小此木啓吾 『1.5の時代』

2016-08-16 15:34:37 | 現代社会

 

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この本は現代文明の弊が、知らぬうちに浸透していき、気が付いたらもう手のつけようのないほどの事態になる。

そのことを気づかせてくれる恰好の本であるなと感じた次第です。

この本の表題にある1.5とは、人間関係の基本が2.0(私とあなた、我と汝)や3.0であるに対して、人とゲーム、人とテレビ、人とイリュージョン、人とその他いろいろ(人形、ぬいぐるみ、芸術、ドラマ)の関係のことを言います。

それが現代社会のほとんどか基本になっていることの危険性をこの著者の小此木氏は指摘しているのです。

この心性を科学技術の巨大な仕組みによって拡大増幅して飛躍的に進歩させたのが現代社会なのです。

ボタンやスイッチの操作1つで、生き生きとした人間像が登場し、擬人的な機能を様々につかってお相手してくれるのがこの利器です。

伝統的な規範や道徳による3.3の世界秩序が力を失い、2.0の人と人との間が希薄化しているのは言うまでもないでしょう。

1.5
の中で、映像化された人間像で、もっと身近に直接体験しようという願望を満たすためであって、それ以上の深い1対1の深いかかわりを求めていないのが現代人である、というのです。

全部の現代人がそうであるとは言えませんが非常にそういう特徴に染まっているのは明白ですね。

そういう人は人間をうまいように利用するだけです。

会社ではいい顔をして付き合うが、それ以上の付き合いはせずに友人も作ろうとはしないのですね。

私は、いろんなところで働いてきましたが、そういう人は現にいました。

会社内では人と付き合うけれども、飲み会には絶対に付き合わないし、会社内では友人も作ろうとはしないで、旧知の友人とだけ遊ぶ。

その人の基本的な趣味は、テレビゲームだけ(笑)…それはその人の価値観ですから、とやかく言う筋合いのものではないかもしれませんが、これではちょっと寂しいですね。

これもひとえに、現代において文明の利器が浸透したから、ということも言えそうですね。

人と付き合わなくてもテレビゲームがあるから、友人をわざわざ作ろうとは思わない…そんな心性なのかもしれないですね。 そういった利器の弊のみならず、マスコミによる1.5の弊も分析されています。

美しい景観の旅行会社の写真や贅沢なグルメの写真、あるいは実在したスーパースターやスーパーウーマンなどをいろんな媒体で掲載する。

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それを何回も見た人は、自分がどんなに努力してもスーパーウーマンにはなれない、という自己不全感が覆う。

このような自己不全感は同時に、マスメディアの世界のスーパーウーマンたちに対する、あこがれや同一化を作り出すのです。

憧れれば憧れるほど自分は決してその対象と同じではないという現実認識が潜むのです。

この現実認識が妬みや羨みを生むのです。

それが高まると突然憧れがひっくり返って相手を破壊したいという衝動に駆られるのです。

それがファンによるジョンレノン殺害の結果を生んだのです。

ジョンはそんな現代社会の病理によって殺されてしまったのですね。

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マスメディアによるスーパースターやスーパーウーマンの露出が、見た人にとって希望になり、それが生きる人の活力になることは事実でしょう。

しかし、それは誰もがなれるということではないのですから、うまくいかなかったときにこそ周囲の励ましが必要なのです。

そのことに気付くのは、やはりこういう本を読むことによってではないでしょうか?

小此木氏は、現代は嫉妬ではなく、羨望の時代であるといっています。

これも的を得た表現であると思います。

そういうことを気付くのも、こういう本を読むことによってではないでしょうか?

それは、以下のような歴史的事実によっても説明できるでしょう。

ヒットラーが、政権奪取するときにとったのは、多くの政治家や学者や良識ある人々の個人的なスキャンダルを告発し、大衆の彼らに対する羨望を煽り出してその恨みや嫉みの気持ちをうまく利用してあたかも自分が正義の味方であるかのように自分を装ったのです。

それにうまく大衆は乗せられたのです。

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これは歴史的教訓ですから、次にこういうことがないように心に銘記しなくてはならないでしょう。

この方法も、以後の政治で利用されることも充分に考えれます。

文明の利器というのは、文字通り利器にはなりえますが、利用を誤るととんでもない弊を生むということも心していかなくてはならないでしょう。

パソコン、テレビゲーム、またはオーディオビジュアルなどですね。

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そればかりにのめりこみすぎるとやはりいけないのです。

実際、健康な子供は遊ぶ時には実は半分の心にちゃんとした現実をわきまえているのです。

しかしファミコン狂の子供は現実の世界に立ち戻ることを忘れて学校に行かなくなり、昼夜忘れてファミコンに夢中になるのです。

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そういう子は、成人してからきまった人としか付き合わない、
という傾向がある。

就業時間中は、会社にいるときだけ会社内の人間と付き合って、それ以降は全く付き合いがない。

また社員にならずにいつまでもアルバイト生活を続け、それをやめようとしない。

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そして低収入のまま…こういう人が現在は増えています。

そういう人は、正社員になるよりも当然低収入ですが、人との付き合いがなくても気に留めていないので、それでもかまわないのです。

いつか読んだ『下流志向』という本に書いてある内容とダブりますね。

こういう人が多く出てきているのは、パソコン、テレビゲーム、またはオーディオビジュアルといった文明の利器の浸透のせいなのでしょうか?

