飯田経夫氏の著作の紹介

2020-04-30 14:34:43 | 経済論

この著者の飯田経夫氏は、常々アメリカの日本に対する態勢を批判してきた人です。

90年代の後半にこの人を知りましたが、その単純明快でわかりやすい筆致に引き込まれた私ですが、最近インターネットで詳細を調べると、このかたは亡くなってしまったのですね。

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非常に惜しい人をなくしましたね。

そのアメリカ批判の内容は、その野放図な政策のつけを日本に肩代わりしてもらう、という姿勢を批判していたのですね。

アメリカの株式制度では、株の持ち合いという慣習がないのですね。

ですから、企業の業績が、素直に反映されやすいのです。

つまり、すぐに自分の株価が上がり、自分が儲けることを最優先に考えているのですね。

しかし、「株の持ち合い」は日本には厳然と存在しているのです。

それは系列関係をより確かにし、企業の買収といったを防ぐためにあるのです。

こういった自分の直接的な儲かりを最優先にするか、長期的な自分の会社の業績を優先するかの違いがあるのです。

こういう精神は、元のアメリカの精神にはあったのです。

鉄鋼王カーネギー、自動車王フォードなどですね。 こういった人たちの精神を、今のアメリカの企業家たちは忘れてしまったのでしょうか。

アメリカの企業は四半期主義にあるといいます。

アメリカの上場企業は、資金調達を主に株主に頼っているので、経営者は株主の利益を優先させているのです。

株主の利益を上げた経営者は有能で、下げた人間は無能と烙印をおされ首になるといいます。

こうなると、M&Aやリストラクチャリングで会社の売買だけで手っ取り早く収益を稼いだほうがいいということになります。

それが、そのまま国の経済のいきかたの違いになっていますね。

モノづくりは、手間ひまのかかる作業です。

トップからヒラまでのチームワークですから、労使関係にも気を配る必要があるのです。

しかし、金融で儲けることにおいては、男一匹の才覚と運のすべてをかけて一発当てることができるのです。

アメリカの経済の中心はこのようになってしまっているのですね。

しかし、経済の中心に据えるべきは、国が最優先で取り組まなければならないのは、やはり「モノづくり」ですね。

「海外の投資家が、その国の長期的な利益を考慮した真に重要な投資をする保証はない。それは、その国の経済をただ不安定にするだけだ。」

というケインズの言葉を引き合いに出すまでもなく、グローバル金融の昨今においては、資本の気まぐれな移動が起きてしまうのは、やはりその経済が順調にいっていない時ですね。

そうならないようにするためには、やはりモノづくりが健全とおこなわれていれば、そういう資本の気まぐれはそうそう起こらないでしょう。

もちろん景気の波はありますから、たとえその国の経済が不況に健全なモノづくりが行われていれば、持ち直すことは間違いないでしょう。 そういうモノづくりを怠ってきたのがアメリカの経済なのです。

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いや最近の、研究で明らかになったことは、『闇の権力』によってアメリカの経済界は乗っ取られているということです。

モノづくりをしようと思えばできないことはなかったでしょう。

しかし『闇の権力』の乗っ取られたアメリカの経済界はそんなことはしないで、金融で自分たちの懐を肥やすことしか考えてなかった。

『闇の権力』とは、ハルマゲドン(最終戦争)を引き起こして、人類の大半を核戦争で抹殺し 、ウィルス兵器をつかって人類の大半を断種し、生殖能力を奪い家畜化するという計画をもっている人たちです。

アメリカの軍事部門は『闇の権力』の手先である「DARPA(国防高等研究計画局)」の傘下に入ってます。 アメリカの製造業は常に世界の先端を走ってきました。

自動車、家電、鉄鋼、造船、光学機器といった分野で驚異的な発展を遂げる事が出来たのですが、 その軍事機密に関しては、民間に流れることを法律で禁止しているのです。

その『闇の権力』に、現在のアメリカの為政者たちは乗っ取られてているので、この国の経済はモノづくりで世界での先端を走ってきたのに、すぐに後続に追い抜かれる、ということを続けてきたのです。

それで納得がいくでしょう。

なお、その『闇の権力』云々については、ベンジャミンフルフォード著の『闇の巻力に握りつぶされた人類を救う技術 現代編』に詳しいので読んでいただきたいです。

そこで自国ではモノづくりをしないで、日本に内需拡大を迫ったのです。

1985年9月におこなわれたプラザ合意において、日本は円高になったのです。

そして86年前川リポート(元日銀総裁の前川春雄による)において、5兆円規模の内需拡大を目標とさせられたのです。

その当時、私は幼少だったので全然記憶にはないですが、当時の総理大臣だった中曽根康弘がテレビCMに出演して、「アメリカの製品を買いましょう!」ということで、自らがアメリカのワイシャツを着るシーンを披露していたようですね。

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中曽根康弘

このことを知って、私は「科学的な知識を得ることは、知った人間がこういう具体的な行動をするためにあるんだなあ」と思った次第です。

その内需拡大においては、低金利政策大規模財政出動をされたようです。 その際に、株と土地にお金が集中して、バブルが発生したことは周知の通りですね。

しかしこの日本の内需拡大でアメリカの経済がたてなおったかといえばそうではなく、この年の数年前のレーガノミクスで、財政が赤字になり、そのために金融を引き締めたため、金利が上昇し諸外国のお金がアメリカに集中したのです。

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それで人件費が高騰し、生産拠点を海外へ移さざるを得なくなり、それでさらに輸入品が多くなり、さらにアメリカの赤字は増したのです。

ここに懸念が残ります。 国は、ひとたび豊かになるとモノを作らなくなるのでしょうか?

