古在由重 『思想とはなにか』

2020-06-06 21:08:44 | 思想

私は思想とは、社会をよくしていくためにあるものであるが、しかし単なる激情だけで怒って、自分の思いを吐き出すのではなく、それがどのような目的をもって、どうあるべきかを呈示したうえで、その根拠をつまびらかに示したうえで表明すべきであるというような思いに大学時代になり、それが今でも続いているのです。

根拠は、やはり科学的な、構造的な内容を伴っていなければ説得力がないということです。

ですから、自分から本を読み、いろんな情報媒体に接してから表明すべきである、というように思っています。

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その科学的、構造的な内容の吟味は、いつまでも永遠にやっていては割り切れずにいて前に進めませんから、ある程度研究したら、表明しなくてはならないでしょう。

自分の考えというものは、知識の多さによって変わってくる性質を持っていますから、あとになって知識を得て変わってきますから、その際は自分の転向を呈示しなければならないでしょう。

しかし、いくら知識を得ても、前と全然変わらないこともあり得ますから、それには譲歩が必要です。

その知識を得るにしても、やはり1人では限界があるのですから、友人知人との会話も欠かせないでしょう。

このような作業を通じて、人の思想は変化していくものですから、自分の考えは、どんなカリスマ的な著作家、科学者に影響を受けてもやはり、その人と全く一緒になるということはあり得ないでしょう。

私の大学時代のゼミの先生は、政治学の専門でしたが、その先生はかなり丸山真男にぞっこんでした。

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  丸山真男

学生時代から何回丸山真男の本を読んだかわからないし、もう本はボロボロだといっていました。

その丸山真男は、非武装中立を唱えていましたが、その先生は非武装中立には反対でした。

このようなことはあってしかるべきですし、そうなっても全然咎めることなどないのです。

ゆえに、いろんな人から学んで、その人のいいところは受け入れて、受けいられない面については受け入れなくてしかるべしです。

今回紹介する本の著者についても、受けいられる面については受け入れて、受け入れない面については受け入れないですね。

この著者いわく、

「思想とは、我々自身に直接の衝撃を与える個別的な事態を一層広い視野の元につかみなおす。

我々の抵抗を我々の姿勢につめるものである。 我々の激情に透徹した理知の眼を与えるものである。」

と書いているのです。

人によっていろんな定義はあってしかるべきですし、この定義を受けいられるかどうかは人によって違うでしょうが、私にはほぼ受けいられる内容です。

更に、「主体性を奪い返す道ははっきり言えば、現代の政治、これを支える独占資本主義の体制を突き崩す以外にない。」と書いているのです。

その実現のためには、冷徹な理知と科学の思考でもってということですね。

その面については非常に参考になるし、私のモラルと一緒です。

このように、60年代70年代に書かれた思想について書かれた本を読むと、きまって資本主義批判や資本主義打倒を旨とした本が少なからずあるのですね。

社会主義思想ですね。

その社会主義は、マルクスの唱えた議論を政治や経済に生かすのを骨子とした思想ですが、この人の思想は、かなりカリスマ性があったのがわかります。

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       K.マルクス

 

考えもせず、マルクスのいった事だとわかると、無批判に信じてしまい、それのみかその理論の正統性を証明するための本まで人生をかけて執筆したりする学者が少なからずいたのは驚きです。

それが愚かだったなどと揶揄するつもりは私にはまったくないです。

やはりカリスマ的な人というのはどの時代でもいるわけですし、その人の言葉を聞いているだけで、あるいは読むだけで信じて無批判になってしまうことは経験するのです。

ある事柄の是非を明らかにするには、やはり検証という作業が必要です。

しかし、その検証という作業をしているだけで10年かそれ以上必要なことはよくあるのです。

しかし、そんな作業をするよりも、カリスマ的な人のことを鵜呑みにしていった方がいいこともあるのです。

その結果、自分は持論を高次に引き上げて誰からも称賛されるようになったというような経験は多くの人が経験することではないでしょうか?

