和田秀樹 『<疑う力>の習慣術』

2015-07-19 14:55:21 | 哲学、思想

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この本は、目の前が開けるような明るい人生を送りたい人には、うってつけの本だと思いました。

これまでにある常識について,「これが本当の事なのか?」「まだ改善の余地はあるのではないだろうか?」という心をもつことによって、それをよきものに変えていくことができる、ということがわかりました。

私は大学において、社会科学系の事を学んできましたが、そこにおいても、「これまでの常識について疑問を呈して、それをよきものに変えていくことの重要性」について多く学ぶことが出来ました。

この本の著者である和田秀樹さんは、経済学の世界においても、心理学の世界においても、これまでに偉大な業績を挙げた学者の言説に対して疑問をまったく呈さずに、その学者の言説を擁護するためだけに存在している大学教授が日本には多いことを指摘しています。

確かに、偉大な学者であるからして、真理に近いものをもっていることは確かですが、それに疑義を呈さないでいると今日のように先行き不透明な時代には通用しない、ということです。

 そうですね、どんな学者でも世の中のすべてがわかるわけではありませんから、修正が必要であることに間違いはありません。

 なにもかも疑義を呈するのは考え物ですが、やはり留保をつけて接していくことは大事だと思います。

 まさに宗教も一緒ですね。

 偉大な、カリスマ的な教祖のいったことについて、何も疑問を呈さないでいるとやはり現実にいて齟齬します。

 それなりにカリスマ的な教祖の言ったことでも、世の中の全部を見通せるわけではありませんし、1人の能力でこの世のすべての情報を得れるわけではありませんから、やはり心のなかで留保をつけて接していくことが大事であると思います。

 偉大なる学者、偉大なるカリスマ的な教祖のいったことについて疑義を抱きながらその人たちの書いた本を読んで現実と齟齬している場面を探していくことも、好奇心旺盛な私にとっても楽しいことの1つであります(笑)。

和田秀樹さんは、「人間は、自分の頭がいいとか、自分がかしこいと思ってしまうと、その時点で自分のことを疑えなくなってしまう。どんなに偉い立場になっても学び続けなくては成長が止まってしまう。 逆に自分はバカだからもう少し勉強しようと思って知らないことを学んでいけば、どんなに偉い立場になってからでも飛躍的に能力を伸ばしていける」 と至言を書かれています。

 これは事が、学者であろうとなかろうと、どんな人にでも、心に留めておいてもらいたいことですね。

 その自分の能力を疑うときに、一番重要なのは、「メタ認知である」とも言っています。

 メタ認知というのは、自分のことを客観的に見つめる能力であるということです。

 やはり人の上に立つと、指導することが多くなり、自分の能力の向上がおろそかになります。

 そればかりか、自分のことを棚に上げて人を貶すことが多くなりがちです。

 そうなると部下から、「自分は仕事しないくせに…」という陰口をたたかれることになります。

 そうではなく、「いつも自分は前進し続ける」という気概を持つことが重要であると思います。

 部下を動かすためには、やはり自分が動くことが重要であると思います。

 命令だけして、自分は動かない…こんなでは部下が辞めていくことは必至です。

 また、自分は出来ていると思っても、人から見ているとできていない場面があるのは否めません。

 たとえば、人の行動している場面を見て、「こんなやり方ではだめだ!」と分かることがあります。

 しかし、本人はそれが最善の方法であると思いながらしている。

 そこで一歩引いてみて、自分もこんな方法でしていないだろうか?と考えてみることが必要であると思います。

 自分もそういう方法でしていることがわかったら、その方法を素直に改めることがだいじであることは言うまでもありません。 人は誰しも更なる向上を目指していることは間違いありません。

