飯田経夫氏の著作の紹介

2020-04-30 14:34:43 | 経済論

この著者の飯田経夫氏は、常々アメリカの日本に対する態勢を批判してきた人です。

90年代の後半にこの人を知りましたが、その単純明快でわかりやすい筆致に引き込まれた私ですが、最近インターネットで詳細を調べると、このかたは亡くなってしまったのですね。

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非常に惜しい人をなくしましたね。

そのアメリカ批判の内容は、その野放図な政策のつけを日本に肩代わりしてもらう、という姿勢を批判していたのですね。

アメリカの株式制度では、株の持ち合いという慣習がないのですね。

ですから、企業の業績が、素直に反映されやすいのです。

つまり、すぐに自分の株価が上がり、自分が儲けることを最優先に考えているのですね。

しかし、「株の持ち合い」は日本には厳然と存在しているのです。

それは系列関係をより確かにし、企業の買収といったを防ぐためにあるのです。

こういった自分の直接的な儲かりを最優先にするか、長期的な自分の会社の業績を優先するかの違いがあるのです。

こういう精神は、元のアメリカの精神にはあったのです。

鉄鋼王カーネギー、自動車王フォードなどですね。 こういった人たちの精神を、今のアメリカの企業家たちは忘れてしまったのでしょうか。

アメリカの企業は四半期主義にあるといいます。

アメリカの上場企業は、資金調達を主に株主に頼っているので、経営者は株主の利益を優先させているのです。

株主の利益を上げた経営者は有能で、下げた人間は無能と烙印をおされ首になるといいます。

こうなると、M&Aやリストラクチャリングで会社の売買だけで手っ取り早く収益を稼いだほうがいいということになります。

それが、そのまま国の経済のいきかたの違いになっていますね。

モノづくりは、手間ひまのかかる作業です。

トップからヒラまでのチームワークですから、労使関係にも気を配る必要があるのです。

しかし、金融で儲けることにおいては、男一匹の才覚と運のすべてをかけて一発当てることができるのです。

アメリカの経済の中心はこのようになってしまっているのですね。

しかし、経済の中心に据えるべきは、国が最優先で取り組まなければならないのは、やはり「モノづくり」ですね。

「海外の投資家が、その国の長期的な利益を考慮した真に重要な投資をする保証はない。それは、その国の経済をただ不安定にするだけだ。」

というケインズの言葉を引き合いに出すまでもなく、グローバル金融の昨今においては、資本の気まぐれな移動が起きてしまうのは、やはりその経済が順調にいっていない時ですね。

そうならないようにするためには、やはりモノづくりが健全とおこなわれていれば、そういう資本の気まぐれはそうそう起こらないでしょう。

もちろん景気の波はありますから、たとえその国の経済が不況に健全なモノづくりが行われていれば、持ち直すことは間違いないでしょう。 そういうモノづくりを怠ってきたのがアメリカの経済なのです。

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いや最近の、研究で明らかになったことは、『闇の権力』によってアメリカの経済界は乗っ取られているということです。

モノづくりをしようと思えばできないことはなかったでしょう。

しかし『闇の権力』の乗っ取られたアメリカの経済界はそんなことはしないで、金融で自分たちの懐を肥やすことしか考えてなかった。

『闇の権力』とは、ハルマゲドン(最終戦争)を引き起こして、人類の大半を核戦争で抹殺し 、ウィルス兵器をつかって人類の大半を断種し、生殖能力を奪い家畜化するという計画をもっている人たちです。

アメリカの軍事部門は『闇の権力』の手先である「DARPA(国防高等研究計画局)」の傘下に入ってます。 アメリカの製造業は常に世界の先端を走ってきました。

自動車、家電、鉄鋼、造船、光学機器といった分野で驚異的な発展を遂げる事が出来たのですが、 その軍事機密に関しては、民間に流れることを法律で禁止しているのです。

その『闇の権力』に、現在のアメリカの為政者たちは乗っ取られてているので、この国の経済はモノづくりで世界での先端を走ってきたのに、すぐに後続に追い抜かれる、ということを続けてきたのです。

それで納得がいくでしょう。

なお、その『闇の権力』云々については、ベンジャミンフルフォード著の『闇の巻力に握りつぶされた人類を救う技術 現代編』に詳しいので読んでいただきたいです。

そこで自国ではモノづくりをしないで、日本に内需拡大を迫ったのです。

1985年9月におこなわれたプラザ合意において、日本は円高になったのです。

そして86年前川リポート(元日銀総裁の前川春雄による)において、5兆円規模の内需拡大を目標とさせられたのです。

その当時、私は幼少だったので全然記憶にはないですが、当時の総理大臣だった中曽根康弘がテレビCMに出演して、「アメリカの製品を買いましょう!」ということで、自らがアメリカのワイシャツを着るシーンを披露していたようですね。