国が経済的に豊かになると、為替レートで換算した人件費が国際的に見て高くなるのです。

するとアメリカのように生産拠点を海外に移さざるを得なくなるのです。 そのことにこれからの日本も懸念を抱いていかなくてはならないでしょう。

「モノづくりは遅れた国がすべきもの」というような風潮ができてしまうこともなた懸念していかなくてはならないでしょう。

いかにも金融でお金を得ることが時代の最先端なんだみたいな風潮が広がってはならないですね。

また、飯田経夫氏は、低開発国の開発についても提言を呈しています。

高度工業化や産業化を達成できたのは、ヨーロッパ北西部プロテスタンティズム文化圏諸国や北アメリカ、日本、NIESという地球上のごく一部の国々だけであり、低開発国の離陸がいかに難しく困難な道のりであるかを説いています。

その開発援助は、「途上国の安定と発展が世界全体の平和と繁栄にとって不可欠である」とか、「日本がその国力に相応しい役割を果たすことが重要な使命である」という、ここだけ読むともっともらしい言説がまかり通っていたようですが、それにも苦言を呈していたのです。

やはり、こういうことは人類学や文化人類学のような学問を学ぶとわかりやすいのですが、経済発展のためには、毎日働かなくてはいけないわけですから気候が適切でなければなりません。

極端に暑かったり寒かったりしていては、働くことができません。

そしてモノが流通するわけですから、道が整備されていなくてはいけませんし、言語が統一されていなくてはいけません。

そのためには道路を国全体に整備し、言語を書けるように教育も普及されていなくてはいけません。

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もとより、モノを自国で作らなくてはいけないわけですから、そのための教育も行わなくてはいけないのは言うまでもないでしょう。

そういう経済発展のための条件を整えるためには、ものすごいお金と時間がかかるのは言うまでもありません。

日本が明治維新から、急激な経済発展を遂げれたのは、こういう条件が運よく整っていたからにほかなりません。 しかし、こういう条件のない第三国は、かなり難しいのは他言を待ちません。

でもそれはそれらの国の人々を貶すわけではないです。

しかし、その開発援助のためのお金は、その国の政府高官の懐に入ったり、ニーズを調べずに実施しているから何の役にも立っていなかったし、雨ざらしになっていたのが現状だったようです。

しかし、もとよりこういう経済発展への離陸は非常に難しいことであるのは先に書いた通りです。

やはりこういった面でも同様に、新聞や雑誌等での言説だけでは、その物事委の本質はわからないものです。

こういう飯田経夫氏のように明快に、事の内面を明らかにしている評論を読まなくては。

10年以上も前に読んだ本ですが、今も学ぶことが多くあり、しかも明快な筆致で書いているので何回も読み直したくなる内容です。

学者として、知識人としてあるべき姿を体現していたのがこの飯田経夫氏にほかなりません。 その姿勢を経済学の面で学びたい方は、この本をおススメします。

●この本は以下からどうぞ!

   ↓

日本経済の目標―「豊かさ」の先に生まれるものは

★その他、おススメ図書

ベンジャミンフルフォード著 『闇の巻力に握りつぶされた人類を救う技術 現代編』


飯田経夫 『経済学のおわり』

2020-04-21 11:15:05 | 経済論

 経済学のおわりとは、非常にきついタイトルですが、実際は経済学が終わるわけではなく、経済成長、その中でも高度な成長が終わるということですね。

この著者の飯田経夫氏は、ものがいきわたると人々はものがほしくなくなり、それゆえに購買意欲が鈍化し、経済成長が鈍化する、という趣旨の本を多数書いてきたのです。

ゆえに日本は90年代初めにバブルがはじけてなくても、いつかは必ず昨今のような低度な経済成長率になっていたことは間違いないでしょう。

この本の中で、スミス、マルクス、ケインズといった著名な経済学の学者を引き合いに出して、それぞれの学者の書いた本の意義を現代社会に照射して検討し、この先どうなるのか、日本は、あるいは世界は…という是非を論じるのですが、飯田氏の基本モラルに全面的に依拠すれば、それは悲観的に過ぎるというのがすぐにわかります。

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しかし、この本が書かれてから20年以上が経ってますが、様相は当時とは違っていますから、そんなに悲観的にはなるまいということがいえると思います。

当時はほんの少数の人しか使ってなかったインターネットは、今やだれもが使い、そしてそこでショッピングをして、そこで売ることもしているわけです。

そこで、当時においては、店に出向いて品を探して買う、なかったらほとんどの割合で諦めるほかなかったです。

しかし、今や検索機能を使っていけば、新品の自分の欲しい商品はもちろん、中古の品も入手できるようになったことは間違いないです。

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当時は、自分の欲しい商品は何か。

それはいくらか。

それはどこで入手可能か。

といったことを紙に書いて、しまっておかなくてはならなかったです。

しかも、その紙をなくしたらもうフィニッシュでした(笑)。

しかしネットがあれば、そんなこともないですし、当時は、通販サイトのパンフをずっとしまっておくか、紙やフロッピーディスクなどに書き留めておかなくては2度と注文できなかった地方の名品のお土産も、今は手軽に購入することができるようになりました。

