桜井邦朋 『考え方の風土』

2019-08-28 14:44:34 | 大学論

 この著者さんの本は大学在学時代に、古本屋でみつけて読んで、感銘を受けて、今もその印象が残っているという人の例です

この人は、日本のアカデミズムの在り方に疑問を持ち、それを是正すべく、その内容を世に問うてきた人です。

ここで書かれているのは、大学を中心にした知識界における専門に閉じこもり自分の専門以外について知っているとそれだけで蔑まれる、日本の縦社会による上から言われたことを批難したらいけない風潮、自分の考えを持つことが良くないとする風潮、いろんな知識を詰め込むことで良しとする教育の風潮こういったものが、学問の発展を妨げる、ということですね。

こういった事は、やはり海外から帰ってきたときに、桜井氏が感じたことであったのですね。

それゆえに桜井氏は日本のアカデミズムの在り方を批判してきたのですね。

そのことで、桜井氏は西洋かぶれという批判をされた、ということもその本の中で書いていましたが、決して私はそうではないと思います。

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やはり比較という行為を通じて、自分の状態を浮き彫りにすることができるのであって、西洋の学問の在り方に対して無批判にしておいて、日本の在り方をただ批判しているのではないのです。

西洋の在り方については無批判、しかし日本の在り方は何でも批判、これはもちろん西洋かぶれです。

しかし、桜井氏西洋の在り方にも批判をしているのです。

勿論、それが良くなるようにするためには、どうすればいいかという前進的な良き批判です。

やはり当時の日本は情緒を優先してしまい、論理的な思考法がまず出来ていない、ということですね。

それでは学問の発展などのぞめないのは明かです。

しかし、この本が書かれてから20年以上がたち、そういった弊害は大幅に修正された観があります。

いろんな学問を収めることで良しとする風潮にもなり、上から言われたことを鵜呑みにするのではなく自分の頭で考えるのが良しとするようになり、知識の量だけを問う偏重主義はほぼないように感じます。

今この桜井氏の本を読むと隔世の感があります。

やはり桜井氏の本を始め、日本のアカデミズムの在り方に疑問を持った学者や知識人たちが国の内外を問わずいろいろ出てきて、その内容を批判した本がたくさん出てきて、いろんな人がそういった本を読み、これではいけないと自覚し、矯正していったのでしょう。

その内容たるや、今読んでも慧眼モノでしょう。

歴史は繰り返す、という諺通り、いつまたこういう状態にさかのぼりするかわかりません。

そういう可能性は私はあると思います。

何故なら、日本の大学生は、ほとんど講義に参加せず、ひたすら年末の試験時だけ勉強するからです。

自分の履修した講義のうち、全部参加するのは大学生全体の10%前後というのを、大学時代にある本で読んだことがあります。

これは、目測ではなくきちんとしたアンケートです。

そして、最初から最後まで、毎回毎回同じようなことを言っているだけの教授の講義はありますね?

こういうものに限って人気が高いのです(笑)

何故なら、こういう教授の年末試験は楽ですから。

そういう人の講義で使う教科書はたいていその教授の書いた本です。

その本は内容はどうあれ売れます、履修者が多いですから(笑)

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これで履修者の多い教授の講義は人気が高くて大学側は喜び、その教授の出す本も売れて出版社側も喜ぶ…しかしこれは、正統な競争原理の結果ではないのは明らかですね(笑)

普通は内容の素晴らしいものが売れて、いい加減な本は淘汰されるのが普通の競争原理です。

しかし毎回毎回同じようなことしかいっていない教授の書いた本は、たいていその本も同じようなことしか書いていないです(笑)

しかし、売れる。

講義を履修した以上、その本を買わないことには、年末試験に困りますからね。

このような原理で、大学においては、いい加減で同じようなことしか言っていない教授の講義には人気が集中し履修する人が多い。

そしてその書いた本も売れる、というわけですね。

こういった原理で、その教授は履修者が多いがゆえにお金が入る。

履修者が多いがゆえに本も売れる。

こういったぬるま湯につかってきた教授に、本気になって研究をしろ、といっても豚の耳に念仏でしょう。

そんなに気張って研究をしなくても、お金が入ってくるのですから。

こういう教授であっても、年収2000万円はもらっているというから驚きでした。

そのことに不満をぶちまけていた教授もいたことは確かでした。

しかし一向に改まる気配はありません。 何故なら多くの学生はそういう教授の方を好みますから。

予備校までは逆なのですね。

きちんと授業をしてくれる先生に人気が集まり、いい加減な先生は淘汰される。

しかし、大学からは逆で、いい加減で毎回同じようなことしか言っていない教授の方に人気が殺到する(笑)