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中曽根康弘

このことを知って、私は「科学的な知識を得ることは、知った人間がこういう具体的な行動をするためにあるんだなあ」と思った次第です。

その内需拡大においては、低金利政策大規模財政出動をされたようです。 その際に、株と土地にお金が集中して、バブルが発生したことは周知の通りですね。

しかしこの日本の内需拡大でアメリカの経済がたてなおったかといえばそうではなく、この年の数年前のレーガノミクスで、財政が赤字になり、そのために金融を引き締めたため、金利が上昇し諸外国のお金がアメリカに集中したのです。

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それで人件費が高騰し、生産拠点を海外へ移さざるを得なくなり、それでさらに輸入品が多くなり、さらにアメリカの赤字は増したのです。

ここに懸念が残ります。 国は、ひとたび豊かになるとモノを作らなくなるのでしょうか?

国が経済的に豊かになると、為替レートで換算した人件費が国際的に見て高くなるのです。

するとアメリカのように生産拠点を海外に移さざるを得なくなるのです。 そのことにこれからの日本も懸念を抱いていかなくてはならないでしょう。

「モノづくりは遅れた国がすべきもの」というような風潮ができてしまうこともなた懸念していかなくてはならないでしょう。

いかにも金融でお金を得ることが時代の最先端なんだみたいな風潮が広がってはならないですね。

また、飯田経夫氏は、低開発国の開発についても提言を呈しています。

高度工業化や産業化を達成できたのは、ヨーロッパ北西部プロテスタンティズム文化圏諸国や北アメリカ、日本、NIESという地球上のごく一部の国々だけであり、低開発国の離陸がいかに難しく困難な道のりであるかを説いています。

その開発援助は、「途上国の安定と発展が世界全体の平和と繁栄にとって不可欠である」とか、「日本がその国力に相応しい役割を果たすことが重要な使命である」という、ここだけ読むともっともらしい言説がまかり通っていたようですが、それにも苦言を呈していたのです。

やはり、こういうことは人類学や文化人類学のような学問を学ぶとわかりやすいのですが、経済発展のためには、毎日働かなくてはいけないわけですから気候が適切でなければなりません。

極端に暑かったり寒かったりしていては、働くことができません。

そしてモノが流通するわけですから、道が整備されていなくてはいけませんし、言語が統一されていなくてはいけません。

そのためには道路を国全体に整備し、言語を書けるように教育も普及されていなくてはいけません。

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もとより、モノを自国で作らなくてはいけないわけですから、そのための教育も行わなくてはいけないのは言うまでもないでしょう。

そういう経済発展のための条件を整えるためには、ものすごいお金と時間がかかるのは言うまでもありません。

日本が明治維新から、急激な経済発展を遂げれたのは、こういう条件が運よく整っていたからにほかなりません。 しかし、こういう条件のない第三国は、かなり難しいのは他言を待ちません。

でもそれはそれらの国の人々を貶すわけではないです。

しかし、その開発援助のためのお金は、その国の政府高官の懐に入ったり、ニーズを調べずに実施しているから何の役にも立っていなかったし、雨ざらしになっていたのが現状だったようです。

しかし、もとよりこういう経済発展への離陸は非常に難しいことであるのは先に書いた通りです。

やはりこういった面でも同様に、新聞や雑誌等での言説だけでは、その物事委の本質はわからないものです。

こういう飯田経夫氏のように明快に、事の内面を明らかにしている評論を読まなくては。

10年以上も前に読んだ本ですが、今も学ぶことが多くあり、しかも明快な筆致で書いているので何回も読み直したくなる内容です。

学者として、知識人としてあるべき姿を体現していたのがこの飯田経夫氏にほかなりません。 その姿勢を経済学の面で学びたい方は、この本をおススメします。

●この本は以下からどうぞ!

   ↓

日本経済の目標―「豊かさ」の先に生まれるものは

★その他、おススメ図書

ベンジャミンフルフォード著 『闇の巻力に握りつぶされた人類を救う技術 現代編』


K.V. ウォルフレン 『民は愚かに保て』

2020-04-29 21:32:47 | 政治学

このウォルフレン氏は私の敬愛する著作家で、新刊が出るたびに必ず書店で予約して買って、読んでいたものです。

しかし、2015年白井聡氏との対談集を最後に、作品を出していないのが悲しいところです。

その後、ネットのブックストアから、ウォルフレン氏の新刊が出る予告メールをいただき、早速予約しましたが、その後発行がキャンセルになり、そのまま新刊が出ないままなのです。

そうでしょうね。

日本の政府のトップシークレットにかかわる部分についてウォルフレン氏は、さんざん書いてきたのですから、やはり政府の高官か誰かが、発行に圧力をかけたのでしょう。

しかし、それまでの発行された本を読めば、言わんとすることは残るわけですし、その批判部分について今も残存しているか吟味して、残存しているならどうすべきかを、一般市民が考え行動していかないといけないでしょう。

