【12月第1週:ワンピース 第0話 ストロング・ワールド】
http://www.tsphinx.net/manken/wek1/wek10440.html#616
【漫研】
http://www.tsphinx.net/manken/
※ “5五龍”とは、つのだじろう先生の将棋マンガ「5五の龍」の事な。これ豆知識な。(`・ω・´)
「神のみぞ知るセカイ」(作・若木民喜)第78話で桂馬がゲーム(将棋)で負けましたね。「神のみぞ知るセカイ」は悪魔の世界から逃げた6万匹の“駆魂”を回収するために、ゲームの達人にして“落とし神”様と呼ばれている桂木桂馬が選ばれる物語。
この前の回、「神だから(将棋で)人間に負ける事はない」と豪語する天界人ディアナ(桂馬の幼馴染み鮎川天理に取り憑いている)との対決が決まった所でヒキで「漫研」のチャットでも「この一戦の結果で、この作品の景観が分る!」などと言って注目していました。簡単に言うと“桂馬”というキャラクターのこの作品世界における立ち位置が明確になると考えました。……もっとも、僕は前の時点で桂馬の(仮の)観立ては終わらせていて「桂馬の負けはない」と踏んでいたんですけどね(汗)この展開予想については、他にかんでさんが、ミクシィで「桂馬の勝ちか、千日手に入って両者引き分け」という予想を立てていて、僕もその予想は非常に妥当なものに思っていました。
しかし、負けちゃったよ?……ふっ、ディアナ様に屠られたのは桂馬だけじゃないって事さ。…まあ、落ち込んでもしょうがないので作品の観立ての「組み直し」です。そこらへんのやり取りはリンクにある「今週の一番」のチャットで記載されています。まあ、当初の「読み」を大雑把に言うと僕は「桂馬の世界」に瑕疵はないと思っていて、それは本物の神にさえ通じるものだ…!というのがそれだったんですけどね。そこの大意においては特に変更なしでいいかなと思っていて、ただ、局所的なゲームの勝敗ではそれは計れない…という「読み」に修正して追ってみようかと思っています。
今回の将棋子(榛原七香)はただ一戦の将棋に負ける事によって心にスキマを作った。…しかし、桂馬はゲームの負けで心のスキマを作る事はない。負けに心底悔しがる事はする。それはゲームへの深い耽溺を示すものだけど、しかし、心にスキマはできていない。その意味でやはり桂馬には瑕疵がない。そもそも彼のメインフィールドであるギャルゲーは勝敗を決するものではないから。…という事になりますかね。
しかし、それにしても…というか今回、天理の中にいるディアナという存在について、ちょっと思った事があります。以下に以前の僕の関連記事をリストしますが…。
【今週の一番:3月第4週:トラウマイスタ 第37話 覚めろ覚めろ覚めろ覚めろ覚めろ覚めろ覚めろ…】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/fac255c8deebe52018d6eca14dd5f33c
ディアナってここで僕が述べている“現実子”じゃないか?って思ったんですよね。以前の僕の文そのままで受け止めようとすると違和感を感じる人も多いのではないかと思うんですが、この概念キャラクターの難しさは普通子(小阪ちひろ)ではダメって所なんですよね。あるいは作品世界を無視して、いかにもこの三次元の現実世界にいそうな造形/またはメタな描写を持ち込んだとしても作品世界を破壊するだけって所で。そこを回避した何らかの捻った“解法”を必要としているワケです。それで、今回、ディアナは桂馬に対して曲がりなりにも「現実はあなた(桂馬)の思う通りには行きませんよ」という事を思い知らせているんですよね。やっぱりこの事件はけっこう大きい。現実子という概念キャラクターは、ここをどうやってクリアするかが問題だったのですから。
ちょっと、この作品が物語をメタに扱っている事もあって表現がややこしくなるのですが、この「神のみぞ知るセカイ」の物語内での“現実”って、ぶっちゃけ全然リアルじゃないですよねw現実が、こんなマンガチックに可愛い女の子たちで溢れかえっているワケがないし、その子たちを“落とす”のに桂馬のゲーム・メソッドでそうそう上手く行くとは思えない。(むしろ彼のゲーム理論以前に彼自身がかなりの美形だというのは大きいようにも見えますね。どくらい自覚的なのかは不明ですが)しかし、この物語は桂馬の“ゲーム・セカイ”が“現実”をねじ伏せて問題解決してしまう所が大きな柱になっています。
要するに現実がそうそうゲームでは測れない事を思い知らせようとしたって、そもそも描かれている“物語現実”が“三次元現実”に即していないんだから、そこから通じない“現実”を編んだとしても、ダイレクトに“現実”が通用しない様を体感させられない、あるいは何でこの子には突然通じないのか納得させられないというか……あああああ!!!もう!!!ややこしいなああ!!!(ノ`Д´)ノ 彡┻━┻
