昨日を そして今日をありがとう

Demain il fera jour.
遠回りして歩きましょう 
素敵な景色に遇えるかも・・・

ドームの謎を解く~東京駅丸の内駅舎:後編~

2013-02-10 | 街,建物,美術
                  

最低気温が-7℃~!
庭にある池の氷が一日中融けない風の冷たい一日でした。

急激な気温の低下だったのでしょうか。
氷にはこんな風に幾何学模様が描かれていました。

  

さて、今日はおのぼりさんの旅 最終回。
東京駅丸の内駅舎の後半です。

今しばらく御辛抱くださいませ。

外観の写真を撮り終え、丸の内北口のドームへと向かいました。

褐色の化粧れんがに白い花こう岩を帯状に配したデザインのドームです。



創建時の古写真(モノクロ)と文献類の記述を. もとに復原されたそうです。

美しい・・・

ぽか~んと口を開け、見上げていたと思います。

え?よく見えない?

では、拡大してみましょう!



スミマセン!うちのカメラではこれが限界です。

鳩避け、ツバメ避け、落下物防止?のための網が掛けられています。

それでもやっぱり美しい・・・

明り採りの窓から光が射し込み、神々しいほどでした。

まだ鉄道自体珍しかった時代に、日本の代表となるような駅を創った
辰野金吾氏の思い入れが伝わってくるようです。

このドームには、いくつもの装飾が取り付けられています。



真上にある飾りは、車輪を模ったと言われています。

その周りにあるのはクレマチスの花飾りのレリーフ。



大きく翼を広げているのは 稲を掴んだ鷲のレリーフです。
 


秀吉の兜をモチーフにした要石(キーストーン)

カメオのブローチのような 緑色の丸の中には干支が描かれています。

丑(北北東)、寅(東北東)、辰(東南東)、巳(南南東)、
未(南南西)、申(西南西)、戌(西北西)、亥(北北西)。
無いのはのは子(北)、卯(東)、午(南)、酉(西)。
方位を表す干支となっています。

そして、剣と鏡のレリーフ 鳳凰、動輪と矢束のレリーフがありました。

これらの飾りが、ただ綺麗だから取り付けられたはずはありません。

それぞれに意味を持っているはずです。

後世に伝えたいメッセージが隠されているかもしれません。



あちらこちらの資料に目を通してみましたが、はっきり書かれているものがありません。

それではここからは、勝手な想像をしてみようと思います。

……   ……    ……   ……   ……

車輪の飾りの周りにあるクレマチス

「旅人の喜び」という花言葉を持っているところから選ばれたのではないでしょうか。

英国への留学経験のある彼は、花言葉の意味を考えて花が贈られることを知っていたと思われます。

鷲と稲のレリーフは幅2.1mもの大きさがある立派なもので、富国強兵を意味していると言われています。

鷲は鳥の王様と云われ、紋章や軍艦の名前などに使われています。

もちろん、日露戦争、日清戦争後の時代ですから、表向きはそうだったと思われます。

東京駅は辰野金吾設計とされていますが、建築事務所は葛西萬司という人との共同経営でした。

葛西氏は、南部藩家老の家に生まれたそうです。

南部藩は陸奥国の鷲の尾羽は矢羽根として最高のものとされ
朝廷や伊勢神宮の 遷宮の折などに鷲の尾羽を献上したという記録が残っているほどです。

鷲が南部藩を表しているとしたら、稲は辰野氏の故郷唐津を表しているのではと思い
検索してみたところ、唐津(佐賀)は肥沃な土地に恵まれた米どころとして
有名だったのだそうです。

鷲がしっかりと掴んでいる稲は二人の関係をも表現しているかのように思えてきました。

そして、中央上部のレリーフには豊臣秀吉の兜のうち最も有名な

「一ノ谷馬藺後立兜(ばりんうしろだて )」を模ったとされる要石がはめ込まれています。

江戸なのになんで豊臣秀吉?と思う方が多いようですが

明治維新は反徳川派による革命とも言う人があります。

明治政府が決めた日本政府の印が、豊臣家が天皇家より賜ったとされる
家紋「五七桐」から決められたとも云われています。

唐津藩は豊臣秀吉に仕えた家柄で朝鮮出兵の際の後ろ盾ともなっていたそうです。

新政府においても、薩長の出身者が幅を利かせていたといいます。
佐賀県の中でも佐賀藩出身者が多く唐津藩の出身は少数だったそうです。

剣と鏡のレリーフは、熱田神宮のご神体『天叢雲剣』(あめのむらくものつるぎ「草薙剣」)
伊勢神宮のご神体とされている『八咫の鏡』(やたのかがみ)と言われています。

皇位継承の徴として天皇に受け継がれる三種の宝物のうちの二つです。

あれ?