しかし、そのようではないですし、購入の幅も、販売の幅も大きく広がったのは間違いないです。

当時と昨今の、ネットによる成長の幅は、どれだけなのかを研究した本があったら是非とも読みたいですね。

しかし、飯田氏の抱いていた危惧が、そのまま杞憂に終わったとは思えないし、心に留めておかないといけないことは間違いないです。

ネットが発達しても、やはり限界効用の危惧はあるわけです。

21世紀においても同じ人間ですから、買う回数が重なれば、欲しいものがいつしかほしがらなくなるのは目に見えているからです。

やはりそういった面を工面すると、資本主義がこの先に存続できるのかどうか、といった危惧を抱いて本を書いている学者は多くいます。

そういった趣旨の本は当時から書かれていたようですが、当時に書かれていた本をこの本の中で紹介も兼ねています。

しかも、今もそういった趣旨の本も出ています。

それらを読んでいきたいという思いが強くなっているのが正直なところです。

でもこれは楽観視すべきなのか、あるいは悲観視すべきなのか。

私はその両方の精神で行きたいと思います。

楽観的でないと精神を張って生きていくことはできないですし、かといって物事には暗の部分が必ず含まれているわけですから、それを認識していって対策を講じながら先に進まないことには、やはり危険なことに遭遇してしまうからですね。

バブル絶頂期に、儲かっていた企業がどんどん制作の機械を購入していったけれども、「必ずバブルははじける」ということを知識として知っていたゆえに、購入を少し控える、あるいは中止した。

それゆえに、バブルがはじけた後に、損失を被らないですんだ。 というようなシナリオが描けるということですね。

こういった知識を得て行動し、自分の人生を規定していくことが学問の大きな効用であるはずです。

やみくもに、言われたことだけ、自分が生活で得てきた知識だけで、生きていくのは非常に危険なことであることは間違いないです。

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やはり楽観と悲観の両方を携えていくことが重要でしょう。

どちらか一方だけというのは、私はいただけないのです。

飯田氏がこの本をだしてから20年が経ってますが、何とか普通に資本主義は存続していますし、活気は街中には溢れています。

80年代のようなバブル華やかなりしころの栄華は望めないけれども、それなりに良い生活は送れていることは間違いないでしょう。

ただ、ずっと永遠に続く流行というものは、バブル時代であろうと昨今であろうとないわけで、その流行を作り出すことには大いに経済的なポイントになるわけで、その流行を作り出した人に大きな報酬を受け取ってもらうという方式にならないといけないわけにはなっていくのは致し方ないでしょう。

しかしすでに満ち足りた現代人に満たされた昨今においては、やはりその流行のスピードは非常に早くなることは間違いないでしょう。

それを働き手の人たちも認識していかないといけないことは間違いないですね。

そういった事を踏まえると、やはり収入の格差は出てきてしまうのは自然の成り行きでしょうし、たとえ大きな収入を得ても、流行の永遠の存続などありえないのですから、そこは脳内に戒めておきながら、生活設計をしていかなくてはならないでしょう。

ネットで莫大な額を儲けながら、自分のサイトがGoogleから飛ばされて、一気に収入減になり、それまでタワーマンションに住んでいたにもかかわらず、すぐに退去せざるを得なくなった、というようなエピソードは枚挙にいとまがないのです。

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やはり高度成長の存続は難事ですし、それが自然な法則でしょう。

ですからその再来を望むのではなく、自分の人生を見直すことが最大限重要なことでしょうね。

しかし、高度成長がなくては、年金の受給が少額になってしまうのは致しかたないですね。

その現状を、踏まえて自分がどのような経済生活を営んでいくかということを考え、行動していくというスタンスが大事でしょう。

このような本を読む人というのは、単なる時間をつぶすというよりも、問題点を自分で探し、そこでどのようなことを自分がしていくべきかというようなスタンスが大事である、ということもわかっているのだと思いますので、そのような人が多く出てくるのを私は期待しているのです。

その際に、この飯田氏の本が1つの参考になるでしょう。

●興味を抱いた方は以下よりどうぞ!

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経済学の終わり―「豊かさ」のあとに来るもの (PHP新書)

 

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佐伯啓思 『ケインズの予言』

2020-04-19 23:39:16 | 経済論

この本は、ケインズ擁護の佐伯啓思氏が、いかにケインズを擁護するのか、そのケインズが今ではわきに追いやられているがその理由と歴史的経緯をつまびらかにし、現代経済の構造を明らかにしたうえで、ケインズの理論の部分的な正統性を書いているのです。

ケインズといえば、公共投資によって不況打開を目指しそれがかつては効果を大いに発揮したのですが、今では有効性が薄れていることを佐伯氏は認めているのです。

それがなぜなのかをつまびらかに提示したうえで、それでも有効性のあるということを他の学者が書いたところで、きっと多くの人は読まない可能性が高いですが、私はい奥深く物事を考えて、目の覚める議論をこれまで多々書いてきた佐伯氏だけに、読んでみようという気になって読んでみたのです。

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 佐伯啓思

やはり、説得力があるゆえに、最後まで短時日で読み終えてしまいました。

何故ケインズの理論が有効性を失ってしまったのでしょうか. それは金融の国際化によって、貨幣供給量を増やしても利子率の低下で資金が海外に容易に出て行ってしまうからだとしているのです。

それ以外にも、不況のあおりを受けて、財政を出動しても受けた人がお金を蓄えて使わなくなってしまった。

海外からの安い原材料費にお金をかけるようになってしまい、それで海外にお金が流れてしまうというようなことになっている、といったことが原因でしょうね。

まだいろいろあるでしょうが、それは他の本に譲りましょう。

ではその有効性が薄れている現代において、何故、佐伯氏ケインズを擁護するのでしょうか?

