森島恒雄 『魔女狩り』

2020-06-13 23:18:50 | 心理学

魔女狩りという事実は、非常に興味の深い事柄です。

このような惨事が、人間の歴史のなかで何故起きてしまったのか?

という本源的な疑問からやはりその内情を知りたいと思うがゆえに読んでしまいました。

これは13世紀フランスに始まり、全キリスト教国に広ろがり、アメリカにまで到達するのですね。

その歴史の中で、数十から数百万の魔女が裁判にかけられ殺されてしまったということですね。

その手段は絞殺や火あぶりなど多様だったようです。

その行使した主体は、一般人ではなく、法王、国王、貴族、大学者、裁判官、文化人といった人たちが煽り、行使していったということですね。

魔女ではなく、色魔や女色魔に対する迷信はアッシリアバビロニア時代からあったようですね。

ローマ帝は、呪術を禁止する法令まで出したようです

これは驚きです。

現代において、このような法令が出たら、狂気の沙汰と取りざたされるだけで終わるでしょうが、当時の社会では真面目に取りざたされていたのですから。

魔女狩りの端緒は、やはりキリスト教の腐敗が最初にあるような気がしてならないですね。

その腐敗によって免罪符の売り付け、聖餐礼、祈りや喜捨の形骸化といった事が起こっていたのです。

宗教改革は南フランスを中心に起こったのですね。

その勢力をインケンティノスが討伐に向かわせたのです。

その討伐のすえの異端審問において、異端審問の罪状に魔女な文言がちらつき始めたのだといいます。

同時期のイギリスでは、司教が悪魔を礼拝しているということで問題になりました。

そして1323年には、法王ヨハネスが魔女狩りを強化令を出したのです。

またジャンヌダルク裁判の例を見てもわかるように、魔女狩りは政治の道具としての1手段になったのだということがわかります。

これは、『人種差別と偏見』という本でも明らかにしたように、人種差別を経済的利益を得るために、金持ちの農場主や会社の社長といった雇用者がプロパガンダとして使ったことからも明らかなように、魔女狩りも政治的手段として使われるようになったということですね。

人類が胸に留めておかなくてはならない歴史的な事実ですね。

※参考ページ

  ↓

『人種差別と偏見』を紹介した頁

 

災厄、不幸、戦争、政治が魔女たちに結び付けられて、犠牲になってしまったのです。

16~17Cペストの大流行の時代ですが、これも魔女の所業に帰せられたようで、またらい病やてんかん、自然災害も同じだったようで全くもって人間は罪深いですね。

そもそも魔女として摘発された人は、どのような人だったのかということですが、やはり容姿や素行がの人たちとちょっと変わっている、あるいは悪魔を信じているといった事だけで、噂を立てられ密告されたようです。

魔女と認定されたらその人から財産を没収するということまで行われていたようです。

経済的に国がいきづまると、このような暴挙に出ないといけないのかと思うと、これもまた人間ひいてはキリスト教の罪深さを思い知らされますね。

このような魔女狩り

そして魔女裁判が公然と行われていたのは、科学の発達の度合いが現代ほど進んでいなかったのも理由の1つですし、やはり古代からの文書が読まれていたこともあり、これらの宗教的なものが中心に読まれていたことでよりどころの最大のものだったことが最大の理由ではないでしょうか?

また現代でも当てはまるのは、人間の哀しいサガですね。

このような魔女が実際にいると一般的に信じられていた時代においては、自分も魔女と認定されないように、疑いのある人を密告したり摘発したりして身に災厄が降りかからないようにするなどということをしてしまう危険性は誰にでもある気がします。

そしてそれが本当かどうかもわからないのに、この場合魔女が自在するあわからないのに、少ない情報や事例だけで一般化して、それを信じて疑わない人間のサガですね。

そうならないように、このような人間の歴史の一端をこのような本を通じて知ることが出きるのですから、それをこれを読んだ人はこれから自分の生活の中で戒めていかなくてはならないでしょうし、そういう人が身の回りにいたら注意を喚起してあげないといけないですね。