『『八尺瓊勾玉』(やさかにのまがたま)はどこにあるのでしょう。

・・・・・ そういえば、目と鼻の先にあるではないですか!

そうです。八尺瓊勾玉は宮中に祀られているのです。

どういう意味があるのでしょう・・・

伊勢神宮と熱田神宮のご神体となっているものは、門外不出とされているので
それらの代わりに同じものが作られ、同様に宮中に祀られているそうですが
正式には宮中に揃っているわけではないのだそうです。
儀式で使用されているものは、勾玉以外はレプリカということになるのです。

辰野氏は東京駅を拠点に、これから発達していくであろう鉄道網が
いつの日にか、本物の祀られている伊勢神宮、熱田神宮へと
繋がっていくことを願ってたのかもしれません。

鳳凰と車輪と矢束
車輪を汽車、おめでたい印とされる鳳凰を載せ、矢束は三矢の教えを表しているのではと思いました。

皆力を合わせ、知恵を出し合い、無事に立派な駅を完成させることが出来た証かもしれません。

じっさいのところ、共同経営の葛西氏をはじめ、恩師となるジョサイア・コンドル氏

最初の東京駅の設計をしたドイツ人鉄道技師F・バルツァー氏の案は

外観こそ採用されませんでしたが、駅の平面図や皇族専用口のアイディアや
現代の東京の鉄道網プランなどは採用されているのだそうです。

そうそう、一番高いところにある 車輪を模ったとされている飾りは

よ~く見ると美しい花が彫られています。

鹿島建設ホームページ

↑こちらの写真を見るとはっきりわかるのですが

鳥肌の立つような、美しい細工が施されています。

これは、菊の花でしょうか。

天皇家を表すなら、14若しくは16枚の花弁のはず

これは、日本の国花なのかもしれません。

車輪の事をハブといい、海や空の交通網の拠点となる

港や空港の事をハブ港、ハブ空港と言います。

世界の中心となる日本の姿を夢見たものなのかもしれません。


                 

私の勝手な想像(妄想?)は、どんどん膨らむばかりです~(笑)

専門家の方が読まれるようなことがあったら、大笑いされてしまうかも!

おかしいことに気付かれた方は、どうぞご一報くださいませ。

もっといろいろな場所を見て回りたかったのですが、残念ながら

列車の時刻が近づいていました。

地下にできたスイーツのお店や

60種類も並んでいるという駅弁が呼んでいました。


【炙り鮭の寿司弁当~目茶苦茶美味しい!!~】


東京駅見学に行かれる方は
こちらをプリントアウトしてご持参くださいませ♪


東京駅を見よう~JR東日本~
お役にたつこと請け合いです~♪


もっと良く見たいと仰る方は、↓こちらの360℃パノラマで美しさをご確認くださいませ。

創建当初の威容再び  東京駅丸の内駅舎、全面開業【360°パノラマ】

◆◆ iPhone iPad スマートフォン用のパノラマはこちら ◆◆


復路でも、徐々に夕日に染まっていく美しい富士の姿を捕らえることが出来ました。



長い旅の記録にお付き合いくださいまして、ありがとうございました

                 


古くて新しい東京の顔~東京駅丸の内駅舎:前篇 ~

2013-02-07 | 街,建物,美術
【丸ビルから眺める東京駅】

東京おのぼりさんの旅、最後の締めくくりは東京駅丸の内駅舎です。

実は、これが一番見たかったのかもしれません。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

3階建てに八角形ドームをのせたヴィクトリアン・ゴシック様式の赤レンガ駅舎は

日本銀行も設計した辰野金吾の手によって1914年(大正3)に建てられました。

施工は、当時まだ新興企業だった大林組。


その後、第2次世界大戦の東京大空襲によって3階部分が消失。

建物は2階建てとして1947年(昭和22)に再建。

東京を代表する建物のひとつ。2012年鹿島建設により復元工事が完成しました。

新駅舎は、全長335メートル、両端に高さ35メートルの独特のシルエットドームを有する重要文化財です。

大地震にも耐えられる最新技術が施され、内装も当時の資料に基づき

忠実に装飾やカラーまで細部を再現、創建時の姿が復元されました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




東京駅建て替えの話を耳にしたのは、今から20年以上前の事。

ひょっとしたら、高層ビルになってしまうらしい・・・・

 え~~~!!あの素敵な駅が

四角いコンクリートとガラスの箱になっちゃうの? 


と危惧しておりました。

その後、市民レベルでの保存運動が起こり、計画は頓挫したと聞いていました。

その間、関係者の方々はどうしたらよいものかとあれこれ考えておられたことでしょう。

空襲によって破壊されてしまった部分を元に戻し、建設当時の姿に復元されることが決定されたのでした!