 しかし客観的にみて、どうにも「その方法ではだめだ」ということを指摘されるまでしていることもままあるものです。

 あるいは指摘することがあまり好きでない人は、指摘しないこともあるでしょう。

 その人は、その私のことを見て「こういう方法ではだめだ。」と思い、私の仕方を反面教師にして行動しているでしょう…ああ恥ずかしい(笑)。

 やはり更なる向上を目指すのであれば、やはり1人でこもってないで、いろんな人と接することが大事であると思います。

 1人でわかることなど限界がありますし、そのことによってわかるというパターンはこの例のみならず多々あるものです。

 また自分を客観的に見つめるためには、やはり本を読むことが大事だと思います。

 本は、その人が書いた、自分にはない人生を生きてきたことによって得れた叡智が詰まっているのですから、それを謙虚に学ぶ必要があると思います。

 そのことによって、「いいな!」と思ったことについては、実際の生活において実践していくことが大事でしょう。

 ここで思い出されるのは、私が尊敬してやまない極真空手の総裁である故大山倍達です。

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大山倍達

大山総裁は、いつまでも謙虚に空手家としての姿勢を体現していた人で、指導をする際にも、自分が壇上に立って全力で行動していたようです。

 そして、道場内やトイレなどで汚れていた場面があったら、人に命令していないで、自ら進んで清掃していたようです。

 他の流派の道場では、先生と呼ばれる人が、指導の際に腕を組んでいるだけで気合いを入れているだけで、自分は稽古しない、というようなパターンもあるようです。

 また清掃に関しても、部下に命令するだけで、自分は一切しないなどという、目を覆いたくなることも…。

 そして、大山総裁は、いろんな本を読むことも忘れなかったといいます。

 そのことによって、謙虚に多くの事を学び、そして自分の姿勢を矯正していったといいます。

 こういう姿勢を私はこれからもずっと手本にしていきたいと思います。

 また和田秀樹さんは、ある事実について、「それはすでに解明されている!」といってそれ以上踏み込んで考えない、情報を収集しない学者や教授は成長しない、ということを書いています。

 先にも書いたように、解明された事実を発見し裏付けた学者であっても、世の中の全部を見通せるわけではありませんし、1人の能力でこの世のすべての情報を得れるわけではありませんから、やはり瑕疵はあるものです。

 そこを修正していこうというのが学者や教授の仕事であると思いますし、ことは学者や教授でなくとも、一般人でも同様であると思います。 やはりここで思い出されるのは、ウィリアムジェイムズの言です。

 彼が曰く、 「この世は2つのタイプの人間がいて、1つは、この世界を多元的に捉える人。

この人は、リンゴもいいし、蜜柑もいいし、バナナもまずくはないし、パイナップルも結構だ。その間に序列をつけるわけではないし関係をつけるのでもない。いろんなものが並列状態にある、というふうに捉える立場の人。

 もう1つは、この世界は最後は1つの絶対的な価値に収斂していって、その体系の中に諸々のモノがちりばめられている。だから社会の中の諸事象についてわざわざ知識を得るには及ばない、というふうに捉える立場の人。

 この2パターンに分かれる。後者の方が圧倒的に多い。」

その前者タイプの人が、学者として成功するのは、これまで私がみてきた例でも明らかです。

「それはすでに解明されている!」といってそれ以上踏み込んで考えない、情報を収集しない学者や教授は、年中同じようなことを講義で言っているだけでしたし、その教授の書いた本も、最初から最後まで同じようなことを書いてあるだけでした。

 しかも、それまでに書いた本は1冊か2冊だけ(笑)。

 そうならないためには、情報に対するあくなき収集欲が必要不可欠であるとも思いました。

 私の叔父は前年に肺がんで亡くなりました。

 肺がんになった際に、病院において検査をして、その結果「手術が出来ない場所に腫瘍ができてしまった」ということで、あとは抗がん剤の投与しかできなくなってしまいました。

 そこで、私はネットでいろいろ調べて、ガンから生還した事例を上げて、抗がん剤投与でない方法を叔父や従姉に、その方法について教えてあげました。

 しかし、2人ともその方法について実行しようという気概がなかったです。

 叔父にいたっては自暴自棄になってしまい、肺がんであるにも関わらず、タバコを毎日すうことを止めませんでした。

その健診から1年後に、訃報が届き、叔父がなくなってしまいました。

 叔父とその娘である従姉は、 「医者がダメだと言われたらもう諦めるしかない」という非常に固定した考えになってしまっていたようです。 たとえお医者さんでも、医学について全部知っているわけでもありませんし、長く自分流の処方をしていると、頭が頑固になって、それ以外に処方をしようという気にはならないものです。

 何故、2人は医者がダメと言ったからとて、私が提示したことをしようとしなかったのか?

