西尾幹二 『自由の悲劇』

2015-11-29 23:29:43 | 現代社会

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この本は、1990年に世に出されたものですが、現代においても学ぶべき教訓があるとおもわれたので、このブログに出させてもらいました。  

 1990年前後、社会主義諸国の経済がどうにもたちゆかなくなり、この諸国は社会主義をすて、どの国も資本主義市場経済に移行した。

 第二次大戦後、社会主義は地上に楽園を建設するバラ色の社会を築くというドグマのもと、それを信じて疑わなかった知識人が、日本でも少なからずいましたが、70年代のなかごろから、社会主義諸国における自由の抑圧、人権無視、個人崇拝が明らかになっていったのである。

 それが、社会主義諸国の国民から反乱をうけて爆発したのが、90年における社会主義の崩壊であったのだ。  

これらの国の国民は、これから資本主義国のような「自由」-情報の自由、市場経済の自由、移動の自由、政治参加の自由を必死に求めているのだ。  

 しかし、彼らが求め、勝ち取っていこうとしている資本主義における自由はどんなものかを俯瞰してみる。

 現代の資本主義諸国では、  

政府批判の言葉が好き勝手に言われているために批判効果が薄れてしまっている。  

大自然を映し出す映像から微生物の図まで映像で流されているかと思えば、ポルノやホラー映像まで流されている。  

映像のみならずあらゆる領域で自由が氾濫し、何を選択したら良いかわからない情報過多社会である。  

おまけに、末端消費財は溢れかえっている。


 これは、フロムが規定した「何々からの自由」が果てしなくひろがった結果である。

 直接的に拘束し、抑圧するものは、今は何もない。その挙句、個人のいき方は確かになるどころか、ますます頼りなく、偶然に支配されるような傾向が増えていく。  

このような現代社会において、意図的に自分を閉ざす、すなわち自閉症状をあえて演出する以外にわれわれは何かの仕事をなしとげることはできない、敢えて意図的に小さなワクを作っているのであると西尾氏は分析しています。 

 また、現代の文明社会において、人間が自然とともに生きていれば必ず遭遇する生理的な痛みや辛さといったものが生活の中から排除されるようになっている。    

例えば、交通事故、テロ、内乱、異常犯罪、これらの痛みや辛さといったものは、実際に遭遇したものでないとわからないのです。  

しかし、マスコミにおいては、記事を書く人が事実の前にたじろいで自分の解釈をくわえているにすぎない。

せいぜい、事実を予感させてくれる1つ2つの具体的な形象の想像にとどまっています。

 また科学の領域においても、解明済みのわかったことしか書かれていない。

これでは、脳を刺激して、大発明を促す誘因にはなりえない。  

このような情報や財があり余り氾濫している時代を西尾氏「情熱のない時代」と規定している。

 このような、資本主義社会の、行きすぎた自由へ、旧社会主義社会はこれから向っていくのであろうか。  

これらの国の民が未踏の領域であるだけにその可能性は大きい。  

今、われわれ資本主義社会の民が経験した弊害であることを歴史的経験として学び、そういうようにはならないでもらいたいものですが、どうだろうか。  

最後に、強調しておきたいことは、西尾氏のこの言葉です。  

 人間はいかなる場合でも、不自由な条件にしばられて生きているのだということを、心のどこかで意識していなければ生きていけない存在である。  

 今の、あり余るほどの自由を手に入れた、現代社会のわれわれは、自分で自由を勝ち取るという経験を経ていないために、そのありがたみがわからないでいる状態です。

そのために、「自由」に振り回されている状態である。    

その、自由のありがたみがわかり、それを自ら獲得し謳歌する喜びを得るには、一度自由のない状態に身を置く以外に道はないでしょう!  

その状態に、自分を置いてみることである。  

いま教育に課されているのは、子供をこういう状態に置くこと、そしてそれに耐えれる人間をつくることではないでしょうか?  

