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カッコウの鳴き声と 遠い記憶の中の おきなわ

2015-07-01 | 言葉あれこれ
先日、かっこうの鳴き声の聞こえる場所に出掛けました。

その時の様子はまた後日お話したいと思いますが


今日はカッコウの鳴き声を聞くと思い出す場所のお話です。




森の奥から聞こえてくるカッコウの鳴き声。

夏の別荘地にでもいる様な気持ちにさせられる方も多いかと思いますが

記憶の中にあるのその場所は 開墾


開墾(かいこん)とは、山林・原野を切り開いたり

池沼・海面を干拓して耕地へと地類を変換すること[wikipediaより]です。



幼い頃、母の実家はいくつかの開墾と呼ばれる畑を持っていました。

戦中戦後の食糧難の時代に原野を人に頼んで開拓し

そこで野菜を作っていました。

その中のひとつに、夏に行くといつもカッコウの鳴いている開墾がありました。

おぼろげな記憶を辿るとそこは

小高い丘に囲まれた原野の一画、まるでアメリカ映画でみた牧場を小さくしたような風景でした。

夏休みになると標高が高く涼しい地にある母の実家へ何日も泊まりに行っていました。

畑仕事に付いて行っては、従兄妹たちと花を摘んだり虫を見つけたりして

辺りを駆け回っていました。

お茶とお菓子を持ってまるでピクニック

それは楽しい時間でした。

森の奥の方からは

カッコウ  カッコウ

と鳴き声がいつも聞こえていました。

帰りには車に一杯のキュウリやナス、トウモロコシや大きなスイカを積んで帰るのです。

まるで宝島・・・映画「となりのトトロ」の

おばあちゃんちの畑でのメイちゃんのような気分だったように思います。

帰ってから、おばあちゃんの茹でてくれたトウモロコシを食べ

西瓜は井戸で冷やして食べたものです。

今ではその場所も住宅地となり、当時の面影は全く無いのだそうです。



その開墾の事を、母は おきなわ と呼んでいました。

どうして おきなわ なのかと聞くと

知らないといいます。


どうしてかと思ったことも無かったの?

そう聞くと、そんなことを考えていられる時代じゃなかったというのです。

ものすごく遠いという意味なんじゃない?とか


昔、沖縄から来た人が住んでいたからじゃない?とか

散々聞いてみましたが、 知らないという言葉しか帰って来ないのでした。




先日、叔母に合った時の事。


「そうそう、昔 おきなわ っていう開墾があったでしょう?

 どうして、おきなわ って呼んでの?」と聞いてみました。


「あ~あったあった。よく行ったわよね~。」


「えっ??  あれは おきなわじゃなくって おひなば だってば。」


「え~~~っ!」


母曰く

「そんな名前だったかもしれない・・・」


ずっと記憶違いをしていたのか

数十年の間に、違う名前になってしまったのか

本人も分らないとのことでした。


おひなば

どんな漢字を書いたのかと聞くと、叔母も昔の事で

憶えていないとのこと。


ただ、城下町として栄えていた母の生まれ故郷には


お城にまつわる地名いくつか残っていました。

たぶん、おひなばとは


御雛馬と書いたのだと思います。

馬を育てていた場所

今でいうところの牧場があった場所だったのでしょう。

幼い頃、西部劇を見て育った私が

牧場に似ていると思ったのも

間違いではなかったということですよね。

おきなわ・・・・・

おひなば・・・・・

確かに間違えても不思議ではないのですけどね。