全部が全部そうではないにしろ、それが一因をなしていることは間違いないでしょう。

人との付き合いがおろそかになれば、当然最期を看取ってくれる人もいなくなるのは明白ですね。

「孤独死」…聞きたくない言葉ですが、こういう死に方をしている人は右肩上がりに増えているのです。

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文明の利器に頼りすぎると以下のような弊もまた生まれてくるのです。

イエスかノーかのデジタル的な二者択一思考のみが身についてしまい、このようなコンピューターに順応する結果、これらの人々の創造性は減退し、人との暖かい触れ合い能力は低下する。


小此木氏は、いろんな本を出していますが、いずれでも当為を言わないのですね。

現代社会の分析した事実や理論を提示するにとどめるのです。

それらが現実社会に見事に整合しているパターンがいくつもあるので、人間関係に悩んでも、小此木氏の本で得た理論で武装でき助けられたパターンは何回もあります。


人間関係に悩んだ結果、たまらず宗教にはまり込んでしまう人がいますが、それは早急ですし、あまりに単純すぎます。

小此木氏の本によって私は宗教にのめりことなくすみました(笑)

この本は87年に発行されたものですが、今の人が読んでも充分に参考になるだろうし、書かれている問題点は今も存在しているのです。

こういった心理学を学ぶことは現代人にとって必須であると思います。

確かに、ここに書かれている1.5の関係は、特長として認識できる場面はあります。

テレビゲームに熱中していれば、心がウキウキして活力を心にもたらしてくれることは間違いないですし、マスコミの流す写真や映像も、またオーディオビジュアルも心をファンタジックにして希望をもたらすことも間違いないでしょう。

いずれも触れた人に活力をもたらしてくれることは間違いないのです。

しかし、そればかりにのめりこみすぎると、このページに書いたような弊が生まれてくることは間違いないのです。

そうならないように多くの人が読み、日常生活でどうすべきか、何をすべきかを考え行動していく必要があるのです。

そのことを認識するに格好の本であるなと感じた次第です。


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その他、おすすめの著書です。
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下流志向〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉 (講談社文庫)




小此木啓吾氏の本の紹介ページ

シゾイド人間

モラトリアム国家、日本の危機

ケイタイ、ネット人間の精神分析


あなたの身近な困った人たちの精神分析


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桜井哲夫 『ボーダーレス化社会』

2016-08-16 11:27:12 | 現代社会

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この桜井哲夫氏は、私が大学時代に興味深く読ませてもらった社会学者の1人です。

その内容は論文が書かれた当時の若者によく読まれていた漫画、ファッション雑誌、文学作品をよく研究されて、それらから時代特有の現象を析出し、その内容についての良い悪い両方のコメントを含めて書かれたモノなので、興味深く読んだ大学生も多かったのではないでしょうか?

私もその1人でした。

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この内容は、玄人-素人、大人-子供、男-女という枠組みが緩やかになり、あいまいになった当時(今もそうでしょう)の日本社会について論じたものです。

敵と味方があいまいな社会(=ボーダレス化社会)においては、探偵やハードボイルドヒーローのような物語は成功しにくい、という興味深いことを書かれています。

『怪人二十面相』80年代に男の子にかなり人気のあったストーリーモノでしたが、これは明智という探偵と二十面相という盗人が主役でした。

その人気の秘密を以下のように書いています。

明智二十面相は持ちつ持たれつの共同幻想の中に生きている。

ともに相手を評価しつつ、相手を根底から突き崩そうとはしない。

相手を倒してしまえば、自分もまた評価してくれる相手を失ってしまう。」

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ここを読んで、私が大学時代にいろんな本を読んで、社会を分析した本に多く出くわして、その分析内容の明白さに驚き感動して一気に、科学の本を読みまくるようになった当時を懐かしく思い出してしまいました。

非常に明晰だなと思わざるを得ないですね。

桜井氏
と同じ社会学者である加藤秀俊氏と、桜井氏は交流があるようですが、その加藤氏に通じる分析の明晰さがありますね。

『怪人二十面相』の秘密が、ボーダレス化にあるのならば、『ルパン三世』の秘密もそこにあるでしょうね。

24時間戦えますか?というキャッチフレーズのスタミナドリンクの『リゲイン』を代表に、昼と夜の区別があいまいになっているのも、当時からの日本社会の特徴でしょう。

のみならず企業におけるフレックスタイム制による夜の昼間化も広まり、24時間営業の不ファミレスやファーストフード店も80年代半ば以降急速に広まるようになりました。

しかし、これらの店で提供されるフードは概してカロリー高めで、店の従業員は睡眠時間が短縮されることで、国民全体の不健康化が進行しているのは明白です。

この事実をもって、国民がどういうふうに社会にしていくかを研究していかなくてはいけません。

また、家族の中でもボーダレス化が進行しています。

家と外部を隔てる境界が、この年代からあいまいになっています。

保護避難の機能もなく、家のメンバーをとどめておく凝集力も今の家族にはないのです。


ちょっと信じれないのですが、91年から92年にかけて「レンタルファミリー」なるものも存在したようです。

これはひとえに家族の空洞化が起きているのです。

レンタル彼女なるものは、漫画『笑うせえるすまん』に出てきて、「これはマンガだけの世界でしょう?」と思ったのですが、実際にそれに類するものがあったとは驚きです。

社会科学は、その社会に生起した変化を必然のものとして受け入れながら、その内容について吟味していくのが学者の役目ですが、その変化が起きたことについて批判することはやはり避けなくてはならないことは承知しなくてはいけません。