そのためには、教育をする側も自らそういう状態に自分を置くことが求められるのは言うまでもないです。  

この本を読んでそう痛感したのです。

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自由の悲劇 (西尾幹二全集)

 

 


堀之内九一郎 『どん底からの成功法則』

2015-11-23 20:47:54 | ビジネス

 

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堀之内九一郎という人間を知ったのは7年くらい前です。

しかし、この人の経歴がすごい。

今は、全国に200店舗以上の店舗を持つ、年商107億以上のリサイクルショップ「生活創庫」の社長ですが、 それまでに起こしては潰した業種の数、実に40以上。しまいには詐欺にあい、一文なしのホームレスにまでなったという過去を持つのです。

しかし、なぜホームレスにまでなりながら、ここまでのし上がることが出来たのか。

 堀之内氏は、これまで商売は儲かれば良いんだと思っていた。

しかし、ホームレス仲間にいわれた一言で目が覚めたという。

そのホームレスいわく、

 「商売は楽しめることを必死になってやるんだ。人は、自分が本当に楽しめることには、労力を惜しまないだろう」と。

 この一言で、人生観が変わったのだという。

 これまでの、経歴をふりかって自分は儲かることを第一に考えていた。

だから、どれもうまくいかなかったし、詐欺にも遭遇してしまったのだと。

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堀之内九一郎  

リサイクルショップを始め、今日の成功にまで導いたのは、機械をいじるのが小さい頃から好きで、それをとことんまでやったからだという。  

 堀之内氏は、他の著書でも、その道で成功するには、   とことんまでその道を突き進んで、どこまでもやりぬくことの重要性を痛いくらいに強調している。その道に徹しないといけないのだ。

 それが可能であるためには、自分が好きなことを選ぶべきだという、このテーゼが通底すると思う。 

 この本で、  

「プールの水をおちょこで汲み出せる人間になれ」

 「速さにこだわり、突風で勝負せよ」  

「小指の先ほども疑わないくらい信じきれる師匠を持て」等々

 

 章ごとに分けて力説しているが、好きなことでないことや嫌いなことでは、ある程度可能ではあっても、生活において徹することは不可能であると思うのは、私だけではないでしょう。  

「好きなこと、楽しめること」を念頭に置かずに、「周りのみんながやっているから」などという理由で仕事を選び、日々憂鬱そうな顔をしている人間がいかに多いか。そういう人には、この堀之内氏の言葉に耳を傾けてもらいたいものである。  

 メンタル面でも、この本では実に興味深いことが語られている。

始めの章で、   「失敗とは、うまくいかなかった一つの経験にすぎない」と書かれている。

失敗したときに、思い込みが激しく、一人で憂鬱な気分になってしまう自分には、刺激になる言葉である。

失敗したことの経験があれば、それを土台にして、それを繰り返さないようにすればいいだけのことである。  

 また、   「どん底に落ちたときに、一筋の光でも見出せば将来の希望が見出せる」とも堀ノ内氏は言う。

 例え1000万円の借金があっても、半年待てば継続的に収入が入ってくると思えば将来の希望が湧いてくるのだという。

 これは、ホームレスにまでなった堀ノ内氏の経験から出た言葉でしょう。

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これもまた、人生で何かうまくいかなかったときに引き出したい言葉である!  

人生つまずくことはいくらでもある。

そういう時に、読みたい言葉である。

 

 こういった、成功者などの経験談を読むことのメリットは、自分にない経験を知ることにあると私は思う。

 例えば、何か金銭トラブルに見舞われた。あることをやったがうまくいかない。こういとたことを経験したときに、こういう経験談を読むと力がでるのではないだろうか?

 「ああ、苦労しているのは自分だけではないのだな。自分よりもっと苦労している人はいるんだな」と。

   何かに失敗して大金を失ってしまっても、堀之内氏が損した額にくらべれば自分のは何てことないな。

   苦労して何もうまくいかなかったとしても、堀ノ内氏が起こしてはつぶした職の数に比べれば自分のはたいしたことないなと思えるはずである。

 ちょっとの失敗で鬱になってしまう人、あるいは一人で思い詰めて、終には自殺までしてしまう人は、考えが短絡すぎるのである。

もっと広く考えて、人から励ましをもらうなり、この本のような経験談を読むべきだと思うのだがいかがなものだろうか。

 