それは以下にみていきましょう。

どの時代でも、「こうなる!」と世界的に有名な学者が予言めいたことを言ったとしても、その通りに経済が形成されたことはないわけで、あれほど有名になったマルクスの言でも、地球の半分近くが、社会主義を採択しても、結局崩壊して今や社会主義を採択している国は5指以下なのです。

ですから、短期的な予想位しか人間の叡智は当たらないのです。

そのケインズの精神を維持すべきという佐伯氏の姿勢がいいと思ったら、それを真似てその支柱を据えながら、議論を考えに考えて提示する、あるいは自分の意見と同じくする人(学者、政治家、為政者、官僚)を支持するというスタンスが必要でしょう。

完全なる処方箋はないに等しいでしょう。

しかし、ケインズは物価水準の安定が大事であるとしたのでした。

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 ケインズ

そしてデフレを嫌ったのです。

反自由放任主義でありかつ、反グローバリズムでもありました。

対外投資、一部の投資家に利益になり、利子収入はイギリスに還流するが利子生活者だけを潤す。

「金融は国内的なもの」としたモットーであったケインズとは真っ向から反対していたのですね、当時のイギリスは。

工業製品が人々にいきわたるようになると、そういった消費財よりも、住宅、個人サービス、地方の快適さを求めるようになる。

ケインズは企業の投資を市場経済の安定のカギであるとしたのです。

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期待収益率が市場利子率と等しくなるまで進められるのです。

市場の状態、消費者の好み、流行の動向、政治体制、国際関係…etcこういったものに投資においては規制されるのです。

ゆえに自発的な楽観=アニマルスピリットが必要であるとしているのです。

全投資家に期待するのは無理、ゆえに政治的なエリートに期待していたのです。

投資は非常にリスキーなものです。

資本を流動化し、利益を受け取る権利を金融商品として流動化すれば、さしたるリスクを負わずに多くの者が資金提供できるようになる。

これが証券ですね。

企業の業績や内情にさしたる関心のない人が、流動化する証券が生み出す利益を求めて金融市場に参入してくるの。

重化学工業をベースにする産業社会の展開はこれなくしては成り立ちえなかったのです。

日々の評価が今期の投資に影響を与えるようになっているのは周知の事実です。

長期の適格な予測などだれにも不可能なのです。

短期に次々と持ち手を変えることのできる流動資産に資金を投資した方がはるかに安全で簡便です。

投資市場の組織か大衆の登場によって半ば必然的に企業を投機の中に投げ込んでしまうのです。

資産から発生する所有の源泉を奪い取り、資産デフレをもたらして消費を減退させ、また有効需要を減退させ、経済を不況に突き落とすのです。

所有と経営の分離した現代の資本主義下においては、金融市場は生産とは無関係に自立してしまうのです。

貨幣は、コントロール不能なほど浮遊してしまう。

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貨幣をつなぎとめるものは、貨幣量のコントロールを通じて投資に刺激を与えて失業を解消するのです。

それが経済全体の安定化につながるのです。

国際金融市場は、国内の金融当局の管理とは無関係に動き、それが国内金融市場とつながってしまったのです。

90年代後半のアジア、ロシア、アメリカの株価暴落は国際短期資本がもたらしたものですね。

ある程度、予期可能変動が生じる場合にはヘッジファンドのような短期ある程度、確実な利益を生むことが出きる。

ある資本が、一定の方向に動き、それに続いて多くの資本が同方向に動き、それに続いて得られる収益を求めて、あるいは損失を回避するために動く場合も利益を得れるのですね。

このようにケインズが存命中の経済理論と現代ではかなり様相が違ってきているのですね。

ゆえにケインズが有効とした財政出動も有効性を失っているのです。

貨幣供給量を増やしても、利子率の低下で資金が海外へ流れてしまうのですね。

であるならば、資本を国内の金融市場に呼び込み、株式市場の活況をもたらし、企業のファイナンスを容易にして、新事業の機会を拡大するのがいいということですね。

やはり先行きは誰も見通すことなどできないのですから、今一番有効と思われる政策を考え、また有効と思われるものが出たら、それを支持していくというスタンスが大事でしょうね。

自分が住む社会の行方は何も為政者たち、政治的エリートにだけ委ねるべきものではないのですから、市民たるものが自分が良い方向と思えるものを模索して、いろいろ情報を集めたうえで、その方向が良いとおもったらその方向を支持するのがいいでしょう。

このような本を読むこともまたそのときに、いい情報を得ることができるのは必至です。

金融は国内的なものであるとしたケインズのスタンスは非常に手本になることは間違いないでしょう。

短期的な利潤を求めて、トレード的に入金して、儲かる瞬間を射止めて市場からさっさと退場する、というのでもいいですが、きちっとものづくりをして、着実な製品を作っている会社にこそ投資すべき対象であるということが、この本でもわかったはずです。

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日本は世界に冠たるモノづくり大国であることは周知の事実です。

このような社会的な気風を失ってしまわないようにしなければいけません。

またそのような国に生まれたことを誇りに思えた瞬間でもありました。

そのような企業に投資することで更に、国の世間的な株が上がることは必至です。

その投資は、今やだれにでもできるようになったのでした。

それゆえに、その自分がいいと思った企業に投資することもまた社会貢献になることは間違いないでしょう。

そういった行動につなげることもまた科学の本を読むことの意義なのですね。

そんな行動の促しを期待しているのです。

●この本は以下よりどうぞ。

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ケインズの予言 幻想のグローバル資本主義(下) PHP新書