同じく政府のトップシークレットにかかわる部分についていろいろ批判してきたリチャード.コシミズ氏も本の原稿を書いて、それを講談社にもっていってこれを本にするように依頼したところ、「これはいい本です。しかしこの内容の本を出したらうちは政府からたたかれるし出版社としての生命を絶たれる可能性があるからダメだ。」と言われたエピソードがあるようです。

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リチャード.コシミズ

 

やはり言論の自由というのは表向きにはあるけれども、実際厳密には自由ではないようですし、政府の批判をする機関は出版社であろうとつぶされるのが現実のようです。

さてこの『民は愚かに保て』という題の本ですが、これは日本の政府の本音を表す言葉のようですね。

ニュースや新聞、雑誌をよむと、スキャンダルが起きたときにその舞台に上がった政治家なりをたたくことで終始しているということは、これまでにも氏の本やその他の本で明らかです。

これまでウォルフレン氏が継続して貫いてきたのは、官僚批判です。

リクルートや佐川事件において、政治家のスキャンダルが取り上げられていたのですが、政治家に大金を注ぎこむような状況を作り出したのは官僚である、ということの批判で始まっているのです。

これは官僚が無能である、ということを言わんとしているのではないのです。

日本の官僚は優秀であるとしているのです。

その仕事にかける懇親的なアティチュードには目を見張るものがあるとしているのです。

しかし、ただこれまでやってきたことを踏襲するだけで、生起した問題点についてはおざなりにして、それを良き方向へ舵取りしていく創造力が欠如しているということで批判をしているのです。

そして真の意味での総理もこの国にはいないとしているのです。

これは目の覚める、驚きでしたね私は。

権力の中枢がないのだから広く一般に受け入れられた国家と言葉通りにこの国が機能することは不可能であるとしているのです。

政治的指導力の欠如と権力中枢の不在が軍部による独裁を招いたとしているのです。

これは、いろんな国の歴史や政治制度をものすごく深く比較研究してきたウォルフレン氏なればこそ透徹した見方であるといえますね。

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  K.V ウォルフレン

 

軍部にストップかけられるグループが存在できる政治のメカニズムが皆無であったということですね。

日本は、権力集団の集合体であるとしているのです。

より強力な省庁は戦前、戦中に軍部が手にしていた権力にほぼ匹敵する自由裁量権を持っているということです。

法律制定も意のままにできるし、自分たちのルールを強要できるのです。

それのみか、政治家の演説は外務省のワープロで打たれているのだそうです。

また、大企業や業界団体、学界代表は官僚を弁護するのが日課になっているのだそうです。

ここまで探り当てた氏には感服せざるを得なかったですね。

実際に現場に赴いて、こういった探り出した事実の積み重ねが、やはり日本の官僚批判に結び付き、そして氏に研究の対象になったのでしょう。

その研究の結果、世界に冠たるジャーナリストになったのでしょうね。

その抉り出しの適格さには、やはりさすがですね。

国の運命を左右する重大な事態においても同様でしょう。

重大な決断を下した側と大衆の間のコミュニケーションが、日本ではかけているか、皆無であるとしているのですね。

信頼が全く欠けているのです。

それでは、PKOは国としての決定は下されていないことになるのですね。

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官僚は、日常の行政事務的決定からあまりにかけ離れていた政策の策定やその実行という仕事に、対処できる能力がないというのですね。

大蔵省が下した情け無用の経済拡大計画さえあれば日本の将来に不安なしという政策の犠牲に日本人はなっているというのも目の覚める視覚ですね。

これを変更して、戦後経済に移行すれば日本にバブルは起きなかったという主張は、かの有名な『人間を幸福にしない日本というシステム』でさんざん書かれていますね。

こういった権力の側の、研究を読んでいくと、次第に官僚の明確な業務が明らかになってきますね。

それが知らされていないのは、やはり権力の側に意図があってのことであるのかなあといぶかしげになってきますね。

やはり表題を『民は愚かに保て』というのが権力の側の意図なのでしょうか?

その遺産は明治期にまでさかのぼり、それは山県の遺産として、『人間を幸福にしない日本というシステム』その他いろんな本で論じられていますね。

議会制民主主義を嫌った山県有朋がこの制度にして、それが今も継続しているということですね。

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   山県有朋

 

その内容については、『人間を幸福にしない日本というシステム』を読めばいいのですが、これは廃刊になってしまっているので、興味ある人は続編の『いまだ人間を幸福にしない日本というシステム』という本を読むことをおすすめしますね。

※参考ページ

     ↓

『いまだ人間を幸福にしない日本というシステム』

 

その民主主義に反するのは官僚だけでなく、新聞検察も批判の的に挙げているのです。

特定の政治家をえらびだして、政治生命を絶ったり傷つけたりしているのです。

それは恣意的であり誠意にかけるのです。

日本の政治家は多額の政治資金を集めなければ政治家としての大義をなすのは不可能です。

資金の主要源は企業であり、企業は官僚の独断の許認可権におびえるがゆえに、政治家に頼んでとりなしと保護を求めるのだそうです。

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また選挙で選ばれた政治家からの政治的監視が権力に効いていないのです。 非公式な関係と取引は、日本のすべての政治経済制度に特異な性格を付与しているのです。