例えばスポーツなどの世界はそうですね。

あるカリスマ的なコーチ、あるいは監督のいわれるがままに、その内容を吟味せずにトレーニングしていったら、入賞することができた、あるいは優勝することができたというような経験はあるのではないでしょうか?

吟味などしていてたら、間違いなく自分は入賞も優勝も出来なかったということですね。

ですから、マルクスのいった事だからといって無批判でいた人を責める気にはなれないですね私は。

しかし、この本の14ページに書いてある内容には苦笑を禁じ得なかったです。

そこにはこう書いてありました。

「こうして今日の資本主義社会では人々の人柄そのものまでが大規模に労働市場の商品となった。

アメリカの社会学者がこの現象をパーソナリティの市場と呼んだのは誠に適切である。

それは内的自己の喪失であり、主体性の放棄であり仮面の生活をしている。

しかし、生きた人間であるならば、いつまでもこのような状態に耐えられるはずはない。」

これではあまりに短絡的ですし、資本主義=悪というような図式が固定され過ぎの感は否めないですね(苦笑)

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しかし、地球の半分近くが社会主義を採択した時期があったにもかかわらず、社会主義経済ではうまくいかないことが次々に判明していき、90年以降、どんどんと社会主義国で革命が起き、その有効性が今はもうほとんどないのが明るみに出た今となっては、その是非を論じる意味はなきに等しいでしょう。

私は、そのマルクスのカリスマ性に惹かれた世代ではないですから、今はそのことについてほとんど勉強しませんが、その当時にバリバリの経済学や政治学の学生だったら、その思想の信者になったかもしれません。

ですから、社会主義を真なりと信じていた学者たちを批判しようとは思わないですね。

しかし、その妥当性はほとんどないのが判明したことは間違いないですね。

この著者いわくに、人間の肉体、人間の生活、人間の労働と思想は結び付いているのです。

そのことも私は賛成ですね。

そして「この環境が極めて非人間的な汚辱に満ちているからには、それぞれの時代の思想そのものも、またこの非人間的な環境と闘わねばならない」と書いているのです。

この文章は、まさにマルクスに影響を受けた人ならではの内容と思いました。

何故ならマルクスは、いかに人民が資本主義によって生活が苦しめられているかを『資本論』においてまざまざと書いているからですね。 ゆえに、当時の日本やその他多くの国をつかまえて、「汚辱に満ちている」と書いているのでしょう。

私はこの本が書かれた60年の日本に生きていたらそういう感情を抱いたかもしれないですね。

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こういう感想を抱く人が多かったからこそ、自民党と拮抗する勢いを社会党は持っていたのでしょう。

しかし、それがその勢力を持ち得なくなったのは、やはり資本主義の恩恵を徐々に国民が受けて恵まれた生活ができるようになったからでしょう。

それと同時に社会党の勢いもなくなっていったのです。

凋落していったのです。

そしてこの著者は、「思想」の重要性を強調するために、いかにそれが大きな役割を果たしてきたかを述べるために、数多の例を古代から簡潔に書いているのです。

そこには、明治期にJ.Sミルがいかに影響を与えたかを述べていますし、スピノザが市民と平和と自由を情熱的に求めた挿話を紹介しています。

その、J.Sミルの本について紹介したページは以下です。

  ↓

『J.Sミルと現代』

https://blog.goo.ne.jp/ladyevil/e/6ba3b6361075ec9b75809d7fa22fa9af#trackback-list

 

そして、真実の革命家の不屈な精神はあらゆる外圧を跳ね返すところの限りない弾力を持つべしといいますし、外力を受けてもゆがみを見せない剛体に比べてみるべきであると書いています。

先に書いたように、人の思想には受け入れられる部分とそうでない部分はあってしかるべしです。

このかたは、マルクスの思想を信じて疑わなかったのがわかります。

しかし実際は、一時的に上手くいっただけであって、永遠に上手くいく性質をはらんでいなかったのは明らかです。

そのマルクスを信じていた学者、思想家であるからといって全部を否定する気は私にはないですし、学べる部分や賛同できる部分については受け入れるのです。

受け入れる部分があるからこそ、この本を紹介しました。

 

●この本は以下よりどうぞ!