社会学は、他の学問に比べそういう特色が強いように感じます。

その内容をしっかりと読み、その生起した内容を吟味して、この先どうすべきかはその呼んだ人のモラルにかかっているとしか考えれません。

ただ完全に客観視などは人間誰しもできないもので、やはり批判めいたことは書くのが当たり前です。

これまで例示された現象を見て、やはり批判が出てくるのは当然でしょう。

いまはなき漫画家の手塚治虫氏は、階級対立、民族差別、異端排除、政治的反対派抑圧を漫画で扱っていたのです。

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  手塚治虫

80年代の半ばからボーダレス化していた日本の漫画に比べ、はるかに思想性、社会性、政治性の高いマンガであった、というように桜井氏は評価しているのです。

群衆に挟まれ、群衆の暴力に脅かされ、孤立しつつ戦い続ける主人公が手塚の漫画を特徴づけるものであったのです。

これは手塚の個人的な経験に根差していたのだといいます。

差別や排除、暴力現象を含む近代社会への批判こそが特徴であったのです。

桜井氏
は、 『手塚治虫』という本も書いているように、やはり手塚治虫を高く評価しているのです。

『ノルウェイの森』(村上春樹著、87年発表)を代表するコミュニケーション不能の一般化、デジタル化社会での非熱中化、都会での人間関係の希薄化、ナルシストの氾濫、現実感の喪失などを取り上げているのです。

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その他、「あらゆるものが貨幣に転化し、すべてのものが金で買えるようになり売れるようになる」といったマルクスの言や、「社会的なものが人々の日常生活に深く浸透してきた」というジャックドロンズの言が、この時代に実現しつつあったことを書いています。

また、近代の「公衆」概念は、ほぼ理念のみであって、現実に存在したことはなかった。

日本では国家の中に複数の公が併在し、その利益が衝突し、その時々の状況に応じて「公」が認定されるという、読むと目の覚める分析内容も書かれていてつい集中して読み進めてしまいました。

こういう変化を提示されてどう国民は市民として行動していくべきか考えなくてはいけない。

そういうことを考えさせるに充分な内容を持っているな、ということを感じた本ではあります。


●この本は以下よりどうぞ!
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ボーダーレス化社会―ことばが失われたあとで (ノマド叢書)

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ボーダーレス化社会―ことばが失われたあとで (ノマド叢書)


その他、桜井哲夫氏のおすすめ本!

手塚治虫―時代と切り結ぶ表現者 (講談社現代新書)



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桜井邦朋、SKネトル 『独創が生まれない』

2016-08-12 12:36:26 | 大学論

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この本は、日本の大学における研究内容に少しでも不満をもっている人にはぜひとも読んで、自分の研究の態度を改善してほしいと思う内容を含んでいます。

この著者である桜井那朋氏は、私が大学時代に感銘を受けた学者であり、その人とSKネトル氏との共著で、非常な興味を持って読ませてもらいました。

日本の知的風土が、独創を生まないということを危惧している本です。

まず、問題となるのは、学者が専門の中に閉じこもることを批判しているのです。

「その道から外れたいろいろな道に関心を持ったり、迷い込んだりするのは邪道となり、学問する人間としては恥ずべき行為になる。こんなわけでいろいろな領域に関心を持ったり、研究を進めたりする人間を雑学者としてさげすむようになる。」 ということですね。

人間社会はいろんな領域によって多岐にわたっているものであり、その一部を取り出してそれだけわかっているだけでは、やはり説得力を持たないでしょう。

そうならないためには、いろんな分野において博学であることが重要でしょう。

「哲学」とは雑学と濫読の総体であると私は解釈しています。

なぜ専門を分けたかといえば、本や新聞、雑誌、テレビ、ラジオといった情報の媒体が多くなり、それを手早く処理するために、専門が分化されたのであり、そのことをわきまえずに、専門に閉じこもっているだけで良しとする風土にはやはり非難しなくてはいけないでしょう。

しかし専門を極めないことにはやはり学問の発展もないのは事実です。

ここで思い起こされるのは、いまはなき小室直樹氏の言葉です。

「専門を持たずにいるのは問題です。

自分の専門に精通しているほかに2つくらいの専門に精通していることが望ましいでしょう。」
ということです。

小室氏がまだ助教授であった時代に、もう氏は社会科学におけるちょっとした権威的な存在になっていたから、驚きですね。

このブログでも紹介しました梅棹忠夫氏は、いろんな分野に好奇心の赴くまま勉強されたかたでしたので、いろんな分野の人たちとの対談集でも、対話が進むごとにいろんなストックが次から次に出てくるのが驚異でした!