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※参考ページ

佐伯啓思 『アダム.スミスの誤算』

http://hair-up3times.seesaa.net/article/474626068.html?1587118718


佐伯啓思 『アダム.スミスの誤算』

2020-04-17 18:06:00 | 経済論

本の内容は学術的なものであろうと、宗教であろうが必ず誤解を生んでしまう、という弊が存在するということが、これまでの読書でわかりました。

創価学会と日蓮正宗は、ともに鎌倉時代の日蓮という僧侶が起こした教えを奉じる宗教ですが、現在においてもその教えの解釈や価値観の違いをめぐって、互いに批判しあっていますが、それはどちらでもいいでしょう、というのが私のスタンスですね。

日蓮という人がいった事の内容の全部が、今でも有用性があるかどうかは疑問ですし、よしんばあっても部分的にでしょうから、全部を受け入れられるものではないことは明らかです。

日蓮上人がこういった、いってないという内容の是非をめぐっての対立でも、その上人が残した文章の量は膨大なもので、それをいちいち確認するのは非常に骨の折れることでしょうし不可能でしょう。

それに先に書いたように、上人が言った内容が全部、承認すべきことでないのですから、そこは自分の脳内で吟味して、自分がいいと思う部分は受け入れて、そうでない部分については捨てるしかないのです。

そういうスタンスですから、私は1つの宗教だけに拘泥することはできないのです。 人の遺した文章に誤解が付きまとうのは必然でしょう。

同じ文章でも、いろんな解釈が成り立ちますから。

ゆえに、宗教の創始者の遺した文章には誤解が生じるのも必然でしょう。

ことは学者のいったことも同様なのです。

アダム.スミスの残した本の内容を佐伯啓思氏はこの書物で取り上げて、その内容を書いています。

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    佐伯啓思

 

アダムスミスの実際に本の中で展開している議論と、最近の学者や為政者たちの解釈とが違っているということがわかりました。

その誤解を佐伯氏はただしたかったのでしょうし、それ故にこの本を書いたのだと思います。

まあ、アダム.スミス以外にも誤解されている学者は大勢いるでしょうし、その誤解を解くためにも研究者の必要性があるわけですね。

そのアダム.スミスに対する誤解を解くための書物を出した佐伯氏には敬意を払うのにやぶさかではないですね。

その試みのみならず、この本を読むことで現代におけるアダム.スミスへの現代の誤解を解くことができたのみならず、再度、佐伯氏の知見の奥深さ、自身特有の分析枠組みを垣間見ることができて楽しい読書の時間が持てました。

その内容を以下議論して行きます。

セルフインタレスト(利己心)を人間の自然な性向として市場経済の果たす役割としてスミスが重要視したことは有名ですね。

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アダム.スミス

 

これを“神の見えざる手”といわれるものですね。

ただメカニズムで動いている世界とみる現代経済の市場理解とスミスのそれとは違うのですね。

スミスの生きた時代には、「私益の追求だけで良い」としたマンデヴィルと、「社会秩序に基礎を与えるのはあくまで道徳」としたハチソンがいました。

スミスは、内面の法廷は監視し、世間の評判を超えた絶対的な基準の根拠を神の見えざる手としたのです。

ですから、後者に傾いているように見えますが、人によって評価は違ってくるでしょうが、私は折衷とみているのです。

近代の入り口において、情報社会は到来したのでした。

ことを演劇に見ますと、これは演劇は貴族の余興から、パンフや情報により批評の流通回路の大衆化したのです。

コマーシャリズム、コンシューマリズム、ジャーナリズムがやってきたということですね。

目新しい情報が頻繁に起こるようになったのですね。

貨幣やぜいたく品、これら物品の周辺に顕示されていたのですね。

これらを面前にさらけ出すことによって「自分は貧乏ではない」ということをアピールしていたのです。

この時代には、公共的な注目の的は富裕な人々が担っていたということです。

スミスは、徳と富に支えられた社会的秩序の形成を期待していたのです。

この両方を備えているのは、上流階級のモデルに期待していたのですが、上流階級は貨幣的な利益に手を染めて、ぜいたく品の消費にいそしんでいて期待できなかった。

だからといって、中立的観察者は両方がないからダメだとしていたのです。 ではどうすればいいか、それを以下に見ていきましょう。

スミスの生きた時代のイギリスは、まさに重商主義の時代でした。

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その重商主義の基本命題は、「富は貨幣なり」ということでした。