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思想とはなにか (岩波新書)

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桑原武夫 『文学入門』

2020-06-01 19:32:18 | 思想

文学作品を読むメリット、意義を知りたい人にはうってつけの本でしょう。

この著者である桑原武夫さんは、他のページで『ルソー』の著者として紹介したことがありました。

それゆえに、この人は社会科学者なのかなと思いきやそうではなく、文学研究者であることを知って驚きました。

※その『ルソー』について書いたページはコチラ!

  ↓

桑原武夫 『ルソー』

 

興味が出て、この人のことを詳しく書いたウィキペディアをみて、この人の書いた著作の多さに驚きました。 これだけの数の本を出すとは…と驚愕の思いになりました。

これぞ本物の知識人としてあるべき姿勢を体現しているなと思った次第です。

逆に私が属した大学の先生たちで、これほどの数を出している人はいません(苦笑)

私たちの親御さんが、出してきたおかねで研究出来て、そして生活してきたのに、本も1冊も出せないでいるなんて…と思わざるを得ないですね(笑)

まあ、出せない事情は、それぞれあるのかなと思いますし、出すだけで売れなかったら出版社は赤字になってしまいますからむやみに出せるものではないのは明白ですが、しかし…。

話しがちょっとそれてしまいましたね(笑)

このようにたくさんの本を出すことで知織人は、その内実を評価されるわけで、出さないでいるのはやはり不信感が出ますね。

単なる多さだけではなく、その出した内容の良さがなければ、あえてこの人を調べようという気にはなれないのが普通ですね。

そう思わせるに充分な内容の本です、この本は、いやこの本も!

文学を読む効用は、よき人生のための向上…ありきたりですか?(笑)

桑原氏は、マンネリの生活だけでは、人との良好な関係を築くことはできません。

文学作品を読むことで、そこに出てくるキャラクター(登場人物)の精神、行動に感激し、それを真似ようという気概が生まれ、それを実生活において真似ていくことで良き関係を築き上げていくことができる、ということですね。

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これは、非常に大事なことですね。

やはり人間1人が得れる知識や知恵などは限られていますから、謙虚にいろんな人からいろんな物事をまなんで行こうという気概を持たなくてはないなという思いがしていたところに、この文章に出会って安どの思いなりました。

単に年齢を重ねることで、それは可能となるのではなく、主体的に自分から学んでいこうという気概がなくてはだめですね。

逆に年齢だけ重ねても一向に向上心のない人からは学ぶものはないですし、付き合う必要性も必然性もないですね。

逆に、年齢を重ねなくても、向上心のある人と一緒にいた方が全然いいです。

やはり、吉川英治氏のいったように「人みなわが師」なのですね。

その文学をえがく際に、だれでもが文学作品をかけるというものではなく、そういう人を感動させるのは、天才性のある人でなければならないと桑原氏は書いています。

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人間関係の向上、読んだ人の精神の向上を目指すのが文学の目的であるならば、自分のこれまでの人生や生活を書いただけの私小説には批判的であるのです桑原氏は。

それは私も同感です。

そんな日々の日常を描いただけであるならば、読む意味がないですからね。

大学時代に、この小説は良いよといわれ、読んでみたことがあります、その当時はやっていたベストセラー作家のをです。

それはまさしく私小説でした(笑)。

そこには漫然とした生活がだらだらと書いてあるだけで、何ら得るものがなかったという記憶しかなかったですね。

その私小説作家の本を3冊くらい読みましたが、感想は一緒でした。 ゆえにこの人のを読もうという気概は今もないですね。

その人のファンである人を批判したりはしないですが…。

良き人間の向上、人間性の向上であるならば,科学の本も同様ではないでしょうか?