やはり頭が固くなってしまっている。

 疑う力が軟弱になっている、としか考えれません。

 なにも、医者さんに診てもらうことを止めろ、と言ったわけではありません。

 お医者さんに診てもらうことを継続しながら、それ以外のガンから生還した方法をしてほしかったのです。

 確かに私が提示した方法が、必ずしも功を奏する保証はありません。

 しかし、行き着かせる場所が、「ガンからの生還」であるならば、自分がすべきことを探して、それを実行すべきであったのです。

 抗がん剤の投与では、確かにがん細胞を殺すことはできます。

 しかし、その引き換えに生命力も殺すのです。

 現在の抗がん剤では、「がん細胞を3割殺し、生命力を2割殺す」と言われているのです。

 そのことを知っていれば、抗がん剤の投与だけでガンから回復させようなどとは思わないでしょう。

 しかし、それは叶わなかったのです(涙)。

今後、こういうことがないようにどの人も心してほしいものです。

 ネットや本で調べれば、お医者さんにだけ頼らなくても、ガンから生還した事例など無数にあるのです。

 それについてアクセスするには、やはり知的好奇心が絶対的に必要であることは間違いありません。

 その知的好奇心でもって、いろいろと調べて、良き人生を送ってもらいたいものです。

 また私の個人的な経験を語らせてもらいますと、私が通った高校は非常に偏差値の低い学校でした。

 しかし、どうしても大学にいって学びたい、という幼少の頃からの希望があったので、高校3年になった時点で、猛勉強しました。

 その時言われたのは、「その高校出身では無理だよ!」「今から勉強しても無理だよ!」ということでした。

 しかし、私は「やってみなければわからない!」という気概で、あきらめることはしませんでした。

 しかし、その努力は虚しく1つの大学に補欠で引っかかっただけで、しかもその補欠になった大学も結局落ちてしまいました。

 その次の年の浪人時代も頑張り、その努力実って全国的にネームバリューがある大学に合格することが出来ました。

 これは、「常識と言われていることを疑って行動することによって可能になった」事例だと思います。

 私の叔父の例のようになりそうな人がいたら、そこを諌めて、良き方向へもっていくように諭してあげていただきたいと思います。

 ここまで書いてきたことからも明らかなように良き人生は、「常識を疑うことから始まる」ということが私は明らかになりました。

 常識に縛られてい過ぎの人には、こんな人生もあるんだよということを心に留めておいていただきたいものです。

 ただし変えてはいけない常識はあるのです。

 たとえば、朝人に会って「おはようございます」、帰るときの「失礼いたします」、過ちを犯した時の「すみませんでした」「申し訳ありませんでした」お客様が来た時の「いらっしゃいませ」、お帰りになるときの「ありがとうございました」と言うことは常識ですが、変えてはいけないものです。

 これを言わなかったら、人間関係を阻害するものです。

 ですから、こういった常識を変えることは絶対にしてはならないものです。

 それに、始めから言われたことを何でもかんでも「これは違うんじゃないか?」「これは違うんじゃないか?」などと疑っていては、物事がスムーズに運びません(笑)。

 たとえば、アルバイトとして入って、上役から言われたことを頭から全部否定して言うことをきかなかったら、その職場はハチャメチャになります(笑)。

そうならないようには、まずは上役から言われたことは素直にききましょう。

 言われたように行動しましょう。

 その行動の中で、改善点があったら自分が上役になった時に、改善すればいいのです。

 改善しようという気概を持つことは素晴らしいことですが、最初から全部改善しよう!では職場はカオスになります。

 また、日本の教育について考察した本には、「日本の、知識を多く覚えるだけでそれで良しとするつめこみ教育は悪い」という趣旨の本を私は多く読んできました。

 そこで私はカン違いをして、「ものをたくさん覚えるのはよくないことなんだ!」という認識になり、アルバイト先で、人に言われたことをほとんど覚えず、上役からしかられたことがありました。