構造的な保護主義を温存させ続けているのです。

官僚にスキャンダルを使って野心的な政治家を失脚させるのです。

それは新聞や検察だけではないのですね。

これだけ例をあげられているのをみれば、非常に整合性があり、ウォルフレン氏の分析力に感服せざるを得ないですね。

かねてから小沢一郎に称賛の辞を送っていたウォルフレン氏ですが、その小沢氏のほか、細川護熙、羽田孜も称賛し、この3人が日本の官僚たちの権力の上位に政治からの支配力を確立することに成功したならばそれはヘラクレスの功績にも匹敵する大事業を成し遂げたことになるという賛辞を送っているのです。

このような状態になるのが望ましいと思っている人が多く出て、そのようになるように行動する人が多く出れば出るほどいいことは言うまでもないです。

その視点に共感できた人はこの本を読んでもらいたいです。

●この本は以下からどうぞ!

  ↓

民は愚かに保て―日本/官僚、大新聞の本音

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加藤秀俊 『企画の技法』

2020-04-28 21:33:09 | 科学論

この加藤秀俊さんは、大学時代にこの人の書いた本を読んで一気にファンになってしまったのでした。

普通に暮らしている日常生活において、腑に落ちないこと、ちょっと疑問に思っていることを問題点に取り上げて、それを良き方向へ転じる論を展開しているその内容が私とフィットしているな、と感じたからですね。

やはり考えが一緒であるから、ファンになってしまうのですね。

ゆえに、大学入試の小論文では、評価する人と同じ考えに書くと合格する、などといわれるゆえんがあるのですね。

といっても、自分と一緒の考えでないと駄目である、付き合わないという狭い了見で人生を生きているわけではないことはお断りしておきます。

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中にはそういう社長をみてきましたが、そういう社長はいつまでたっても社員が根付かないのですね(苦笑)

そうではなく自分と考えが違う人は、視点が違うから違うことも見えてくる、ゆえにいろんな人と意見を交わし、交流をしていこうという気概でいるのです。

ですから、幅広い考えをもち、いろんな人の意見をきくことで、広い視点が持て、しかもその成員のやる気がわいてくる、ということを身をもって実感したので、それを日々実行しています。

その大切さも加藤氏は説いているのも共感できました。

自分と意見が一緒の人の本を読むと、自分に自信が持てる。

しかし、要件を異にする人の意見は幅広い視野を持ち、成員のやる気を出すためにも必要、というモラルでいるから、その両方が大事であると思っています。

その自信を出すためにまた加藤氏の本を読みました。

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    加藤秀俊

 

今の教育ではどうだか知らないですが、私の小学校時代は、とにかくみんなと同じようにすることを強いられた印象が強いです。

みんな一丸となって球技大会の臨むとき、運動会の臨むときは、やはり同じ方に向かわないとだめですね。

しかし、授業を離れて帰宅した後に、自分だけの世界に入り込むことも許されてはいなかった、というかみんなと一緒に遊ばない人は変な目で見られていたように感じます。

しかし、中学校に入り、学業が第一になると、一人ひとりの自主性が大事になっていきましたから小学校のように一緒になることに強いられるような体質は後退したように感じます。

勉強は個人競技ですから、「自分は自分、他人は他人」という風潮が生成してきたように感じます。 高校になるともっとそんな感じになりました。

しかし、それでもやはり同質を強いる気風は生き残っている感じがしました。

ではどちらが大事なのか、みんなと一緒にするのがいいのか、あるいは個人の心に任せるのがいいのか…私が出した意見は、みんなで一緒になるべき時は一緒にするが、個人に任せるときは一切口出ししない、ということですね。

それの詳細について論じていると、この本の趣旨から外れてしまうのでやめにしますが、そのことの明確な視点もこの本でヒントを得れると思いますので興味あるかたは読んでみるのがいいでしょう。

まず発明には、これまでの既存のものとは違うものを生み出す行為ですから、みんなと違うことをしないといけないことは言うまでもないことです。

冒険心がそういう部分とは他にいろんな部分で必要ですね。

しかし、それは世のため、人のために役に立つことにつながることですから、そこは気を張っていかなくてはならないでしょう。

その概要の描き方ですが、大局を描かないといけないでしょう。

ことは発明だけでなく、企画をするにも、本を書くという面にも同じで、そのしっかりとした大局を持ってないと敢然たるものはできないということですね。

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それは非常に頷けることですね。

本の著者でも、よくいるのが思いつくままの筆先の方法で書いている著書は結局何がいいたいかわからず、しかも論旨があっちへ飛んだりこっちへ飛んだりして散漫で、印象が薄くなってしまうのですね。