そこには論文によって直截的な表現で、当為が書かれています。

ゆえに読み手にぐんと迫ってくるものを感じたのです。

私は、小学時代に歴史を学び、そこに登場してくる人物あるいは小説作品に興味をもち、いろんな本を読みました。

しかし、そこで割り切れないものを感じていました。 それは大学に入って科学の本を読むことで氷解しました。

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その直截さですね。

小説の場合は、その直截さが欠けているがゆえに、要旨を得るまでに時間がかかるのです。

ゆえに、じれったさをかんじていたのです。

その直截さに惚れた私は、一気に科学に関する本、新書、ハードカバーの単行本を一気に読むようになりました。

このようになってしまった私がはたして小学時代のように文学にのめりこむようになるかは疑問です。

直截さが足りないというのなら、その最たる例は、聖書でしょう。

いろんな物語が、そこには登場してきますし、意味不明な専門用語がちりばめられています。

ゆえに宣教師という人がいないことには、読みこなすことができないし、学ぶこともできないがゆえに、歯がゆいのです(笑)

ゆえに私がクリスチャンになることはないでしょう。

ただ読書の効用というのは、プラスの面だけでなくマイナスの面があるのです。

本に、よくないことをしている人がいるということを読んで、ああこういう人がいるから自分も、という気になって、それを正当化してしまうのですね。

本に書かれているその人は、良くないこととして書かれているにもかかわらず。

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そういうマイナス面があるのは、文学であろうと科学であろうと一緒です。

また本を読むことでいろんなことを多角的に見れるようになる、という効用があるのですが、あまりに多角的に見過ぎて割り切れなくなるというマイナスの面があるのは否めないのです。

それは『罰せられざる悪徳 読書』という本にかいてあって、まさにその通りと思いました。

しかし、大人たるもの多角的に物事を見れなくなったら終わりと思っていますし、経営者や人の上に立つ人を目指すならば更にそのことはいえるはずです。

このマイナス面を知り、「読書はこういうマイナス面があり良くない」と断定し、これからはなれようという気概を持つのも自由ですし、逆にそのマイナス面を意識してこれらかも本を読むという気概を持って人生生きていくという選択肢も当然ありでしょう。

私は断然後者の立場を取りたいと思ってますし、すでに実行してます。

文学であろうと、科学であろうと社会について書かれていることには違いないです。

その漠然とした「社会」といっても、その内容についてつまびらかに知っていなくては、読み手に説得力を与えることはできません。

それのみか、あやふやな知識では、無知な人というレッテルを張られて、次からは読まれなくなってしまうことは間違いないです。

ひとたび「この人、知らないまま書いてる…」と思った作家の人の本や漫画は次から読もうという気にはなれないですよね?

これは私一人の意見ではないと思います。

一般的な意見と思います。

ゆえに作家であろうと科学研究者であろうと、漫画家であろうと、話だけがうまく書けるだけでなく、いろんな領域から広く深く学んでいこうという気概を持っていなくてはいけないですね。

そういう作業でえれたことを、自分の作品に盛るのですね。

そのためには、自分だけの読書や研究だけではなく、人との接しによって得れることが多いはずですね。

その立ち場に共鳴できるかたは、この本を読んだ方がいいでしょう。

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文学入門 (岩波新書 青版)

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林周二 『比較旅行学』

2020-05-30 12:18:19 | 思想

旅行を心から楽しむ人にはうってつけの本であると思いました。

音楽を愉しむことに意義を見出せない人に、音楽の愉しみ方といったたぐいの本を出しても、何ら興味が示せないのと同じように、旅行に楽しみを見いだせない人にその愉しみ方の多様性を語っても興味がないのと同じです。

