かりやすい展開を『バクマン』上に持ち込む難しさは(↑)以前の記事でも書いていまして、この時も港浦さんとの対立が、かなり決定的になりながらも勝負→決着のような顛末にはなっていません。
まあ、他にも「少年マンガっぽい」ような展開にしようとして、何か変な形になっていた所がいくつかあったと思います。…いや、変な形とか、僕が勝手に「?(ハテナ)」と思っていただけですけど(汗)実際には、そういう分かりやすい展開を目指した時の方が人気出ていたかもしれないし、そこは分からないですけど。

しかし、実際、天才・新妻エイジと「戦わせよう」、「勝負をさせよう」というのは連載当初からのプランだとは思うんですけど「何を持って勝利とするの?」というのが、はっきりしない事ではあったと思います。
連載中に一度でも『CROW』の順位の上を行ったら“勝ち”なのか?いや、それは条件として甘すぎだろう。じゃあ、ずっと『CROW』を凌駕しつづけたら“勝ち”なのか?いや、それは厳しすぎ。そもそも、実績を積んだ『CROW』に対して、その時の順位だけで勝負を決められるのか?とか様々な評価要素が錯綜する。(※今、突然『包丁人味平』(原作・牛次郎、漫画・ビッグ錠)を思い出しましたが、あれの“カレー戦争編”は上手かったなあ…本当は勝負にならない(両店とも繁盛してしまう)ものを勝負っぽく描いて、かつ、味平が勝負を忘れる描きをしている)

そういう中で「分かりやすい悪役」として登板して来たのが、七峰くんだったのかな?と。しかし、当初の想定はどうだったのか。“七峰くんのやり方”はネット上では、別の反響を読んでしまった。単純に言えば「七峰くんのやっている事って、別にそんなサイコーたちに悪く言われる事じゃないんじゃね?…これは七峰メソッドじゃね?」という感じでしょうか。「…皆、そう言ってるけど、七峰くんのやり方はやっぱり悪い!」みたいな論調は、ちょっと聞かなかったですね。(脇の甘さみたいな話は色々ありましたが)

今週の一番『バクマン』七峰くんは『面白い』キャラだと思う。
新人作家・七峰くんが『面白い』ですね。最速のデビューを目指し、自分の自信作が「ジャンプ向きでない」という理由ではねられたとみるや、ネット上にアップして自ら話題を作る。その読切にしてから、予め、ネットから4人の才能を認めた人間に募ってアイデアを出してもらっている。そして今回の騒動でも、新たに50人のネット上のブレインを仕入れている。そこから『面白い』マンガを練りあげて行こうとしている。………面白いですね。

(↑)まあ、ここらへんは、どこまで「計算どおり!!」なのかは分かりませんけどね(笑)ただ、再登場した七峰くんを観ていると、やはり、悪役として現れズバッと斬られる…七峰くんの『ジョブ』はここだったのだろうな…とは思いますね。七峰くんの担当の小杉さんが「少年誌を買う読者は自然と爽やかさ…爽快さを求めていると思うんだ」と言っていますしね。ここらへんは重ねてありますね。

しかし、同時に七峰くんは『バクマン』の中に「勝負」を持ち込む橋頭堡でもあったと思います。心意気を語るだけの「勝負っぽいもの」ではなく、本当の「勝負事」~はっきり決着させる何か~ですね。今、新妻エイジと亜城木夢叶が、同時連載で互いの一番の作品をぶつけ合う「勝負」を開始しようとしている、この流れを作るものだったと思えます。そこらへん『バクマン』の志向は一貫していますね。

……あと、まあ、七峰くん、新雑誌立ち上げてもいいと思うんですけどね(笑)少年誌vs少年誌は、普通に“勝負”ですし。でも、少年ジャンプに新規に立ち上げた少年誌を、短期で対抗しうる所までもって行く…というのは、ちょっとリアリティ厳しいかもですが(汗)


バクマン。 15 (ジャンプコミックス)
大場 つぐみ
集英社

今週の一番『めだかボックス』~“主人公”という称号の在り処

2011年11月10日 | マンガ
【メタキャラクター】

【10月第2週:エンジェルボイス 第216話/最高の受け手】
http://www.tsphinx.net/manken/wek1/wek10530.html#710
【漫研】
http://www.tsphinx.net/manken/



安心院「その通りだぜ人吉くん、僕はきみに、主人公になって欲しいんだ」

ついにその真の目的を善吉の前に晒した安心院さん………なんでしょうかね?(´・ω・`)ちょっと、違和感がある、というか、少なくとも単純に善吉が勝って(あるいは、めだかちゃんが勝って?)バンザイ!という話でないのは確実でしょう。
安心院さんが「主人公を創造りたい人」という話自体は、以前、kichiさんとしていて、このブログでも(↓)その記事を書き留めています。まあ、大体この路線という事で良さそうです。

今週の一番『めだかボックス』~安心院なじみさんの求めるもの
ここまで話した所で「いや、そもそも安心院さんて、何がしたいキャラなの?何を求めているの?」って疑問は残るワケですよね。フラスコ計画の継続をしようとしている。しかし、その目的が以前、不知火じいさんが語ったような「天才を量産(安定供給する)」というようなものなら、それって彼女が長い時をかけて欲するものなのだろうか?「凡て平等に下らない」と言い放つ彼女が?一京もの特殊能力を持ち、メタキャラクターの視点さえも持ち得る彼女が?その上で「戦わない」と決断する彼女が、フラスコ計画のその額面通りのものを欲するものなのか?

