91年にソ連が崩壊し多のを機に、社会主義国が次々に社会主義を捨てていった経緯から、この表題を見ると奇異に感じるむきもあろうかとは思いますが、社会主義のすべてがだめというわけではなく、そこから何かしら学ぶもの、または今も資本主義国でも参考になりえることはいろいろあるのですから、そこは虚心坦懐に学んでいってほしいものですね。
かつて佐々木力氏が、『科学技術と現代政治』という本の中で「環境資源問題の根本的解決の方向を探っていくとどうしても現在の資本主義経済の枠組みでは不十分であることは明白です。」と書いていることからもわかるように、社会主義が崩壊したからといって、全部を否定する性質のものではないのは明白ですね。
この文言にピンときた人は、『科学技術と現代政治』を読むことをお勧めします。
この本の中で社会主義の理念の必要性の詳細が学べると確信しています。
また『資本主義、社会主義、エコロジー』もその社会主義が本来もっている機能を明らかにし、それを現代社会でいかに生かすかが大事かを論じているのです。
社会主義国が今は、指で数えるほどしかない現代においてそういう試みをする本は非常に興味深いですね。
そして地球環境問題においても、人類の危急存亡の地点に立っている現代においてエコロジーの観点は非常に大事ですが、その面をも忘れずに論じているところも同様に興味深いですね。
社会主義論が勃興してすさまじかった60年代から70年代においては、その左翼思想にぞっこんになってしまっていた人たちの書いた論文や本には、資本主義こそあくのこんげんであり、日本も資本主義を捨てて、社会主義国に移行すべきだ、といった論旨のものも多くあり、それを今読むと思わず笑ってしまうのでですが、この本の著者も、やはりその思想に深く埋もれていたのか、あるいは両論に二股かけになっていたけれどもやや社会主義寄りだったのかなと思える箇所がいくらかありますが、そこを読むと結構説得力があるのが面白かったですね。
この本が書かれたのは、92年のことで、この著者はフランス人ですが、当時のヨーロッパやサッチャー後のイギリスを引き合いに出して、以下のように論じているのです。
「市場とは、各々が自力の直接的利益を追求する個々人の不正行為の結果である。」というのです。
これは過激と思われるでしょう。
しかし、あまりに不正行為が少なく、しかも犯罪率の低い日本においてはこういう言質は信じれないのですが、やはりそれらが圧倒的に多い、欧米やアジアにおいて過ごしていれば、やはりこういう言質が出てもおかしくはないでしょう。
しかも中国社会のルポなども読むと、やはり頷けます。
また、ある知り合いがいわく、「以前、中国に買い付けにいったときに、買う契約をしたにもかかわらず当日に物が届いていない。 その旨を相手に質したら、おまえよりも高値で買ってくれる人がいたから売ってしまった、という。 それについて何の咎めも感じていなかったから驚いた。」ということでした。
これだけで、一般化するのは慎まなくてはいけませんが、やはり中国社会を描写した『中国現代化への落とし穴』『蛇頭』『幻想の帝国』といった本などを読むと、やはり日本とは違うな、ということが実感しました。
また、中国は世界的に経済力が2位になりましたが、それでもそういった不正な面はいつまでも跋扈しているのが、今のルポなどを読むとわかります。
経済的に上位にあがった。
だからといって、公正で民主主義を満たしているかというとやはり必ずしもそうでない部分はいろいろ垣間見ることができますね。
中国のみならずアメリカでも一緒ですね。
それは、この著者が社会主義寄りだから、こういう言い方をしたのかもしれませんが、そのどちらかは、私にはわかりかねます。
イギリスやヨーロッパでの生産は、富裕な人のための生産だったといいます。
低所得層への生産はなく、生活水準の悪化をしていたというのです。
また以下のようにも著者は論じています。
「国家は衰退の途にある市民社会の代理人として機能しているのだ。 またある点からみればその衰退を助長することもありうるのだ。」 ということですね。
また、「国家は、社会主義が本来持っている方向に進路を修正することである。 経済的合理性、つまり市場と利益との間の論理が展開される範囲を狭めることである。」とも論じています。
これは非常に面白い論旨だなと思いました。 人間とは弱いもので、やりたいように自由奔放にさせれば、やはり不正を働くものが出てくる。
それにタガをはめて、少なく持っていくためにはやはり、法律が必要ですし、それを監視する者や物体が必要ですね。 そのタガは国によって違ってくるでしょう。
日本は、不正や犯罪の少ない国として有名ですが、そのためか警察官や法律家の数が、公民に占める割合が非常に少ないのだそうです。
ゆえにその不正や犯罪へのタガの多さは、他国とは違うですし、それについては国ごとに論じなくてはならないでしょう。
また、この著者は以下のように論じてもいます。
「ただ資本を増大させたり、商取引を発展させることだけを可能にするために需要を生み出すのではなく、経済の合目的性を大衆の自由な表現を結び合わせることである」ということですね。
これは、経済のあるべき姿を論じていますが、この著者の場合、その最終的な目的が、持てる者と待たざる者との差を狭めて、一般大衆にも政治的発言権を与える、ということでしょう。
それが望ましい姿である、ということですが、その目的が素晴らしいかそうでないかは、やはり時代によって、また論者によって変わってくるのは致し方ないでしょう。