まあ、ともかくディアナって“現実子”の役割視点で観た場合、神や悪魔が実存するという荒唐無稽な“物語現実”を素体にした、かなり上手い解法として存在している。あるいは、これからそう機能する可能性を持っていると言えると思うんですね。
【今週の一番:6月第2週:トラウマイスタ 最終話 和らぎへ…】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/f5cb9748c1f13df593645666576d2747
【今週の一番追記:「神のみぞ知るセカイ」鮎川天理とは何者か?】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/8b368c8c18dd5bf13ed1171dabc8b48e
この段階では、僕はディアナを遅れてきた本命ヒロイン(…に見える)である鮎川天理のブースト設定的な捉え方で語っているのですけど、ディアナを“現実子”として捉え直すと、その意味するところは180度違ったものになってきます。逆にディアナにとって、天理の幼馴染み属性+同居こそが彼女の「設定格」につながるものというか……もう設定/ギミックとか言う言い方はそぐいませんね。「漫研」ではキャラクター間の構造というか「主格」、「従格」という表現をする事があるのですが…。
ディアナを「主格」/正ヒロインと捉え、天理をその「従格」キャラクターとして捉えるか?
天理を「主格」/正ヒロインと捉え、ディアナをその「従格」キャラクターとして捉えるか?
…という2視点が確保されて、その角度によって物語の観え方が大分変ってくるんですよね。勿論、どちから一方に絞る必要はなくって、両方の視点で「愉しめ」ば物語を厚く体感できるよとかそういう話ですが。こういうの「漫研」では「認識戦」に入るって言いますが……その話はまた別の機会にしましょう。
しかし、天理の主属性「幼馴染み子」は、ラブコメストーリーの一般全般の強属性ですが、ディアナの主属性「現実子」は「神のみぞ知るセカイ」の“テーマ体現属性”と予想する事が可能です。(少なくとも僕は今、そういう論調で語っている)…これはちょっと頂上決戦ですねえ…どうなるんでしょう?w(つか、今、桂馬の部屋にディアナが天理に内緒で上がり込んでいるんですがどうなるんでしょう?w)
しかし、僕は個人的にはエルシィにがんばって欲しい人なんですけどね(汗)…彼女の主属性を言うなら妹子じゃなくって“徒手空拳子”ですけどね(汗)何の取り柄もない。「設定格」は後から来た天理に軒並み持って行かれてしまった(汗)しかし、彼女が桂馬の指に必死に噛みついたから、この物語ははじまったというか……桂馬にこのクソゲー(現実)をプレイさせるトリガーとなったと思っているので。……がんばれ!おミソ!(`・ω・´)ノ
http://www.tsphinx.net/manken/wek1/wek10440.html#616
【漫研】
http://www.tsphinx.net/manken/
※ “5五龍”とは、つのだじろう先生の将棋マンガ「5五の龍」の事な。これ豆知識な。(`・ω・´)
「神のみぞ知るセカイ」(作・若木民喜)第78話で桂馬がゲーム(将棋)で負けましたね。「神のみぞ知るセカイ」は悪魔の世界から逃げた6万匹の“駆魂”を回収するために、ゲームの達人にして“落とし神”様と呼ばれている桂木桂馬が選ばれる物語。
この前の回、「神だから(将棋で)人間に負ける事はない」と豪語する天界人ディアナ(桂馬の幼馴染み鮎川天理に取り憑いている)との対決が決まった所でヒキで「漫研」のチャットでも「この一戦の結果で、この作品の景観が分る!」などと言って注目していました。簡単に言うと“桂馬”というキャラクターのこの作品世界における立ち位置が明確になると考えました。……もっとも、僕は前の時点で桂馬の(仮の)観立ては終わらせていて「桂馬の負けはない」と踏んでいたんですけどね(汗)この展開予想については、他にかんでさんが、ミクシィで「桂馬の勝ちか、千日手に入って両者引き分け」という予想を立てていて、僕もその予想は非常に妥当なものに思っていました。
しかし、負けちゃったよ?……ふっ、ディアナ様に屠られたのは桂馬だけじゃないって事さ。…まあ、落ち込んでもしょうがないので作品の観立ての「組み直し」です。そこらへんのやり取りはリンクにある「今週の一番」のチャットで記載されています。まあ、当初の「読み」を大雑把に言うと僕は「桂馬の世界」に瑕疵はないと思っていて、それは本物の神にさえ通じるものだ…!というのがそれだったんですけどね。そこの大意においては特に変更なしでいいかなと思っていて、ただ、局所的なゲームの勝敗ではそれは計れない…という「読み」に修正して追ってみようかと思っています。