そういう論者の本はまた読む気がしないので、Kingsoft Wrighterに「NG著作家」と名をつけたファイルに名を書いてリストに入れてしまいます。

もちろん、その著者の本は2度と買わないのです。

いろんな本を読んでみたい欲求があるので、またそういう論者の本は読んでいる時間がないのですね。

他の本などで、その著者の本が称賛されていても買わないのです。

仕方ないです…。

その大局があることでいろんな体系ができる、そして新たなものの創造につながるのだ、ということを加藤氏は書いてありますがその通りですね。

その創造についてですが、そのことばかりを見つめていると、視野は開けてこないのです。

やはり、その事に深く立ち入ってみる、そのことについての本を読んでみる、また関係のない本を読んでみる、人の意見をきく…こういった行為によって視野が広がり、ヒントがえれて、創造にもつながるのは言うまでもないですね。

加藤氏いわく「観念の世界にはまだ極められていないことがらが山のように転がっている」ということですが、非常に賛同できる意見ですね。

それまで知ったこと、教えられたことしか見てないことから外れてヒントを見つける、これはメタ認知と呼ばれることですが、何事もこのメタ認知が大事なのは言うまでもないでしょう。

いろんなスポーツ選手のインタビューを読んだことがありますが、その選手たちは、コーチや監督にいわれなくても、進んで自分からトレーニングの本を読み、そこに書いてあることを実行に移し、自分にはどういうトレーニングが合っていて、どういうトレー二ングは合わない、自分にはどのサプリが効果てきめんで、どのサプリがあんまりよく仲ということを把握して、自分の能力を最大に高めるノウハウを獲得しているものですね。

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非常にメタ認知が出来ているのですね。

逆に、このメタ認知ができていない人は、どの分野でも成功することはできない気がしますね。

その認知ができるかどうかは、好奇心を持っているかどうか、その内容について自ら勉強していく気があるかどうかでしょうね。

しかし、そのメタ認知だけでなく、アイデアにいきづまった時に、ちょっとした散歩に出てみる、あるいはシャワーを浴びるといった研究や勉強とは離れた時間に出てくるものであることを書かれていますがその通りですね。

やはり机上でう~んとうなっていても、浮かばないことが多いですし、違うときに浮かんでくるのが多いですね。

その閃きをインスピレーションというのだそうですね。

また企画には、それが完成するかどうかの調査=フィージブルスタディにおいて、シミュレーションが行われるようですが、コンピューターにあらゆる変数を組み込み、これを駆使した高度の実験によって未来を手繰り寄せるのが研究の世界には日常的におこなわれているのですね。

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これは企業や大学においてだけでなく、一般人の日常においても、会社の中でもおこわれることで、良き未来を形成することができるのは言うまでもないことです。

そのためには自分から進んでその内容について勉強し、人と話してということで成り立つ気がしますね。

加藤氏に言わせれば、アイデアマンといわれる人はどれも学際的で交友関係が広い人が多いということですし、私もそういう印象を持っています。

そうでないことには、広い視野など持てないですし、他の多くの人の意見をきくような優しい心の持ち主でなければ、人から意見をもらえないですからね。

やはり企画というものは、どこであろうがワンマンな人、人を傷つけてなんとも思わなくて人を従わせることしか脳にないサイコパスという人には無理ですね。

社長として名を上げた人でワンマンでサイコパスな人はいないですね。

また不可測な事態が、どんな企画にはつきものであるから、ゆとりを持ち、遊びの部分を割いておく重要性を説いていますが、それも同じですね私の実感と。

そのゆとりや遊びの重要性については、『マネーの虎』に出演していた高橋がなり氏も書いていたように思います。

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    高橋がなり

 

彼はビデオの撮影の際に、予報とは違って雨が降るというようなことが必ず起こるから、その際にも撮影できるようにしておくことが大事である、ということを書いていました。

高橋がなり氏曰く、「結果がすべてである。言い訳はできない。」ということです。

経験からにじみ出た非常に説得的なことだと思いました。

ここには、自分が賛同できる部分を論じたので、どの人も共感できる部分ではないことは確かです。

氏の他のいろんな部分について全部書いていては、内容をばらすことになってしまいますからそれは控えないといけないでしょう。

その他の多くの部分についてもっと詳しく立ち入って読んでみたい人は、この本を読むのがいいでしょう。

非常におすすめです。

●この本は以下よりどうぞ!