 最後の章で   「分かれ道では、絶対に得しそうではなく、楽しめそうを選べ」と書いている。

そうすることが成功への近道だというのだ。

 楽しめることをやっている人には、自然と運がついて来るし人もついて来るというのだ。

 なるほど、楽しみながら仕事をやっている人にはオーラが出ているし、笑顔があるから自然と人が集まっている。

 一方、つまらなそうにして仕事をしている人には、近寄りがたい雰囲気があり、希望を託す気にはなれない。 

 本田総一郎松下幸之助は、本当に機械いじりが好きでそれに没頭したから今日の彼らの名誉がある。

 しかし、失敗した人の原因を突き詰めれば、損得勘定で動いたからだという。

 なるほど、これまでの成功者、

 例えば  

ロバートキヨサキ  

ドナルドトランプ  

ハーブエッカー  

「ユダヤ人大富豪の教え」にでてくるゲラー氏

 堺屋太一

 森永卓郎  

マークゴールドマン

そして堀之内九一郎  こういった成功者たちは口を揃えて同じことを言っている。 

 「楽しめることをやれ!」と。

 私も、これら成功者たちに見習って、楽しめることをとことんまでやって成功したものである。

人生において、成功者の言を取り入れたいと考えている人は、私の注釈を読むのではなく、実際の成功者の言を読んだほうがいいに決まっている。

私の言などより、何倍も重みがあるはずである。

 読んだらパワーになるのは必至です!


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どん底からの成功法則



あなたが年収1000万円稼げない理由

2015-11-23 00:16:16 | 現代社会

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 この本は、格差社会の現代の日本にて、年収1000万円を稼いでいる人間のリポート、分析である。  

 最初の章で、かつて日本では、誰でも同じ会社で長年働いていれば、いつかは必ず年収1000万円もらえるという時代があった、ということが書かれている。

 そこを読んで私は、「そんな時代があったのか」と驚いてしまった。

だが、そんな時代は終わり、いまや平均的なサラリーマンの年収は300万円かそれ以下である。

なぜそうなってしまったのであろうか? 

   理由はいろいろ考えられる。

 中国韓国、ASEANなどの新興アジアの諸国の経済的台頭により日本が価格的な競争にさらされていること、

 90年代のバブル経済の崩壊、

 小泉政権時代のお金持ち優遇税制などいろいろあるが、

    一番の理由は、  日本人が買いたいものはほとんど手に入れてしまい、そのために消費が落ち込んでいるからだと言える。

 モノがあまっているのだ。

  人がモノを欲しがらない時代なのだ。

 

 そんなご時世、同じ時間働いても、モノを5個売れる人間と、10個売れる人間とどちらが、企業がおカネを払いたいと思うか、言わずもがなである

 同じ時間働いて6件契約を取ってくる人間と、1件しか取ってこない人間とでも答えは同じである。

こういう仕事のできる人間を給料で重宝することによって、企業は生き残りをかけていくことになるのは自然の成り行きである。

 仕事ができる人間を給料で優遇する成果主義になると、社員同士の足の引っ張り合い、上司へのゴマのすりあい、人の手柄の横取りになるという観点から、自由競争に対して経済アナリストの森永卓郎否定的であり、これまでの著作でそのことを絶えず書いていた。


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森永卓郎


例えばコチラ

  ↓

日本経済「暗黙」の共謀者 (講談社プラスアルファ新書)

 

 確かに、そういう面は否定できないし、成績を上げるだけが社員の仕事ではないし、企業も社員の生活を保障するのを役目として負っているので、完全には自由競争にはならないだろうが、少なからず競争の面を強化しなくてはいけなくなるのは否定できないだろう。

 モノが売れない時代だからである。

 キャリアを正当に評価し、高い業績を上げた人には、それに見合う給与を支払うのはあたりまえの時代になったのである! 

   では、今の時代に、どのような人が年収1000万円稼いでいるのだろうか?  

 田中氏は、その組織の中で、オンリーワンの存在である人が1000万円を稼いでいる事を指摘している。

この著で、広告会社で勤めるKさんを引き合いに出している。

Kさんは、都内の外資系広告会社に勤めていたが、うだつがあがらず、帰郷し、地元福岡の広告会社に勤めた。

 そこで任された仕事は。インターネットでデータを収集し、それを綺麗にグラフ化し、プレゼンテーション資料をあっとうまに作ってみせた。  そんなことは、外資系広告会社では当たり前のこと、ごくごく普通の仕事であった。

 しかし、地元の会社ではそういうことができる人間がいなかったために、その会社では大抜擢され、給与も大幅にアップし年収1000万円を稼いでいるという。

また、別の例で、東京の病院で働く勤務医が、医師の少ない地域の医療施設に行くと、かなりの高給与で迎えられるという例を挙げている。  

 要は、同じ職種、同じ業種でありながら、働く場所がかわっただけでオンリーワンの存在になり、その希少価値から人材としての市場性が一気に高まるという事である!