 その時思ったのは、「ものを多く覚えるのはよくないことなんじゃ…」とそういった本に書いてあったことを思い出して心の中で反論していたんですね(笑)。

しかし、それは今になって回顧するに私が間違っていました。

 職場にいる以上、ことをスムーズに運ぶためには最低限の知識は覚えなくてはなりません。

 いつまでたっても、知識を得られない人がいるのなら、その場合もその職場はハチャメチャになります(笑)。

 多く知識を覚えるのだけでは脳に悪いですが、しかし、まずは職場にいたらまず最低限のことは覚えなくてはいけない。

早く覚えてしまえばしまうだけ、その職場にとっては良いことでしょう。

 この例や、現代の大物社長と言われる人たちに共通するのは、「変えてはいけない常識は踏襲しつつ、これまでの常識を疑ってそれを改善していった」ということですね。

 これまでこのblogで取り上げてきた安田久、小林敬といった飲食の経営者や、島田紳助のように芸人でありながら飲食店の経営を成功させている例ですね。

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「いらっしゃいませ、ありがとう」という常識は一切変えず、経営内容については、 「お客様がこういうことをされたら、喜ぶんではないかということを常に考え、これだと思ったらそれを実際の経営に取り込んでいく」ということですね。

 この例からもわかるように、店長と経営者は違うようです。

 店長と経営者とは似てるようですがかなり違います。

 共通するのは、人の上に立って人を仕切る、という場面です。

 しかし、経営者になろうと思ったら、その能力のみならず、それまで自分がもっていた拘りを維持して、それを実際に生かすということが絶対的に必要であるということですね。

その方法によって収益を上げていかなくてはいけないのです。

 それのみならず、1つの経営手法が永遠に有効ということは今の世の中あり得ませんから、すぐに現代にも通用する方法に変えていく柔軟性も必要でしょう。

 こういった私が接してきた人物、私が読んできた本の内容を俯瞰するに、やはりいろんな知識を主体的に学んでいくことによって、自分を含め周りを改善していくことができるということがわかりました。

 そういった知識を得ずして、これまでの「常識」を踏襲するだけ、そういう人生もいいでしょう。

 しかし、そういう道は私のスタンスに合わないのです。

 ですから、私は1つの宗教にはぞっこんにはならないのです。

 その宗教について書いてある本を読めば、それなりに感動する場面はあるが、その本だけが大事なことではないのです。

 人と話したり、本を読んだりすることによってその他いろんなことを学べるのです。

 その宗教内には改善点がいっぱいあるにもかかわらず、その宗教にゾっこんになってしまう人は、大抵その宗教内で言われていることに対して無批判でいがちです。

 そういったことも私には信じれないことです。

 この本の最後のほうで、「学説ではこうなっているから…、常識的にはこうだから…」という演繹的な方法は、今のような不透明な時代には通用しない場合が多い。

 こういうのをやめて、現実の出来事を中心に考えていった方が良い。

 ということを和田秀樹さんは書いています。

 海外のビジネススクールでおこなわれている授業では、成功企業などのケーススタディを通じて、経営手法を理論化しているということです。

 このようなアプローチ法は、私にとって非常に推し勧めたい方法ですし、この本に通底するモラルだと思いました。

 それに共感できるかたには是非とも読んでもらいたい本です。

 この本はコチラから。

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島田紳助 『ご飯を大盛りにするオバちゃんの店は必ず繁盛する』

2015-07-19 14:02:45 | ビジネス

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 島田紳助は言わずと知れた、吉本興業のお笑い芸人であるが、 「クイズヘキサゴン」や「何でも鑑定団」や「行列の出来る行列相談所」 などのバラエティ番組にも司会として出演し、その手腕をいかんなく発揮し、その名をとどろかしている。  

 私が、島田紳助の番組をよく見ているのは、彼のお笑いの能力のみならず、 「人の長所を褒めれる」 「人の良さを受け入れられる」 という魅力に惚れたからでもある。

 4年前に暴力団との関係が取りざたされて、今は芸能界には出れないことになってしまってますが、一説にはあまりにも仕事の 依頼が多すぎて、断るためにそういった話をでっちあげたということも言われています。