また生贄を探し、それを弾圧したり、命を取ることで自分の利益にするという思考法は、現代でも存在するのですから、それも戒めないといけないですね。

政治的にも、経済的にもです。

それは以前に紹介した『異常の心理学』という本を紹介した時にも明らかにしましたし、これを読むことは参考になります。

※参考ページ

  ↓

『異常の心理学』を紹介した頁

 

こういった歴史を俯瞰すれば明らかなように、キリスト教はこれまでさんざんな悪業をしてきた。 style="color: #993366;">であるからしてキリスト教は、存在するに値しない百害あって一利なしというような意見が出るのも致し方ないでしょう。

キリスト教が広まったということは、それなりの魅力があるからでしょう。 style="color: #993366;">あの聖書を読んで、やたら難しい逸話や挿話があって、意味が分からないですし、牧師さんがいないと理解できないのでは時間の無駄です(笑)。

そんな手段をえらぶよりも、もっと直接的な表現をしている科学的な本を読むのがいいでしょう。

それの方が、すぐに読めて、たくさんのことを学べるのですから。

それに、宗教とは人と社会との良好な関係を模索する道と思っていますから、私は人とのコミュニケを大事にしていますし、自然に対しても限りなくエコな生活を心がけて、行動しています(みずを少なく使う、エコな洗剤を使う、生ゴミは土にすべて埋めるetc)。

そして、その行動に矯正する点がないかといつもただすように情報を得ています。

そんな姿勢があるのだからキリスト教に入らなくても、他の宗教に入る必要もないと思っています。

私にとって、宗教とは本を中心にした、人やその他、情報媒体でいいということです。

その際の重要情報を得れる手段としてこの『魔女狩り』はおすすめです。

●この本は以下よりどうぞ!

  ↓

魔女狩り (岩波新書)


福島章 『天才』

2020-06-11 23:08:13 | 心理学

悲愴交響曲などを聴くと、鳥肌がたちあまりの素晴らしさに寒気を催すことがある。

聖なる霊気の支配、人と神が混然一体になったような感じ。

そんなエピソードからこの本は入っていますが、そんな経験をしたことのある人は、この著者さんだけではないでしょうし、私もそのような経験はあります。

やはり音楽、特にオーケストラを聴いているとそういう経験をすることがあります。

それは、ひとえに人の能力を超えた何者かが、その奏者や指揮者に乗り移って演奏をさせている。

あるいは神がその曲を書いた作曲者に乗り移って曲を書かせたのではないかといった思いに取りつかれることはあるのではないでしょうか?

それを裏付けるがごとく、古代ローマではムーサーが詩人に霊性を吹き込むことで詩を書かせたということです。

やはり人間の努力だけではどうにもいかないということが往々にしてあるのではないか、これまでの経験や人伝えによるあるきがしてならないですね。

しかしその天才性というのは、その天才な人物へ多くの人の尊敬、驚嘆、親愛の感情がある程度ながく続かないことには、天才と定義するには当たらないとこの本では書かれていますがその通りでしょう。

しかし、天才といわれる人は、生前からそのように謳われていたこともあれば、バッハのように死後100年たってから評価されるようになる場合もあるから面白いですね。

また、フォーゲル.ワイデ島田清次郎といった人たちは、天才といわれたにもかかわらずすぐに忘れられたようです。

天邪鬼な私は早速この2人について調べてみようとおもいます(笑)

また異常な才能を持っていながら,そんなに注目されないでいる音楽アーティストを見ると哀しくなってしまいます。

「何故、こんな天才的な常人では思いつかないような音楽を作って演奏できているのにこんな少ない注目しかされないの?」といぶかしく思ってしまいます。

逆に、こんなしょうもない音楽しか作れないのになぜこんな人気があるの?といぶかしげになってしまうこともあります。

私は、前者の方を当然、応援します。 後者を応援する人を蔑んだりはしませんが…。

しかし、天才という人は、人間社会にとって必須と思いますね。

天才は、人間というものの可能性に広さと深さと巨大と時には個人的な幸福と引き換えに身をもって示してくれるとこの著者は書いていますが、その通りです。

その他、ある道を究めたいと思っているときに、必ず挫折しそうになりますが、その際は、その天才的、あるいはカリスマ的な人の書いた本を読むのがいいでしょう。

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ある程度、その道に入っていれば、それになりに行くべき方向はわかってきます。