 

 オンリーワンの存在というのは、必ずしも絶対的な何かをもっていなくてはいけないのではなく、相対的な関係の中で、そういう存在になることが重要であるのだ。

 田中氏は、そういったオンリーワンの存在になるために、 「能力でも、性格でも、技術でも経験でも構わない、自分にとって武器になる何かを早く知り、その武器をいつでも使えるように、常に磨きをかけていなくてはならない」  と言う。  

 また「わざわざ嫌いなことを無理矢理する必要もなければ、光の見えない状態で、機械的に何かを学習することもない。要は、自分で興味の持てる分野をさがして、それに向って頑張ればいい」とも言っている。

今は、社内であらゆることに精通し、一応何でも一通りのことを並にこなせるジェネラリストが重宝される時代ではなく、人にはできない得意分野や楽しめる何かを持っているオンリーワンの時代になったということである。

 経済学者の森永卓郎は、あらゆる本のなかで、 今の時代は国民の9割が年収300万円の時代になる。

 年収1000万円稼ぐには、上司にこびへつらい、同僚の足を引っぱり、土日祝日出勤や残業を厭わずに仕事に打ち込まなくてはならない。  

そうするよりも、年収1000万円を稼ぐのはきっぱり諦め、楽しめるものを見つけるほうが、楽しい生活を送ることができると言っている。  

その年収300万円の生活は、森永氏が、過去に子供が2人いて、ローンをかかえていても、十分可能だったことを例に出して説得している。    

例えばコチラ

  ↓

 「やめる」から始める人生経済学

 

 今の時代、楽しめることをもて、という立場は、田中氏も森永氏も一緒のようだ。

 しかし、年収1000万円稼ぐ人の分析についてはちょっと違いがある。

 人は、自分が大方経験したり、見聞きしたことを中心にしてしまいがちなので仕方のないことだが……  

 田中氏は、そのオンリーワンの能力の商品化の仕方や、夢や目標を持ちその達成期限をもうけることの重要性、組織内での横並びで満足することへの警鐘、金銭への潔さ、変化を味方にしてチャンスをつくる重要性など第3章以下で展開している。  

 私は、この本を読んで非常に楽しかったし、未来に明るい展望が開かれた。

 田中氏も言うに、楽しめるものを持てという意見に同調したい。

 カネになっても、好きでないことをするよりも、楽しめることを思う存分やった方が、人生楽しめるからだ。

 楽しめる何かが花開けば高収入を得られるし、例え花開かなくて低収入でも、今の日本で飢え死にすることはない。

 そこが日本社会のすばらしいところであると思うし、そんな社会に生まれて、感謝は尽きない。

 ●人生楽しむことをやるべきだ、というポリシーの人には是非とも読んでもらいたい本である!

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佐伯啓思 『さらば、資本主義』

2015-11-15 11:10:16 | 現代社会

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この本の注目点は、こんにちのアベノミクスの内奥を詳らかにした点と、これからの日本経済のいくすえを明確にした点でしょう。 toremorohu.JPG

安倍首相

アベノミクスに対して、批判をすることは誰にでもできます。

欠点のない為政者や総理大臣などいませんから、気にいらない点や目新しく批判できそうなことが少しでもあれば、そこをつつくことは誰にでもできます。

その総理大臣の評価というのは、その政策がおこなわれてその後日本がどうなったか、どのように好転したかということ、あるいは他の日本の首相や他の国の首相のおこなった政策と比べておこなわれて初めて評価すべきものであって、今すぐに評価をくだせる性質のものではないのです。

首相が退陣してから5年以上たってから評価はされてしかるべきものです。

アベノミクスは、3つの柱からなっています。

1つは、超金融緩和です。

貨幣供給量を増やして2%のインフレを実現するといいます。

2つは、財政出動です。

3つは、政府が率先して成長産業生み出すことです。

3つ目の項目に際し、安倍首相「50か国歴訪」をしました。

グローバルな経済戦略のために、これを率先してしたことについて、佐伯啓思氏は、 「他の政治家にはできなかった功績」として一応の評価はしてます。

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佐伯啓思

しかし、安倍首相の政策に掲げれらている内容である、地方活性化、労働力自由化、規制緩和、TPPといった事柄については、やはりいく末に光明は誰もが見出さないでしょう。

そのことは佐伯氏も、他の経済学者でも同様ではないでしょうか?