 芸能界とは、かくも噂が多いもので、テレビや新聞や雑誌に書かれていることのみが真実ではないようです。

 かといってネットの情報がすべてかと言うとそうでもないのです。

 ではどの情報を最優先にして取り上げるべきなのか、といわれても確定的なことは言えないのです。

 どの紳助さんの情報が正しいかは、この際保留しておきましょう。

 しかし、この本を読む限り、今は悪人となってしまった紳助さんですが、どうしてもそうとは信じれないです。

 この本を読むと、心温かさに潤される感じがします。

この本から学ぶべきことはいっぱいあります。

 それは事実です。

 彼は人情に溢れています!

その彼が、石垣島に喫茶店を出したとか、大阪に寿司屋を出したという情報があれば、経営にとても興味がある私が、その情報に飛びつかないはずがない。 

 別の項で、私は、いまや6億円以上の売上を誇る豚骨ラーメン屋の「なんでんかんでん」の社長の川原ひろしの「なんでんかんでんの作り方」という本の書評を書いたが、そこでは、全くの新参だった川原ひろしが、店を成功させるために、  来店するお客さんに、話しかけ、ただでビールをご馳走し、名刺を交換して友達を大勢作り、それがお店に繋がったということを書いてあるのに感激したのである。  

 それに影響をうけて、当時飲食店で働いていた私は、来店するお客さんに話しかけたり、飲み物の量を多めにしたりして、また来店してもらえる店作りをした。

その甲斐あって、その飲食店がつぶれてしまった今でも、その店が近くにあった地の近くに行くと、当時よく来店してもらっていたお客さんには、話しかけられるし、話しついでに食事になったりするのである。

 私は、こういう人との交流が大好きである。

 このように、影響を受けた川原さんの経営哲学と、島田紳助のそれとはどう違いがあるのかと、興味深く読ませてもらったが、思ったのは、  川原さんのも島田紳助のも、人の心を経営上一番大事にしているのは一緒だな!」 ということである。

  紳助にすると、ビジネスで成功するのは、100軒中1軒にすぎないという。

  その成功した1軒の成功者は良い意味でのかわりものが多いという。

  非常に個性的だということである。

  店を構えて、お客さんに商品を提供し、お金をもらう、こんなことは誰でもできる。

  マニュアル通りにしていれば成功するわけではないというのである。  

   人間は、他人との心のふれあいを求めている。

  お客さんが本当に満足しているか、気持ちよく帰ってくれたかをいつも考えておく必要がある、  と紳助はいうのだ。

  言われてみればあたりまえのことだが、あまりにできていない人が多いのも事実ではないだろうか。

  お客さんが喜ぶためにはどうすればいいか、紳助はいつも考えているという。

  関西にしかない商品を東京のこういう地域にもってきたら喜ばれるのではないかとか、こういう接客にすればお店は流行るのではないかとかをである。

 ファイル0021

 

 優秀なバーテンダーがいて、上等な酒があっても、大声でさけぶお客がいては、雰囲気が台無しになる。

  そのために、紹介がないと入れないという厳格な紹介制にして、会員料金は2000円にしたバーを紳助は作った。

  これは、普通の常識では考えられないことである。

  だが、お客さんのことを第一に考えた結果であることは間違いない。 

 そして、紳助は、何故ビジネスをしたかというに、熱い心を持った仲間と一緒に走りたいからビジネスを立ち上げたという。

   他人のために力を出せる人間は、心に熱いものを持っている。

  熱い心があるから、他人のために頑張れる。

 紳助は、だれでもいいから、儲かるからという理由でビジネスを立ち上げたわけではないのだ。

  他人のために頑張れるという人間を選んでパートナーにしてきたという。

  そうやって立ち上げたのが、石垣島の喫茶店「TOMURU」であり、天現寺のお好み焼屋の「のろ」であり、大阪の寿司屋「はせ川」であるという。

 

