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いつもの事ながら、佐伯啓思氏の社会科学的な懐の深さには感服してしまいます。
佐伯啓思 こと昨今の日本経済についてだけでも、次から次に自論が展開されていき、その自論も新聞記事をなぞったようなありきたりなものではなく、深く考察を加えながら妥当性を持ちながら展開されたものであるので、ついつい読み進めてしまうのです。
このような代物だけに、何時間も読んでしまうのです。
これから紹介する本は、通常の本よりもページ数の少ない新書ですが、非常に奥の深いものですので、何度も読み返す価値のあるものであると確信しています。
私は社会科学系の大学に進学して、いろいろ勉強しましたが、佐伯啓思氏のようなスタンスをどの教授たちも持ってほしいと感じた次第です。
この本をこの場で紹介するに際し、纏めなくてはいけないのですが、その際重要な箇所が多くあってこの本は新書であるにもかかわらず、紙5枚分にもなってしまったのです。
大抵の本は紙1枚で纏めれるのですが…(苦笑)
この本を読んで思ったのは、先進国、特に日本は、経済が転機に立っているということがわかりました。
転機にたっている、これはもう何年も前から言われていることでしょうし、つい最近の事ではないでしょうが、この佐伯氏の本を読んでさらにその思いを強くしたという感じです。
この本を読んで、自分がこれからどういう経済的な行為をしていくかがわかりました。
周りの人間と同じようにしていては危機的になるということです。
日本は、90年代後半から、平均物価水準が低落し、デフレ経済になりました!
ジニ計数は当初所得で1996年あたりから確実に上昇しています。
ということは、所得の不平等が確実に拡大しているのです。
2007年のいざなみ景気において、非正規雇用者が、2002年の29%から2010年の34%と確実に増えているのです。
賃金コストの抑制と、アメリカや中国の外需に依存した結果なのです。
景気の上昇は、非正規雇用の拡大で出来たということです。
これは本当の意味での景気回復ではないのです。
しかし、これはなにも企業の決断だけが問題ではないのです。
非正規雇用が増えたのは事実ですが、それを受け入れる側の態度が支えになっているから、それがいつまでもなくならないのです。
やはり、日本が豊かになって、そういう非正規雇用であっても生活していけるからこそ、それを止めようという機運が生まれないのも事実なのです。
80年後半の日本の資産バブルは、過度な資金が金融市場や不動産市場へ向かった結果でした。
そういう情勢になると、モノを買うより株式投資へ、研究開発や新技術への投資よりも金融市場へお金が流れたのでした。
そして90年代当初において、バブルが弾けました。
それで、資産がデフレになり、人々の所得が減少し、銀行の企業への貸し出しの減退をもたらしました。
しかし、さらに追い打ちをかけるように、市場競争のグローバル化が進みました。
これが、新しい現実なのです。
これが、先進国の賃金水準を押し下げているのです。
1970年代のアメリカやイギリスは、インフレが進行していました。
そこに、新自由主義路線を採択したことによって、インフレが抑えられ、金融経済に経済がシフトしたのです。
しかし、90年代の日本は、デフレ経済が進行していました。
そこへ、新自由主義を採択しては、さらにデフレが進行してしまったのです。
同じ新自由主義を採択するにしても、社会的は背景を分析したうえで採択しなくては、結果はまるで違うものになるということがわかりました。 こういった奥の深さを佐伯氏の文から知ることができます。
しかし、ことは経済を見るにしても、もはや世界的な趨勢をみなくてはいけないということがわかりました。
2007年以降の世界経済危機に際して、中国は50兆円に及ぶ財政出動をしました。
なのに財政赤字にはならないのです。
中国は、為替管理、金融市場管理、独裁的な強力な政府があるからこそ、それが可能なのです。
それで未曾有の成長を可能にしたのです。
こんにちのグローバル市場は、最終的には政治的な「力」によってリーマンショック後の世界を支えているのです。
このことは非常に私の好奇心を満たすに充分でした。
単なる統計的な情報を集めるのみならず、こういった読み手の好奇心を否が応にも高めることを抽出できる佐伯氏の頭脳には脱帽です。
私は、大学時代に、共産主義の理念はユートピアにしかすぎなかった、ということを中国の政策を例に挙げて学びました。
しかし、こんにちの中国の世界的な地位を垣間見るに、その言が覆ったというまた新たな現実を見て驚愕な思いに駆られています。
こんにちのグローバル世界においては、ある部分で行政力が強力でなければならない、という命題を佐伯氏は出しています。
民主主義の時代において?という疑問が湧くと思いますが、読み進めていくと頷ける内容を持っています。
リスク管理商品の1つであるCDS(クレジットデフォルトスワップ)がありますが、これさえあれば大丈夫か、と言われればそうではなかったのです。 2008年3月において、ベアスターンズが、9月にはリーマンブラザーズが破綻しました。
それのみか、ゴールドマンサックスやモルガンスタンレーが破たん寸前になっているのです。
これは、 「将来に生じることは、過去の事例をデータとして蓄積すれば合理的に類推できるか?」というとそうではなく、意味がないし、事態を一層深刻にする、ということがわかったのでした。
予期せぬことがおこりうる「不確実性の時代」にわれわれはいる、ということがわかったと思います。
1国の経済の破たんが他国に波及する、という時代にもなったのでした。
このリーマンショックの影響が日本にも波及し、多くの派遣労働者がくびになり、宿舎からも追い出され日比谷公園にそのくびになった人たちの村が出来るほどになりました。
前に紹介したことのある監獄風居酒屋の『アルカトラズ』で有名な安田久氏の店の数々も、この煽りを受けて倒産してしまったのです。
その安田久氏の本について紹介したページは以下!