私もそう思います。

この日本の20年間は、「構造改革に明け暮れた20年」でした。

グローバル競争力をつける実験だったのです。

しかし、その内容は、デフレの10数年、格差の拡大、停滞の20年でした。

それは、政策に起因するものであったことは間違いないでしょう。

しかし、政策に総てが帰するのではなく、やはりその国の内奥に起因するものが大きかったと思われてならないのです。

日本は人口減少や少子高齢化のおかげで総需要が低下しています。

グローバリズムと市場競争の強化でコスト競争が激化しています。

そのため、賃金が上昇せず雇用が不安定になっているのです。

このような要因があるからこそ賃金が上昇せず雇用が不安定なのであって、決して今の世代の人たちが怠惰であるとか、団塊の世代より努力が足りない、ということでは決してないのです。

アベノミクスでは、「賃金上昇や雇用増大が国内需要を喚起する」としていますが、佐伯氏は、それは甘いとしています。

人口減少かつ少子高齢化、都市地方格差の現代にあっては、それは不合理であるといいます。

また、所得格差社会にあっては、需要拡大を抑えてしまう、ということです。

経済成長率は、労働人口増加率と労働生産性上昇率で決まるのです。

人口減少社会においては労働生産性の上昇が一定ならマイナス成長なのです。

しかし、日本はマイナス成長でも生産性は増加しているのです。

暮らしは確実に良くなっているのです。

1970年の日本のGNPは70兆円で、今は510兆円であるのです。

1970年から7倍以上も豊かになっているのです。

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デフレ下では、それを実感できない人も多くはいるでしょうし、それで不満であるならば、インターネットや本、あるいは金持ちになる方法のセミナーなどは多くありますから、自分で主体的にアクセスしてそういうものに触れて、行動するべきであると思います。

現代はめまぐるしく社会の様相が変化する時代です。

いつまでも会社にしがみついて賃金上昇を期待するのは間違っていると思います。

自分はこうなりたい!そのためにどうすればいいか考え、その方法を探し、そのための行動をしていく…それで豊かになれるのでしょう。

そんな時代なのです。

労働生産性の主たるものは、技術革新や新たな産業分野の創出なのです。

新たな製品は開発され、新たな市場は創出される、そのことで古いものは壊され、捨てられ、新しいものへ置き換えられるのです。

ITやロボットなどを想起すればわかりますね。

逆に言えば、今のような日本の成熟社会においては、技術革新や新たな産業分野の創出がキーワードになるということです。

でなければ、完全に停滞してしまいますから。

であるならば、技術革新や新たな産業分野の創出に携わっている人たちに本当に感謝したい気分になります。

いろんな分野で、新製品が開発されますが、その製品を見るたびに私は、 「よくこんなすごい素晴らしい製品を創ったなあ」と驚嘆の思いに駆られることもしばしばです。

私にはとてもそんなことはできません(笑)

いやよしんばできるようになるためには、そういった分野の学校に行って少なくとも数年勉強してからでなくては不可能でしょう。

まあ、そういった人たちに感謝感謝です。

労働生産性というのは、GDPを労働人口で割ったものです。

そのGDPは、総生産や総需要によっても決まるのです。

ですから日本のように、末端消費財が国民のほとんどにいきわたり、国民のほとんどが欲しいものがない社会にあって、しかも人口減少や少子高齢化のさなかにあっては成長率をあげるのは不可能なのです。

普通の生活をみればわかるでしょう。

私は中学時代に音楽CDの鑑賞にハマり、高校に入ってからはアルバイトができるようになり、そのためにお金を得て、欲しいCDを山ほど買いました。

しかし、それから数年たち、CDのストックが多くなると、やはり中学高校の時のように、あれも欲しいこれも欲しいというようにはならないのです。

やはりCDを買うスピードや量は鈍化していくのです。

アジア、アフリカ、ブラジル、ロシアなどの新興諸国が急激にGDPの追い上げの中にあり日本は成長率で負けていますが、いずれその国々も、末端消費財が国民のほとんどにいきわたれば、成長率は鈍化していくのは必然です。

ですから、これは「停滞でも敗北主義でもない」佐伯氏は言いますし、私も同感です。

やってもできないことはあるし、頑張っても報われない時もあるのです。

「グローバル競争に勝たないと成長できない」というのも間違いだし、「成長しなければ幸せになれない」というのも間違いであるといっています。

これは現実主義者の言葉ですね。

このように、いずれ成熟社会になれば、成長率は鈍化する、ということで、成長率至上主義に反対していた飯田経夫氏を思い出します。

その飯田経夫氏の本も、このページで紹介したいな、と思います。

その他、佐伯氏はこの本で、福沢諭吉『文明論の概略』の今日的な意義を明示しています。

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福沢諭吉

佐伯氏に言わせると、「この本こそがこんにち読んでも実に教えられることの多い書物である」といい、「近代日本の指針を示した名著である」と言います。

福沢諭吉は韓国をはじめ、アジア諸国では、アジア諸国を蔑視した人として嫌われている、ということを聞いたことがありますが、そういった風聞に対しても一応距離を置いて、自分がまず虚心坦懐によんでから評価をくだしています。