 ↓

企画の技法 (中公新書)

 

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※参考ページ

  ↓

加藤秀俊『取材学』

http://hair-up3times.seesaa.net/article/474732465.html?1587887260

『整理学』

http://hair-up3times.seesaa.net/article/474780456.html?1587889687

高橋がなり 『がなり説法』

http://hair-up3times.seesaa.net/article/474129188.html?1585742134

 

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石原慎太郎 『宣戦布告「NO」といえる日本経済』

2020-04-27 14:02:40 | 国際関係

この本は、90年代後半に書かれたものですが、それでも今でも有意義な内容が書いてあると思い紹介しました。

かつて東京都知事まで務めたこともある石原慎太郎氏が書いたもので、金融の面で、あるいは大国として日本が採択する方向を占うことを書いてあるのです。

日本が金融で当時遅れていたことが、当時の惨事を招いたことということも憂慮していたのです。

貿易と財政の2つで赤字になっていたアメリカが、不慮にも日本に迫って資金繰りを頼んで、ドルの下支えをしていたことは明らかでした。

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しかし、これは経済学を学んだことのある人なら明白にわかることですが、物作りをおろそかにして、金融工学を第一にしてきたアメリカ自身のつけなのです。

また政府の上層部の高官たちや、それを支えていた人たちの経済的な便宜を図るために、そういった人たちを優遇し、関係のない人たちから税金をとることで切り抜けようとした、しかし上手くいかずに借金だらけの体質になってしまったのは明らかです。

それゆえに、アジアもグローバル化をおし進めて、それで切り抜けようとした。 しかしそれでもうまくいかなかったというわけですね。

経済発展、いわば産業化というのは、どの国でも達成できる性質のものではなく、気候、文化、風土…その他もろもろのことが必要で、それにそぐわない国は達成できる性質のものではないのです。

それにもかかわらずそれを断行したのです。

それでもやはり切り抜けられなくなった、というわけですね。

アメリカが2つの赤字を解消するには、まずモノづくりで効果を上げ、それをいろんな国で買ってもらえるようにする必要があるのです。

しかし、覇権国家の哀しいさがというものでしょうか、覇権を握りたいゆえに真逆のことをしてきたのですね。

国民に購買意欲を募らせ、どんどんお金を使うように強いたわけですね。

日本では信じれないことですが、アメリカ人は貯金がゼロという人が、人口に占める割合が日本の数倍いるのです。

しかし、これから借金を減らそうとおもったら、輸出大国にならなければ叶わないことなのです。

ゆえに、覇権を握りたい、それでも輸出大国になりたい、というのは絶対に不可能なのですね。

ですから、アメリカはどちらを捨てるかを選ばなくてはいけないのです。

そして、税金の取り立てを誠意あるものにして、取り立てを厳しくしていかなくてはならないのです。

この2つですが非常に困難が待ち構えているのですね。

アメリカは世界の最先端の技術を開発し、世界に広めてきたことは事実なのです。

しかし民生品は、かなりレベルの低いものがほとんどなのです。

私が買ったことのあるパソコンですが、これも1年以内で調子悪くなりましたし、外国車も買ったことのある友人に言わせればすぐに調子悪くなったということです。

逆にパソコンは今使っているものは、台湾製ですが、5年以上使っても全然調子悪くならないですから爽快そのものです。

こういった私の体験談のみならず、いろんな本を読めば、アメリカの製品は悪いというのがわかります。

なぜそうなのか?

それは、ベンジャミン.フルフォード氏の書いた本の『闇の権力に葬られた人類を救う技術』によれば、DARPAなる組織が、そういった技術を闇に葬ることをしているのだそうです。

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ベンジャミン.フルフォード

 

そういった高度な技術が発明されれば,その芽を摘み取ってしまう。

やはり民生品でも一緒ですね。

だからアメリカの製品は悪いものが多いのですね、最初は世界最先端の技術を発明しておきながら。

その組織はアメリカにあるのです。

それは人類をコントロールするのは自分たちであるという使命をもってアメリカ社会、そして世界を牛耳ろうとしているのです。

それがリュシフェリアンですね。

 

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その手先がアメリカ政府であるとすれば、税金の取り立てを政府に携わる人たちから多く取り立てようとはしないのが当たり前です。

このようなことで非常に難しいのです。

そのアメリカの金融工学の駆使によって日本の経済が乗っ取られようとしても、やはり日本の元首たちは非常に弱腰だったのは言うまでもないです。

たとえ、その手法がネットの普及によって阻害しても、そのリュシフェリアンたちの脳は研ぎ澄まされていますから、1つのモノがだめになっても、すぐに違う手を考えて工学を駆使して、その国の経済を乗っとろうとする。

リーマンショックにしろ、郵政民営化にしろ、リュシフェリアンたちが謀略をかけたものであることは明白ですね。

日本の総理たちは、その理不尽な要望に屈してしまったのは明らかです。

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そうならないように今後、日本の総理や政治家や官僚たちに期待するしかない、というような並みなことしか言えないですが、我々民間人も知的武装をしていくしかないですね。