しかし、迷ったときに、Aという道で行くべきか、Bという道でいくべきか、Cという道で行くべきかという選択肢が出てきます。

しかし自分で判断せずに、その道のカリスマ的な人の言を信じていくのがいいと思います。

Aという道で行くべきか、あるいはBかCかわからないときに、自分だけで決めるには検証が必要でしょう。

しかし、その検証には長い時間がかかります。

長いときは10年以上もかかるときがあります。 あるいはそれ以上かかる場合も。

しかし、そんなことしている時間はないですから、その道の天才、カリスマ的といわれる人の言動を信じるのが一番と思います。

実際、私はそういう経験をしたことがあります。

スポーツでもそういうことは当然あるでしょう。

しかし検証などしていたら…と思うとぞっとします(笑)

この人のいっていたことを信じてすすんでよかった~と安どの思いになりました。

しかし、現代は、人間疎外と管理化社会です。

人々は大地から離れ、肉体を軽んじ、超越的なるものに背を向け、小市民的な小さな枠の中に知らず知らずのうちに身を縮めて暮らすようになりました。

それが祭りやハレの日にその理性が爆発してバカ騒ぎするのでしょう。

また、普段はおとなしい人はハロウィンの日に人が変わってしまう人もいます(笑)

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それはストレス発散という面もありますが、非理性の突出とこの著者は書いています。

非理性の突出の結果が、犯罪、暴力、精神障害、性の商業化であるといいます。

その現代のネット時代の代表例がSNS映えを狙ったセルフィーでしょう。 インスタ映えするために、高いブランド物を買っては投稿し「いいね」をもらう。

そんな承認欲求どこから出てくるの?といぶかしげに思いますが、そういった人たちは普段人とのかかわりを避けているがために、自分が承認されないということもあるでしょう。

それが原因ならば、そういう行動をとらないで自分から人ととかかわっていく努力が必要でしょう。

インスタ映えしたいがために、いくつものキャッシュカードでキャッシング枠をギリギリまで使ってブランド物を買うなんて理解に苦しみます(笑)

また、その人が頑張っているにもかかわらず、誰もその人をほめないがゆえに、そのような卑屈な心になっているかもしれないですから注意が必要です。

思い当たる人は、同僚の良きところはすぐさま褒めるようにしましょう。

褒めない人ばかりでは、そんな人が出てしまうということを心にいつまでも留めておかないとだめです。

しかしセルフィーで恐ろしいのは、命綱無しでビルの屋上からぶら下がって写真を撮り、上がろうとしたが力がいっこうに入らなくなってそのまま落ちて墜落死、あるいは野生のワニと一緒に写真を撮るためにワニに近づいていき、あまりに近づきすぎてワニに食べられて死亡、こういった事件はこれまでに世界で250件以上もあるということです。

そんなにインスタ映えしたいのですか…といぶかしげに思います。

また、天才といわれる人は、音楽、絵画、文学、その他いろんな芸術作品においても存在するのですが、その天才たちに共通する姿勢は、いきなりその能力が発揮されるのではなく、疑問や課題に一途に取り組んで、模索している状態に着想するということですね。