そういった姿勢には感嘆の意を表せざるを得ません。

その類似する例として、佐伯氏はフリードリッヒハイエク『隷従への道』という書物を評価しています。

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フリードリッヒハイエク

今の世の中、ほとんどの人が気にしない本を虚心坦懐に読んで評価をくだす、こういう姿勢がまさに知識人としてあるべき姿を体現しているなと感心します。 そのハイエクの本についての佐伯氏の評論は、 『経済学41の巨人』という本に収められています。

福沢はあの本で、 「日本が鎖国を解いて文明化した国の文物がたくさん入って自分の国も文明化していると浮かれている時分ではない。」 「日本はまだ半人前国家である」 ということを書いています。

それが、まさに今の日本と類似しているということで、今の日本人が心すべきことを書いているのです。

ですから、この本は今日本人が読んでも頂門の一針になりうる、佐伯氏は言うのです。

何故、「浮かれている時ではない」のか。

何故、「日本が半人前国家」なのか。

これらの論拠は本の中に書いてあるので、その内奥をよく読んでいただければ非常に納得のいく説明がなされていると思います。

いつもながら、佐伯啓思氏の奥の深さには感嘆します。 知識人として尊敬に値します。

その奥深さにのめりたい人は、どうぞこの本を読んで体感していただきたいものです。

この本はコチラから

さらば、資本主義 (新潮新書)

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さらば、資本主義 (新潮新書)


●その他おススメ図書

経済学41の巨人 -古典から現代まで


その他、佐伯啓思氏の著作について紹介したページは以下!

『反.幸福論』

『経済学の犯罪』

『西田幾多郎』 

『従属国家論』

『科学技術と知の精神文化』

『正義の偽装』

『貨幣と欲望』

『日本の宿命』

『自由と民主主義をもうやめる』

リンク 


佐伯啓思 『反.幸福論』-その弐

2015-11-14 16:01:54 | 現代社会

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佐伯啓思氏『反.幸福論』は他のページで書きましたが、新書であるにもかかわらず、1つのページでは紹介し、あるいは要点をまとめることができないほどの有用な書籍なので、今回もまたこの本を紹介したいです。

この本の他の部分については以下のページで書いたので参考にして下さいませ。

http://hair-up3times.seesaa.net/article/428518819.html?1447480927


佐伯氏は現代社会、現代文明について常に警鐘を鳴らしているのです。

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佐伯啓思

これはなにも、現代社会、現代文明を批判することに時間を費やしているクレーマーではなく、それらの内容について深く吟味し、そこに宿る問題点を浮き彫りにして提示し、読者に考えさせるのです。

こういった姿勢はいつの時代でも大事だと思います。

やはりどんな事象にも、良い点も当然ありますが、問題点は必ず存在するのですから。

この本でも以下のような論点を書いています。

街は、24時間ギラギラと光を発し、超高級品から超低価格品までありとあらゆる品物が手に入り、世界中のオーケストラや絵画がやってくる。

こうしたもの、金、人の巨大な集積地、人間の可能性と享楽の極限化、それが巨大都市としての「東京」だということです。

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しかし、それを自明のものとする姿勢は大いに疑わなくてはならない、ということを佐伯氏は言っていますが、私も大いに賛成です。

70年代のオイルショック時に、節電で夜11時くらいには街中が真っ暗になった。

けれども、それでも何ら支障がなく生活できたといいます。

私は、この年に生まれていなかったので知りませんが(笑)。

しかし現代人は、3,11以降の節電時にパニック状態になった。

このことから鑑みるに、幸せとか、充実というものは何なのかな、ということを考えざるを得ません。

どうすれば、そういうものを得れるか、ということですね。

物が無い状態から、自力でお金を稼いで得る、そのプロセスを得ることによって、人は幸福や生きがいを得る事ができるのではないでしょうか?