しかし、旅行に興味を見いだせて、これまで自分が体験してきていない楽しみ方があるのでは、と思っている人には絶好の本でしょう。

いろんな愉しみ方が書いてありますから。

 

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「比較」といいますと、2つ以上のものを比べるという意味もありますし、それが通常の生活での用法でしょう。

しかし比較には、もう1つの意味があって、1つのものをいろんな角度でみるという意味もあるのだそうです。

この書物で使われているのは後者の意味ですね。

それと、そんなに旅行に楽しみを見いだせていないが、ちょっと角度を変えることで旅行を楽しむことができるんじゃないかと思っている人にもいい書物でしょう。

また、単にこの本を読んでみたいと思った人にも当然面白みがあるでしょう。

いろんな人におすすめですね。

そこでここに書いてある内容の取り入れ方です。

私は釣りは好きですが、かといって始めに何の情報収集をしないで釣り場に向かうということはしません。

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ある程度、本やネットで調べて、ここが釣れるとか、何時ごろが釣れるといった前調べをしてからですね。

しかし、過ぎたるは及ばざるがごとしというように、調べすぎて釣りに向かっても意味がないですね。

良き情報をえれたとしても、自分がいったときに気候が変わっているときも当然ありますし、水位も変わっています。

というかその方がホトンどですし、赴いたときにたとえネットで書かれている条件と同じであっても他の要因が働いてつれない場合もありますし、そこは過ぎないようにしていますね。

釣り好きな人のYuTuberの出した映像で、その釣り人が、「僕は釣りに行くときにほとんど前調べはしない」といってましたが、そのスタンスを自分がとるかどうか、あるいはとったとしてもどれだけとるかは人によりさまざまです。

それはお任せにします。

しかし、この著者はやはり旅行が好きだからこそ、このように本まで出しているわけですし、いろんな旅の味わい方を紹介しています。

この釣りの際の情報の採択の仕方ですが、どれだけ書かれていることを取り入れるかは、人それぞれでいいでしょう。

それはお任せしますね。

しかし大事なのは、あまり旅行せずにいる人が、忘れてしまっていること、あるいは用心すべきことですね。

それらの重要情報なども多々列挙しています。

あまりに無防備であると、やはり古今東西、犯罪や悪いことをしても気に咎めないというサイコパスという人は必ず存在するわけですから、用心すべきことは先人の経験から割り出された理論を先に学んで、それを実行に移すのがいいでしょう。

その経験によって裏打ちされた知識が=知恵になるわけです。

そういった知恵を多く身に着けて人に多く語れる、あるいは良き方法へ導けるようになったらやはり幸せですね。

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しかし、この著者は、経営についての本も出しています。

経営研究に釣りですか…いい趣味ですね。

何かロマンを感じますね。

そんなロマンスにあふれた情感をひしひしと感じることが、この本からできますね。

そういった雰囲気を味わえるのも、また読書の効用の1つであると思ってます。

この本は以下よりお求め出来ます。

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比較旅行学―理論と実際 (中公新書)

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池田潔 『学生を思う』

2020-05-29 14:13:16 | 思想

この著者は、イギリスドイツの大学に留学したがゆえに、それから帰国して日本の大学の教員に就職したので、西欧の大学生とこちらの大学生のパーソナリティや勉学に対するスタンスを、ほぼ対比の構造でとらえているのですね。

大学という最高学府にいながら、体育の課外活動にいそしんで、講義にはほとんど出席しないで4年間を過ごし、それで卒業できる日本の大学制度に疑問を感じることをつまびらかに述べています。

また、勉学にやっといそしめるようになったら、サークル活動ばかりにいそしんで、一方的になってしまいどっちつかずの状態になることをも疑問を呈しているのですね。

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その気持ちはよくわかります。

私も、大学時代にほとんど出席せずにいる周りの大学生に疑問を感じていました。 これまで多くのお金を費やして予備校に行って、ようやく大学に入ったにもかかわらず、遊び呆けている大学生の親不孝ぶりに頭にきていました(笑)