またはリュシフェリアンたちを滅ぼすための戦争が決起されたら敢然と支持するというスタンスが大事だなと思いました。

かつてポール.ボネという人の書いた『不思議な国ニッポン』という本を読んだときに、日本のこれまでの外交はアメリカの言いなりだった。

しかし石原慎太郎氏の書いた『ノーといえる日本』という本には、非常に共感したということを書いてあったので、この本の読んでみるきっかけになったのでした。

外交は押しなべて各国のエゴのぶつけ合う場である。

そこで自己主張を敢然としていかないことには、相手の言いなりになってしまうということを書いていたのです。

まあエゴでは、あまりに子供じみたような観を呈してしまいますが(笑)、全体を俯瞰しながら自分の国がどうあるべきかを主張していくというスタンスの方がいいでしょうね。

その姿勢が、石原氏には備わっているとそのポール氏は思ったのでしょう。

アメリカが金融を駆使して、攻勢をかけてきた。

だから日本も金融で、という論法はうなづけますが、それだけでは物足りないと感じます。

その金融を駆使するに際しても、物作りという大事なものが備わっていないことには、意味がないし、いずれ経済大国の道は閉ざされてしまうでしょうし、アメリカは経済大国ではあるけれども、見せかけだけで、物作りではなく、消費量が多いから世界一の大国なのです。

その資質を充分に備えているのが日本なのです。

そのことを忘れてはいけないのです。

その日本が金融を駆使して、アジア諸国の繁栄を築くことを石原氏は望んでいるのですし、その趣旨はこの本で書かれています。

その詳細についてはこの本を読んでくださいませ。

●以下よりどうぞ!

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宣戦布告「NO」と言える日本経済―アメリカの金融奴隷からの解放

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加藤秀俊 『整理学』

2020-04-26 17:23:53 | 科学論

この本を店頭でみたら、変わった題名で興味を覚えたのです。

そして、また次に書店に行ったらまた目にしたので運命じみたものを感じて、買って読むことにしました。

それ以前にも加藤秀俊氏の本には関心があったことも手伝いました。

それは非常に単純明快で分かりやすく説得力のある文章なのですね。

それに魅了されました。

アブストラクトであるけれども、具体性ある文も必ず添えてくれますから、信用に足るものです。

その具体的な文章も、やはりわかりやすい文体で書いているのです。

この本の骨子は「記憶ではなく記録をしろ」そして「分類をしろ」ということですね。

そのことで、より深く正確に物事を把握できるということです。

それをしないでいると、どこかにあるはずのものが、どこにあるか分からなくなり、それを探すのに時間がかかり時間の無駄になるというのは実感としてわかりますね。

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ことは読書でも同様です。

どのようなことが書かれていたということを概略でもいいから書き留めておけば、その本に書いてあることを再度記憶に呼び起こすことができるのです。

しかし、それをしないでいては、またどのようなことが書いてあったかを理解するために再度読まないといけないですから、時間の無駄ですね。

この加藤秀俊氏の友人であり盟友であった梅棹忠夫氏は、そういう学習法を「知的消費」として「知的生産」とは対比の構造でとらえて書いていました。

それは別に悪いことではないと断っていましたが、日々情報や知識を生産的に接していかなくてはならない人には戒めねばならない態度といえるでしょう。

こういった整理をしないでいた場合は、単なる情報の積み上げをしているだけであって、何ら生産性はないといえるでしょう。

よって記録して分類しておくことで、生産効率が上がるのは言うまでもないです。

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ことは文筆家、あるいは大学教授といった人のみならず、一般人にも当てはまるでしょう。

名刺交換は日常的ですが、あまりにその数が多くては、顔も人となりもわからなくなって、再度あったときにわからなくなって失礼なことになってしまうのは言うまでもないです。

そこは加藤氏に言わせれば、名刺の裏に似顔絵をおおよそ描いて、特徴も書いておくということですね。

ここを読んでなるほどと思いました。

また、人との付き合いは大事ですが、あまりに仕事などに忙しくて、連絡を取るのを怠っているといつしか疎遠になってしまいますから、それも分類し、いつまたメール等で連絡するかといったことを予定表に書いておくのは非常に大事ですね。

何もしないでいると、いつしか自分のことは忘れられてしまうことは必至ですし、そんな生活では非人間的になってしまうことは目に見えています。

知的生産を生業にしている人以外も、このスタンスは大事と思いました。

その記録と分類の、詳細についてはこの本を読んでいただくことが大事ですね。

これを読んでいたら、YouTubeで年老いたおばさんが、生活に必要な小物や食物を、部屋内に持ち込み、そのまま捨てずに、部屋内に積んでいってしまい、その後、その中から不要なものを捨てずにいたらゴミ部屋になってしまったということですね。

そのおばさんの死後、その部屋を清掃していったら、押し入れはもちろん、床からもいろんな使える品はもちろん、食物、そして現金すらも出てきた、というドキュメントが放映されていました。

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これは、老齢のために腰が悪くなり、自分の手元にしかものを置けなくなり、それが手前にだけにどんどん積み重なっていって、このような修羅場になてしまったということですね。

押し入れ内から、要らないものを出して、それを捨てるか、売るかしていく、ということをしていけばいいのですが、それがめんどくさがっていたのか、あるいは老齢のためにできなくなってしまったのかはわかりませんが、それを怠っていってしまったがために、今状態になってしまったのでしょう。

これは整理を日々のルーティンワークにしていればいいのですが、これは誰も注意してくれないがゆえに、自分を律することができていないがゆえに、やはり悪いようになってしまうのでしょうね。 しかし、そこで自分を律するためには何が一番重要でしょうか?