私はそう思っています。

物心ついた時から、なんでも不自由なく物やお金をあげてしまう家庭は考え物ですし、そんな教育は問題です。

かといって何にもあげないのも考え物ですが(笑)。

事は、忍耐力も同様です。

物心ついた時から、寒いときは暖房を、暑いときはクーラーをつける、というのは問題なのです。

それが当たり前になると、人は我慢する力がなくなってしまいますからね。

寒い暑いということは、本来「我慢する」ものなのです。

しかし、エアコンが壊れてしまい、その供給ができなくなると、それは「人災」になってしまう。

本来それは我慢すべきもの、ということですから、人災でもなんでもなく、その「ない」状態が自然なのです。

普通なのです。

このように文明の利器が当たりまえになると、幸福を奪ってしまうことになる一因になってしまうということを心した方がいでしょう!

こういったことから鑑みるに、人間というのは、ない状態からある状態になることによって、その瞬間に幸福感を得ることができるのです。

ですから、初めにエアコンがある状態から生活をさせてしまうと、それがあるのが当たり前になってその状態をありがたいと思わなかくなってしまう。

ならば、その状態をありがたいと思わせるには、ない状態を作ってあげる。

すると、暑い寒い状態が襲ってくる。

しかし、そこでエアコンがある状態になると、そのありがたさが身に染みてわかるようになる。

こういうプロセスを経ることが非常に大事なんではないか?と思われて仕方ないのです。

ですから、小さな子供には、エアコンなど与えずに、自然のままの状態にさせる。

そして暑い寒いという状態を体感させる。

もちろん親御さんも見本として、その暑い寒いを体感しなければなりませんが…。

そこで、子供が高校生になった時に、アルバイトをさせて、そこで初めてエアコンを買い設置する。

こうやって初めて、そのありがたさがわかるのではないでしょうか?

初めから、なんでもかんでも与えてしまうのは教育上考え物です。

何でもかでもあげてしまうと、ハングリー精神が萎えてしまうのです。

昨今の需要不足はこんなところにも原因があるのです。

幼少の頃からなんでも欲しいものは買ってもらえた。

すると、その子供は大きくなって、欲しいものがなくなってしまう。

探しに探してものを買いたい、という感情がなくなってしまう。

すると、どうしても欲しいものが国全体で減少してしまう…これでは需要不足になてしまうのは当然ですね。

こういった自明のものを疑う…こういう姿勢は大事ですね。

ことは、原発なども同様です。

3,11の東日本大震災において、明らかになったのは、人間の生み出した科学の限界でしょう。

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人は、「理性」によって自然を支配し、この世をより良いものに作りかえることができる、としていました。

ひいては、より良い世界とは、人間の幸福の増進する世界で、人はこの世を最善のものにする義務があるとしていました。

西欧の科学や技術への深い信頼と執着はキリスト教的信条を背景にしていたのだそうです。

しかし、現代は、自然が内蔵しているものの発現を手助けする(=テクネー)のではなく、自然に対し、それを支配しそれに挑発したのです。 自然と機械的なプロセスへと組み立て、有用性や効率性へ送り出したのです。

そして産業化によって人は物的な富の蓄積を幸福だとみなし、技術によっていくらでも富を増進できる、という技術信仰を生み出したのです。

しかし、3,11の後に明らかになったのは、自然を支配もできないということです。

本来の意味での、自然の持つ途方もない力に思いをいたすことしかできなかったのです。

このように、佐伯氏にはいろんな引き出しが脳内にあるために、事象1つ起こった時に、このようにいろんなコンテンツが次から次に提示されるので、しかもその1つ1つが、非常に奥深く、読み手が集中せざるを得ないようなことを書いているのでついつい読み進めてしまうのです。

しかも、過去の事象についての個人的な経験談や、当時の雑誌等でしか得れない文や評論家のコメント等を大事に保管して、それを引き合いに出しているので、非常に興味がそそられて読み進めてしまうのです。

非常にマメに情報を収集しているのです。

社会科学全般を網羅している学者ですが、1つの専門に拘泥せず、いろんな領域のエキスパートでもあります。

知識人としてあるべき姿を体現しています。

この本を読んで、「古典とは何か?」と考えてしまった。

それは、だいたい以下のようなものを指すのだろうと思う。

それは、いつの後世になっても、読んだ人が為になる、人生の指針になる書物の事。

そんなふうに捉えています。

この『反幸福論』2010年から2011年『新潮45』に連載のために書かれたものですから、このようなものはいずれ廃刊になる運命にあるでしょうが、私はいつまでも読み返したい、そんな思いに駆られました。