何故そうなのか、これはウィリアム.ジェイムズの言葉に集約されている気がします。

ウィリアム曰く、

「この世は2つのタイプの人間がいて、1つは、この世界を多元的に捉える人。

この人は、リンゴもいいし、蜜柑もいいし、バナナもまずくはないし、パイナップルも結構だ。

その間に序列をつけるわけではないし関係をつけるのでもない。

いろんなものが並列状態にある、というふうに捉える立場の人。

もう1つは、この世界は最後は1つの絶対的な価値に収斂していって、その体系の中に諸々のモノがちりばめられている、というふうに捉える立場の人。

この2パターンに分かれる。

前者の人は、そのような世界観を持っているがゆえに、いつまでも勉強を続けていこうという気概が衰えずに続行する。

しかし後者のタイプは、1つの原理で世の中は成り立っているから、わざわざ情報を集める気がないがゆえに、勉強への気概はほとんどない。

後者の方が圧倒的に多い。」

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要するに大学生のみならず、どの社会でも勉強を続けていこうという気概のある人は、少数派であるということですね。

では何故、そんなに多くの人が日本では大学に行きたがるのか、ということですね。

やはりそれは社会全体が、高学歴志向へのあこがれを抱くように雰囲気を醸成されてしまっている、ということですね。

大学に行くと何かカッコいいし、見栄えもいい、だから私も大学に行くんだ、というような気概を持つ人がこんなにも多いのでしょう。

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進学校であれば、周りの人間が行くパターンが多いから猶更、自分も行こうという気になってしまうのでしょう。

しかし、そういう動機で大学に進んでも、主体性はありませんから、ほとんど講義など受けないで、年末試験だけ力を入れて勉強するのでしょう。

それでは、授業料などがもったいないと思われるでしょうが、当の本人はまるで損などしていないような顔をしているのですね。

やはり知識など自分には必要ない、という世界観ですから損も何もない。

しかし前者の世界観で生きている人にとっては、もったいなくてしょうがないですから、講義は100%出るし、ノートもきちんと取る。 にみならず、自分が履修した講義以外にも出席したり、その他本もバンバン読む。

これは変えられることではないでしょう。

ウィリアムがいった言葉は、古今東西普遍のような気がしますね。

前者の世界観で生きている人にとっては、先に挙げたいい加減で毎回毎回同じようなことしか言っていない教授の講義など受けたくないと思うのですが、多数の人はそういう教授を選ぶのですからしょうがないでしょう。

しかし、何もそういう教授ばかりが多数派ではないことも事実ですし、アカデミズムに入ったのは、やはり勉強したいという気概を持ったからこそであり、厳しく毎回勉強して講義をする教授も多くいたことは確かです。

しかし、いい加減な教授をのさばらせては、科学の発展に何ら寄与しないことは確かです。

同じ講義内容を継続している人に発展など望めませんし、そういう教授がいると前例を作ってはまた踏襲する人が出てくることは間違いありません。

そういう教授をのさばらせないためには、そういう教授の講義を履修する人がいなくなればいいのです。

しかし、知識は必要ないという世界観でいる人の方が多数派なのでそれも難しいですし、それはいつまでもなくならないのではないか、とは思いますが、それを指くわえてみているだけでは、敗北主義でしかありません。

そのことに目覚めて、行動する(そういう教授の講義は履修しない、本も買わない)人が多く出てくれば出てくるほど日本の科学の発展に寄与することになるのです。

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そういう人が出てくることを私は望んでいるのですし、桜井邦朋氏も望んでいることは間違いありません。

そうなるように自戒の意味を含めて、この本をお勧めします。

●この本は以下よりどうぞ!