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梅棹忠夫


そういう人であってこそ、独創的な理論を展開できるのだと思います。

梅棹忠夫氏は、ダニエルベルという世界的に有名な学者が、『脱工業化社会』(1973年)という本の中で展開されている理論よりも先に、脱工業化社会の到来を予測していたのです。

その梅棹氏もそんなにいくつもいくつも独創的な理論を出せていたわけではないので、毎回毎回そういうものを期待するのは酷でしょう!(笑)

またこの本では、日本人の行動様式が極めて情緒的である、ということにも批判されているのです。

衝動的、刹那的な行動が目につき、行動に一貫性が見れない、ということですね。

どこかに書かれていることを真似たり、誰かの言説を取り入れて事故を代弁させたりすることは、自分に責任を持たせずにすむ、ということですが、これはなぜこういうことを批判しているのかといえば、やはり独創性を妨げる、ということでしょうか?

しかし、独創性的な分を書くというのは非常に難しく、そんなに数を出せるものではないことは間違いないのです。

これまで私は1000冊以上の本を読んでいましたが、「独創的だ!」と思った著作家はそうそういるものではないのです。

よしんばいても、その人も他の人と似ている文を書き、たまに独創的なことを書く
、というのが通常です。

そのことについて批判しようとも私は思いません。

でも独創性は、世のため人のために必要なことであり、それを期待されて知識人というものは存在意義があるので、「独創性」ということに焦点を合わせて、そういうものを探求していかなくてはならないでしょう。

独創性のない人は、やはり専門領域が狭い、という古今東西変わらぬ事実があるようです。

私の通った大学でも、専門に閉じこもる教授はかなりいまして、講義内容は毎回毎回同じ言葉の繰り返し、出した本の内容も終始変わらず、しかも引用ばかりで読むのもつまらなかったです。

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そういう教授でも年収2000万円ももらっていたから憤りました(笑)。

私が大学に入って本をたくさん読むようになり、登録した講義を全部受講していて発見したのは、「他の科目、他の専門の本から学んで理論を借りて論文を書くことができる」ということですね。

ですから、試験勉強において複数の科目を並行させて理論を構築できる、ということです。

こういうことは高校までの勉強では体験できなかったことです。

確かに、世界史の近代と日本史の近代を同時進行して勉強していれば参考になる、という例はありますが、それくらいでしょう。

理論付けをするのに他の科目から学ぶことができる、私から言わせればこんなに楽しいことはなかったです。

しかしこの快感をこういった教授たちも学部生時代に経験してきたはずですが、それでもそれ(他の領域を学ぶこと)を教師になってから放棄してしまったのは、やはり大学の学問が嫌いなんじゃないか?と思われて仕方ないですね。

時は、第二次大戦後、日本の誰もが高学歴志向になり、大学が新設されました。

大学の先生は、毎日出勤しなくてもいい、講義の数も毎週5以下…この事実を知って楽をしたいから大学の先生を目指した、という人も少なからずいたことは間違いないでしょう。

自由な時間が多くある。

その自由な時間を使って研究をしまくる教授もいれば、ほとんど寝そべって研究らしい研究もしないでいる教授もいます。

後者の教授は、淘汰されればいいのですが、そういう教授に限って年末試験は簡単ですから、そういう情報をかぎつけて受講する学生のほうが多いのが事実ですから難しい問題です(笑)。

そういう教授は独創も何もないから注意が必要です。

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そして、「流行が変わればそれに合わせて思想から何まで変わってしまう。」という風に批判しているのです。

これも学問の理念から隔たっている、ということですね。

こういう学者、教授といった人たちが多くいたからこういうことを書いたのだろうとは思いますが、今はどうかな?と疑問にもいます。

私の幼少のころは、まさしく同質を強いる社会だったですし、学校のみんなと遊ばないで、家でテレビゲームをしている男子は、それだけで嫌われていましたね。

しかし、今考えると、「みんなと遊ぶ遊ばないはその人の自由なのに、なぜそうしないからといって嫌われないといけないのかな?」と疑問に思います。

それが慣習だから、ではすまないでしょう。

今は、「集団主義とも個人主義とも言えない社会」に変容した日本社会において、こういう付和雷同主義の学者も減ってきているのではないか、と思いますね。

孤独になることを恐れるな!ということを学者たる人にむかって桜井氏は他の本でも書いていました。

そしてこの本を共著者であるSKネトル氏も書いています。

「1人1人の能力や経歴によって同じ対象の研究にあっても、対象の味方から取り扱い方まで人によって全く違うのが当たり前である。

付和雷同して、思考の徹底をしないでいると、思考が極めて現実的な点に向けられ、常識的な判断というか、多数の人々の常識に従って判断や結論にすべてが向くようになる。

ここで力を発揮するのが、前例や慣例であるから、思考の展開は必然的に保守的な傾向を帯びることになる。

するといつまでたっても新しい革新的な発想やアイディアを持ち込むような思考は出てこない。


これは目の覚めるような言論ではないでしょうか?