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あの世界的な金融危機の社会的な背景を佐伯氏は以下に分析しています。
アメリカへの生産物や投資金が還流していたのです。
そのうちの1つである日本や中国やアラブ産油国からの投資金が、不動産市場や商品市場に流れバブルが生み出された。
そのバブルによって発生する所得がさらにアメリカの過剰消費を可能にしていたのです。
それがあのリーマンショックを生み出した背景になっていたといのです。
これは実に巧妙な分析と言うほかないですね。
好景気の機運が社会全体に感じれる時でないと、不動産市場が沸くわけはないですね。
それが低所得者を巻き込んだものであったリーマンショックではなおさらです。
しかしそれが急激に弾けたバブルであったのは周知のとおりですね。
こんにちの経済がグローバリゼーションのさなかにあり、金融中心の時代であってみれば、警戒してなくてはいけないことは往々にしてあります。
こんにちのグローバリゼーションの世の中においては、国境を越えたモノ、ヒト、カネなどの規制が緩和され、流動性が高まっています。
先進国では、グローバリゼーションで賃金低下、雇用不安定の度合いが高まっているのです。
これを安定させるのが国の役割です。
アメリカ、ロシア、中国、インド、ブラジルは急激に経済的な地位が高まっていますが、いずれの国も国家が強力なのです。
政府の行政力が強力なのです。
確かにそれは事実です。
佐伯氏は、「日本もロシア、中国、インド、ブラジルのように政府の行政力を強力にすべきである!」などとは言っていませんが、この先日本の進路がどうなるべきかは、私自身がこれから検証していきたいと思っています。
アメリカ、ロシア、中国、インド、ブラジルはそれぞれの国の特異な生産要素を戦略的に利用したのです。
公共部門に流れ込んでいる資金の流れを民間部門に振り分けることで経済は活性化する、と日本は考えたのです。
まるで、アメリカ、ロシア、中国、インド、ブラジルといった国々の戦略とは逆ですね。
アメリカの繁栄は、金融市場の活性化とそこで生み出された所得に依存しました。
しかし、相次ぐ金融緩和によって信用が収縮します。
それは、実体経済への資金の循環を阻害し、実体経済そのものが、大きな打撃を受けるのです。
それは、今のアメリカを見ればわかるでしょう?
やはりその国の経済に強さというのは物作り=実体経済の強化をこそ最優先にしなくてはならないのです。
先に挙げたアメリカ以外のロシア、中国、インド、ブラジルは政府の行政力が強力ですが、実体経済のほうも垣間見なくてはいけませんね。
短絡的な断定は避けなくてはいけないようです。
ここで考察しなくてはいけないのは、こんにちにグローバル経済における国家の役割ですね。
「制度学派」と言われる学派は、市場中心主義を批判しました。
その学派に、ジョンコモンズ、ウェスリーミッチェル、ヴェブレン、そしてケインズが入っていました。
なかでも有名なケインズは、大不況と大量失業を克服することを自身の最大の学問の使命にしていたようです。
ケインズ
その基本理念は、「大不況と大量失業を克服するために政府が財施出動をする」ということです。
そのケインズ主義と福祉主義を統合したものが、「ニューディール政策」に結実したのです。
しかし、そのニューディール政策が70年代にほころびが出たのです。
すると、「大きな政府」(=政府が財政出動すること)がやり玉にあげられ、これこそがアメリカ経済の生産性低下の元凶とみなされたのです。
そして、問題の焦点が「失業と雇用」から「インフレ」に変わったのです。
そこで喧伝されたのが、ミルトンフリードマンの『価格と賃金が変化すれば自動的に失業は解消される』という論でした。
しかしインフレになったにもかかわらず、ニクソン時代に貧困率が12%だったにも関わらず、レーガン時代には15%も上がってしまったのです。
では、「ケインズの理念は?」という論が出てもおかしくはなかったですが、遡上にのることはなかったのです。
そして、今ケインズの理論はどうなっているのかはのちに述べますが、このフリードマンの理論が功を奏しなかった例も同様に、リーマンショックや世界経済危機などに対処できる経済学を我々は持っていない、という言うことです。
それを構築していくのが我々の役目であるのはいうを待たないです。
今のアメリカを中心とした先進国で跋扈している自由主義ですが、そこで引き合いに出されるのは、やはりその理念の創始者として崇め奉られているアダムスミスですね。
アダムスミス
その理念を、スミスの著作から検討してみるのは非常に興味深いことです。
アダムスミスの『国富論』は18世紀イギリスの経済政策や、貨幣こそが富であるという重商主義の通念への批判本なのです。
自国の特産品を輸出し、輸入を抑えるという保護主義が採られていたのです。
イギリスへの物産の持ち込みは、イギリス船に限っていました。
また、大商業活動とは海賊との戦いでもあったのです。
軍事増強のためには、強力な財政が必要だったのです。
そのために、長期国債を発行し、それをイングランド銀行などが信用貨幣を発行しました。
金融市場が形成されて、流通貨幣は金銀に限定されませんでした。
当時大国であったイギリスは、金融市場でいっそうの流通力を持つようになったのでした。
大土地貴族にかわり商業資本と金融資本が政治を動かすようになりました。
当時の通念であった「貨幣こそが富である」という重商主義者は、グローバルな商業網とグローバルな金融システムに依拠していました。
しかし、スミスは「労働こそが富である」としました。
ものを生み出すのは労働だからにほかなりません。
その労働の生産性を高めるのは「分業」であり、そしてその流通のための「自由な市場」、この2つが重要であるというのです。
スミスは、「重商主義のモラルは、イギリス国債とイングランド銀行券という頼りない「信用」に基づいている。金融という不安定で不確かなものに経済を依拠すべきではない。」と批判したのでした。
農業→製造業→商業→外国貿易
この順で発展していくのが自然であり、重商主義は逆であると言っていたのです。
こんにち流布されている「スミスに始まる市場競争主義の正しさ、グローバルな市場経済こそが望ましい!」という言が如何に誤って認識されているかがわかろうというものです。
スミスが市場主義者であるとか、グローバリズムの先駆者であるとかいう誤った認識もこの検証で明らかでしょう。
このように、偉大なる言論者や学者、宗教の教祖たちの言った内容は世代を経るに従い、間違って認識されてしまう危険性が必ずあるのです。
本当にそのようにいったかどうか?
それについて検証するには、このようにその本を読めば明らかですが、そこまでする人は少ないです。
ましてや読書家の少ない宗教信者はしません(笑) で、そのことの検証をせず、その教団のトップの言われることを鵜呑みにして終わってしまう。
すぐに読める分量であれば問題はありませんが、スミスの『国富論』は膨大な書物で有名です。
一般人ではなかなか難しいです。
検証するのに時間がかかるのです。
しかし、その偉大なる言論者たちの言を生活の糧にしたいのなら、その本を読めばいいのです。
決してその誤って認識されている言論を鵜呑みにしないために。 伝え聞いた話だと、どうしても間違って伝えられる危険性が付きまとっているのです。
たとえば、日蓮という鎌倉時代のお坊さんが開宗した宗教はこんにちたくさんの団体でひろめられ、講義されています。
某日蓮系の団体に入り、「この宗教団体に入り祈れば、どんな願いも叶う」と言われ、その言葉を信じ、実行していったが、何も叶わないことを知り、耐えられなくて辞めた、という人の経験談がYouTubeにアップされていますが、本当にそんなことを日蓮が言ったのかどうか。
おそらく言っていないだろうと思います。
検証していないので早計かもわかりませんが、おそらく「この宗教団体に入り祈れば、どんな願いも叶う」と言った人は、なにも考えずに周りの人間の言ったことを検証してから言わずにそのままいったのだと思います。
時代を経るにしたがって、その教祖の言は、周りの人間によって脚色されて伝えられてしまうのです。
しかしこれでは日蓮上人がかわいそうです(笑)。
そんなこと言ってないのに、間違ったことを言った張本人になってしまうのですから(笑)。
そうならないようにその教団のいていることはうのみにせず、まずその教祖の書いた本を自分で読んでみることが大事だと思います。
また、その教祖が言ったことでも時代を経るにしたがって間違うこともあるのです。
その時は修正をしなくてはいけないのです。
しかし、大抵の宗教団体ではその言を変えようとしない。 こうった弊害がどんな宗教団体にでもあるのです。
ですからやはり宗教団体にする必要はないのだと私は思うのです。
脱線してしまいましたが、話しをこんにちの経済に戻してスミスの話しにしますと、もし、日本の企業が利益を上げようと海外に工場を移転すると、国内の雇用が減少し、内需が低下してしまうのです。
グローバル経済の元では、スミスのいった「私益は公益なり」と言った命題は成り立たないのです。
このような検証をおこない、その現代的な意義を問い直さなくてはならないのです。
宗教団体の上層部にいる人の中で、そのことを重々承知している人は当然いるでしょうが、そのように教祖のいったことを批判したりすると、必ず内部から反発が起きるのです。
ここでもやはり、宗教団体は不必要に思いますね、私は(笑)。
金融におけるグローバリズムは、個人の投資家の利潤機会を増やします。
ケインズ時代のイギリスは、過剰貯蓄の状態でした。
そのせいで、資本が海外へ流出していったのです。
その時の、ケインズの言葉は、身に沁みます。
「海外の投資家が、その国の長期的な利益を考慮した真に重要な投資をする保証はない。それは、その国の経済をただ不安定にするだけだ。」 というものです。
しかし、その通りですね。 流入資本はすぐに引き上げられてしまうからですね。
金融グローバリズムの元では、投資家の私的利益と国民全体の公的利益は一致しない、ということです。
しかし、それはグローバリズムであろうとなかろうと当てはまる命題ですね。
国が不況の時は、個人投資家に任せるのではなく、ケインズによれば、 「政府は今こそ道路や鉄道などの輸送システムの整備、住宅整備、それに田園風景のアメニティの確保といったインフラストラクチャの整備をおこなうべきである」ということです。
ヴィクトリア朝時代のイギリスは、植民地主義の元での金融資本主義によって繁栄しました。
金本位制を廃して国家による通貨管理を提唱していたのです。
国家によって通貨量は管理せねばならない、ということです。
また、ケインズは「資本の気まぐれな移動を管理し、適度な孤立主義を取ることこそが必要である!」と言うのです。
これは非常に、考えさせる言葉ですね。
国際的な投資家はその企業のこともほとんど知らない外国の株式や債券に投資し、ただ利潤だけを目当てに適当に売り抜けようとしている。
それが、経済を不安定なものにする、ということですね。
こういったことがやはりケインズにとっては不安で仕方なかったのでしょう。
しかし、これはなにも国際的な投資家のみならず、こんにちの国内の株式をデイトレードする人たちも同様ではないかと思います。
ケインズの時代には、インターネットなどというものがなかったですから、国内の株式に投資し、ただ利潤だけを目当てに適当に売り抜けてその売り幅で儲けようとしているデイトレーダーはたくさんいます。
ここで考えさせられるのは、望ましい投資とはどういうものか、ということですね。
株ある株式投資の成功者にその投資の成功の秘訣は何か、という質問に対し、 「その投資する対象の会社が大きくなって欲しいという純真な心だ」ということを言っていたのを思い出します。
その人は、そんな純真な心で投資をしていましたから、デイトレードなどしていなかったようですし、本当にこの会社は大丈夫だという確信がない会社には投資しなかったのです。
そのためには、その投資する会社のリサーチも充分におこなったでしょう。
価値に投資していたのです。
売り抜け、というゲームに似た感覚では投資をしていなかったのです。
そこで、思い出されるのは、先に挙げたスミスの言葉です。
「労働こそが富である」という言葉ですね。
その国の経済力を生み出すものはやはりもの作りですね。
その国の製品が良いものであれば、その国の国民もその製品を買うし、他国の国民もその製品を買うでしょう。
逆に、その国の製品が悪いものではその国民は買わないでしょうし、他国民も買わないでしょう。
その企業が良いものを作っているか、そこに着眼をして投資する、それに一番に焦点を合わせるべきであるのでしょう。
その良い製品を作っている会社が繁栄したらどのような波及効果があり、この先どのようないいことが起きるかを夢想して投資をする、これこそが望ましいのでしょう。
しかし、ここまで善人のような理念を持っている人はどれだけいるでしょうか。
投資というのは、そもそもその会社に出資する、という意味でするのです。
デイトレードは、出資を一時的にして、すぐそのお金を引き上げる行為にほかなりません。
ですから、本来の純真な意味での投資との理念からすれば、デイトレードなどは邪道なのでしょうか?