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「考え方」の風土

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藤田孝典 『下流老人』

2019-08-25 16:34:55 | 日本経済

下流老人ときくと、「本人の心掛けが悪かったからそうなったんだ。仕方ない。」とか「将来のことを見越して行動してこなかったから本人の責任だ。」といった考えが起こされそうですし、かくいう私もそうでした。

こんにちかまびすしく言われているように、「老後は年金だけでは賄えない。だから貯蓄しないといけない」といった事が盛んに言われていますし、それにもかかわらず、そういった行動、あるいはそれに類する行動をしてこなかった、だから本人が悪い、という論理ですね。 それは一面では、当たっていると思います。

しかし、そういった行動を積み重ねても、下流に甘んじざるを得なかった老人も多数いることを、実際の例を描写しているこの本を読んで、知りました。

老後の蓄えをして定年が終わった時点で、3000万円を蓄えた夫婦がいましたが、妻がガンにかかり、その貯金の大半をその治療に使ってしまってしまい、もう後がない人。

老後のためにと5000万円くらいの貯蓄をしていたが、親族がいきなり事故に遭い、その治療のためにその大半を切り崩さざるを得なくなってしまった人。 こういう例がたくさんあるので私は大いに驚きました。

「貯蓄をしていればいいんだ。」という考えが崩れた瞬間でしたね。

その他、老後に備えて多額の貯金をしていたにもかかわらず、想定外の事故が発生し、それから切り崩さざるを得なくなった老人たちの例は、YouTubeでいくらでも知ることができます。

ですから、貯蓄をしていればいいという考えは全部に通用しない、ということですね。

ただ年金だけで老後は豊かに暮らせるというのは、もう30年も昔の話であって、今や貯蓄も必要である。

そんなことは前から新聞や本でも言われていることであった。

それにもかかわらず貯蓄をしてこなかった人が悪い、あるいは年金すらも払ってこなかった人が悪いんだ、ということですね。

私の知り合いでもいます、自営業をしていましたが、それを始めて一切年金を払ってこなかった。

老後貯金が尽きてしまった。

それで困って国に相談して、生活保護を申請して、その申請が通って生活保護費が貰えるようになった。

その人は、辛い味付けが好きで、塩辛い物ばかり食べてきました。

しかし塩辛い物ばかりでは身体に悪い。

それを医者から止められていたにもかかわらず、やめなかった。

それゆえに下半身不随になり、車いすでの生活を余儀なくされ、その生活保護のお金は、老人ホームに払い、その本人は老人ホームでのうのうと生活しているという例です(笑)

これは、経済的にも健康面でも、将来を見越して、自分が何をすればいいか、自分はどういう事をして、どういう事をやめなければいけないかを全く考えずに、其の場だけで行き当たりばったりの生活をしてきた人の典型例ですね(笑)

こういう人を救済するために、我々が払ってきた税金が無駄に消費される。

だから、こういう人を救済するなんて…という論理がまかり通っているようです。

しかし、だからといってこれまでに人類が形成し構築してきたヒューマニズムの観点からして、こういった人たちを救済するのは当然ですが、しかし…と私は思うのですね。

しかし、老後になって想定外の事態が起こり、お金が無くなり、生活保護申請をする、そういう人が年々増えていることは確かでしょう。

2年前の日本政府が出した生活保護の額は、3兆8000億円だったようです。

これからその額が減るのか増えるのか…どうやら後者の見方の方が強いようですね。

老人の増加に伴い、これまでは、年金や健康保険に関しては、アルバイトや非正規雇用の人に関しては任意に任せてしました。

しかしそれではほとんどの人が払わないので、そういった人たちからも義務として払わせるように法律が3年前に改正されたのは記憶に鮮明になるところですね。

この著者は、いろんな老人たちの相談にのったり、実際に老人の家に赴いて世話をしたりといった行動を重ねてきた人ですね。

そういった人だからこそ、今日本がどのようにしないといけないかを切実に感じ、それをどのようにすればいいのか、を真剣に考え、その考えた内容をこの本で提示しているのですね。

その内容は、老人たちへの施策に対する配分の仕方の変更、累進課税、生活保護といった内容が主だったものですが、その内容は実際に現場に居合わせて、考えに考えて理論を構築してきた人のだけに説得力があります。