今のように、持てる者と持たざる者、両方が買いたいものがほとんどなく、そして経済力の差が開いていってもそれほど、下層からの不満の声が上がらないのは、やはり普通に生活がしていけるからでしょう。
貧富の差が開き、しかも下層の人たちに政治的発言権が認められなかった時代においては、この著者の言論は大いに称賛のものに違いなかったでしょうが、今ではあまり称賛の対象にならない可能性の方が大ですね。
しかし政治的な寡頭制を招かないためには、この著者の言わんとすることは大事でしょうね。
この著者がみた当時のヨーロッパ社会は、富める者がどんどん富み得る時間が多くなり、低所得者はどんどん時間がなくなっていったということですね。
91年のソ連邦の崩壊を目にしたからといって、資本主義がすべてではないということがわかりますね。
万能の機能を内包した制度ではないということがわかります。
やはり、いろんな事柄や学問から学び、そこから知を得て、社会を良き方向へ導く努力をしていかなくてはならない、ということですね。
社会主義思想から、今でも学ぶ事柄はたくさんあるということですね。
当時の社会は、こんにちのようにお金持ちになる方法といったたぐいの本がほとんどなかった時代ですから、こういう事態を見たら直ちに、これは政府の施策や経営者の施策を改めるべし、といった議論になりがち、いやそういう議論にしかならなかったのは明白ですね。
この論旨の後に、「市場経済が導入されれば、それが抑圧、搾取、疎外と同時に根源的解放の時を内包する」と書いていますからね。
資本主義経済に内包する危険な点を見事にいい当てている気がしますね。
しかし、こんにちにおいては、そういうたぐいの本は巷にあふれていますし、インターネットを駆使した方法で、お金持ちになる方法はたくさんありますから、低所得者でもお金持ちになりあがる方法はたくさんありますから悲観的にはなる必要はないでしょう。
資本主義を地上のどの国も採択したからといって、それが万般にわたって万能ではないことはわかりました。
それに加えエコロジーの面もやはり忘れてはならないことでしょう。
経済発展においては、環境問題や資源問題は避けて通ることはできない問題ですからね。
現代の資本主義国に横たわる問題を社会主義思想から良き方向へ導くヒントを得て、それでいてエコロジーの問題を考える、ということですね。
それがこの著書の要旨といっていいでしょう。 そういうスタンスは私は大好きですね。
地球を愛していますから。
この本の最後の方で、著者は 「エコロジー的アプローチは経済合理性や商品交換が展開する領域を縮小させること。
その領域を個人の自由な開花に役立たせ、社会の変容に関り、しかも、文化的な目的に奉仕させることなどを目的としている。
労働時間を短縮し、失業を減少させ、所得を維持し、その後は、所得を維持するのは不可能である。」 ということを書いていますね。
これはワークシェアリングを論旨として書いてあるのですが、それがどのようにおこなわれるべきかを、シミュレーションでこの本の最後の方で書いてあるので、興味のある方はこの本を買って読んでみるのがいいでしょうね。
この著者の労働に対するモラルは、以下の言葉で凝縮されている気がしますね。
「労働を変容させ、減少させ、自律的な活動や自己生産、個人あるいは全員の開花に対して開かれた空間を拡大することなどのために、労働が存在し、まさに今日的な意味を持つということところから出発しなければならない。」
ここを読むと非常に関心が芽生えて、この著者の本である『労働のメタモルフォーズ』という本も読んでみたくなりますね。
現代の科学技術を駆使すれば、より少ない原料でより多く作るのも可能で、浪費を除去し、生産物をあげるのもできる、ということですね。
それを科学者やメーカーに携わる人間でなくても、一般市民のかたも普通の生活で実践していくことも重要でしょう。
私の、知り合い男性で建築の携わっている人で、いろんな施設の改修工事にいくことがあるが、まだまだ改修などしなくても耐久性からいっていいのに、無理やり壁や天井を壊し、そこを新たに作ることをさせられると、不必要性から嫌になるといってました。
不必要なものを無理やり壊して、それを無理やり工事するのはやはりエコロジー的に良くないことであるのは明白ですね。
これにピンときた経営者の方は、そういう事を見直すべきでしょうし、やらない、という選択をすべきでしょう。
ワークシェアリングによって、仕事以外の時間が増える。
そのことで、消費が増えて、それで経済的な効果が見込めることは間違いないでしょう。
しかし、それだけで万般の効果が見込めるわけではなく、そこからまた違う問題に直面することになることは、これまでの人類の歴史を見れば明らかでしょう。
その時もまた、いろんな思索をしていくことになりましょう。
その時も、科学者、経営者、のみならず一般市民のかたも、思索、そしてそれから実際の行動を続ける必要があるでしょう。 押し寄せる波のように問題点は、いつまでもなくならないのです。
その際は科学的なものの見方が必要なのです。
いろんな本を読み勉強していきましょう。
この本もまたそんなときの一助になることは間違いないでしょう。
ここでは概略的に書いたまでですから、興味のわいたかたは読んでくださいませ。
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