しかしスミスは、富の源泉はあくまでも労働生産物であって貨幣ではないとしたのでした。

貨幣によって買われるものこそが富だからであるというのが根拠でした。

貨幣の価値は、他の商品との相対的な関係によって常に揺らいでいるのです。

日々、変動する商品の名目価値が生じているのです。

貨幣が自由に流通し、商品の相対性だけからなる不確かな市場経済を土地と労働に基礎をもつ確かな経済に結び付けるにはどうすればいいかを考えていたのです。

それは金山や銀山の偶発的な事情だけではないのです。 人為的に変動させられることが問題なのです。

当時のイギリスは、中国などから綿花、砂糖、たばこ、キャラコ、香辛料、茶などを輸入する必要があったのです。

そのためにイギリスは、当時の国際決済通貨であった地金を手に入れる必要があったのです。 また商業的な利益を得る必要があったのです。

そのために、重商主義の必要性があったのです。 そのために、1689年イギリスは長期国債を発行しました。

まさに借金生活ですね。

それのみか、マーチャントバンカーの成長、為替手形の流通、株式取引の進展、保険市場と証券市場の成長…こういった事がバブルを引き起こしたのは言うまでもないことです。

信用貨幣と公債を頼りに生きる新たな経済人の登場したのですね。

1688年に名誉革命が起きました。 これは大地主階級と新たな商業階級の政治的妥協といっていいでしょう。

18世紀は、君主と貴族の和解が成立しましたが、これは大商業と銀行が介在して可能になりました。

これまで、財産の価値観が変わったのです。

最大の価値あるものであった土地から貨幣や公債にシフトしたのです。 土地は、自ら守る必要のあるものでかつ承認を得なくてはいけないものです。

その際の「徳」を人々の前に現し、評判を得なくてはならない性質のものです。

しかし、貨幣や公債は浮遊する人間関係を宮廷の周りに組織する社交界が浮き彫りになります。

こうした場所における作法が大事になったのです。

しかしスミスは、信用貨幣と公債を頼りに生きる新たな経済人の活動を嫌っていました。

そうではなく、高貴な目的に向けられた偉大な行為をなしうる人たちを理想と考えていたのですね。

知力や武勇、義務感、慈愛などが最高の慎慮であり最高のであるということですね。

社会の評判によって信用が生み出され、流通してしまう世界は、「浮遊する記号」の世界であるとしています。

実体的な生産に基づいた確実な利益が貨幣の流通を規定するということですね。

ゆえに、銀行が過剰紙幣を発行するのに危惧を抱いていたのです。 過剰な行動は、君主によって制限すべきであるということですね。

もとより貿易は、国内生産が十分に行われてから、その後に余剰が出てからすべきであるということになりますね。

重商主義は全くの逆であったのです。

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独占的な商人を生み出したのは、金融と貿易商業と政府の結合であるということです。

これでは、国民経済を不安定にして、不確かな富の観念に譲り渡してしまう。

そして国家の根幹を不確かな貨幣的な利害においてしまうということで批判的なのですスミスは。

技術や製造業が進歩すると人々は好戦的でなくなりその富を他国を挑発してしまうのです。

そのために軍隊が必要であるとしているのです。

しかし国家を富ませるのも必要であるとすれば、部分的に戦士であり、部分的に政治家であり、自分たちの統治者に対して優れた観察者であることが重要である、ということですね。

非常に慧眼な論者であったということを知らされますね。 人民の中に武勇の精神や公共心があるのがいいということです。

やはり放っておけば、そういった精神は忘れ去られてしまうので、教育が必要であるということです。

これも目の覚める議論ではあります。

そういった面が教育にはあるのですから、やはり国民がそういう精神を維持しなくてはなりませんね。

そのための教育なのです。

それを忘れてはならないのです。

私が大学にが入ったときにいろんなサークルに勧誘されましたが、そのときに男性学生から「大学なんて遊び場ですよ遊び場!」なんて言っていたのを思い出しますが、これはトンでもないことなのです(笑)

やはり、スミスが自由放任の先駆者であるということで、そこの部分だけが協調されてしまい、反規制論者のように言われがちであるということですが、この本を読むとそうではないことがわかります。

そうではなく、国民経済をしっかりと基盤に据えたうえで、貿易なり金融なりを展開していくべきであるということがよくわかりました。

その際に基軸となるのが労働ということですね。

そこから出される製造業、モノづくりでいまだ大国である日本は、非常にスミスの模範としていた国民に相当しているということで私は自分の国を誇りに思えたものです。

単なるモノづくり大国であるというのみならず、道徳心にも非常にモラルの高い国民であることも他の本でまま知りました。

しかし、日本にも犯罪を犯してなんとも思わない人種はいるわけで、そのまま油断はできないですが…(笑) しかし、国民経済をないがしろにして金融に走るのはよくないことはわかりました。

かといってこれからの時代は、ただよく働いてお金をためて、年金を払い、老後は万全ということではなくなったのは周知の事実です。

ではどうするか、という疑問を持ちますが、そこで誰もが眼が行きやすいのが株やFXや仮想通貨などの金融でしょう。

老後は年金だけでは暮らせないから2000万円を用意しろということが盛んに言われたときに、単に金融に走ることだけではよくないということですね。

それでは、経済を不安定にするからですね。

政府の国民への要求とは矛盾しますが(笑)、やはりそこは社会のために、自分が貢献するんだという気概を持ちながら、自分が損しないように運用をしていくことが大事でしょう。

そんなちょっと危険だけれども、冒険心のある投資家が必要なのでしょう。

この本の副題は「幻想のグローバル資本主義ということですが、そのでは、ケインズを扱っています。

意外ですが、スミスケインズは論旨の中心が軌を一にしているのですね。

その⑵については別のページで扱おうと思ってます。

まずはこの本を以下に紹介したいです。

●以下よりどうぞ!

 

アダム・スミスの誤算 (PHP新書―幻想のグローバル資本主義 (078))

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その他、佐伯啓思氏の本について紹介したページは以下です!

   ↓

『成長経済の終焉』

http://hair-up3times.seesaa.net/article/474439818.html?1586183374

『経済成長主義への訣別』

http://hair-up3times.seesaa.net/article/451864238.html?1503236769

『さらば民主主義』

http://hair-up3times.seesaa.net/article/450978583.html?1497756698

『反.幸福論』

http://hair-up3times.seesaa.net/article/428518819.html?1445833705

『経済学の犯罪』

http://hair-up3times.seesaa.net/article/426540927.html?1442938996

『西田幾多郎』

http://hair-up3times.seesaa.net/article/409858456.html?1442739330

『従属国家論』

http://hair-up3times.seesaa.net/article/421835004.html?1442739703

『科学技術と知の精神文化』

http://hair-up3times.seesaa.net/article/418149998.html?1442739935

『正義の偽装』

http://hair-up3times.seesaa.net/article/396634159.html?1442740341

『貨幣と欲望』

http://hair-up3times.seesaa.net/article/375345171.html?1442740615

『日本の宿命』

http://hair-up3times.seesaa.net/article/356624758.html?1442740994

『自由と民主主義をもうやめる』

http://hair-up3times.seesaa.net/article/428055433.html?1445761232


佐伯啓思 『成長経済の終焉』

2020-04-06 23:26:57 | 経済論

この本は2003年に出された思い出深い本で、この本のわかりやすさと明晰さにほれ込んで、喫茶店でコーヒーを飲みながら一気に2日で読んでしまったことが思い起されます。