いきなり発想が浮かぶわけではないのはどの分野にもでも一緒のようです。

なるほど、優れた経営者は、普段からどのようなことをすればお客様が喜ぶかを考え、調べているのです。

その途上で、ふといい考えが浮かんだり、ふと本などから見つけたりするのですね。

それはひとえに、金もうけを最初に考えずに、人との心の交流を考えながら、非tが喜ぶことを第一に考えている。

これは、人との交流を大事に考えていない、要するに無頓着な人は良き経営者になれないですね。

要するにその道で優れた結果を出すためには、その道自体が好きでなければ到底達成できないことですね。

そして天才にもいろんなタイプがあって、決してIQが高かったわけでもなく、学歴が高かったわけでもないようです。

早熟の場合もあれば、遅咲きであった場合の両方があるようです。 ダーウィンは物覚えが悪かったようですし、エジソンは学習困難児だったようで驚きです。

しかし、天才といわれる人たちは、常識人といわれるような人だけではなく、やはり異常な面を持っていることが多々あるのも事実のようです。

レオナルド.ダヴィンチはその絵画が有名ですが、同性愛的、受動的な空想に転嫁していったようです。

それは児童性欲の抑圧の結果だったということです。

またドストエフスキーも父親が暴君であったことで父親殺しの幻想を抱きドMな性格になり、つかの間の幸福が訪れると不条理な衝動にかられ、飲酒や賭博にほとんどのお金を使ってしまい、その無駄をしてしまったという思いを糧に、小説を書くことに没頭していったようです。

先の現代の病理についても同じように、このような異常な精神性の中に身を置くことで天才的な能力を発揮することもあるということを覚えておいた方がいいでしょう。

抑圧された感情が噴き出る際に、天才といわれる人たちがその能力をいかんなく発揮して、とてつもない作品を創ったりするから、これもまた考えなくてはならないのです。

それにたばこは今やあれもが禁止しようという気概になっていますが、フロイトにしろ樋口一葉にしろ、たばこを吸うことでいい作品ができたということです。

ゆえにたばこは一概に悪いものと決めつけない方がいいかもしれないです。

しかし、割り切れなくなりますね(笑)

この本いも書いてあるのですが、天才になる方法などはないということです。

自分の子を天才にしたい、と思っている親御さんがいたら要注意です!(笑)

なぜそんなことをするのでしょう。

そうすることで、自分の見栄えを良くしようという気にほかなりません。

そのようにして育てられた子は、自尊心を持つことができないまま孤立する可能性大なのです。

そうではなく、好きなことをとことんさせるのがいいでしょう。

そのことによって神が味方してくれるのは間違いないです。

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そのことでカリスマ的な人になるのです。

かねがね私はカリスマとは、神が憑くということであると思っています。

それには神に味方してもらわないといけない。

その神は好きなことをとことんやりこんでいる人に味方してくれるというのは、これまでの研究で明らかです。

人の上に立つ人間として大事なのは、自分も努力し、そして教える相手にはくじけない精神を自分が身をもって教えてあげて、自分も相手も甘やかさない、それでいて礼儀のある人間になってくれるように教育するのが大事でしょう。

そのためには、その分野で多作にできること、そして内容の濃いものを呈示できることが大事でしょう。

そのためには、自分が心底好きなことでなければ挫折してしまうことは必至です。

決して自分の見栄えのために子供や相手を使うなどという不貞な考えはしてはならないことですね。

この本を読んでそんなことを考えてしまいました。

●この本はここよりどうぞ!

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天才―創造のパトグラフィー (講談社現代新書 (721))

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中山正和 『発想の論理』

2020-06-08 17:30:44 | 心理学

発想というのは誰にでも必要な事項ですね。

とくに著作家、文筆家、教授、経営者といった人たちは、それができるかどうかで生活が続けれるかどうかが決定するわけですから、かなり大変でしょう。

それで大事なのは、目的意識ですね。

大学教授著作家は自分が論文なり本を書くことで、どのようなことを世間にアピールしたいのかという思いなり熱意を強烈に持っている。

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経営者ならば、どのようなことをすればお客さんに喜んでもらえるかを常に考え続けている。

その他、使命感に似たものを持っているかが重要になります。

そのためには、やはり情報収集でしょうね。

本を読む、あるいはセミナーに出る、人と話す、検索をするといったことを万遍なく行っていくことですね。

その自分がいつも思い描いている事項と結びつくことで、それを更に昇華させることができるということですね。

論文ならば、内容の濃いものができる。

経営者ならば、お客様に喜んでもらえてさらに来客数が増える。

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そんな好循環をもたらすことを望んでいる人ならば、是非ともこの本を読むべきでしょう。