非常に簡潔であるけれども、非常に頂門になる言で、教授や学者といった人たちだけでなく、市井の人たちも市民として行動していく際に、戒めねばならない言葉です。

名を馳せた俳優や女優といった人たちに共通するのは、みんなと一緒になって楽しむ能力のほかに、「一人でこもってする趣味がある」ということですね。

多くの人と一緒になって楽しむことは重要ですが、それだけではだめで、だれにも負けない個性をはぐくむ趣味がなくては俳優や女優としては失格、ということですね。

孤独になることの重要性について、また興味深いことが書いてあります。

それは、創造的な研究においては、研究の仕方やテーマの取り上げ方などすべての点で、他の人から違った視点に立つ必要がある、ということです。

「このようないわば独立志向とでもいえる研究への態度が必要なのである。 未知だった新事実の発見とか、全然予測されなかった新理論や新解釈の提唱のためには。」

そのためには、私見や偏見がなくてはならない、ということですね。

そうでなくては、いくらたくさんの資料を並べてもデータを並べても何にも帰納されないということです。

これもまた目の覚める理論ですね。

「偏見」というマイナス的なニュアンスを含んだ言葉の理念が必要というのですから。

その他、日本の大学の教授会の在り方や、知識の接し方や言葉の使い方に足るまで、その内容が「独創を妨げる」ということをこと細かに説明しています。

いずれも目の覚める理論であるといわなくてはならないでしょう。



●興味の出た方は以下よりどうぞ!
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独創が生まれない―日本の知的風土と科学

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独創が生まれない―日本の知的風土と科学

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その他、桜井邦朋氏の書いた本についての紹介ページは以下。

『大学教授』



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西林克彦 『間違いだらけの学習論』

2016-08-11 15:49:37 | 大学論

 

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この本は、非常に興味をもって読ませてもらいました。

学習とは何のためにあるのか?

教育とは何のためにあるのか?

科学とは何のためにあるのか?


こういったことを知るためにも大学に進学した理由でもあったからです。

教育を施してもなぜその内容を忘れてしまうのか?

その理由を、この本の冒頭から書かれています。

墾田永年私財法
三世一身法
荘園の成立
班田収授法

これらを成立した順に並べよ、と言われて正答した人は、 「公地公民といった古代土地制度の規制が緩やかになり、徐々に崩れていって荘園制が成立した、という過程の中でそれぞれの出来事としてこれらを捉えるという方法で学習した人」ということです。

反対に、不正解だった人は語呂合わせで暗記していた人だといいます。

語呂合わせはすぐに忘れるのです。

音楽の勉強における音節や、化学の鉱物名の暗記でも同様ということで、その詳細がこの本に書かれてます。

これらの例からいえることは、無関連無意味ではすぐに忘れ、有関連有意味で覚えると覚えてい易くなるということです。

長時間に及ぶ学習の結果、関連する知識がすでに多量に存在し、それでその局面の状況がよりとらえやすくなる。

認識構造の中に使えるものがあれば、新しい単語はどんどん記憶しやすくなる、ということがいえそうです。

著者は、この本の中で、勉強は褒美を与えることでさせようとするとやる気が減退するということを書いています。

これから教育をする立場になる人は心しておいたほうがいいでしょうし、興味のある方はこの本を読んでおいたほうがいいでしょう。

また、認知構造に合うものは簡単に学習できるのですが、それに合わないものはそもそも受け付けないか、試験の後にすぐに忘れてしまう、ということも書いています。

その通りですね。

大学で、科学が講義されているのは、世の中をよくするためにあるのは明らかです。

社会に生成する問題点や病理がなぜ起きてしまうのか、どのように起きてしまうのかを構造的に明らかにしたうえで、そのために市民は何をすべきか?

どのような行動をとっていくべきかを学んだうえで、実際の生活で行動していく、
そのための科学なのですが、その科学の理念に多くの学生は認知構造にあっていないために、勉強しないし、よしんば覚えても試験終了とともに忘れてしまう。

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非常にそのことが私は残念でした。

私が、社会をよくするために、という面にこだわるのは、幼少のころに川に釣りにいって、上流は非常にきれいなのに対し、下流は非常に汚い。

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それはなぜなのか?

では人類は何をすべきか?

どのような行動をとっていくべきか?

を探求するごとに、多くの人がそういうことを探求して、そのための行動をとっていくことが重要である、ということを知り、認知したからですね。

しかし、川が汚染されていくことに対して、別にどうでもいいという人が多くて、よくなるための行動の総体が小さければ結果は出ない。

しかし、河川がきれいになってほしいという人が多ければ多いほどいいのは明白です。

それは、無理矢理強制するものではないですから、難しい問題です。

しかし人類の危急存亡の危機になるほどの常置になったら、それこそ北欧諸国のように社会民主党が全面的に舵をとって強制していかなくてはならないでしょうね。

私のみならず、河川のみならず地球がきれいになってほしい、という人が大勢いるのは間違いないですが、なぜそういう気持ちを抱くのか?と言われれば、それは外側からの強制ではなく、内側から湧いた価値観としか言いようがないですね。

さらに、この本では、「現在の教育は、その知識が世界と交渉するための道具として妥当するものなのか、役に立つのか、何かの基礎とすれば何の基礎などということがほとんど明確にされないままに行われている。」(P.146)と書かれています。

