この著者の谷沢永一さんとは衝撃的な出会いでした。
私の家の近くにある中古本屋さんの店頭に「自由にお持ちください」と書いてあるコーナーがあって、そこにあるのは無料でもっていっていいようなので、この人の某本を貰っていきました。
するとその本を読んだらどうでしょう…非常に慧眼で、人の気が付かないことだけれども、非常に示唆に富んだことを書いてくれているので、一気にこの人に関心がわきました。
いつしか、この人の書いた本を新品で買って読みたい衝動にかられたのを覚えています。
そしてネットで検索をかけて買ったのがこの本になります。 読んでやはりこの人の脳は凄いと思いました。
この人は歴史が専門ですが、その領域にとどまらず、いろんなジャンルの学問に長けているのがわかります。
知識人としてあるべき姿を体現しているのがわかりますし、そういう人だからこそ読みたいなと思えるのです。
谷沢氏曰く、「歴史通になるという修練には現代がみえてくるという効能がある」ということですね。
歴史とは、人類の行為の総体の結果ですから、それを深く見ていく、観察していくことで、やはり現代が見えてくるのは当然でしょうね。 やはり人類の行動様式には共通するものがあるわけですから、その歴史を深く観察することで、やはり現代のことがわかる、ということですね。
私は大学受験の際に、日本史を第三科目として選択しましたが、その時買った日本史の参考書の冒頭には、「現代を知るためにはやはり歴史を学ぶ必要がある」といった旨の言葉が書いてありましたが、そこで「どうして?」という疑問がわいてきましたが、受験のために暗記するのに忙しくその検証をしている時間もなく時間が過ぎてしまいましたが(笑)、そういう理由も歴史をまなぶ1つの効用だったのですね。
ただ受験勉強のように年表を暗記するのではなく、個々の事例を詳らかに観察していって、そこで人間の行くべき道、人間として人道上選ぶべき道を選択し行動するというスタンスが重要なのは言うまでもありません。
日本史や世界史の受験勉強によって、こういった事についてアレルギーになっている人からすれば(私もその1人ですが.笑)「うえっ、また暗記?」と思うでしょうが、そういった暗記をすることではなく、個々の事例からエッセンスをあぶりだす作業ですから拒絶反応はする必要は全くありません(笑)。
楽しんで、この本を読んでほしいとおもいます。
そして谷沢氏がいうに、「歴史通になれば、博学博識になり、連想力が豊かになる」ということも書いています。
いろんな人間の行動の結果が現代ですから、その行動様式をいくらでも学べば、連想力が豊かになる、ということですね。
また、歴史にしろ他の科学、経済学、法学、政治学といったものを学ぶのは、単なる知識を得るのみならず、現代の社会をよくするためにあるのですから、現代への問いかけがないとやはり学んでもしょうがないでしょう。
谷沢氏曰く「現代に対する問いかけがあるからこそ、歴史の勘所がわかるのである」「歴史通になることは、現代を知ることであると同時に、現代を知ることが歴史通になるということである。」ということですね。 全くのどうかんですね。
やはり学校で学んだ歴史にしろ、やはり人間が資料を基に出した結果であって、本当の歴史など導きだせる性質のものではないのですね。
私の小学校の6年生時代のクラスの人、毎日先生から日記を課されていました。
その時、私は、クラスにいたガキ大将について書いた思い出があります。
その回数はたかだか2~3回と記憶してましたが、その日記のファイルを今見ると、20回以上も書いていたのが判明しました(笑)。
自分のことですら正確な記憶などできないのですから、歴史上に出てくる人物の正確な記録など不可能に決まっています。
アレクサンダーは何故、インドの端まで遠征したか、をいくら議論したところで疑問は残るのです。
それをやむを得ないと考えて、比較的真実に近い線を探っていくことが大事なのだといいますね谷沢氏は。 「これは知識や学問の問題ではなく感覚の問題である」といいます。
そういう連想を重ねることで、比較さもありなんというなりゆきがわかってくるのです。
また興味深い事例を引き合いに出していますが、松沢静山は、田沼意次に頼み事をしてあっさり断られているので、松沢氏は、それを恨みに思い、田沼が賄賂をしたといった事をでっちあげて書きまくったようですね。
歴史の教科書で田沼が賄賂を受け取ったといった事を学んだ人も多いかと思いますが、そんな事実はないというのが、真実のようですね。
これには、私も驚き目が覚めました。
このような史実の真偽があいまいなことはいっぱいあるのです。
先にも書きましたように、私個人の歴史ですら正確な記述などできた話ではないのですから、正確性を期待すること自体がおかしいということですね。
おそらく、こういうことだったんだろうという留保をつけたまま、正確性を目指しながら、完璧な正確性を喫することはできない、こんなスタンスでいいのではないでしょうか?