そして、このたび5年の歳月を経て昨年の10月グランドオープンとなりました。

 総工費500億円!

元の姿に戻すだけでこんなにかかるものかと思いましたが
この費用、ちょっとしたアイディアで捻出されたものだったのです。

元々、高層化する筈だった部分(空中)を売って資金にしたのだそうです。

この空中権取引は、都市部の限られた空間を有効に活用する手段として
100年ほど前に米国で考案されたものです。

日本では、2000年から「歴史的建造物など低いまま保存すべき建造物があり
周辺でより高層のビル建設の必要がる」など、都道府県などが必要と認めれば
隣接していなくても容積率を取引できる特例制度が新設されました。

これにより、東京駅周辺の約120ヘクタールが、「特例容積率適用区域」に指定され
区域内では低層の東京駅が利用しない空中部分の容積率を
別の場所に移して利用することが可能となりました

この制度を活用して、三菱地所が開発した丸ビルや東京ビルへ容積率を売却し
丸の内駅舎の建て替え原資に充てたのだそうです。

ひぇ~!そんなアイディアがあったとは!

でも、少々不安にもなりました。

周りが高層化して、東京駅だけ低層になるということは

あの「ちいさいおうち」のようになってしまったのではないかと思ったのです。


                 

絵本「ちいさいおうち」       ~都会の真ん中にぽつんと取り残されてしまった「ちいさいおうち」~



ところが・・・・


【丸ビルテラスより~PCでパノラマ加工しました~♪】

復元された東京駅は、堂々と建っていたのでした。
・・・・・よかった、よかった・・・・

何しろ敷地が東京ドームの6倍もあるのですものね。

「ちいさいえき」ではありませんから、無用な心配でした。^^

それにしてもあの時、高層ビルになってしまっていたら
こんな風になってしまっていたかも!

     
【東京銀行協会ビル】        【神戸で見かけた建物】
       ・・・・・なんだか古い建物が苦しそうに見えますが~・・・

最近、時折目にするこのファサードのみ残し高層化する工法。

かさぶた工法と揶揄されているらしいけど・・・

土地の少ない日本では、仕方のない事なのかもしれませんね。

いずれにせよ、東京駅がこんな風にならなくて

よかった、よかった!


【皇族専用口】



【物置と化していた中央の屋根のすぐ下は、ホテルの朝食ラウンジへと変身!】

泊まってみたい!!


【空襲で無くなっていたドームも復活!】

第2次世界大戦の東京大空襲によって3階部分が消失。

応急処置として2階建てで修復されたままになっていたものが

元通りの3階建てになっていました。

え?どこからが新しいの??

と思うくらい、違和感なく作られていました。

目に見えるところばかりではなく、関東大震災にも耐えた駅舎ですが

今回最新の技術を駆使した構造へと変更されました。

なんでも、地震の震動を遮断するアイソレーター
(巨大な激しい地震を、ゆるやかな揺れに変える装置。地震を絶縁する「isolate」を意味している。)が352台

振動を吸収するオイルダンパー(油の粘性を利用して衝撃や振動をやわらげる装置)が158台。

東京駅の営業を休むことなく350台のジャッキで支えながら

設置されたのだそうです。

地下部分も改修、新たに巨大な空間も加えられました。

実際の工事は、駅の機能が停止している夜間の3時間ほどの間に行われたのだそうです。

古い技術を生かしながら、最新の技術を導入したという訳ですね。


JR東日本の東京駅リニューアルのCMを見ると、懐かしい想いが込み上げて来ます!?

あなたは何年あたりから懐かしいでしょうか~・・・(笑)



どこかで春が♪~キッチンから愛を込めて~

2013-02-04 | キッチンから愛を込めて
【節分の日のヒヨドリたち】

今日は立春

暦の上では春。

そして雨はぱらつくものの、暖かな一日でした。

枝にとまるヒヨドリの夫婦もこのところの暖かさに一息ついているように見えます。

 

どこかで 春が 生まれてる

どこかで 水が 流れ出す~♪

そんな歌を口ずさんでいました。

この暖かさに誘われて咲いたのですね。


星の瞳を見つけました!



先日、妹から「煮豆が食べたい~!」とのリクエストがありました。

ストーブで豆が煮えるのも今のうちと
・・・・え~い!全部入れちゃえ!・・・

どっさり、(うちにあった大豆をすべて)煮ました。

ことこと、ことこと、まる二日かけて煮豆が出来上がりました。



ふっくら、つやつや、上出来~♪
・・・ニヤニヤ・・・

ところが・・・

昨日は節分

しまった!!

豆まき用の豆まで煮ちゃったのでした

やむなく、今年は黒豆での豆まき となりました。



庭で取って来たヒイラギに、鰯の頭と尾を付けて玄関と裏口に飾りました。


鬼は~外!福は~内!鬼の目 ぴっしゃり!