その通りですね。

教師が受講者に対して一方的に話し、知識を教えるだけの教育ということですね。

大事なことは、一方的にしゃべればそれで受講者はわかるだろという気になるものですが、受講者はわからない場面は意外にも多くあるものです。

それがわかったら、教育に携わる人は、少しクッションを入れて、雑談を入れて、そこで自分の価値観等を話すのがいいでしょう。

その雑談の中に受講者を感動させる内容があるということをわかったら私は素敵と思います。

また「つめこみで本当に詰め込めるのであれば、当然ながらつめこみは悪いものではありません。つめ込む内容の吟味さえきちんとしていれば、たいがいの知識は人の生活を豊かにしてくれるからです」(P.165)とも書かれていますが、それも納得できた理論でした。

先に科学は、社会をよくするためにあると書きました。

そのための知識が多ければ多いほどいいことは間違いありません。

人の生活は多岐にわたっていますから、自分の属した学部の知識のみならずいろんな分野の知識を取り入れたほうがいいのは明白です。

そう思い、私は学部にこだわらずにいろんな分野の本を大学時代に乱読してきました。

それで得られた知識はもとより、その姿勢が今の自分の生活をいろんな意味で豊かにしてくれていることは間違いはありません。

人との関係をよくしたいと思ったらその分野についての本を読む。

自分と集団との関係をよくしたいと思ったらその分野についての本を読む。

人と地球環境の良き関係を築きたいと思ったらその分野の本を読む。

よき日本の政治を目指したいと思ったらその分野について読む。

自分が外国人と良き関係を築きたいと思ったらその分野についての本を読む。

自分が某スポーツで秀でたいと思ったらその分野についての本を読む。 …etc

こんな感じですね。

しかし、こういったことを力説しても、受け取る側に知識に対する旺盛な欲がなくては馬耳東風ですね。

そこで思い起こされるのが、アメリカの哲学者ウィリアムジェイムズの言葉ですね。

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ウィリアムジェイムズ

「この世は2つのタイプの人間がいて、1つは、この世界を多元的に捉える人。この人は、リンゴもいいし、蜜柑もいいし、バナナもまずくはないし、パイナップルも結構だ。その間に序列をつけるわけではないし関係をつけるのでもない。いろんなものが並列状態にある、というふうに捉える立場の人。 もう1つは、この世界は最後は1つの絶対的な価値に収斂していって、その体系の中に諸々のモノがちりばめられている、というふうに捉える立場の人。 この2パターンに分かれる。後者の方が圧倒的に多い。」

前者の人は、情報を常に求め、本をたくさん読んでもなんの苦にもならないのですが、後者の人は、情報を集めたり本を読んだりするのが苦痛の人ですね。

この比率は、いくら日本が高学歴化してもそんなに変わらないでしょう。

先にいろんな分野についての本を読むことの重要性について書きましたが、いずれも学校で使う教科書以外の分野がほとんどすべてといったほうがいいでしょう。

ですから、本人に旺盛な知識欲がないとまったく意味をなさない、というのは明白です。

そういう旺盛な知識欲があって違う分野の本を読んでいると、某メルマガやブログを書くにあたり、うまく説明できていないことや、もっと説得力をもって説明したい事項があったけれども、その時に役に立つ知識を得たり、解決策にぱったり出会ったりするのです。

これをセレンディピティというのですが、このセレンディピティの快感は経験した者でないとわからないものです。 このブログでも紹介しました刑務所風のレストランの『アルカトラズ』が大ヒットし年商10億もの会社になったHYジャパンの安田久氏にしろ、開業した飲食店のいずれもがいまだに成功し続けているタレントの島田紳助氏にしろ、共通するのは、 「どうしたらお客さんが喜ぶか?」を考え続け、探し続けているということですね。

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安田久

そういったことにピンとひらめいたり、本等で学びいいと思ったら店の営業で試してみる。 それをいつまでも持続させていったのです。

それで飲食店が成功したのですね。

これも旺盛な知識欲がないとできないことですね。

この安田、島田両氏の経営理論は、経営学部の教授がうなるほどの内容を持っているな、ということを両氏の本を読んで感じました。

★興味のある方は、両氏の本を読むことをお勧めします。
  ↓
一攫千金―なにをやってもサイテーな男の成功術

ご飯を大盛りにするオバチャンの店は必ず繁盛する―絶対に失敗しないビジネス経営哲学 (幻冬舎新書)

しかも両氏はともにレベルの高い大学を出たわけではないのですね。

安田氏は、秋田出身で、東京に来て受験を3回するも、いずれも落ちてますし、島田氏は高校しか出ていません。 ですから成功に高学歴は必要ない、ということが言えそうですね。

必要なのは、「お客様に喜んでもらえるためにはどうすればいいか?」という問題意識を持続させて、しかも成功のための情報を集め続けるという姿勢が絶対に不可欠ということですね。

こういった経営の成功者たちの共通点は、常に自分を鼓舞するために本を読んでいる、ということですね。

「文字による自身の行動の指針と頂門」を常にしているのですね。

惰性で行動をしていては、必ず経営は失敗するのです。

文字による自身の行動の指針と頂門をしていない人は、自身の気分が行動の中心になってしまい、惰性と悪い意味での自己流で店を経営していますから、うまくいかないのです。

10数年前に、店が傾いてどうにもならなくなってしまった飲食店の立て直しを図るべく、成功している店に修行をさせにいって、ノウハウを根本から学びなおさせ、自分の店に帰って再起をはからせる、という番組であった『愛の貧乏脱出大作戦』がありましたが、それに出場したお店のほとんどが全滅、という結果になっているのです。

なぜか?