何故なら、1コマの講義の値段は、予備校のそれと変わらないか、それ以上なのは明白なのです。

1コマの講義をサボることで、2000円以上のお金が無駄になるのです。

そうことを平然として、年末の試験の時だけ勉強し、そのために友人からノートを借りて、コピーをして、それを勉強して終わり。

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実にもったいないです。

しかし、ちょっと距離を置いて考えれば、それはその人の親でない私がとやかく言うべきではなかったですし、心底自分から勉強したいという欲求がないのに無理やりさせても3日坊主になることは必至です。

しかし、大学卒業後に知ったことですが、本を読んだり、文字を書いたりするのが好きな人の割合は古今東西変わらぬ比率で、全体的に好きな人は少ない、ということですね。

これはアメリカの哲学者であるウィリアム.ジェイムズから知りました。

そういった事情で、やはり勉強にいそしむ人が少ないんだということがわかりました。

私のいった大学は中より高いところでしたが、やはりアンケート結果で、履修した教科のうちどれくらい出席しているかという質問にたいして、大体1割前後というのが大半でした。

まあこの著者が行った西欧の大学生は日本のとは違って,非常に勤勉なのは有名です。

それは、大学の勉強がその後のキャリアに直結しているからですね。

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大学院に行く、あるいは司法生になるというような感じですね。

しかし日本の場合、大学の勉強がそのまま直結しないがゆえに、そんなに勉学に励まないのですね。

その違いを認識していかないことにはやはり、危険性が伴うことは間違いないですね。

この著者は、「学業にいそしめないなら大学を去るべきである」と書いていますが、それは行き過ぎではないかと思われてならないですね(笑)。

先に挙げたウィリアム.ジェイムズのいった言葉を知っていれば、そんなに憤ることではないと思えるようになりましたし、本を読んだり、文字を書くことに楽しみを覚えないでもできる仕事はいっぱいあるわけですし、怠惰だった大学生が卒業後も怠惰かとうとそんなことはなく、やはり勤勉に仕事を全うしているのが大半です。

やはり勉強が好きな人は少数派なのです。

それは、ブライアン.カプランというアメリカの大学教授の書いた『大学なんて行っても意味はない?』という本を読んでもわかったように、日本のみならずアメリカでも事情は変わらないようです。

この『学生を思う』の著者が留学した当時とは違って今のアメリカの大学は大衆化していますから、どの大学もエリート養成の場ではなくなっているのですね。

大学での勉強を重視する立場の人の心はわかります。

そこで学ぶ内容は、世のなかをよくするための理論を学ぶわけですから。

その内容を学び、そこで得たことがらを実際の生活で行動していけばいいことに違いはないです。

そういう人が多ければ多いほどいいのはいうまでもないです。

大学で学んで、いいと思ったことは、実際の生活で今も実行しています。

洗剤の多量使用は環境に良くないですから、環境に良いものを買って使ってますし、なるべくまとめて洗浄するようにしてします。

家庭内で出た生ごみは、清掃工場で燃焼させることで大量の石油を使い、燃やすことで二酸化炭素を出しますから、すべて土に埋めています。

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そうすることで、土内のバクテリアが分解してくれた上に、栄養素になりますか環境に良いことであるに違いありません。

また、メーカーが使用している有害物質が人体によくないことを知っているわたしは、そういうものを使用しているメーカーに直接メーカーにメールをして使用することを戒めることを訴えています。