その内容を読みたい人は、読むのいいでしょう。

しかし、年金を受給してもらっている人は、40年以上掛け金を払ってきたにも関わらず、7万円弱しかもらっていないのが実情のようです。 しかし、生活保護を申請して通れば、13万円ももらえるというのです。

これでは、年金を払ってきた人がバカを見ている、というふうに思うのが通常でしょう。

勿論、年金をもらっている人でも、生活保護を貰っている、要するに年金+生活保護という形でもらっている例も当然あります。

しかし、このように申請すればだれでももらえるという形になっては、前例をつくり、金がなくなったら政府に頼めばいい、という甘えを国民に持たれたら、これから政府の出す額は大きくなるばかりです。

この本の著者は、生活保護はもらえることに引け目を感じる必要はない、ということを書いています。

そうでしょう。

この著者がいうように、これまで税金を払ってこなかった人など誰もいないのですし、その財源を受け取る権利は誰にでもあるでしょう。

しかし、だれにでももらえるという認識になってしまったら、それこそ国の財源は破綻してしまうでしょう。

そうならないように、国民の1人1人が、自分は何をすればいいのか、ということを考え、探し、行動していくことが必要でしょう。

この著者が、この本の最後の方で書いている、コミュニティーの形成、人間関係の構築の大事さを力説していたのは非常に感銘を受けました。

「この人を助けたい、援助したい」という気持ちを多くの人にもたれるような人間関係を作っておくことの大切さを力説しているのです。

それは行動であったり、金銭的なもの両方ですね。

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また政府の施策だけに頼るのは私にあまりに説得力がないのですね。 かつて庶民派経済学者であった森永卓郎氏は、「政府がデフレをやめれば、国内の経済問題のほとんどは解決する」ということをいろんな書物で書いてきました。

しかし、それを政府はやめようとしない。

それは、政治家にしても官僚にしても、日本の政治のカギを握る人たちは、金持ちであることがほとんどです。

ですからその金持ち優遇の政策のためにデフレをやめようとしないのです。

デフレ下であれば、不動産や株、債券といったものが安く買える。

しかしインフレ下であれば、それが出来なくなる、だからやめようとしないのですね。

不動産や株、債券といったものは一般庶民にはほとんど無縁のものです。

それに財源が不足しているならば、そういった金持ちたちからたっぷりとればいいのですが、そういう施策はせずに、一般庶民からとるようにしている。

ですから今の日本の政治は金持ち寄りのものなのです。

「政府がデフレをやめれば、国内の経済問題のほとんどは解決する」と書いた森永氏の他にも、原田泰、上念司、岩田規久男といった庶民の立場にたった経済学者は登壇させないようにマスコミも工夫されてしまっているのです。

デフレをやめれば、当然年金の額も上がっていくことは間違いないでしょう。

しかし金持ち優遇の日本においては、それも期待できない。

そこで思いだされるのは、ロバート.キヨサキの言葉ですね。

「みんなが金持ちになるよう政治に期待するよりも、自分が金持ちになった方が早い」ということですね。

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ロバート.キヨサキ

このニュアンスの言葉を、氏はいろんな本の中で書いていますが、中でも印象的だったのは、『あなたに金持ちになってほしい』という本ですね。

アメリカ国民にむけて「これから先、政府が年金を拠出するとなると、毎月アメリカがイラク戦争に使った額の半分を毎月出さなければならなくなる。そんなことが可能かどうかは普通の脳をもった人であればわかるはず。

年金に頼らずに自分の懐に毎月お金を振り込んでくれるシステムを自分で構築することが大事」ということを書かれているのを見て、私がこれこそが一番説得的だなあと思いましたし、これ以上の言葉はなかったですね、これまでいろんな本を読んできて。

そしていろんな本を通じて、労働に頼らずとも、お金を得る方法の数々について、いろいろな方法を提示してきたのですね。

そんな自分にはそんな方法はない、と思われるかもしれませんが、氏の本を読めばその方法の数々について知ることはできるはずです。 考え続け、そして探し続け、それがわかったらそれを行動に移してみることですね。