コーヒーをたしなみながら読書…これほど贅沢な時間を過ごせる趣味はないですね。

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これは集中力のあるなしも大事ですが、その本を書いた人が非常に素晴らしいのであって、読んでいる私が凄いのではないのですね。

よく休日に4~5時間も読書で過ごすことがありますが、それはどの本でも可能かというとそんなことはなくて、引用ばかりの本やしょうもないことしか書いていない本はすぐに萎えて、終わってしまいます。

そして売ってしまいます。

しかし、こと佐伯啓思氏の本に限ってはそんなことは一切なく、氏のどの本をも読むとついつい2時間以上は読み進めてしまいます。

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   佐伯啓思 そして本棚にしまって、またいつしか読んでしまうのですね。

って、前置きが長くなりましたが(笑)、この本も非常に瞠目すべき内容の本ですね。

90年代の初頭にバブルがはじけて、不況に突入した日本ですが、80年代のような繁栄の時代が再来することなく、2000年になりましたが、それはやはりどの国の経済でも不可避の自態だったのですね。

やはり、物が蔓延すれば、誰しも物が不足していた時代のように買わなくなる、それを必然のものとして是認して、経済政策を練っていかなくてはならないのですね。

その内容にやはり慧眼なものを感じましたし、これからの経済政策を模索していくときに大事な考えであり、政策に携わる者だけでなく、一般の国民もそういう経済政策を推す議員なり、官僚を推すというスタンスが必要でしょうし、また自分が社会に対して行動するにも参考になるでしょう。

ただ単に、書いてあることを学ぶだけでなく、その内容を一般的な生活においても脳内にインプットしていかなくてはならないのですね。

どの佐伯氏の本でも、貫かれているのはケインズの立場の養護ですね。

公共事業は景気対策では、昔は効果的であったが、今はもう効果がない、として退けられていますが、そうではないというのが佐伯氏の立場ですね。

その学者の書いた内容というのは、やはり完璧に理解して伝えられることは難しいのですね、というか不可能事でしょう。

膨大な書物であればあるほど、その内容を簡略化して人に伝えなくてはならないのは必然です。

しかしそれゆえに、間違った内容になって伝わってしまう危険性は往々にしてあります。 その例としてケインズを佐伯氏は挙げているのです。

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  ケインズ

いな、ケインズのみならず、簡略化して伝えることになるのはどの学者でも同様ですから、ケインズだけではなくいろんな学者がそういう危険性をはらんでいるといえましょう。

その他、佐伯氏はその例として、アダム.スミスの例を他の本で書いています。

そのケインズの誤った認識をただすことによって、現代の経済の処方箋を見事に描いている実に見事な本であるといわざるを得なかったのですね。

小泉構造改革内閣においてなされたことの批判は、森永卓郎氏によってなされたことですが、効率の悪い企業や労働者を市場から撤退させ、経済の担い手を、生産性の高い企業に集中させる。

そうすれば、経済全体としての効率が高まり、同時に弱い企業や労働者が作り出していた供給量が削減されるので、需要がバランスして、デフレから脱却できると考えた。 そして公共事業を削りました。 そして不良債権処理を進めて不振企業を破綻させる。

その結果、効率の良い大企業が跋扈するということになったのでしょう。

その結果については、人によって違ってくると思いますが、その内容の吟味を佐伯氏はしているのです。

やはり、不況時の処方箋は、やはり国による投資なのですね。

その代表的なものは、公共事業でしょう。

しかし、それが近年効果を発揮しなくなってしまったのです。

その理由は、もう買いたいものがないがために、消費に回されるよりも貯蓄に回されるようになったこと。

建設の材料が海外に頼るようになったがために海外に漏出してしまうようになったこと。 モノづくりよりも、サービス、情報、ソフトウェアの生産の総額のほうが上回っている、ということですね。

ゆえに、ケインズの理論は通用しないという固定観念になってしまったようです。

しかし、ミルトン.フリードマン『価格と賃金が変化すれば自動的に失業は解消される』という論でした。

それに日本の為政者たちは影響を受けて変えようとはしないのですね。

しかしインフレになったにもかかわらず、ニクソン時代に貧困率が12%だったにも関わらず、レーガン時代には15%も上がってしまったのです。

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日本も同様に、そのように貧困率が上がっていきました。

では、ケインズの理念は?」という論が出てもおかしくはなかったですが、遡上にのることはなかったのです。

やはり、政府の高官たちが、フリードマンたちの影響を受けて、それを吟味しようとはしないがゆえに、ケインズの理論を俎上に上がらせないのですね。

しかし、ケインズの理論が今も有効性ありとしても、社会の様相は変わっており、70年代や80年代に施した投資をそのまま踏襲してもだめのは言うまでもないでしょう。

そこで佐伯氏は、内容の見直しが必要であるとしているのです。

やはり90年代においても景気を支えたのは公共投資であるからです。

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しかし、その経済的な立場は、サプライサイドとディマンドサイドの両方があるのですが、そのどちらが有効か、そして処すべきかということの話題については、やはりハイブリッドでしていくのが有効のようです。