それが受け入れられて即実行に移されることはないですから、その危険性についてブログなどで発信したりなどしています。

また、政治家に対して、盲点になっている部分に関して、直接メールして示唆しています。

その他、人間力の向上のために、常にその分野での向上を心がけています。

そういう努力を絶たないでいます。

こういった努力をする人間を作り出すことがそもそもの学問の目的であるはずです。

こういった事を書いてある本をほぼ毎日のように読んでいたからこそ、学者の人たちは、問題点が見えているはずです。

そのために多くの人が努力する、行動することが大事であると精神分析学の祖であるフロイトは感じていたのでしょう。

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 フロイト

ゆえにフロイトは、日々、社会をよくするための行動をしない人とは付き合えなかったといいます。

しかし、このような行動に国民全員を駆り立てるのはかなり難しいでしょう。

何故なら、問題点は本を読むことで初めて知ることが可能になる性質のものだからです。

しかも何十、何百という冊数をです。

そして、本を読むことの利点は社会の問題点を見つけるというにとどまらず、自分の健康や経済生活をよくするという利点もあるのです。

ダイエットや健康などは、漫然とした生活で達成できるものではありません。

やはりその分野の本を読んで、そこに書いてある内容を理解したうえで、実行に移すことで叶うものです。

食べるもの、飲むもの、エクササイズ、睡眠時間、その他すべきこと、してはならないこと…etc多岐にわたります。

それを脳内に叩き込んで、それを実行に移すことで叶うのです。

1冊の本だけでは、多角的に物事を観れませんから、その分野に関する本を人によっては20冊は読むべきだという人もいるくらいですが、その通りですね。

健康もそうです。

単に心の中で健康になりたいと願っているだけではかないませんから、やるべきこと、やってはならないことを多岐にわたって勉強し、実行することが何よりも大事なのです。

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しかし、読書家の人には信じれないでしょうが、本を1冊読むだけで、もう精神疲労を起こしてしまう人の方が多数派なのです。

そのことは、ウィリアム.ジェイムズ浅羽道夫氏の本を読んで初めて知りました。

それゆえに、大学に入ってもほとんど講義に出席しない人がほとんどなのか、ということが分かった次第です。

ですから、このような日々本を読んで、それに書いてある問題点をよく方向へ変えるための行動に、国民全員に駆り立てたせるのは無理というものでしょう。

それが可能ならば、直接民主制も可能でしょうし、官僚もいらないでしょう。

しかし、それは無理であるから、問題点は残存したまま放り置かれるのでしょうし、そういったことが可能な人を国が必要としているのです。

事、人間関係にしても、国民の全員が毎日、本を主体的に読むようになったら、人間関係で悩む人はいなくなることは間違いないでしょう。 しかし、たとえそれが叶っても、人の心に無関心なまま生涯を終える人もいますから、そんな人が人間関係改善のための本を読んでも行動に駆り立てることはないでしょう。

そして、だれもが人間関係に気を遣うようになれるのなら、そういったサイコパスな人間もいなくなるはずですが、それも不可能なことです。

ゆえに知的な武装が必要なのです。

そこでも本が必要になるのですね(笑) サイコパスの生態について書いた本を読むことが大事になります。

ですから、どの人間にも学者のような生活を期待するのは不可ですし、望まない方がいいでしょう。

たとえ、そのようなことが可能としても、多大な労力を必要とするのです。

英語の勉強は普通の人なら中学校から高校まで6年間勉強します。

それだけ勉強して、それから大学受験のための勉強をすれば、もう1度勉強すれば、ほぼ暗記状態になるだろうと思われがちですが、実際はそうではないのです。

ある外国語習得について書かれた本を読んだところ、大学の英語の先生でも、単語や文法、熟語等を忘れないように、毎日小説を読み、音読もし、レコード等を聴いていくということをしていかないといけないそうです。

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これには驚きました。

でも私も思い当たる節があります。

大学受験のために使っていた英語の初歩的な問題集を、卒業から何年も後に棚から取り出して回答したところ、正答率は30%でした(笑)