そもそも公共事業はケインズが提唱したものなのです。
今は、アメリカでも日本でも新自由主義の風が吹き荒れて、このような政府の役割を提唱することはまず難しいですね。
今やケインズの提唱した公共事業によって、不況を脱することができなくなってしまったからです。
不況時に、道路を作る、橋を作る、それでそれにかかわった人間に金が行き、その人間がお金を使い、景気が良くなる。
この理念は、国民生活の安定を第一に考えていたケインズならではのものだったのです。
しかし、今やその公共事業による不況脱出は効果をあまり発揮しなくなってしまったのです。
将来の不安から、公共事業に関わった人間が金を渡されてもお金を使わなくなってしまったからです。
それを脱するためには、また新たな経済学の到来を待たなくてはならないのでしょうか?
しかし、不況を脱するに有効でなくなったケインズの理念ではありますが、学ぶところは充分にあるのです。
「資本主義を停滞に陥れるものは何か?グローバリズムのもとで展開される「浮動する」資本の気まぐれな投資だ。」というケインズの言葉通り、ただ利潤だけを目当てに適当に売り抜けようとしている個人投資家に期待することはやはり出来ないでしょう。
もう死ぬまでお金に困らないほどの莫大な財産を持っている人でないとそのスタンスをやめろと言われてやめる人はいないでしょう(笑)。
そうではなく、やはり政府がその役割を果たすことがやはり有効でしょう。
この国をよくするぞ、あるいは、自分の生活している地域で、この地域をよくするぞと意気込み、出資する覚悟で公共物建設のために自腹で出そうとしている人は少なからずいるでしょうが、その人たちにも頑張ってしていってほしいと思います。
この本の作者である佐伯啓思氏は、ケインズを後押ししている人ですから、やはりケインズの理念を提唱し、従来の公共投資ではなく、世のニーズに合致するものへの政府の投資を提唱しているのです。
私もそのことには賛成ですが、それが今の日本政府にどのくらい支持されるかはわかりません。
最後に佐伯氏は、「日本は今充分に豊かだ」ということを言っています。
1970年の日本のGNPは70兆円で、今は510兆円であるのです。
1970年から7倍以上も豊かになっているのです。
デフレ下では、それを実感できない人も多くはいるでしょうが、モノを買う時の選択の幅、利潤機会も従来より断然多くなっているのです。
私の個人的な勉強をひけらかさせてもらえれば、今は情報社会です。
きちんと働き続ければ生活は安泰、という産業時代は終わったのです。
しかし、利潤を求めて情報をかき集めれば、その産業時代よりも何倍ものお金を稼げる時代になったのです。
それも、GNPが7倍以上にもなった結果だと思います。
そして、90年代の半ばから現在までの日本の成長率は1%前後です。
GNPがこんなに増えているのにこの成長率です。
しかしこれは悲嘆にくれることではないと佐伯氏は言っていますし、私もそう思います。
社会が豊かになれば必然的に成長率が落ちるのは必然だからです。
新興国に成長率で抜かれてもどうということはないでしょう、日本国民が働かなくなり、粗悪品しか作れなくなったというなら話は別ですが…(笑)。
やはり、社会に生起する事象というのは、それぞれの背景の部分を、つまびらかに知った上で、考えていかなくてはなりません。
ただ、新聞や雑誌に書かれているままを鵜呑みにしていては、本質を掴めないということが、佐伯啓思氏の本を読むとわかると思います。
これはなにも社会科学的な分野だけでなく、人生のあらゆる場面でも妥当すると私は思います。
その理念に賛同し、物事を深く学んでいきたいと思うかたには是非ともこの本を読んでいただきたいと思います。
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★その他、佐伯啓思氏の本について紹介したページは以下!