氏が、小学校のころ、氏が「金持ち父さん」と仰ぐ、親友マイクの父に、頭を使って方法を探せと言われ、いろいろ考えた結果、金持ち父さんの経営するコンビニにおいて、売れ残った漫画雑誌を店長からもらい受け、それを小屋にもっていき、毎号保存してその小屋を利用料を徴収してお金を得る、という方法を考え実行した氏を、金持ち父さんに喜ばれた、というエピソードを紹介していました。

また、私はいろんな音楽のCDや本の鑑賞をしてきましたが、いずれも「これはずっと鑑賞していきたい」と思ったものに関しては、保存していますが、これっきりでいいと思ったものに関しては、中古屋に売ってきました。

しかし、いずれも安く買いたたかれるのがおちでした(笑)

「こんなマニアックなものがこんな安く買いたたかれるの?」と残念至極でした。

古本屋では、新品価格で4500円くらいする分厚いマニアックで文芸的な要素もある学術的な本でも100円以下、高くても200円でしか買ってくれなかったのですが、Yahoo!オークションで出品すれば、1500円とか高い場合は2000円くらいで売れるパターンがたくさんあるから驚きです。

売る自分もオーケー、買いたい人も巷で買うよりも安く売れるからオーケー。

両方にとっていいのです。

確かに、古本屋の方も、自分の生活費や、店舗の家賃、光熱費、人件費等を考慮に入れて、買い取りの値段設定をしてきたのだと思いますが、それでもこのオークションを使えば、売る方と買う方両方が店舗で売買するよりも得をするのが認識されだしたので、これから中古屋は廃れていくでしょう。

このネットオークションの恩恵を受け、良き気分に浸っています。

老人のかたで、自分には売るモノがないと思われがちですが、押し入れや倉庫にいって根ほり探せば、思わぬ大金が得れるものが出てくる可能性があるのは確かです。

しかし、どのようなものが売れるのかと問われれば、「自分で勉強してください」としか答えようがないです(笑)

また、物事を成就する方法、金を稼ぐ方法などを、冊子やEブックにして販売する方法、商品を紹介してその手数料を得るアフィリエイトやドロップシッピング、こういった方法などを駆使していけば、金をゲットできる方法などいくらでもあるのです。

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労働に頼らずに、詳細に言えば、会社に入って働かなくてもお金を得れる方法はいくらでもあるのです。

確かにこれだけでは、生活費をまかなえない、と反論されそうですが、確かにそれだけでは生活はおぼつかないですが、であるならば、何かバイトをしながらでも並行しながら行くのがいいでしょう。

また株やFXの投資や短期トレードなど、をよちよち歩きの段階から始めて、行動を積み重ねてお小遣い稼ぎ、あるいは大金を稼ぐ、といった事をしていくのがいいでしょう。

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いずれも、その道について勉強や研究を重ねる、ということが大事であることは間違いないです。

ただ単にネットビジネスや、トレード、投資等の行動に入ったからとて誰でもうまくいくかどうかは保証の限りではないのです。

やはり勉強や研究を重ねる必要があるということです。

老後、年金を貰っても生活費には程遠い、だからということで始めたのか、老夫妻の経営する某簡素な蕎麦屋さんに入って、冷やしタヌキそばを注文しました。

すると出てきたのは、市販の蕎麦をゆでて、市販のつゆをかけただけの代物でした(笑)

しかもわさびは、スーパーの切った刺身についてくる四角いわさびでした(笑)

こういった店では、来た人が再来するわけはありません。

でてきた人は、あそこはいい加減な店だと、いろんな人に吹聴するでしょう。

そして店が閉店してしまうのです。

国に老後を頼らない、という気概は立派ですが、あまりにも勉強不足すぎです、この店の人たちは(笑)

300円くらいで、本物の味が『小諸そば』で食べれるのですから、そんな市販のモノで済ました店が繁盛するわけはないのです。

ネットを利用してお金を稼ぐにしろ、リアルビジネスを始めるにしろ、行き当たりばったりの行動ではダメで、勉強を重ねて行動し、そして勉強を更に重ねていかなくてはならないのです。 それでもうまくいかない場合は、労働を続けるか、生活保護を受けるかしかないでしょう。