一番得意だった英語ですらこのレベルになってしまうのか、と愕然とした思い出があります。

これは極端ですが、やはり本を読むといっても、その書いてあった内容を忘れないためには、これまた多大な努力をしなくてはならないことなのですね。

読む、書くといった作業以外にも人と話す、議論を重ねるといったフィードバックが必要なのです。

ですから、そんな生態をすべての人に求めるのは無理というものでしょう。

しかし…しかしですが、それで諦めてしまっては、学問の存在意義がないのです。

その学問の重要性、いや必要性といった方がいいでしょうが、それについて体感している人がいるのならば、そのスタンスをなくしてはならないと思いますし、それは継続しないといけないでしょう。

またしていない人ならば、今からどんどん本を読み、そこで書かれていること、あるいはそこから喚起された大事なことは、日々実行していくべきでしょう。

そんなことを私は思っているのです。

そういったスタンスが大事であると思っているのですが、諸般の事情ですべての人にその理想を課すのは無理と考えています。

でも、それに同情してくださるかたは実行しましょうということです。

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学生を思う (1966年) (講談社現代新書)

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加賀乙彦 『現代若者気質』

2020-05-27 21:06:41 | 思想

 この本は、昭和49年が初版といいますから、かなり古い本ですね。

しかし、この本が書かれたのは、戦争が終わってから30年近くが経っていた時のころですね。

この時代の大学生を中心に若者というカテゴリーに入る人たちの生態をつぶさに観察し、それに意味づけを与えているのがこの本ですね。

もちろん、この著者は大学の教授です。

ヒッピーだとか、レトロな喫茶店だの、アイスクリームだのといった、当時に生まれて、しかもこの著者が若い時分にはなかった文化の出現を目の当たりにし、それを批判的に論じるのではなく、しばらく観察したうえで、自分の若いころの精神性に通じるものを捉えながら、論じているのですね。

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確かに、この著者の若いころに比べて、弛んでいるのは致し方ないでしょう。

戦争というとてつもない厳しく辛いことを経験しなかった世代に、そんな厳しさを求めるのは酷というものでしょう。

そういった一連の作業の中で、当時の若者たちを肯定的にみているのがよくわかりました。

変化は必然であるというのは科学を生業にする人間ならば当然のこととして見做さなくてはならないのは当然です。

不変なものはないというのが不変であり、普遍なのですね(笑)

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それのみか、厳しい時代を過ごした人が必ずしも、すべての分野で優れているかというとそうでもないです。

私は大学生時代にかなり厳しく自分を戒めてきて、本をかなりの数読みましたし、講義もすべて出ました。

だからといって、後世に残すような研究が出せるかというとそんなことないですし(笑)、そんなに講義に出なくてもきちっとした理論を出せていた学生もいました。

それに、大学の講義にほとんどでなくても、卒業後かなりの営業成績を出して、ものすごい稼いでいる人もいます。

ゆえに、苦労してきたから必ずしも、凄いかといえばそんなことなく、人の能力を測る1手段でしかないのですね。

そこをはき違えてはならないのですね。

こんなに講義に出ない人ばっかりで、この人たちは社会に出て大丈夫なのなどと思いましたが、それは杞憂に終わっています。

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必ずしも全部大丈夫ではないですが…。

不変でないことが不変であり普遍であるということを前提として、その意味内容を探り、そこに意味付けをして、よからぬことと思ったら変えさせ、良いと思ったらそれをほめてさらに向上するように仕立てる、こんなスタンスがいいのではないでしょうか?

即刻に、すぐこれは自分たちの時代にはなかったからといって否定するのはいけないし、その人の人格を否定することになるからですね。

しかし、私は逆境に負けない主人公の漫画なり、小説なりを幼少時代に読んできた手前、どうしても村上春樹のような小説家の書くモノは好きになれなかったですね(苦笑)

また、意味不明な歌詞を歌っているビジュアル系バンドの音楽も好きになれなかったですね。

以上です。

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現代若者気質 (1974年) (講談社現代新書)

 

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