その店主のいずれもが「文字による自身の行動の指針と頂門」をしていないからですね。

自分の店に帰って料理を作るも、繁盛店で習ったレシピ内容を忘れ、こなさず、美味しくない自己流の料理を作りお客様に出す。 気分の乗らない日は平然と休み、店に表記した営業時間通りに営業しない。

それでお客様が遠のき閉店する…と上手くいかない店主の共通点は一致しているのですね。

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ですから、文字による指針の重要さは今一度認識する必要がありますね。

経営者であろうとなかろうと、自分の人生を豊かにしたいのならば。

その際に大事な情報というのは、受験で習った知識からはほとんどない、というおぞましい事実ですね。

そういうものからよりも、自分から積極的に接した本、雑誌、テレビ、大学での講義…こういったものからの情報のほうが重要性度は高いのですね。

それは厳然たる事実です。

そういったものから得た知識を自分の生活や人生を、精神的にも金銭的にも豊かにするためには、やはり自身の中にインストールしておかなくてはいけないようです。

その方法を巧みに論述したのがこの本であるといえます。


●この本は以下よりどうぞ!

間違いだらけの学習論―なぜ勉強が身につかないか

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桑原武夫 『ルソー』

2016-08-07 16:30:30 | 哲学、思想
 

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社会科学に触れた人にとっては、ルソーという思想家には思いを寄せないわけにはいかないでしょう。


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ルソー

そのルソーという人の内奥についてわかりやすく理解できる良書であるし古典理解のための良書と思います。

中学や高校では、ルソーの書いた本の名やその概要しか知ることができませんが、大学に入ってからは、時間が多くありますから、その内容を本を読んで知ることができます。

非常な好奇心を持って読ませてもらいました。

学問や芸術という文明の産物は、人間の欲望や欲求が作り出したのであり、人間の本来的な自由や道徳と矛盾するとルソーはいうのです。

そういうことによって学問や芸術の発達を批判し、逆に、美徳と素朴さを賛美しているのです。 ルソーの理想は原始未開の民族であり、粗野な農民であったのです。

これらの人たちは、自己愛と憐れみという自然感情だけをもって妨げあうことなく生活する孤独人の世界に住んでいます。

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これはハッと目の覚める言葉ではないでしょうか?

物事が金銭で測られる世界になってしまうと、純粋に愉しむことができなくなってしまいますね、芸術にしろ他の労働にしろ。

しかしルソーの住んだフランスにしろ、他の多くの国にしろ、一度金銭でほとんどすべてが金銭で測られる経済社会に移行してしまったら原始未開の民族や、粗野な農民に戻ることはできませんね。

しかし、芸術にしろ農業にしろ、金銭で測られる社会になってしまっても、その後に原始未開や粗野な農民時代にはない恩恵はあるはずですね。

ですから、そのことは深く考えなくてはならないようです。

「土地に囲いをして、これは俺のものだと宣言することを思いつき、それをそのまましんずるような単純な人々を見出した最初の人間が政治社会の建設者であった」と非常に目の覚める文を書いています。

そして他人のための労働が必要になると奴隷制と貧困、不幸と悪徳が発芽し始めるというのです。


これも同様ですね。 当時の社会にはない精神的に純粋な精神を持っていたころの人類社会に思いを寄せていたのですね。

それゆえに、ルソーは反専制主義であり、反絶対王政だったのです。

しかしそういうルソーは政治社会の恩恵を少なからず受けていたはずです。

しかし、人間は規範や強制がなくてはカオス状態になってしまいますから、そのことについては、国家成立の条件として「契約」を前提にしているのです。

ルソーの著である『政治経済論』において、

① 人民は一般意思に従うことの重要性を強調し(ゆえに法に従わなくてはならない)、

② 自由と強制を同時に確保することの重要性を強調しているのです。

しかし、同時に働きがいのある状態を作り出すことが望ましいのです。

政府は、共有地を設定して、その生産物で賄う方がはるかに望ましいとしているのです。

ここを読むと、ルソーは社会主義のはしりだろうか?と思われますが、そこはどうなのか研究が必要のようです。

そして、娯楽、レジャー、の厖大な対象に重税をかけるべし、ということを言ってました。

それは、富が増大するにつれ欲望や野心が刺激され、暴力と強奪、支配と反抗の繰り返しができる、としていたのです。

こう学んでくると、ルソーは人民のための社会を構築することに生きがいを見出していたことがわかりますね。

社会全体の救済と教育による個人の救済、これがルソーの思想の2大柱をなしていたのです。

ルソーに言わせれば、「人間は本来善であり、それを一時的にもせよゆがめ脱落させたのは社会である。

人間の内面はたとえ如何に純粋であろうと必ず何かのいとわしい悪徳を持つ」
というのです。

魂は外界の抵抗にあい、悩み、喜び、行動する。 その動きにつれて外界の展望が開ける、というのです。

ルソーの小説である『告白』は近代文学の大きな源流となっているようです。

それは意外なる発見でした。

同じくルソーの小説である『新エロイーズ』1761年に初版が印刷され、1800年までに72版を数えたということです。

これも意外でした。

その理由は?ということを考えてみるに、ルソーは自然への回帰を望ましいこととしているのです。

ルソー
『社会契約論』こそが、彼の代表作であり、社会の望ましい状態を詳述しているものと思われているようですが、この本は変革的人為による自然への回帰を強調し 『エミール』では漸進的人為による自然の維持を望ましいものとしているのです。