今回の将棋子(榛原七香)はただ一戦の将棋に負ける事によって心にスキマを作った。…しかし、桂馬はゲームの負けで心のスキマを作る事はない。負けに心底悔しがる事はする。それはゲームへの深い耽溺を示すものだけど、しかし、心にスキマはできていない。その意味でやはり桂馬には瑕疵がない。そもそも彼のメインフィールドであるギャルゲーは勝敗を決するものではないから。…という事になりますかね。
しかし、それにしても…というか今回、天理の中にいるディアナという存在について、ちょっと思った事があります。以下に以前の僕の関連記事をリストしますが…。
【今週の一番:3月第4週:トラウマイスタ 第37話 覚めろ覚めろ覚めろ覚めろ覚めろ覚めろ覚めろ…】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/fac255c8deebe52018d6eca14dd5f33c
で、まあ、そうやってキャラター情報を圧縮→抽象化して説明するやり方を進めて行くと、まだ物語に登場していない概念上のキャラクターを持ち出して、議論の俎上に上げる事ができるなあ…とか思ったり。ここで、出てくる「ゲーム子」と「現実子」がそれですね。まだ、登場していないし、これから登場するかどうかも分らないキャラクターですけど(汗)もし、現われた場合、物語に対して大きな舵切りを強いられるキャラクターであろうという予想の元に話を進めています。(↓)以下、妄想に妄想を重ねて暴走させている話。
(中略)
現実子 … 現実の子……なんですがマンガ上で単にリアルな子を出しても逆にシュールなんで、やはりマンガ的に加工されたキャラである必要はあるワケで…そういう抽象キャラクターって事になると思います。単純に言うと桂馬のデータベースによる分類を受け付けない、ルートの視えない子って事ですね。普通子(キャラ名:小阪ちひろ)で既に桂馬は攻略に四苦八苦していたワケですが、あれよりもエッジが利いていてなおかつ…という必要があります。それは桂馬というキャラに必然的にはたらきつづけている“現実に帰れ”という力場を体現したキャラクターという事で、まあ、要するに桂馬がゲーム以外にはまるというか、初めて(?)心惹かれた(こう言っていますが、はじめてじゃないですよねえ、明らかに)キャラクターという事ですね。おそらくテーマから考えて、いずれは出てこなくてはならないキャラに思えますが……こちらは上記の“ゲーム子”と違い、テーマを解体する恐れが無い変わりに、作者の若木先生がそういうキャラをイメージできるか?そういうキャラを設計できるか?という……普通に考えて(若木先生に限った事ではない)高いハードルがあるキャラって事になれます。トライする姿勢でも見せてくれたら、ちょっと尊敬しちゃいますが……。まあ、端的には「そのキャラとはエルシィの事だあ!!」って話が一番無難に思えますけどwエルシィにはやっぱり、その現実子を倒す、対現実子、超現実子であって欲しいなあという期待がありますね。
ディアナってここで僕が述べている“現実子”じゃないか?って思ったんですよね。以前の僕の文そのままで受け止めようとすると違和感を感じる人も多いのではないかと思うんですが、この概念キャラクターの難しさは普通子(小阪ちひろ)ではダメって所なんですよね。あるいは作品世界を無視して、いかにもこの三次元の現実世界にいそうな造形/またはメタな描写を持ち込んだとしても作品世界を破壊するだけって所で。そこを回避した何らかの捻った“解法”を必要としているワケです。それで、今回、ディアナは桂馬に対して曲がりなりにも「現実はあなた(桂馬)の思う通りには行きませんよ」という事を思い知らせているんですよね。やっぱりこの事件はけっこう大きい。現実子という概念キャラクターは、ここをどうやってクリアするかが問題だったのですから。
ちょっと、この作品が物語をメタに扱っている事もあって表現がややこしくなるのですが、この「神のみぞ知るセカイ」の物語内での“現実”って、ぶっちゃけ全然リアルじゃないですよねw現実が、こんなマンガチックに可愛い女の子たちで溢れかえっているワケがないし、その子たちを“落とす”のに桂馬のゲーム・メソッドでそうそう上手く行くとは思えない。(むしろ彼のゲーム理論以前に彼自身がかなりの美形だというのは大きいようにも見えますね。どくらい自覚的なのかは不明ですが)しかし、この物語は桂馬の“ゲーム・セカイ”が“現実”をねじ伏せて問題解決してしまう所が大きな柱になっています。