それは、両方とも永久的に有効ということはないからですね。

佐伯氏は、長期的にはサプライサイド、短期的にはディマンドサイドの処方が必要であるとしているのです。

90年代の反省からして、民間投資は消費支出を充分に誘発できなかったからですね。

こういった佐伯氏の姿勢をみると、その吟味の深さをみることができますね。

佐伯氏の奥の深さをみると、かなりの読書家という印象を受けますが、実際はそんなに読んでいないのだといいます。

中学や高校の時代は国語の授業が億劫で仕方なかったといいます。

しかし、知識人たるもの、考えを深くしないといけないのはいうまでもないですね。

考えることを避ける学者は、読書をすることで紛らわすということをショーペンハウエルが批判していたのを思い出します。

佐伯氏は読書がいやな分、考えを深くしていったようですね。

しかし考えは、いろんな知識があってこそ可能になるのですから、一度読んで記憶になったものは、ものを書く際にすぐに思い起こされるのでしょう佐伯氏は。

そんな脳であるからこそ、東京大学に行けたのでしょう。

私などは、今日帰宅してするべきことすら忘れてしまうので、スマホに書いて、帰宅してからそれをみて、行動に移すということをしているのです。

佐伯氏とはえらい違いですね(笑)

佐伯氏によれは、企業投資は2つの重要な点があり、1つは、利子率や株式市場の状況や銀行との関係が大事であるとしているのです。

そして2つは、将来の収益を期待して事業を開拓しようとする精神が大事であるとしているのです。

後者をケインズは重視したのです。

将来への不安や景気悪化は長期的な設備投資や研究開発に向けるのが恐ろしくなって控えるようになるのは必然ですね。

すると、短期の金融利得にどの企業も向かったのです。

ヘッジファンドなどに向けたのですね。 市場経済下においては、ヘッジファンドや国際短期資本といったものは世界経済を時に不安定化させるのです。

気まぐれな資本移動を排除することが、経済政策に摂って大事ということだったのですねケインズには。

こういった吟味もしている佐伯氏は見事ですね。

こういう論の引き出しは、今の経済下でも有効ですからね。

ですが、こういう長期的なことは、民間にゆだねているのでは期待しがたいことですね。

であるから政府がすることが大事なのは言うまでもないですが、お金を持っている人はこういうことをしたらどうか、ということを考えざるを得なかったですね。

やはり本というのは、読んだ人へ行動を促している面も当然存在しているのですから。

ケインズへの批判は、こういった公共投資の際に、強いエリート官僚の適切な判断力と強い権限を前提しているゆえに、エリート主義であるということですし、そのようにエリートが必ずしも適切な行動をとるかどうかは保証の限りではないのですね。

また、政と官の癒着が生み出した利権構造的な民主制への批判であったのですね。

その通りでしょう。

その批判をしたい人の気持ちはわかりますが、その批判をしても、それに替わるやり方を提示しなければ、批判だけしても意味がないのですね。

ですから批判の気持ちはわかりますが、それでも次作の案を出さないことには、意味がないということを覚えといてほしいものです。

その公共投資ですが、単に橋を作る、道路を作るといった事ではなく、都市の美観の整備、田園のアメニティ、住宅の政策に向けるべきというのがケインズの理論であったようですね。

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こうった投資を中心にして国つくり、地域づくり、街づくりをすべしというのですね。

このような内容を読書嫌いの佐伯氏は(笑)きちんと覚えていた、あるいはおぼろげながら記憶しておいて、この本を書く際に、ケインズの本を引っ張り出して確認したのでしょうね。 こういったところはさすがと思わざるを得ないですね。

官から民ではなく、官と民の協調が必要であるということですね。

やはり、民にしかわからないこともあるのですから、その民の立場も理解しなくては政治として望ましいことではないですから、やはりそういう姿勢が大事でしょう。

今日の経済は、グローバル競争の下で、生産性をめぐるかつてない競争が生じ、それは国境を越えたコスト競争を引き起こし、豊かさの実現は先進国全体を通じた過剰生産力をもたらし、充分に伸びない消費需要のもとで、ひたすら生産性を高める競争を生み出しているのです。

ですから、そういった過剰生産ではなく、ゆたかな環境、親密なケア、ゆったりとした時間、他人や家族とともに過ごす社交…こういったものに意識を向けていくべきであるというのですね。

やはり、こういった意識変革は、時間をかけて脳内を変えていくことが大事ですね。

このような社会への視覚には、ピンとくるものがありますね。

しかし問題なのは、このような社会を目指すのは良いが、実際に国の借金がなくならないように移行可能なのかどうか、といった吟味は大事でしょう。

それはまだ実現されていないのでまだ検証の仕様がないのですから。

90年初頭にバブルがはじけて、不況に突入し、そのまま景気の持ちあがりはあったものの、80年代のような景気の桜花はできなかったものの、それは一度経済的に発展してしまった国には必然的に起こる事象なのですから悲観することはないでしょう。

このような本を読むことで、自分が日常生活ですべきことが見えてくるものです。

このような時代にどのようなライフスタイルを築くか、といった私的な感情を優先するのは結構でしょう。

しかしそれだけではなく、世の中がよくなる、良き方向に向かわせるためにはどのようなことをすべきか、といったことを考えなくてはならないでしょう。

そういった多面的な示唆を、いろんな本を読むことで得られるわけですから、いろんな人が多く出てくれることを私は望んでいるのです。

●この本は以下よりどうぞ!

  ↓

成長経済の終焉―資本主義の限界と「豊かさ」の再定義 (Kei books)

 

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その他、佐伯啓思の本のおすすめ

  ↓

『経済成長主義への訣別』

http://hair-up3times.seesaa.net/article/451864238.html?1503236769

 

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