それは単なる知識、情報の積み重ねではなく、結び付けはもちろん、突き放し、切捨て、などの一連の方法論があります。

それはこの本を読んでもらうこととしまして、やはり1度したらそれで終わりではなく、できる限り続けていかなくてはならないですね。

私の敬愛する学者は終わらない永遠の作業であると自分の仕事について書いています。

その続けることですが、やはりこれは文字好きの人でなければ難しいなと思った次第です。

著作家なり、教授なり、経営者なり、やはり名を残せている人はやはり文字好きで、それに触れることに生きがいを感じている人ばかりですね。

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経営者も?と思われるでしょうがその通りですね。

いろんな経営で成功されている人は、いろんな本を読み続けて、それを実際の経営に生かしているがゆえに、永続しているのだと感じます。

しかし本嫌いの人からも学ぶものがありますし、本好きゆえに自分が失ってしまったものもありますから、そこは謙虚になって接していきたいですね。

「店長と経営者はまるで違う」というのは正論ですね。

一見同じように見えながら、全然違うのですね。

やはり教授にしろ、経営者にしろ、上手く名を遂げた人はそういうことを常に考えているし、考えれるから成功しているということですね。

やはり成功できている経営者の自叙伝などを読むと、やはり共通点があります。

それは、お客様がどのようなことを従業員にされたら喜ぶのだろうか?というようなことを考え、良いと思ったらそれを実際の経営で実行してみるということですね。

それは、頭の固い人では無理な話ですね。

いわれたことだけしていればいい、そういった工夫などしてる暇はないというような。

これでいいのだろうか?

これは言われたことないけれど重要なんじゃないか?

といったことを思い続けていながら、ある時それが重要であるということが書いてる本にぶつかる、あるいはその趣旨と同じことをいう人と出会う。

それで、そのことを仕事やそのことが必要な場面で実行する。

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すると上手くかみあい、なんでも好循環になりだす、ということですね。

そういう経験は、だれでもあるのではないでしょうか?

上役あるいは先輩に言われたことだけを実行していても、なにか腑に落ちない。

これだけではまずいんじゃないかと思いながら、本を読むと、自分の腑に落ちない部分と一致する箇所に出会い、自分を正当化できて、その行動をすることで歯車が好循環にまわりだす、というような経験を。

これは、やはり自分や周りのことがよくなるようにしたらどうしたらいいか、というようなことを常に考えれる人でないといけませんね。

そうでない人がこの本を読んでも感動もしないし、読んだところですぐに忘れてしまうでしょう。

ただ自分は上役から言われたことをすればいいんだ、それ以外のことを工夫してやるのは邪道だ、というモラルでいる人には全くむりですね。

このように自分のビジネスや仕事を昇華させたい人には読んでもらいたい本です。

その具体的な内容の各論がこの本に書いてありますのでおすすめです。

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発想の論理―発想技法から情報論へ (中公新書 230)

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新崎盛紀 『直観力』

2020-06-04 20:47:45 | 心理学

これは,これまで人類が積み立ててきた叡智は何か、どのような物事のスタンスを日々していくことがいいか、といった事を考えるにはいい本でしょう。

あまりに論理的に考えすぎる人には、目に鱗の話でしょう。

直観とは情の動きであり、直観型とは、論理よりも直観を重視した立場で、この立場は科学革命以来排除に近い立場においやられたのでした。

科学とは論理を元に思考を重ねる立場であり、その方が多くの人を説得できるからでしょう。

しかし、創造力とは、あくまでも直観に重点を置くべしというのが、この著者の立場であるらしいです。

カント、フィヒテ、ベルグソン、西田幾多郎、和辻哲郎、九鬼周蔵といった人たちもそういった立場であったようです。

   和辻哲郎

 