要するに現実がそうそうゲームでは測れない事を思い知らせようとしたって、そもそも描かれている“物語現実”が“三次元現実”に即していないんだから、そこから通じない“現実”を編んだとしても、ダイレクトに“現実”が通用しない様を体感させられない、あるいは何でこの子には突然通じないのか納得させられないというか……あああああ!!!もう!!!ややこしいなああ!!!(ノ`Д´)ノ 彡┻━┻
まあ、ともかくディアナって“現実子”の役割視点で観た場合、神や悪魔が実存するという荒唐無稽な“物語現実”を素体にした、かなり上手い解法として存在している。あるいは、これからそう機能する可能性を持っていると言えると思うんですね。
【今週の一番:6月第2週:トラウマイスタ 最終話 和らぎへ…】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/f5cb9748c1f13df593645666576d2747
ここでの「神知る」の話題で仮想ヒロイン・ゲーム子、現実子の話をしていますが、そういえば桂馬にはまだ幼馴染み子というのが登場していませんね。現実子に近い属性が想像されますが…もし、登場した場合、駆け魂の事とは関係なく、既に桂馬が“攻略”していた子として登場する可能性は高いように思います。仮想ヒロインの話ではありますが“王道中の王道ヒロイン”が出ていないというのは、ちょっと注目したいポイントではあります。
【今週の一番追記:「神のみぞ知るセカイ」鮎川天理とは何者か?】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/8b368c8c18dd5bf13ed1171dabc8b48e
一つは何といっても主人公・桂馬の幼馴染みで、且つ昔から桂馬の事が好きという、所謂(?)幼馴染み子である事ですね。幼馴染み子が何故「強い」設定なのかは、くどくど講釈を垂れません。…ま、マンガの常識だと思って下さい。(`・ω・´) もう一つは、“駆魂の秘密”に関わる何者かが、この子に取り憑いているという設定ですね。かつて駆魂を封印した者であり、尚かつ、駆魂の大脱走にも立ち会っている………いや、もうズバリ言っちゃうと、こいつ、6万匹いる駆魂を一網打尽に封印する方法を知っている可能性が極めて高いって事なんですよ!!…一網打尽は無理だったとしても、それに準ずる封印方法を心得ている所まではあるはずでね。つまり、この子は、物語の設定上外せない位置にいて黙っていても重要なトリガーが回ってくるキャラなんですよね。…こういうキャラクターを「設定格」が高いと言います。
この段階では、僕はディアナを遅れてきた本命ヒロイン(…に見える)である鮎川天理のブースト設定的な捉え方で語っているのですけど、ディアナを“現実子”として捉え直すと、その意味するところは180度違ったものになってきます。逆にディアナにとって、天理の幼馴染み属性+同居こそが彼女の「設定格」につながるものというか……もう設定/ギミックとか言う言い方はそぐいませんね。「漫研」ではキャラクター間の構造というか「主格」、「従格」という表現をする事があるのですが…。
ディアナを「主格」/正ヒロインと捉え、天理をその「従格」キャラクターとして捉えるか?
天理を「主格」/正ヒロインと捉え、ディアナをその「従格」キャラクターとして捉えるか?
…という2視点が確保されて、その角度によって物語の観え方が大分変ってくるんですよね。勿論、どちから一方に絞る必要はなくって、両方の視点で「愉しめ」ば物語を厚く体感できるよとかそういう話ですが。こういうの「漫研」では「認識戦」に入るって言いますが……その話はまた別の機会にしましょう。
しかし、天理の主属性「幼馴染み子」は、ラブコメストーリーの一般全般の強属性ですが、ディアナの主属性「現実子」は「神のみぞ知るセカイ」の“テーマ体現属性”と予想する事が可能です。(少なくとも僕は今、そういう論調で語っている)…これはちょっと頂上決戦ですねえ…どうなるんでしょう?w(つか、今、桂馬の部屋にディアナが天理に内緒で上がり込んでいるんですがどうなるんでしょう?w)
しかし、僕は個人的にはエルシィにがんばって欲しい人なんですけどね(汗)…彼女の主属性を言うなら妹子じゃなくって“徒手空拳子”ですけどね(汗)何の取り柄もない。「設定格」は後から来た天理に軒並み持って行かれてしまった(汗)しかし、彼女が桂馬の指に必死に噛みついたから、この物語ははじまったというか……桂馬にこのクソゲー(現実)をプレイさせるトリガーとなったと思っているので。……がんばれ!おミソ!(`・ω・´)ノ
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます