岡本清一 『自由の問題』

2020-05-26 10:09:56 | 哲学、思想

この本の著者である岡本清一氏にとって、自由という概念ほど興味に尽きない問題はないといいます。

物事を突き詰めていくと必ず自由の問題に突き当たるからだといいます。

自由…これはいろんな角度からの議論が可能でしょう。

~からの自由、~への自由、今許容される自由の内容…etcいろんなものがありますね。

それらについての考察をかなりのボリュームでもって論じているので、読むのがいいでしょう。

重要なのはその歴史でしょう。

合法的に行使しうる権力の性質と限界を知るのが最良の道でしょう。

自由過ぎるがゆえに自縄自縛してしまてっている人が多くいる中で、その自由というものがどのような変遷を経てこん日に至るのかを知れば、その有難さがわかるでしょう。

経済活動の自由、あるいは政治活動の自由などの獲得の歴史ですね。

その内容は結党、反政府活動の自由、言論、著作、出版、集会、デモ、学問、思想…etcですね。

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また、過去にさかのぼって当時の自由の内容を吟味して、この時代の自由こそが最高の自由だ、とお思いでしたら、それを規範にして自分の中に取り入れるのがいいでしょう。

どんな精神性でいるか、それこそが自由なのです。

しかし、無制限な自由というのは、逆に人間を不幸にしてしまうのではないか、そんな気がしますね。

自分の精神なり身体なりを自律していけるからこそ、道徳的主体たりうるというのは非常に真理的でしょう古今東西の。

拘束を予定しない自由はもはや自由ではないということです。

組織は強制力があるから維持できる、ということですね。

なかったら解体してしまうのは明白ですね。

このような生活を数十年も続けてきた人が定年になって引退し、毎日家に拘束なくいる。

すると拘束のほぼない生活というこれまで全く経験のなかった生活になり、何をしていいかわからなくなてしまい精神的にやんでしまうという人が多出してしまうのはわかります。

その自由獲得の人類の歴史を、なんと古代から論じているのです。

実質的な自由は、1握りの富める者しか得れなかったのですが、これは何世紀もの長い期間を経て、戦いによって獲得してきたのです。

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その闘争を経て獲得した人にとっては、それは非常にありがたい思いがこみ上げるのは言うまでもないです。

しかし、生まれたときから、そのような自由を得てしまった人にとっては、そのありがたみがわからないでしょう。

そのありがたみがわかるには、やはりその獲得の歴史を読むことが重要でしょうし、その獲得の過程を身体で感じることが重要でしょう。

ある億もの資産を持っているタレントの書いたお金に関するモラルを書いた本を読んだことがありますが、それには自分の大学生の娘には携帯代と定期のお金の2万円しかあげない、ということです。

月に10万円以上ものお小遣いをあげることはできる。

しかし、それをしたら自分で稼いで、物を得るという精神的な幸福感を味わえないで終わってしまう、だから2万円しかあげないということですね。

これは非常に大事な教育内容ですね。

精神的にも身体的にも有難さを体験することで、心底その有難さがわかるのは古今東西かわらぬ事実ですね。

第二次大戦後の日本は、持てる者と持たざる者の資産の差が、先進国中一番小さかったことで有名でした。

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それは持てる者が、持たざる者の精神的肉体的な辛さを自分も身に染みてわかっていたからでしょう。

しかし、近年にはその差が開いているのもまた有名な話です。

それは持てる者と持たざる者の精神的肉体的な内容に違いが出てきてしまっているからでしょう。

持てる者の辛さを体感する機会がまったくなくなってしまったからでしょう。

それをわかれといってもその機会がないからそのままに終わってしまうのでしょう。

それを是正すべきなのかどうかは、これから先の多くの人たちの精神的な内容によるのです。

その相手に対するシンパシーというのは、自分が体感することによって最大にわかるのですね。

いろんな議論がありますが、これ以上のものはないでしょう。

死刑廃止論者は、最初死刑廃止こそ至上のものと信じて疑わなかった。

しかし、親族が殺されて、その殺した人間を死刑にするべく法廷に闘争するようになり、死刑廃止論者を辞めてしまったという経験談があるように体感こそ最も大事であるということがわかると思います。

ですから机上の議論だけで済むことは絶対にないのです。

やはり体感が最大限重要なのです。

その階級的な自由の闘争の歴史で思い浮かぶのはやはりヘーゲルでしょう。

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  ヘーゲル

被支配階級のための闘争の歴史を論じたのです。

そして権力者のをも律する法的軌道をもです。

そのヘーゲルに影響を受けたマルクスが社会主義思想を打ち立てたのは有名ですが、その社会主義国においては人格否定をしていながらもある程度の期待をこの著者はしているのです。

自然科学と人文科学の調和の喪失があるとしながらも、これまでの自由獲得の歴史をみると、これからいろんな国が社会主義を採択していくであろうという期待を込めているのがこの本でわかります。

自由の制度がひどく立ち遅れているし、大統領の責任の追及の機能が充分発達していない、ゆえに社会主義に一番近い国ということでアメリカを挙げているのです。

今思えば非常にユニークな主張ですね。

しかし、一瞥の元捨て去るのではなしに、この本から読み取れることはいっぱいあります。

それは上記に書いたこと以外にも、この本の中にはいっぱいありますから、興味の出た人は読んでみるのがいいでしょう。

参考になります。

●この本は以下よりどうぞ!

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自由の問題 (岩波新書 青版 344)

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ショウペン.ハウエル 『読書について』

2019-11-17 12:35:28 | 哲学、思想

昭和の20年代か30年代かは忘れましたが、かなりの昔の話ですが、当時の日本の文系大学では、読書必須の著者としてデカルト、カント、ショウペン.ハウエルの3人を総称して「デカンショ」といわれていたようです。

私は、カントだけ読んだことがあるのですが、デカルトショウペン.ハウエルも読まないと、と思ってました。

しかし、デカルトに関しては何回も本などで目にしたことがあるのですが、ショウペン.ハウエルに関しては見る回数が非常に少なかったのは否めなかったです。

天邪鬼な私は、デカルトよりも先にショウペン.ハウエルのほうを先に読もうと思い、今回、その本を買い、そして読んでみました。

この本は実に79版を重ねています。  

1960年が日本での初版でこれだけもの多く版を重ねて今も入手できるのですから、驚きを隠せません。

人々、しかも多くの人にその良さについて偉大さについて口々に語られ、論じられてきたがゆえに、それも可能なのでしょう。

私も、この本を読んでその素晴らしさについて実感しました。

読書は、自分の考えや思想をはぐくむための手段であり、考えや思想を固められないがゆえに、読書に逃げてはいけない、ということを書いてあります。

これは目の覚める理論ではないでしょうか。

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 ショウペン.ハウエル

自分の考えや思想を固められない人は、多読であることによって、逃避しているということです。

私は大学時代からいろんな本を読みだすようになり、今ではその総計1000冊は越えたでしょうか。

その当初は、わからないことだらけであり、自分の考えや思想を築く前に、まず知らなければならないことが大いにあるから、またそういう作業よりも、知的好奇心が旺盛であったゆえに、多くの本を読みたい、という衝動に駆られて次から次に読んでいったという経緯だったのです。

私の出た高校は、お世辞にも進学校とはいえず、高校時代は遊びに遊んでいたがゆえに、社会のことなどほとんどわからなかったのです。

しかし、そのころからも学問に対する憧れは維持していたので、曲がりなりにも大学進学が叶った後には、とにかく本を買っては読んでいたのです。

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そこで高校生ならだれでも知っている社会主義と資本主義の違いや、日本が経済大国であることも、大学時代に読んだ本で知ったのです(笑)

そういう次第ですので、私が自分の考えや思想を築くことから逃げる、ということではなしに、それらが知識不足ゆえに出来ないということで読書に逃げていたということです。

しかし、それが全部ではなくして、築くのから逃げるためという部分も少なからずあったことは認めないといけませんね。

自分の考えとは、知識を重ねることで可能となりますし、その考えたこともきちんとノートなどに書き留めていないと、忘れてしまいますから、そういう読みっぱなしは戒めないとだめですね。

自分の思想を築くことができない人は、多読であることで、それから逃避しているということで、思い起されるのは私が敬愛する佐伯啓思氏の言葉ですね。

ミネルヴァ書房の月刊冊子である『究』の2012年の4月号の冒頭で氏のインタビューがありますが、そこには、

「時たま、先生はよく本を読んでいるでしょう、と言われたりもするが、実はほとんど読まない。

いや仕事上の必要以外のものは読まない。」

ということですね。

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  佐伯啓思

これまで40冊以上の書下ろし本を出してきて、その内容のいずれも奥深い理論、そして誰も考えつかないような角度でモノを論じる姿勢には私は感服してきましたし、ゆえに感動して集中して数時間を佐伯氏の本を読みながら費やした経験がある私としては、佐伯氏はさぞ読書家なのだろうと思っていたからですね。

しかし氏は違っていて、物事を深く考えるがゆえに多読家ではなかったということですね。

しかし、かといって理論というものは、無から有を生み出すことなど不可能事ですから、ある程度の多読、濫読は必須でしょう。

科学的な著作家が、自分の考えや思想を構築せずに多読であることで満足し、それゆえに、そういった人の書く本等のメディアについては、引用だらけ、あるいは自分の考えや思想など全く書かずに知識だけで文字を埋めている、ということにショウペン.ハウエルは嘆いているのです。

その嘆きには同感しますね私は。

学問は単なる知識の吸収だけはなく、そこに何らかの意味付けを与えなくては意味がないし、そうでなくてはそれを学ぶ時間がもったいないですからね。

日本のように詰め込み教育が盛んなところでは、学問=知識を詰めること、という誤った図式を脳内に形成してしまうことは頻繁にあることでしょう。

しかし、まっとうな本を幾冊も読んで、そういう図式が出来上がってしまっている人は矯正する必要がありますね。

しかし、後世にまで語られるような偉大な本を生み出すことは誰にでもできることではないですから、そこは私自身、肝に銘じていることです。

しかしだからといって、引用ばかりの本や、知識のみ書いて満足している人の著書にはノーを突きつけたいです。

考えは、いろんな本や媒体を通じて形成されるものですから、その経過を通じて、そこに書かれている考えに賛成か反対か、それがどのくらい賛成か反対かは違うのですから、その詳細をつまびらかに論じるべきなのです。

また、そこに書かれていることに全く賛成の場合もなければ、まったく反対の場合もないでしょう。

ゆえに絶対に引用だけいいということにはならないはずです。

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しかし、そういう本を書く著作家や大学教授は少なからずいるものです。

著作だけで生業にしている人の場合、そういう引用ばかりの本を出しては、売れずじまいで、生業として成り立たなくなるのは必至ですが、大学ではそういう教授の方が履修する人が多く、ゆえに多く稼げるのです。

何故なら、そういう教授の書いた本は、最初から最後まで同じようなことしか書いていないですから、年末試験が楽だからです(笑)

またそういう教授の書いた本は履修する人が多いからこそ、その本も売れるのです。

まさに職業天国ですね。 こういう教授の講義など聴いてもちっとも面白くなかったですが、賛成する人の方が多いから淘汰されないのです。

他の本からの引用ばかりで最初から最後まで同じようなことしか書いていない本を出す教授…こういう人は大学に関係のない人でも知っている有名な大学を出ている、というパターンも散見されます。

こういう人の書いた本は読んでも何ら感動を覚えませんから、私は買わないし読みません。

有名大学を出た教授だからといって、素晴らしい知的生産をおこなえる才能があるかといえばそうでないのですね。

やはりこういう弊害は、ショウペン..ハウエルの生きた時代はもちろん今でもあります。

それはやむをえないことですね。

学問が盛んになり、それに従事する人が増えれば必然的に、そういう似非学者、似非教授が多く出てきてしまうのですね。

先にも書いたように、だれもが偉大な足跡を残す学者にはなれませんし、誰もがセンセーションを呼び起こすような凄い本を書けるわけではないのです。

ですから誰にもそういう理想像を掲げるなんて言うことはしないです。

ですが、本を書く以上、きちんと考えや思想を形成する必要はあるのですから、自分なりにできる限りそういう作業はすべきでしょう。

そういうことを一生懸命している人の本は、当然読みたいと思いますし、人にも勧めたくなりますし、当然します。

しかし、考えや思想の形成をすることなく、引用ばかりの本や知識だけの本を書いている人のは今後読まないということに決めています。

しかし、日本のようにアカデミックな社会においては、やはりそういう人の本は頻出してしまうのは必然です。

音楽を作詞作曲する場合、一人で全部こなしてしまうミュージシャンもいますが、それは非常に稀です。

たいていの人は、パートナーと一緒にする場合がほとんどですし、パートナーと一緒にすることだけでいい曲が作れるわけではない場合もほとんどですから、プロデューサーに依頼して一緒に曲を作る場合もあるでしょう。

それによって想像もつかないほど素晴らしい曲が出来たりするパターンは散見されます。

しかし本を書くのは基本1人ですから、こういう事態が発生することはまずありえないのです。

ゆえに、私は引用ばかりとか知識だけしか書いていない著作家の本に関しては、すぐ読むのを辞めます。

そういう本は読んでも意味がないですし、退屈極まりなしですから。

そして、パソコンのKingston Writerを使って、それに「NG著作家」という題名にして、私が今後読まないと決めた人の名を書いてしまい、たとえメディアでよいことが書かれても、その人のは買わないし読まない。

その人のことを忘れたときに、なにやら興味深い本を見つけた。

それで買おうかどうか悩みながら、その「NG著作家」を開いてみて、そこにリストとして入っていたら買わない、ということにしているのです。

そうでないとお金と時間が無駄ですから。

日本のように高学歴社会ゆえの、そして高学歴社会ならではの知的生産術の1つですね。

1つでも多く良書に触れなくてはいけない人にとってはそうするより仕方ないのです。

ショウペン.ハウエルもそうした知的防御法をすればよかっただけと思いますが、彼の場合正義感が強く、そういう作業をしない人の多いジャーナリズムについての批判のみならず、どのような意図でそうした人が、そういった悪書を書き、それがどのような悪弊を生み出すのか等々を、つまびらかに詳述しているのです。

ジャーナリズムに命を懸けていた人の生命の息吹を感じますね。

その姿勢に共鳴する人にとっては、この本をぜひとも読むべきでしょう。

読んだ人が何も学ぶものがないことしか書いていない似非学者、似非教授にならないためにも。

●この本は以下よりどうぞ!

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読書について 他二篇 (岩波文庫)

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岩崎武雄 『哲学のすすめ』

2019-06-09 13:55:30 | 哲学、思想

 以前に『カント』という本で紹介しました岩崎武雄氏の本の紹介になります。

哲学のすすめ、ということですが、哲学といいますと、何か後世に何百年以上も影響を与えた偉大なる思想家の教えを学ぶ、というように思われがちですが、それだけではないのですね。

一般人と無縁の事ではないのですね。

我々がもっている哲学は、過去の哲学者たちの思索の結晶なのです。

勿論、一般人のも含んでいますね。

ですから、そこは卑下せずに、その道の中でいろんな行動、思索した挙句にできた考えは、自信をもって人に語り、上手くいかない人には、胸を張ってアドバイスするのがいいでしょう。

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ただ、後世に何百年以上も影響を与えた偉大なる思想家の思想は、やがて多くの人々の思想に認識にしみこんでいき、次の時代の常識になっていったのですね。

ですから、そういうことを本を通して学び、謙虚に人生に活かすのがいいでしょう。

人類が髪を発明し、それに書きとどめることを考えついてから、社会現象、心理現象をそこに著し、自然科学、社会科学が生まれました。

その当時には、哲学から、これら科学は独立していましたが、価値判断、何をどうすべきかといった事については、共に科学的な判断が必要になってきます。

それはなぜか、何故そうあるべきかということは、いろんな角度からものを見つめないことには、判断をすることができないからですね。

その多面的にもの事をみる、観察する、ということがすなわち哲学ということでしょう。

価値判断の学、それが哲学ということでしょうが、やはりそれでも価値観だけでそれをするのは間違いでしょう。 それはやはりいろんな知識、情報の蓄積によって可能になるのです。

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この本の中で印象に残ったのは、歴史学についてですが、これも一見関係ないように見えて、やはり哲学を極めるうえで大切なことだなあと思いました。

歴史的出来事の間の因果的な連関を歴史家はすべきである、ということですね。

何が本質的に重要な意義を持っているかを説明しなくてはならない、ということですね。

そういった仕事において、その歴史家が書いた本を読んで、いにしえの思想家たちの評価は変わってくるのですね。

ですから歴史家の仕事は重要だなと思いました。

物事の因果連関を詳らかにする、この仕事は非常に簡単に見えて逆なのですね。

その仕事のためには、いろんな情報を集めないといけないですから。

自分1人あるいはそれで足りなければ複数の人たちとしなければならないのは言うまでもないことです。

それでも完璧にはできないです。 人の得る情報は1人でするにしろ、複数でするにしろ限りがありますから。

でもいつまでも情報集めの仕事ばかりしていては先に進めないですから、そこは割り切って先にすすまなくてはならないのです。

このように完璧を目指しながら完璧を期することはできないのですね。

真理を目指しながら真理を得ることができない。

それがわかり、そんな姿勢を目指したくなるということがこの本1冊で分かりました。

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ただ、哲学にしろ他の学問にしろ、その本1冊だけ読めば、あとは本を読まなくてもいいということではなく、更に何十冊、いやそれ以上読まなくてはならない性質のものであるということをしなくてはならないのは言うまでもないことです。

しかし、人は人との付き合いや遊び、仕事その他で忙しいこともあり、そういった事をするのが可能な人は限られていることは言うまでもないですから、それを強制することはできないですし、不可能でしょう。

しかし、先にも書いたように、完璧を目指しても完ぺきにはならないのが、哲学および他の事柄の性質なのです。 勿論、大学教授といった人たちですらもそれは不可能でしょう。

1年に100冊以上本を読むツワモノの教授であっても、世界の全部をみたわけではないのですから。

完璧を目指しても目ざしても完璧にはなれない、そういう性質なのです。

しかし、なら完璧になれないのならば、成長を止めてもいいではないか、と反論されそうですが、それも違うのです。

人は多面的に物事をみることで、成長するのですし、そういう成長を止めない人間こそが魅力的に見えるのであって、だれもがそういう人間像を目ざすべきでしょう。

成長を止めた人間に魅力的と映った例は私は知りません。

知らないからこそ、そういう人間を目指したいと思うのですし、今も勉強しつづけます。

そんな人生を生きるヒントをこの本から得ていただけたら嬉しいと思います。

●この本は以下よりどうぞ!

哲学のすすめ (講談社現代新書)

 

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式部久 『ヒューマニズムの倫理』

2019-03-11 00:02:57 | 哲学、思想

ヒューマニズムとは、人によって定義は違うでしょうが、私なりに定義づけすると、人がどのように生きるべきか、人や社会とどのように関わるべきか、そして行動していくべきかを探求していく学問としておきたいです。

その私見を書いてらっしゃるのがこの本ですね。

この本の著者である式部久氏は、私にとって初めての著者ですが、非常な感銘を受けました。

ヒューマニズムという言葉から想起されるように、いろんなこれまでの哲学者、思想家を勉強していらっしゃって、その内容について描写していらっしゃいますが、単なる受け売りではなく、自分がこれまで経験してらしたこと、考えたことについて吟味に吟味を重ねて出した経験理論を書いていらっしゃるので非常に感動しました。

知識人としてのあるべき姿を単元していらっしゃるなと思いました。

ゆえに、この式部氏のこのほかの本を読みたくなって検索をかけるも、この本しか出てこないのは残念でした。

私が大学受験の勉強のために通っていた予備校の国語の先生で非常に社会全般に造詣が深い先生がいまして、2人とも大学でも教鞭をとっている聞きまして、あとになってその2人の名でネット上の本屋で検索をしても2人の名は出てこないのですね。

本を出してらっしゃらないのですね。

非常に残念至極でした。

それと同じように残念でした。

人と接するにはやはりきまりがないといけませんね。

会社であろうと学校であろうと、その他いろんな組織の中で生活するには、規則がないと前に進めません。

やはり私にとって、その内容については幼少のころから関心事でした。

その疑問に答えてくれるものがこの本に書いてありました。

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ドイツのカントを引き合いに出されています。

「意思が自分で自分に対して立てる法則に基づくものでなければならない。

つまり、各人は自らが立法者であると自覚しなければならない。

各人が自ら立法者として普遍的な法を自分に課すること、あるいは普遍的な法に自律的に従うことによって理想の社会が可能になる。」

と共感の意を表しています。

また、ソクラテスを引き合いに出して、

「吟味のない生活は生きるに値しないとソクラテスはいった。

吟味がすなわち哲学なのである。

単純な命令文だけからなるものではなく、何らかの理由を付したものであろう。

自らが良いと判断したところに従って生きるとは、自分の主観を満足させれば、良いということではない。 お互いに喜び合える世界を作ることが必要なのである。

というところは非常に共感のできる場面であり、この本を読んだかいがあったと心から思った瞬間でした。

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まずは最初に先人の言った事を素直に受け入れて行動する。

そしてそれが本当に良いものであるかどうかを考え、試行錯誤して答えを出し、そこから良かれと思った事については、そのまま行動し、いけないと思った事については変えなくてはならないということですね。

それはやはり守破離ということですね。

どんな道にでもこの姿勢は大事ですね。

それをこの著者は体現していらっしゃるのですね。

昔、『愛の貧乏脱出大作戦』という自営業の飲食店で全然儲からない店の店主が、売れている飲食店へ修行にいき、そこで習ったノウハウを自分の店で展開する、という番組がありました。

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それは全部で180店舗以上の店が展開されましたが、今も営業を続けているのは50店舗足らずのようです。

それは、閉店してしまったお店は、売れている店の模倣をしているだけで、更に自分でできることはないか、自分でできるメニューはないか、自分ができるサービスはないかという情報摂取を店主が殆どしないからですね。

逆に今も営業できているお店は、やはりそういう積極的な情報摂取を自分からして、それを行動に移しているからですね。

勿論、売れていた修行先のお店の店主や社長も、日々研鑽を重ねて、更なる新メニューの開発やサービスの向上やマーケティングの促進に力を入れていますね。

一度売れている日々があったからそこで終わりではないのですね。

この例からもわかるように、常に向上心をもって勉強に励むことが必要なのですね。

何も自営業者でなくても。

大学なり高校なり、最終学歴が終わったからとてそれで勉強は終わりではないのです。

まして、偏差値の高い大学を出たからとても勉強は終わりではないのです。

家族や友人や職場の人間関係はもちろん、自分の勤める会社のこと、社会全般のこと、いろいろな分野にわたって、これでいいのかどうかを常に考え続け、探索し続け、吟味をして変えるべきものは変える必要があるでしょう。

そのためにはいろんな角度でモノを観ないといけないですね。

本を読むなり、人と対話をしたりといった具合に。 それも本を読むといっても、2冊や3冊読んだだけで足りるものではないのは言うまでもないでしょう。

何百冊も読まなくては。

それでも足りないかもしれないですね(笑)

だからといっていつまでも情報収集だけして、行動にできないのではだめですね。

いつか必ず割り切って裁断を下し、行動に移さなくては。 それが間違った結果をもたらしたら、そこは素直に間違いを認めて矯正しなくてはいけません。

宗教に入ってそれで満足し、そこで学ぶことだけで満足してしまう人は警戒が必要です。

確かに、宗教で学ぶ内容には慧眼モノのことはよくあります。

しかしそれだけでは足りないですね。

もっと多角的にみないと。

宗教にぞっこんになってしまう人は、文字嫌いな人がほとんどですね(苦笑)

ですから、そこではなされることや書かれている内容を読むなり聴くなりするだけで精一杯で、それが本当に正しいのかどうか、他にもいい内容のものはないのか、といった探究心がないのが通常のパターンですね。

それでは、単なる無批判主義になってしまう危険性があるのですね。

事実、創価学会の人たちをみると、そこで言われている内容の吟味などまずしていないですし、創価学会が母体になってできた公明党がこれまで日本の国益に反する決定を数々してきたにもかかわらず、それに対する批判をしたのをみたことがないですね(笑)

ですから私は、宗教にぞっこんになることの危険性を指摘しておきたいのです。

宗教にぞっこんになってしまう人のスタンスとは基本的に心が違いますから、私は今までぞっこんになった宗教はないですね。

「幸福の科学」の総裁の大川隆法氏の本をこれまでいくつか紹介してきましたが、それは大川氏を宗教者としてではなく、著作家としての慧眼さに一目置いているからですね。

大川氏は、いろんな情報に接して自分の頭で吟味をするように信者に訴えています。

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大川隆法

私が好きになれないのは、前例主義ですね。

これまでやってきたからこれでいいと、何の疑問も抱かず、何の工夫もしないで漫然と行動していく、ことですね。

確かにその前例は、それなりに論拠があるからこそ規則になりルールになったことは間違いないですが、場所や環境が変われば不適合になる場面というのは往々にしてあることは間違いないのです。

わたしはコーヒーを嗜みながら本を読むのが好きですが、ある喫茶店では私をはじめ他のお客さんが入店しても何の挨拶もしない、なんていうのがあります。

私が商品をレジにもってきても、「コチラでお召し上がりですか?」なんていうことしか言わない店員がほとんどなのには参りました(苦笑)

まず最初に「いらっしゃいませ!」でしょうと言いたくなりました。

そこの店員さんは「習ってないんです」といいたいのでしょうが、そんなの言い訳になりません(笑)。

ですから、日々の探索は続けていかなくてはならないですね。

いずれ、リアルビジネスを始めようと思っている私には大事なスタンスですし、継続していきたいなと思っています。

人と人との良き関係の構築がヒューマニズムの根幹ですが、ここには注意が必要です。

心理学を学ぶと、人との良き関係を構築したいと願う人と、そういった事に全くの無関心の人がいるということを知りました。

ゆえに、ヒューマニズムについての勉強の好きな人は、前者の人でしょう。

後者の人には、そういった事を話してもまるで関心がないのです。

ですから、前者が後者に対してアプローチをしても全く意味がないでしょう。

ですから、ヒューマニズムを高尚させたいと思っている人は、前者だけにアプローチする必要がありますね。

後者にアプローチしても意味がないです残念ながら。

ですから、前進していくにはヒューマニズムを学ぶだけでなく、心理学も学んでいかないとダメであるなと思った次第です。

そのたいろんな学問もです。

そういった姿勢こそがやはり真のヒューマニズムなのでしょう。

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最近私が出た大学の学費をネットで調べてみました。

驚いたことに私が大学に入学した時の初年度の納入金と今のそれを比較すると、何と30万円も高いのですね。

私が在学中の授業料を、全履修科目の数と講義数でかけて割りました。

すると、1時間半の1つの講義でかかるのは3000円ということになります。

しかし、今のそれはそれどころではなく4000円はするでしょう。

1コマの講義で4000円…実際大学の講義を受けてみると明らかですが、そんな価値はないことは明らかです(笑)

興味深いデータをみたことがあるのですが、大学で学んだ内容を活かせる割合は5%というのをみたことがあります。

そうでしょうね、まあ評者によってその割合は変わるでしょうが、そんなに多額のお金をかけてもそれくらいしか現実の社会に活かせられないのですから無駄もいいところですね、大学は。

しかも昨今は、就活の際に大学の名を書かせないパターンも多く出てきているということを聞いたこともあります。 ですから、私は大学にはいかない、ときっぱりと決めている人もいるくらいです。

1コマの講義で3000円…こんな高いなら元を取らなくては、と意気込んで私は履修しない講義でも潜り込んで受けて、必死にノートをとり、それを今も保有しています(笑)。

いい加減な講義しかしない教授も多くいますから、大学は無駄の多いところです。

逆に素晴らしい講義をしてくれる教授もいましたが。

それらよりも、この2000円足らずのこの本の方がよほど学ぶところはあると確信しています。

必死にヒューマニズムについて学び、より良き人生を生きたい人には是非とも読んでほしい本ですねこれは!

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ヒューマニズムの倫理

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杉原四郎 『J.S ミルと現代』

2019-02-17 19:46:14 | 哲学、思想

J.Sミル19世紀を生きたイギリスの学者です。

そのミル氏は、人間の知性を活かし、それと社会制度の変革を通じて社会を建設していく姿勢を問うたのでした。

『経済学原理』『自由論』の著者として知られています。

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  J.Sミル

経済学が彼の出発点でしたが、その理論の構築は、他の社会哲学と大いに絡んでいるとして、ロマン主義、サン.シモン主義、社会主義などの理論を取り入れてしたのでした。

彼は、社会の制度だけでなく、個人の内面の構築の重要性も説いたのでした。

1867年に、婦人参政権の法案を提起したのはほかならぬミルでした。

「女性の能力が男性に劣るものではない」というのが基本姿勢であったのですね。

権利と利益を得ることで、人は自らの手で社会を守ることができるということで、知性と徳性を政府に接触させることが大事であり、そのために議会が必要であるとしました。

それによって、国民の積極的、自主的性格を伸ばすことができるというのです。

自己の力を手段と考える民主主義は絶対的に彼には必要だったのですね。

そして彼は、社会主義の思想にも触れていて、その影響を感じないわけにはいきませんでした。

彼にとって、資本主義は、人間としての生き方を成立させにくくなるとして批判的でした。

しかし、彼は、社会は漸進的に変化していくものであり、一気に変えるものではないということで、社会を転覆して社会主義社会を構築することにはは批判的でした。

では最終的にはどうなるか、ということについて、労働者たち同士の共同組合になるだろうとしています。

このことについてどう評価するかですが、社会主義国が今は4か国にだけになっていることで、やはり何を言ってたんですか、といいたくなる人もいるでしょうが、共同組合は発生しましたし、今も活動を続けているということで、少しは評価していいでしょう。

誰も将来の正確な予見などできないのですからそこは譲歩しておきましょう。

そして、ミルは生産が発達した共産主義の第二段階で自己疎外が克服されるという予見を立てています。

またマルサスの理論にも触れています。

マルサスは、食料となる植物は一定でしか生産されないのに対し、人間は幾何級的に増えていく、ゆえに避妊をしなくてはいけないという立場でありましたが、ミルは人口増加と土地の売買を制限することが重要であるとしたのでした。

決してマルサスの理論への完全賛成ではなく、一部に賛成しながらも、その他は譲歩し自分の理論を建てたのでした。

避妊ではなく、農業の知識を勉強し、技術および発明の進歩のついて勉強したのでした。

これについては自身が、『経済学原理』において、1章を設けて解説しているのです。

先の社会主義の理論にしても、マルサスの理論にしてもやはり中立の立場になっていますがそれが通常でしょうか?

やはりどんな理論でも一部には心理を含んでいるもので、全面的に否定することも、賛成することもないのですね。

私はいろんな本を読んできましたが、やはりそのことはよくわかります。

このミルの理論は、明治期の日本において、『自由論』『代議政治論』などが多くの知識人の間で読まれ、民権運動、議会仮設運動の思想的、理論的根拠を与えるものとして大いに称えられたようです。

ここを読んで、興味のわいたかたは、この本やミルに関する本を読むことをお勧めします。

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