自分で描いた将来が、必ずしもうまくいくかどうかなど自分で予見できるわけはないのです。 かくいう私も、生活保護を受けるようになるかもしれないです(笑)

それでも貯金はしていますし、年金も収めています。

私はこれまで本というものは、良き社会を創造するためにあるということを主張してきました。

そのために問題点を探し、その良き社会のために自分は何をすべきかを考え、行動することが大事である、ということを書いてきました。

ですから、良き社会の創造のために、労働し、年金を納め、貯金をする。 それだけでは足りないのが事実でしょう。 そういった事だけに、国民の全部あるいはほとんどがしていては、国の財源が足りなくなるのは明白です。

ですからそういったものだけに頼らずに、自分で財源が作り出せるなら作った方がいいのは明白です。

ですから、それを日々作りだせるように努力を積み重ねているのです。

年金を貰わずに生活している人が年々増えているのは事実ですし、自分もそうなれるようにしているのです。

その国に頼らずに財源を確保するだけでなく、先にかいたように、思わぬ病気に罹患する、といったことで老後が破たんしてしまった例もあるように、ではどうすればガンにかからないか、を本などを読んで行動する。

食品や、日用品、またはレントゲンで診察を受ける事でもガンにかかりやすくなるらしいことを知って驚きました。

また認知症の患者もおおくなっていますが、認知症は、遺伝子組み換えの小麦粉で作った製品を食べるとなりやすくなる、ということを知って驚きました。

こういった多岐にわたることをいろんな本を読んで、知り、そして行動していくことが大事であるということは間違いないでしょう。

老後の貯蓄だけでは想定外である病気や事故が起きたときに足りなくなってしまう、ということは、先の例からも明かでしょう。

それは切実な下流老人の現状を見れば、その思いは強くなります。

その思いを強くして、行動することの重要性を認識することは何よりも大事でしょう。

人生には多岐にわたる学びが大事なのです。

その多岐にわたる物事の一環として、この本をお勧めします。

●この本は以下よりどうぞ!

下流老人 一億総老後崩壊の衝撃 (朝日新書)

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アビジット・V.バナジーほか 『貧乏人の経済学』

2019-08-19 23:32:04 | アジア経済

この本を読んで、経済援助の困難さ、または私たち経済大国に生まれ育った人たちが普段目にし、触っている者の有難さについて痛感しました。

その内容は以下ですね。

普通に経済が運営される。

それは、モノと貨幣との交換ですね。

しかし、それをおこなう際にも、単純に計算が出来なくてはなりません。

しかしそれには当たり前ながら教育が必須です。

しかし、援助される側の国々の人たちは、そういう機会がほとんどないので、それすらもできかねています。

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また病気にならないように接種を受ける、それも当たり前ながら、その大切さを知るためには、伝達が必要です。

人から教える、また紙や本、テレビなどを通じての伝達が必要です。

しかし、それもまた困難なことがわかっています。

援助される側の国の人たちは、その良さを知らないですから、その良さを知らせるためには、一番手っ取り早い方法は、紙ですね。

しかし、それがあまり少ないが故にそれもできかねているし、できても少数にしかできない。

また、投資や保険といったものに大切さまで教えるとなると、更に大変ということがわかりますね。

やはり我々、北の人たちというのは、そういった媒体を大いに受けているからこそ、そういうものがあり、その大切さがわかり、そして行動に移すことができる。

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CMと同じように、何度も何度もその内容を知ることによって、行動に移すことができるのですね。

しかし、南の国の人たちは、そういう媒体が不足しているからこそ、そういった私たちにとって当たり前のことができないし、行動になかなか移せないでいることがわかります。

そういったうまれそだった環境によって、そういった違いが生まれてしまうのであって、自助努力にそういった経済状況の違いの原因を期することはできないということがわかります。

一番手っ取り早い紙の手段によって伝えることですら、なかなか一筋縄ではいかないのは明白です、これらの国では。 何故なら、いろんな言語が話されていますから意志の疎通が非常に難しいのです。

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日本が、明治期に富国強兵政策を打ち出し、すぐに列強の仲間入りを果たせたのは、江戸時代に寺子屋などの教育施設が普及していて、教育がいきわたり、しかも言語も大した違いがなかったゆえに医師の疎通ができていた。 しかも、街道が整備されていたがゆえに、ものの流通もスムーズにいった。