 さらに紳助

 自分の楽しみのために、仲間の楽しみのためにビジネスをするという。

  さらにいえば、ちょっとでも世のため人のためになれば良いと考えながらビジネスをできたらもっといいという。

  そして、ビジネスにスリルや喜びや、仲間と何かをする楽しみがなければ、どんなにお金が儲かろうが興味がない

とまでいう。

  なんとも心温まる思いではないだろうか。

 このような紳助の哲学を携えて、これからいきていきたいと、私は読後に痛烈に思ったのである。

 ただでさえ島田紳助のファンである人は、間違いなくこの本を読んで、もっと好きになるであろう。

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佐伯啓思 『従属国家論』

2015-07-05 15:42:31 | 国際関係

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私が尊敬する著述家である佐伯啓思氏の本の紹介になります。

 この本の冒頭には、必ず佐伯氏がどの本でも紹介するニーチェの言から始まります。

 現代は、「人間が命を懸けても惜しくないと思えるような価値の崩壊の時代」であるということです。

 最高の諸価値=絶対的なものなのです。

 人間が、生きることの意味もなかなか確認できない時代であるということです。

 しかし、古代の西欧においては、とりあえずは「神」であったのです。

 また古代のギリシャにおいては、「イデア」であったのです。

 しかし、ニーチェという人物の登場によって、神もイデアもすべてインチキであることが暴露されたのです。

 そうなると、快楽や欲望を「自然の権利」として無条件に肯定されるようになったといいます。

 このように、世の中がなってしまっては、「自分の命を懸けてもいい」という高い価値は生まれないのです。

 しかし、このように周りの人間がなっているかと言えば、そこまではいってないでしょう。

 確かに、そういう価値観で生きている人はいるにはいますが、全部がそうとはいえないのが現状でしょう(笑)。

 否定的なことを書いた本を多く読み続けると、そういう世界観になってしまうことがあるから警戒が必要です。

 現代人を批判的に分析した本を読むことは大事ですが,読みすぎるとそうなってしまう弊がありますから気をつけましょう。

 古代や中世、近代においての日本でも、多くの人の心を捉えたのが、「神」言い換えれば宗教であったのならば、今一度宗教について書かれたものを読むことをしてみたらどうかと言いたいです。

 それだけ人の心を捉える力が宗教にはあるのですから。

 ニーチェが否定したからとて、事実とは限りません。

 神や仏は存在すると私は思いますが、特定の宗教には入らないだけのことです。

 いろんな本を読むことによっていろんな大事なことが学べると思いますので、何も特定の宗教に入る必要はないと思いますし、そう思う人が多くいるからこそ、昔のように宗教が流行らないということも大きな原因もあるでしょう。

 また、宗教に拘らずとも、自分が読んでこの人の考えが自分の価値観とぴったり合って、その書いてある内容について日々実行していこう!という思いに駆られるという経験が出来たらその人は幸せであると思います。

 そういうカリスマ的な人の書いた本が、すなわちあなたの宗教になるのだと思います。

 また、これをやっていると時間のたつのも忘れて没頭してしまう、というものもあったらその人は幸せであると思います。

 このようにカリスマ的な人の書いた本や、とことんまで打ち込める仕事や趣味…こういったものがあれば、その人の人生はかなり実りあるものになることは間違いないでしょう。

 しかし一国の行方を占う上で、大事なのはやはり絶対的な価値であることに間違いはありません。

 日本がこれまでに、その依拠としたものは何だったか?

 日本では、絶対的な価値を生み出したのは「状況」であったと佐伯啓思氏はいいます。

 