私もその人たちの立場を与するというのが正直なところですね。

やはり論理だけでなく、そういったカンや情といった面だけで人間社会はかたのつくものではないからですね。

まさしく宗教はそうです。

これまで幾多の宗教によって人間社会を良き方向へ導いてきた事実に変わりはないですね。

同時にマイナス面も意識に入れておかないといけませんが…。

考え、感じる、欲するといった感情を大事にしようとこの著者はいうのです。

直観力の増させ方ですが、いろいろここには書いてあります。

言葉だけではわからないから地図にするとわかりやすくなるとか、かなが多いと直観が働かないから、漢字を多くすることで働く、といったことですね。

やはり日々、自分が接する事でも、そのことはいえるでしょうね。

例えば経営するにしても、やはり直観で行かなくてはならない場面があります。

そんなに物事を考えすぎていては前に進めませんから。

しかし、そんな直観だけで上手くいくはずはないですし、やはり傍らから見ていて、あるいは傍らから観察して、論理的に見ておかしいと思われる場面については論理的に考えなくてはならないでしょう。

その場合の考えるとは、「う~ん」とうなることではなく、これまでの人類が蓄積してきた叡智、あるいは理論、情報といったものを総動員して、それを自分の経営に当てて打開策をひねりだす、ということですね。

普段から勉強していない人は、やはりそういったものがないゆえに、考えても閃かない。

しかし、普段からそういった事を勉強している経営者は、そういうものがすぐに閃き、それから打開策を出し実行することができるのです。

そういうことを普段からしていない経営者は、やはり経営研究家あるいは経営コンサルタントに、知恵を出してもらうしかないですね。

その際に、お金を出してもらわないといけませんから、やはり普段から勉強しているほうがいいでしょう。

お金が浮きますし…(笑)

良き経営者は、経営者経営コンサルタントの両面を持っているものです。

そういう2面性のない人は、やはり経営をしても失敗しますね。

とにかく、物ごとの良き方向への導きは、自分を客観視できるかどうかにあるのですね。

経営のみならず、スポーツ、仕事、なんでも同じですね。

プロの将棋士いわく「負けた試合を覚えているのがプロで、勝った試合を覚えているのがアマ」ということはまさに至言ですね。

そのことをわかるのが非常にいいことですね。

その際に、素直になることですね。

試合では、やはり興奮して脳内が真っ白になるものです。

ゆえに傍らから見ていて、こうした方がいいこうした方がいいということはしている当人よりも周りの人間の方がわかるのですね。

岡目八目とはよくいったものです。

そのことをわきまえれば、自然と素直になれるはずです。

しかし、素直になれない人は、この事実が知らないか、あるいはこれまでの人生でほめられたことがないから、卑屈になってもう言わないでくれという気になってしかめ面になってしまうのですね。

また、アドバイスをする側の人間がレベルが低かったり、人を貶すことに生きがいを感じているようだと、やはり素直になれないですね。

やはりアドバイスする側は、人間的に魅力のある人でないとだめですね。

経営コンサルタントもしかりです。

しかし興味深い事実が書いてありますが、秋山真之は日本海海戦で指揮を務めた人間ですが、この人は心霊作用が働いてバルチック艦隊の動きが手に取るように分かったということですね。

凡人にはできないことですね。

彼は神道の人間だったようです。

しかし、直観の養成法ですが、ある程度の記憶が必要であるということですね。

その際に必要なのは目的意識であるということです。

それがないならば、情報は自分の前を素通りするだけということです。

これは加藤秀俊氏も同じようなことを書いてましたね。

『企画の技法』という本の中で。

※参考ページ

加藤秀俊 『企画の技法』について書いたページ

Goo blog

その記憶の仕方ですが、ノート、メモ、カード、ファイル、分類棚、分類箱といったもののそれぞれの用法はこの本を参考にしてほしいです。

またそれに類する本として、梅棹忠夫『知的生産の方法』外山滋比古『思考の整理学』といった本を参考として勧めれます。

興味深いことに、直観のタイプとして2タイプをあげていますし、創造性にも4つの類型があるとして、それらをつまびらかに紹介しています。

ここまで見ると、直観を育てるにしても、論理型にしろ文字を用途にしていかなくては叶わないということですね。

文字嫌いには叶わないのですね。

ゆえに、それが好きな人にはうってつけということですね。

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直観力 (講談社現代新書 508)