今回のここらへんの疑問をkichiさんとツイッターで話したりしていて、それでふと気がついたのですが、安心院さんって「主人公になりたい人」なんじゃなかろうか?あるいは、そこを変じて「主人公を創造りたい人」でもいいかもしれません。
まさにメタキャラクターの視点の話なんですが、あれだけの過多の能力を持ち、おそらくは最強無敵であろうキャラクターに無いものって何か?仮に欲するものがあるとしたら何か?そして「めだかちゃんに有って安心院さんに無いもの」って何か?って考えるとちょっとこれしか思いつかないくらいの感じです。

「違和感がある」と書いたのは、その理由の一つは、安心院さんのキャラクターのひねくれ具合から来ている「何が本当の事なのか分からない」感覚なんですが(汗)……それでも、彼女の目的と、この『物語』の方向は“対主人公戦”と“主人公創造”に関する何かという事で良さそうには思えます。……ので、この方向の『読み』のまま、まずは「善吉vsめだか』の“対主人公戦”に関する僕の観点をそのまま詰めて行きますが……。



この次の回なんですが、めだかちゃんは宣戦布告をした善吉に対して、えげつない奇襲をかけてるんですよね。そうして圧勝している。…これ、非常に「主人公っぽく無い」のですよね。無論、物語には卑怯、不意打ちを旨とするタイプの主人公もいるワケですが、僕の感覚として…感覚としか言えませんが『めだかボックス』という物語の主人公っぽい行為だったとは思えない所があります。
実際、周りのキャラたちはこの行為に若干引いており、はっきり「主人公っぽく無い」とは言わないけど、近い言葉を出している。また、ここのシークエンスにおいて“主観”が置かれるのは善吉でもあります。ここでのめだかの振舞いは“主人公”というより悪役/敵役として相応しいものであるという事はそんなに異論はでないと思います。

「主人公を敵に定めた時点で、その主人公の物語における強大さが“敵役”としての強大さに変じ、読者にそう見えるのは自然」と、考えるのならそれでもいいのですが…。何ていうんでしょうね。僕の知っている物語力学からすると「この流れの時点で既にめだかちゃんには負けフラグが立っている」ように見えるんですよ。それはどうなんだろう?と。

そうやって考えて行くとそもそも『めだかボックス』の主人公って誰?という前提の疑問にたどり着いてしまう。もう一つの違和感はそこですね。『めだかボックス』の主人公はめだかちゃんなのでしょうか?善吉くんなのでしょうか?いや、たとえば『涼宮ハルヒの憂鬱』の主人公はハルヒなの?キョンなの?『鉄人28号』の主人公は鉄人28号なの?金田正太郎なの?って話なんですが……本来なら「どっちも主人公でいいんじゃない?」「あなたが主人公だと思う方を主人公と思えばいいんじゃない?」くらいの話ではあります。
しかし、“対主人公戦”のロジックと『めだかボックス』の中の安心院さんの定義においては「最後にかならず勝つ者が主人公」としているようですよね。…そうとすると、この場での“主人公”とは(主人公と闘うのですから、最終的な結果はともかくとして)「相争った場合、本来、勝つであろう者が主人公」という判定が下せると思います。

…その観点で観た場合どうでしょうか?これだって色々な解釈ができるでしょうけど、僕は「ハルヒとキョンが戦ったら」勝つのはキョンだと思います。「鉄人28号と金田正太郎が戦ったら」勝つのは正太郎くんだと思います。それと同じ感覚で「めだかと善吉が戦ったら」勝つのは善吉に思えます。
“彼ら”はストーリー上、ハルヒが勝ち続ける限りにおいて、鉄人28号が勝ち続ける限りにおいて、めだかが勝ち続ける限りにおいて(めだかと安心院が戦えばめだかが勝つであろう限りにおいて)、負けても、捕まっても、酷い目に遭っても一向に構わないサブ主人公かもしれません。しかし、もし、その“代行者”が敵対するのであれば、正統なる主人公ワッペンを戻し、然るべき勝利を収めるのは(シナリオ構成上の例外が生まれたとしても)彼らの方ではないか?と思うんです。

要するに、安心院さんの“主人公論”のロジックで考察を進めて行くと、善吉の方が(本来の)主人公?って気がしてくるんですが、どうなんでしょうねえ?そのスペックと積上げられた実績を見る限り、物理勝負ではめだかちゃんの圧勝であり、善吉には毛ほどの勝ち目もない。しかし、それ故、物語力学的には「その状況の時点で、既に善吉が勝つ(この場合、望みを遂げるという事)流れが強固に形成されている」……という事はないでしょうか?

この『読み』は、今はここまでですね。…そういえば球磨川編の時、安心院さんは“死後の教室”で善吉くんに何かあげたりしていましたねえ。いや、何か繋げられるわけでもないですが、安心院さんも彼の優遇者として、場の影響を受けているんだなあ…とか。
僕は、同じ西尾維新作品である『戯言シリーズ』の西東天を「主人公と戦おうとしたメタキャラクター」と位置づけているのですが、安心院さんが、彼の後継だとして「負けてもいい主人公」である人吉善吉を戦いの土俵に上げるためにはどうしたらいいか、とか………ん~(考)あんま繋がらないですねえ…まあ、しばらく、時間をかけて、色々考えて『愉し』ませてもらおうと思ってます。


めだかボックス 12 (ジャンプコミックス)
西尾 維新
集英社