佳き春の訪れとなりますように~

そして、恵方巻きはといえば・・・

今年は 自家製にするわよ~!と張り切っていたのですが

なんと、体調を崩しあえなく断念!
    ・・・どうも疲れが溜まってことにより内臓が硬直したようです・・・

そこで急遽 手巻き寿司に変更いたしました。

早めに休んでぐっすり眠ったところ、すっかり元気になりました。

そろそろ無理の利かないお年頃・・・・

気を付けなくてはいけませんね。

皆さまも、この寒さの緩みにはくれぐれもご注意くださいますように


東京旅行の締めくくりは次回にて~♪





知らなかった!~皇居前広場にて~

2013-02-01 | 小さな旅の思い出

つい先日年が明けたかと思ったのも束の間

今日からはなんと2月です。

またまた今日も、おのぼりさんの旅におつきあいくださいませ。


                          

  「運転手さん!皇居までお願いできます?
    二重橋に一番近い場所で降ろして欲しいんですけど。」


三連休の中日でもあり、道路はとても空いていました。

運転手さんと話しているうちに、20分足らずで皇居に到着しました。

 「ここをまっすぐ行けば二重橋ですから・・・・」

「二重橋は奥ですから・・・その奥ですから・・・」


・・・・もう、見えてますからわかってますよ~!・・・・

いよいよ(母の)念願の場所での記念撮影です!(笑)





なんとか写真は撮れたものの、あまりの広さに


もう歩けないらしい・・・(ため息)

こんなに広いとは思っていなかったとか。

すごいねぇ~! さすがやね~! としきりに申しておりました。

東御苑の見学は諦め、今回も大活躍のステッキチェアーで暫し休憩をとりました。




【皇居正門】

皇居とは、江戸城のあった場所。

徳川家康が太田道灌に造らせたお城です。

道灌は風水学に則ってこの地を選んだと言われています。

鬼門には上野寛永寺を建立し

裏鬼門には芝の増上寺を建立したと伝えられています。

それゆえ東京の中での一番のパワースポット

すべての気(生気)がここに集まる地形となっているのだそうです。

ここでちょっと思いついたことが・・・

上野方面といえばスカイツリーがあり

芝といえば東京タワーがあるではありませんか。

これらも鬼門封じになっているのでしょうか!
 


そのせいなのかどうなのかわかりませんが、暫く休んだ母はすっかり元気を取り戻ました。


【辰巳櫓】

途中、天皇陛下のご成婚を記念して造られたという和田倉噴水公園にある

レストランでランチをとり

丸ビルで休憩しながら、最後の目的地まで歩くことが出来たのでした。(やれやれ・・・)




ここで、最後の目的地を前に

帰ってからのお話を少し・・・・

旅行案内書を読んでいたら、なんとここが→ 

二重橋ではないことが判明!!

検索してみると

皇居の入口には皇居前広場側から見て、石で造られた手前の「正門石橋」と

鉄で作られた奥の「正門鉄橋」という2つの橋がある。

「二重橋」とは正しくは奥の正門鉄橋の呼称である。

正門(江戸城の西の丸大手門)は普段は閉じられており、天皇の即位大礼、天皇、皇后、皇太后の大葬儀など

特別な行事のある時や国賓来訪の際以外は使われない。

使用される時は皇居前広場〜正門石橋〜正門〜正門鉄橋〜宮殿というルートをたどる。

奥の鉄橋は、江戸城の西丸下乗橋のあった位置で、木造橋時代に橋桁が上下二段に架けられていた。

そこから、「二重橋」と呼ばれるようになった。

現在の鉄橋は昭和39年(1964年)に架け替えられたもので、橋桁は二重ではない。

手前の石橋は江戸城の西丸大手橋があった位置で、現在の石橋は明治20年(1887年)の建造である。

二重アーチ構造であることから、 「この石橋が二重橋である」との誤認が多い。

「手前の石橋と奥の鉄橋が同じ濠に2つ重なって架かる橋だから二重橋」というのは正確な解釈ではない。

また、手前の石橋を言う場合もあるが前述のとおり誤りである。~whikipedhiaより~  


とあるではありませんか!!

知らなかった!!!

慌てて、撮ってきた写真を見直してみると

ありました!


【二重橋】

これが本当の二重橋なのだそうです。

道理で、運転手さんが「奥ですから!奥ですから!」と

繰り返して叫んでいた意味が解りました。

・・・もう、そうならそうとちゃんと言ってくださいませ!・・・

ちゃんと記念撮影もしておりました。(笑)
      ・・・・めでたしめでたし♪・・・・

この記念撮影にはまだ後日談があるのですが

それはまた、後日ということで・・・