 

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岩原信九郎 『記憶力』

2020-05-31 16:06:47 | 心理学

ある学習について論じた本を読みましたが、そこには忘れてしまう脳のメカニズムについて論じてしました。

それを読んで、「なるほど、こういう覚え方だといけないんだ」と感心した次第ですが、そこには「何故、忘れてはならないのか」という部分が欠落してしました。

やはり、そこを論じないと読者は不毛に感じられてならないでしょう。

よく日本の教育に対して批判した本がありましたが、そこには「記憶力ばかりに意識が行きすぎている」「そんな膨大な知識などいらない」ということが書かれていたりしましたが、賛同する部分はあるものの、全部は受け入れられないというのが私の意見でした。

いろんな説得力のある論文を書くならば、膨大な知識が必要ですし、知識がすぐに脳内にあればすぐに書けてしまうからです。

わざわざ引き出しからそれについて書いた本なり資料なりを取り出して書くよりも、脳内に入れておいたものを出して書く方が時間の節約になりますからね。

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そういったことで、日本の教育批判のすべてを受け入れられないのですね。

私がこれまで主張してきた科学的な知識は持っている人が多ければ多いほどいい、ということは大学時代から変わっていません。

そういった知識は、社会や人間関係をよくするものであり、そういった知識を多くの人が携えて日々行動していくことでそれらが改善されるというモラルでいるからです。

私の知り合いの男性で、明大中野高校という当時70前後の偏差値のあった高校を卒業していながら、料理人の厨房に入っていた人がいました。

別に料理人の人を蔑む意味ではなく、その男性に「何故そんな凄い高校に行きながら、料理人を志したのですか?勉強は好きですか?」ときいたら「勉強なんか大っ嫌いです」と返答してました。

この人の生い立ちやそれまでの生活を詳しくきいたわけではないですが、嫌いになるメカニズムはいろいろあるようです。

よくやったことについて、親御さんなり先生なりに褒めてもらうと、それが原因でそんなに面白くなくとも、頑張るという心理てきなモチベーションが上がるようですね。

これは、何も勉強に限らず、スポーツ、仕事、その他稽古ごとでも同様です。

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ですから、褒めることは非常に大事なんことですね。

ですから、この男性が親からよくできたことを褒められれば、勉強を好きになっていた可能性もありますね。

この男性の事情はよく分からないですが。

女性というのは、脚や胸などをいやらしい目で見られるとおぞましい気分になってしまうのです。

これは男性には理解できない心理ですね。

そういう目で見る男性がたまにいますが、それはご法度であると覚えておいてほしいものです。

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そういう記憶が残っていやいのです女性は。

そういう目で見られた女性は、その男性をものすごくいやな人と認識するのです。

そしてどうしてもその男性を見るたびに、嫌悪感を催すのです。

また、嫌みな男性上司や、デリカシーのない男性上司がいると、女性はそこでも嫌悪感をもよおすのです。

ゆえにそういう上司がいる働き場では、辞める女性が男性よりも多いのです。

「この男性上司は、こういう人だけどこういう良いところがあるし、この人はサイコパスだから何を言っても無駄だから取り合わないようにしよう。」といった画然とした論理で記憶しておくことは男性は得意でも、そんなことは女性にはかなり難しいのです(笑)。

記憶の装置が違うのです。

感情がどうしても先に動いてしまうのですね女性は。

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また、動物もそうでしょう。

小さなころから可愛がってもらった犬にしろ他の動物にしろ、人間にはすぐに誰にでもなつくのです。

しかし、ほとんど可愛がられた記憶のない動物は、やはり人間にはなつきませんね。

私の家に犬がいますが、それはこのこが小さいころから家族一緒になって可愛がってきたからだと胸を張っていえましょうか?