そうすれば、歴史に関する本を読むと楽しくなるのではないでしょうか。
どんな事件も、どんな出来事でも、それを伝える人の性格と好き嫌いで書かれ方が違ってくる、ということですが本当にその通りですね。
神に誓って一生懸命にしているのに、一向に褒めてくれない、認めてくれないひとがどの職場にもいますが、その反面、そのことを褒めてくれる人もいますから、その時は安心しますね。
「きちんと褒めてくれる人がいるから自分は気張っていていいんだ!」と自分をほめていいんですね、その時は。
ただし、その職場の誰もがみとめてくれなかったらその時は問題ですけれども(笑)
どんな事件も、どんな出来事でも賛否両論ありますから、その両者の意見をきいてみる、あるいはその事件や出来事について書いた両者の本を読むとやはり興味がそそられて面白いですね。
そうやっていくとどんどんお金がなくなっていきますね(笑) 小学校や中学校時代は、だれだれが良くないといったうわさを聞き、それを吟味しないで、その噂にあがった人を鵜呑みにして忌避したりする時期があるのは、誰しも仕方ないですが、それ以降は、自分の目と耳で判断してから評価を降すようにしましょう。
だいたい、そんなことはわかっているとおもわれがちですが、その団体に入ると、その団体のしていることは誰しも無批判になってしまうのですね。
殊に、宗教団体に入ると、その団体のしていることには無批判になってしまうのが人間の悲しいさがですね。
そうならないように注意しましょう。
また興味深いことが書かれていますが、
「『平家物語』はがあったから、それ以降の日本の権力者はあまり驕らなくなった。
驕り昂った末に没落していった平家を教訓にしたのである。
その意味で、『平家物語』は日本の政治のありかたを作っている。
こうした美しい物語から、人情話、復讐劇、教訓まで全部入れたものが『平家物語』なのである。
『平家物語』の中身がすべて嘘でも構うまい。
それでも、これだけ人を感動させる話をつくった者を私は偉いと思う。」
ということですね。
単なる歴史の年表を暗記することに陥ってしまった日本の教育界ですが、それはやはり多くの人が大学に行きたくなる現代においては、やはり歴史の内容の吟味や、そこから教訓を得るといった作業よりも、そういった暗記科目になってしまうのは不可避であるとしても、もう一度歴史を学ぶ意義を思い出してもらいたいものですね。
いろんな国の歴史を学んでいくと、我が国では信仰に固執して激発し、衝突する闘争意欲が諸外国の宗教に比べてないという事実がわかります。
それが、神仏習合ですが、その内容についてはこの本を読んでいただくとわかりますし、非常に興味深いですね。
このように博学になるためには、歴史のみならず、いろんな分野について関心の赴くまま本や雑誌を読み、人の話をきいていろんなことを学ぼうという気概がなければ難しいのは明白ですね。
そういうスタンスを谷沢氏も勧めています。
ただ闇雲に勉強しても仕方ないですから、1つの専門を基軸としながら、いろんなことを勉強していく、雑学し、濫読していくというスタンスが望ましいでしょうね。
そうでなければただの雑学者ですからね(笑)
そのように知識人として望ましいスタンスを維持している谷沢氏の魅力の一端を垣間見れる本ですし、同時に人生の愉しみ方を教えてくれるので、この本は非常におすすめですね。
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