そして『告白』『新エロイーズ』も同様に自然への思いが中心になっているのですね。

『新エロイーズ』
において、瞑想が何とも言えぬ大きな崇高な性格を帯びているというのです。

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よみがえり、空想する彼の心の中のイメージにルソーは熱中するのです。

全社会、全世界にまで押し広げ、友愛の絆が人々を結びつけることを空想し、また主張したのです。

進歩改良の中にこそ人間の不幸の原因がある、
ルソーは言うのです。

その気持ちはわかります。

旅行にいって自然あふれる場所に浸りきっていると、人工的なものが視野に入ってくると、それが非常に忌避したいもののように映ってくるのです。

しかし、そのような進歩改良を行ってきたからこそ、人間は生き残ってきたのであり、ルソーもその恩恵を受けていたからこそ、彼も人生を生き、人生を享受し、愉しめたのだといえるでしょう。

著述家として生活していたのも、人類が進歩発展をしてきたからこそできた、ということは明白でしょう。

自然への隠遁生活だけではできた話ではありません。

しかし、自然との交感、交響こそルソーの独創的な自然観であり自然描写だったのです。

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そのスタンスが、ロマン派詩人、近代文学一般の大きな流れを作ったのだといいます。

これも意外でした。 ルソーというと、どうしても社会科学者として有名ですから、もっぱらその分野だけに特化した本だけを多数書いたのかと思いきやそうではなく、文学者としてのちに大きな影響を与える文学作品を書いていたとは…と驚きでした。

善性を保ちつつ美徳や感性を培うのがルソーの立場だったのに比べ、理性に基づく知識の増加と社会の改良百科全書派だったのです。

私は、もっぱら後者のほうに傾きがちだったですが、やはりこのルソーの思想に触れると、その立場もよく理解できるし、大いに共感するに足るものでした。

そういったルソーの精神構造には賛意を表します。

確かに、現代社会の都市生活に浸かっていれば、それだけでは心が窮屈になってしまい、やはり都会から離れて自然にあふれた観光地や外国に行ってみたいという気になるのは頷けます。

この文を読んでいてそのような自然あふれる社会を描写した絵がたくさん登場してくる小学校の図工の教科書の絵を思い出し、同時に図工室の粘土のにおいまで思い出してしまいました(笑)。

都市と自然あふれる土地、私はどちらも好きで恩恵を受けています。

ですからルソーの立場には共感します。

しかし、私は人工的なものにも恩恵を受けているしルソーもその恩恵を受けていたことは間違いはないですし、どちらか片方だけで生きれたわけではないですから、片方だけで良い、ということはないはずです。

自然にあふれた世界は素晴らしいですが、それだけで生活していくことは不可能でしょう。

だからこそ人間は進歩改良していったのです。

ですから自然にあふれた世界だけでいい、ということはないと私は思います。

しかしルソーの主張していたことの内容には共感を示すものです。

人間の英知がすべていいほうへ行くわけではないですし、やはり検討をしていくべきことは多くあることは間違いはありません。

私は、進歩と発展に賛意を示すものの、全部を無批判でいることにはやぶさかではありません。

ルソーが最も憎んだものは、金と分業だったのです。

その理由はこの本に書かれていますが、やはり「なるほど!」と思わせるに充分な内容でした。

ルソーは金融の先駆的反抗者だったのです。

それは、これまでの内容を読めばわかってもらえますし、その根拠はルソーに興味わいた人にはきっと読みたくなるでしょう。 金融は、今の世界にとっては不可欠なものです。

しかし、それに対するルソーの批判の内容については、読むに値するものですし、吟味もするに値するものです。

この本を読んでまた意外だったのは、日本、イギリス、ドイツといった先進資本主義国のみならず、当時途上国だったロシアや中国にもルソーの思想の影響が大いに闊歩していた、ということを知ったことです。

それほどに影響力の大きな社会科学者であり思想家だったのか、ということを知ってやはり驚きを隠せなかったです。

その詳細についてはこの本を読むことによって、大いに知ることができるでしょう。

フランス語を勉強した人の書いた文というのは、どうしてもフランス語から醸し出される、日本語だけ勉強した人の文からは感じ取ることができない気宇があふれているのです。

非常にわかりにくいことだとは思いますが、それを体感するには、実際に読んでいただくほかありません。


他にもそういう感覚を体験したのは、水林章さん『公衆の誕生 文学の出現』を読んでいた時ですね。

氏は、フランス語を勉強し、フランスに留学し、フランス文学を研究してきた人です。

そういう人の書いた文章から醸し出されるふくよかな気宇というのは、触れていて快楽以外何ものでもありません。

サロンでの最高のひと時をすごすことができるのです。

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そういう著作物に触れるのも読書の悦びの1つでもあります。

その感覚を味わうこともできる作品として、また1思想家の偉大なる思想を学べる本として、この『ルソー』は非常におすすめです。

●この本は以下よりどうぞ!

ルソー (岩波新書 青版 473)

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