やはり「文字」にほかなりません。

これこれのことをする、といったことをスマホや紙に書いて、それをいつも眺める。

あるいは目に付くところに置いておいて、自分を行動するようにする、こんなスタンスが大事ですね。

やはり自分で自分を律しようという気概を維持するには、これが王道だと思うのですね私は。

それによって、気持ちのいい思いになるのです。

部屋がきれいに片付くのを見るのはやはり気持ちいいものです。

しかし、そのために必要なのは、体力も重要でしょう。

この老齢のおばさんですが、老齢のために整理ができないでいた、ゆえに整理ができないくなってどんどんごみが積み重なっていったということですが、それが出来なくなったのは、やはり運動を、エクササイズを習慣にしていなかったからでしょう。

しかし、その運動を習慣にするのも、やはり「文字」の力が大事なのですね。

いつかやろう、という思いを抱くのは良いですが、それではあまりに抽象的で、実際そのいつかはいつですか?と聞きたくなってしまます。

やはりいつかではなく、何曜と何曜と何曜にするというようん具体的に、決めてそれを自分の目につくところに置いておいて、すぐに実行に移すというスタンスが大事ですね。

それを実行することによって、老齢のために整理ができなくなったなどということはないのではないでしょうか?

そんな老齢になったことがない私ですから、そんなこと揶揄する資格などないのではいですか、と言われそうですが、でも私の経験言って、日々エクササイズをする習慣をしている私ですが、それによって全くする期間がなかった時期に比べて、非常に体力的にみなぎっていくのが感じれるようになったのは間違いないですし、そのエクササイズをしなかった時期から、するのを習慣にしていくときには、精神的な葛藤がものすごくあり、行動に移すことが非常に難しかったのは経験としてあります。

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しかし、その葛藤を乗り越えたからこそ、そのような生活を奨励する資格はあるのではないでしょうか。

私が、この『整理学』に共鳴したのも、また、整理の重要性を実感したのも、やはり実際に目にしてからですね。

実際に目にしたというのは、ある時引っ越し屋の手伝いをしたときに、その家の奥から、1度か2度くらいしか着てない服や、1度か2度くらいしか読んでない本、いずれもきれいでしたが、それらが凄い数でてきたのですね。

それは不要だから捨ててしまってくれと、その依頼の住人さんはいうのです。

ほとんど使用していないのに…もったいないと思わざるを得なかったですね。

やはり常に整理していないから、何がどこにあるか分からなくなって、いつしかそれらの存在を忘れて、同じ物をどんどん買っていってしまい、そしてそれらも整理しないでいたから、それらの存在を忘れて、また同じものを買い…というスパイラルを繰り返してしまっていたのでしょう。

非常にもったいないことですね。 それは買わなくていいものを買ってということだけではなく、それらの有用性を体感できずに終わってしまってということででもあるのです。

それに、スピリチュアルなことを信じている人、あるいはそれを非科学的であることがわかっていても信じざるを得ないと思っている人は、綺麗で部屋内に物が少ない方が、幸運や金運に恵まれるということを知っているのです。

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その意味でも、それを実行していなかった人はやはりもったいないと思うものです。

その状態を、この引っ越しの際に実感した私は、帰宅後すぐさま掃除、そして整理に取り掛かったのです。

このように情報を目にすることによって、行動を促すことにつながる、ということです。

「何曜と何曜と何曜にエクササイズをする」という文字も情報ですし、このようになると大変だし、物の無駄だし、綺麗さを損ねると感じたことも情報です。

後者は、いわば反面教師ですね。

人の良くない状態をみて、自分の行動のきっかけになり行動するのです。

私も完璧を目指していますが、人間である以上、完璧にはなりえないでしょう。

いろんな人と接してきたゆえに、私のことを人がどのように感じてきたかは気になるところですが、中には私を反面教師にしている人もいるでしょうし、それは仕方ないことでしょう。

ああ、恥ずかしい…(笑)!

このように、こと整理という分野においても、やはり情報が大事なのです。

それに加えて、先頭から書いたようなことをするにも、日々の物の整理でも体力がいることは明白でしょう。

そのことに共鳴できた人には、是非ともこの本を読んで、日々の情報、物、人間関係を整理して洗浄して、気持ちのいい生活を送っていってもらいたいものですね。

●この本は以下よりどうぞ!

    ↓

整理学―忙しさからの解放 (中公新書 13)

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※参考ページ

  ↓

加藤秀俊 『取材学』

http://hair-up3times.seesaa.net/article/474732465.html?1587887260

 

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