それは誇りに思っています。

またそれは人間でも同様でしょう。

赤ん坊の時に、多くのスキンシップをもらって育つとそのこは、大きくなって誰にでも心を開くのですが、そういう経験のないまま育ったこは、大人になって孤立するようになる。

例えば、不良になったり、暴走族になったり、ひいてはやくざになったりするということを、この本で知りました。

こういう事実から、教訓を学べば、

「そういう気づかいができない人は、上司になってはいけない。親になってはいけない。動物も飼ってはいけない。」

ということがわかるでしょう。

このように、本を読むというのは、自分がこれまでに経験してこなかったことや、知らなかったことを学び、それを良き方向へ向かわせるためにあるのです。

完璧な人間などいないのですから、そういう姿勢を持つことは何よりも必要でしょう。

そういうモラルでいるものですから、私は知らないことがあったら謙虚に学びますし、できていないことがあったら素直に認めるという思いでいます。

こういった学問的な知識を忘れない方法は、この本で詳しく述べられています。

~すべきだというような命題は、自分でそのように行動することで忘れないのですね。

ダイエットにいい方法やトレーニングで効果的な方法も同様で、やはり日々その行動を重ねることでわすれないのですね。

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トレーニングジムにいって経験に裏打ちされたトレーナーの言葉はやはり信用に足りますね。

逆にいいのがわかっていても、自分が行動していない机上だけの学者や論者のいうことは信用できませんし、言うことが二転三転して信用に足りませんね(笑)

また人によって覚えやすい方法も違うということがわかりました。

見ることでわかる視覚型、聴くことでわかる聴覚型、ペンで書いてわかるなど行動によってわかる運動感覚型などがあるということがわかりました。

どのような方法が覚えやすいかは人によって違うがゆえに自分の経験だけから断定してはいけないということがわかると思います。

また言葉を片っ端から完璧に覚えようとしないで、頭文字をつなげてそれを覚える方法や1つの文にして記憶する方法も有効です。

小学校時代に、リトマス試験紙で、赤から青に変わるのがアルカリ性で、青から赤に変わるのが酸性ということを習いましたが、どちらがアルカリ性で、どちらが酸性か混乱してしまいましたが、ある時先生が、「梅は青から赤に変わるからっぱい」と覚えておくとわかりやすい、ということを教えてくれました。

これは覚えやすいですね。

今でも覚えてますもの(笑)

受験生時代に、堀辰雄の代表作の3つを覚える方法として、1つの文章にしてしまった方が覚えやすいということで、講師が以下の文章にして呈示してくれました。

菜穂子の住む美しい村風立ちぬ

『菜穂子』『美しき村』『風立ちぬ』堀辰雄の代表作なのですね。

覚えやすいですね。

この講師は大学でも教壇に立っていたということで、現代国語を読む際にいろんな知識があった方がいいということで、いろんなことを教えてくれました。

その内容を観て、かなり本を読んで教養のある人であることがわかりました。

その後、ネットでその先生の所属する大学がわかりました。

しかし、ネット書店でその先生の名を検索するも出てこないんですね。

実に残念でした。

この先生が書いた本があるなら、是非とも読んでみたいと思えるに十分でした。

しかし…。

予備校講師や大学教授でも本を出すのは至難の業なのかなと思いました。

そこの事情はよく分からないですが…。

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このように科学とは、多くの人が携えて行動していくことで良き人間関係を築き、社会をよくするものである、ということがわかると思います。

社会科学はもちろん心理学も同様です。

そういう人が多ければ多いほどいいということは自明の理です。

そういう科学を講義している大学教授が、講義で「大学の勉強など社会に出て役に立ちません。」などという例もありましたので、私は驚きました。

「この教授はこれまで何を学んできたのかな?」といぶかし気の思いがました(笑)。

しかし、記憶をただ内部にためていても意味がないのでして、それを必要に応じて利用するためには知識を体系的に学ぶことが大事ですし、それを如何に整理して取り出しやすいようにするかは「知的整理法」「知的生産法」といったたぐいの本を読んで、実生活に生かすのがいいでしょう。

こういった学問をたくさん学び、それを実行に移すことが大事でしょう。

良き人間関係、ひいては社会を築きたいと思っているのなら。

書きたいことは以上です。

●この本は以下よりどうぞ!

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記憶力 (1976年) (講談社現代新書)

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