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佐伯啓思

それに順応することが絶対的な価値であった、というのです。

 民主主義国=国民が主権者です。

 すると、市民が自ら武装し、市民が自らの力で国を防衛するというのは西洋では当然の発想なのです。

 民主主義の手本とされているジャンジャックルソーは、 「統治者が国のために死ねと言えば、すすんで死ななければならない」と言っています。

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しかし、日本ではこういう発想はありませんね。

 自分は平和に暮らし、防衛は他人に任せる…そんな発想であるといえましょう。

 ジャンジャックルソーの思想は規範にするも、その内奥全部は受け入れない。

 これは一種宗教に似ていますね。

 教祖の言うことの基本は守るけれども、その教祖の書いた教義の全部までもは受け入れない。

 自分の都合のいいところだけを抜き出して、脚色を施してしまう…これはなにも宗教のみならずあらゆる団体に当てはまりますね。

 ですから、そのことについては批判はしません。

 しかし、そのジャンジャックルソーのいった内容については心に明記しておく必要はあるでしょう。

 日本の「構造改革」1993年頃から始まりました。

 構造改革とは、要するに日本の経済構造は極めて閉鎖的で前近代的だ、この特殊で後進的なシステムによって日本企業は保護されており、自由競争をしていない。

 だから、自由で公正な市場競争をするような経済構造に変えなければならない、ということでした。

 これは明らかに、アメリカの押しつけであったことは明らかです。

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日本はアメリカの属国である、というジャーナリストは日本はもちろん海外でも多くいます。

 その属国よろしくアメリカの批判をすることなく、日本のマスメディアやジャーナリズムもこれに一斉に唱和しました。

 確かに規制撤廃や規制緩和によって、安価な海外製品も輸入され、日本の物価は下がりました。

 そのために、日本の企業は激しいコスト競争にさらされました。

 コスト競争の結果、賃金が下がり、派遣やアウトソーシングのような不安定な雇用形態にかわり、日本型経営や日本型雇用は崩れていったのです。 その結果が、20年以上にわたる日本のデフレだったのです。

 日本の経済学者は基本的にアメリカに留学し、アメリカ型の教育を受けてきます。

 80年代アメリカの経済学は市場競争論一色になりますから彼らの経済についての見方は基本的に市場競争を良しとするものです。 それで日本の経済を分析する、すると日本の経済は公正な競争をしていない、と判断するのです。

 事は経済学者だけではなく、官庁エコノミストも同様です。

 いかにも主体的に物事を決定した、と思いこんでいる。

 「アメリカへの自発的従属」に陥っている、ということです。

 アメリカの歴史観は、自由や民主主義やヒューマニズム、人権観念や個人の幸福追求の権利、こういう価値を人類の普遍的な権利だとみなしている。

 北朝鮮、イラク、アフガニスタン…こういった国を敵対国に想定し、そのためには強力な軍事力をもたねばならないなどと吹聴する、

しかしこれはアメリカの国益追求以外の何物でもない、ということは明らかです。

 またグローバリゼーションを進めるのも同様です。

 それをすることによって、アメリカの国益につながるからです。

 あまり日本国内では言われることは少ないですが、アメリカは世界一の借金国家なのです。

 それを埋め合わせるために、どんな国にも貨幣経済を導入させて、その国に金を無理やり貸し付けて益を出そうとする…暴論以外の何物でもありません。

 日本や欧米のように貨幣経済がうまく機能するためには、気候、風土、教育、こういった様々なものが重なり合って初めて上手くいくのです。

 それらがない国に無理やり貨幣経済を導入して経済発展をすすめさせようとすれば、たちまち崩壊してしまいます。

 これは文化人類学の研究を借りなければわかりません。

 是非とも、こういった学問を学んでいきましょう。

 そうすることによって、これからの人類の行くべき方向が分かってくると思うのです。

 今の日本が、「アメリカへの自発的従属」であるということは明白です。

 そのことをいつも心に留めておいて、これからの日本を含めた人類の行くべき道を模索していこう…そんなことをこの本を読みながら考えてしまいました。

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従属国家論 (PHP新書)

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 従属国家論 (PHP新書)

 

 (その他、佐伯啓思氏の本の紹介欄)

『科学技術と知の精神文化(5)』

 http://hair-up3times.seesaa.net/article/418149998.html?1436076502

 ・『西田幾多郎』

http://hair-up3times.seesaa.net/article/409858456.html?1436076640

 ・『正義の偽装』

http://hair-up3times.seesaa.net/article/396634159.html?1436076713

 ・『貨幣と欲望』

 http://hair-up3times.seesaa.net/article/375345171.html?1436076777