私にとっての「古典」なのです。

やはり人間にとっては「古典」は大事です。

佐伯啓思氏にとってはまさにニーチェこそが、「古典」なのでしょう。

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ニーチェ

この書物でも、他の自身の書物でも何回もニーチェを引用しています。

それは、ニーチェの言が読んだ人に感銘を与えて、頂門の一針になるからでしょう。

今回の本のテーマはまさにそうなのです。

学者に課された使命というのは、起こる事象について賛成をするだけでも、否定をすることでもありません。

その生起した事象について、深層を深く掘り起し、分析した上で読んだ人がハッと驚くようなこれまでに抱いていた考えを根底から変えてしまうような論を出すことだと思います。

その資質が佐伯氏には存分にあるので、疲れのせいで読む気がなくとも、佐伯氏の本を読んでいると、ついつい読み進めてしまうのです!

しかし、過激さはありません。

私が尊崇するもう1人の著作家である森永卓郎氏は、著作の中で「○○は▲を即行退陣すべき!」という意見をあらわに書きますが、佐伯氏はそういうことは書きません。

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森永卓郎

しかし事の深層を深く分析したうえで論を展開しているので、おのずと当為はわかってくるのです。

わからざるを得ないのです。

しかし、社会科学全般について網羅している学者である佐伯啓思氏ですが、それだけの大きい範囲を網羅しているのなら、「反官僚的」になるのが必然だと思うのですが、そうではないです。

そういった「反官僚的」な著作家として、森永卓郎、植草一秀、ベンジャミンフルフォード、カレルヴァンウォルフレンなどがあげれます。 佐伯氏は、こういった著作家の本を読んでいるとは思うが、そうにはなっていません。

それは、佐伯氏が得てきた膨大な情報が、「反官僚的」には傾いてはいないからだと思います。

ですが、自分的には、やはり「反官僚的」にならざるを得ないです。

佐伯氏は、私にとって必ず新刊本を買うと決めている数少ない著作家ですが、だからといって佐伯氏に対して無批判にはなりえません。

そうなったら、やはり「宗教」になってしまいます。

宗教にハマってしまうと、どうしても人というのは、その教団のすることには無批判になってしまうんですね。

創価学会は、「平和」を信奉する宗教団体であるにも関わらず、先日の集団的自衛権をめぐる法案にイエスをしました。

平和の団体なのに…おかしいですね!(笑)

こうならないように、いろんな情報を摂取して自分の頭で考えなくてはいけないのです。

やはり尊敬する著作家でも無批判にならずに、吟味をしていかないといけないのです。

佐伯氏は、3,11以降の原発事故とその後の世論の動向について、「太陽光への急な転換はできない」としています。

そして、「フランスは電力の供給の80%を原発に依存している」とも書いています。

そして、「火力への逆転は原油依存を更に強める」としています。

佐伯氏は、今の時点では原発に反対ではなく「安定的、安価な資源エネルギーで原発に変わるものなし」ということで、とりあえず原発寄りの姿勢を貫いています。

しかし、それには私は反対します。

いずれも、やはり原発反対のほうへ導いていかなくてはならない、と私は思います。

やはり国民主権ですから、その意見を重要意見として汲まなくてはいけないというのと、日本は地震大国であり、今回の3,11のような予期せぬ災難が訪れるのも同様に、いつ大地震が起きて、それに次いであの原発事故のような災難がおこるかもわからないのに、そのまま放置していてはいけない、と思うからですね。

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やはり社会にある問題点をよきものに変えていかなくてはいけない、という基本モラルが私の中にあるからですね。

その要因になった本は以下の本です!

『北欧のエネルギーデモクラシー』

このように、いくら尊敬する人間でも、やはり全部が全部賛成とはいかないのです。

大部分については賛成ではあるけれども、反対の部分があって当然…それが自然であると思います。

やはり完璧な人間などいませんから、いろんな事象について調べ、吟味していかなくてはいけないのです。

そのためには本を読むのは不可欠です。

いろんな本を読みましょう。

1つの、あるいは少数の著作家だけでなくいろんな著作家の本をです!

そして、自分の「哲学」を作り上げるのが大事なのです。

その際に参考になる本としてこの本を紹介したいです。

反・幸福論 (新潮新書)

 

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反・幸福論 (新潮新書)


★その他、佐伯啓思氏の本について紹介したページは以下!

『反.幸福論』

『経済学の犯罪』

『西田幾多郎』

『従属国家論』

『科学技術と知の精神文化』

『正義の偽装』

『貨幣と欲望』

 

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