そして働きやすい気候であったがゆえに朝から晩まで働くことができたのですね。

別のページで書きましたが、エジプトはあまりに暑いがゆえに昼の3時までみんなが寝ているようです。

フィリピンも同様のようです。

この気候的な云々についてはこの本では言及されていなかったですが、非常に重要なことですね。

また人々の心の習慣や文化といったものも考慮に入れないといけないでしょう。

私はいつかタイに旅行しにいきました。

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バンコクではいろんな人が必死になって働いていましたが、山奥の方へ行くと働かずに一日中働く意志など微塵もなく、ほとんど寝ているような店員の人がいました。

そこらへんには、野菜や果物、その他穀物がいろいろ生えているので、無理やり売らなくても生活していけるのですね。

だから売る気が見えませんでした。

こういったいろんな条件が経済発展に有利であったがゆえに、日本はすぐに経済大国化が可能だったのですね。

決して南の国の人たちが自助努力を怠ったわけではないのですね。

モノを買うにしろ、勉強するにしろ、働くにしろ、私は日本が経済大国化に有利な国柄だったがゆえに可能なんだ、ということを日々実感しています。

そういった経済大国化への試みとして、いろんな施策をこの著者は10年以上にわたって南の国々において行動してきたのです。 それが、実ったという事例をたくさん挙げているのです、決して自慢ではなく。

それを喜ばしいことではあるとはいえるでしょう。

その出た結果を見れば、途上国でも経済発展は可能ということがわかります。

ただしいろんな要素が絡み合って、日本のようにスムーズにはいかないにしろ。

これは決して卑下しているわけではないことはお断りしたいですね。

やはりことを詳らかに分析していくと、やはり経済発展のためにはいろんな要素が必要ということがわかっているだけのことですね。

しかし、これから先、こういった国々の人たちが発展することは喜ばしいこととはわかりますが、でも経済発展には、環境問題、環境汚染という負の面が付きまとうのは事実です。

それを緩和する技術はあるのは事実ですが、全く無にすることはできないのです。

全世界が今の先進国のような発展をするためには地球があと3つ必要という研究もなされていることは頭に置いておいていいでしょうね。

そういう事も念頭においたうえで、やはりこれからの政策(国内国外問わず)の是非を考えないといけないでしょうね。

私は、これまでの実験で、クーラーと扇風機のどちらが最近のような暑い日にはいいかを試しました。

やはり扇風機では、それなりに涼しくはなりますが、完璧には涼しくならないです。

何度も試しましたが、やはりダメで、ちょっと寝て休もうと思って寝ると、いつの間にか3時間くらい寝てしまうのですね(苦笑)

エジプトの人たちの心境がわかりました。

それだと、自宅での仕事は全然はかどらないので、クーラーを使うことにしました。

それも、喫茶店もかねてですね。

喫茶店では当然クーラーはついていますから、そこでパソコンを持参して仕事をする。

そして閉店してしまったら仕方ないから、自宅に戻って仕事をする。

それの方が環境的にはいいでしょう。

おなじ時間帯に、自宅と喫茶店の両方がクーラーを使っていては二重の環境悪化=温暖化になりますからね。

やはり科学というものは、読んだ人や勉強した人に行動を促すものであるというのが一番大事な点と思いますね。

大学で学んだことで大いにいいと思ったのは、生ごみは捨てるのではなく土に埋めるのがいい、ということですね。

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清掃工場に生ごみを回収してもらって燃焼させても水分が含んでいるがゆえに燃えにくい。

しかし土に埋めれば、それをバクテリアが分解してくれていい土になる。

ということを学んで、私は卒業後生ごみを一度も清掃工場の収集に出したことはなく、すべて土に埋めています。

それゆえに私の家の土の部分には冬であろうといつも青い草が生い茂っています。 最近の夏ごろはぼうぼうです。

こういう行動に移すべきことは移す、これが大事ですね。

しかし、途上国の援助には一筋縄でいかないことが多いですし、全部の国が発展するには、あと地球が3ついる、ということを考えれば、そうやすやすと答えを出すべきではないでしょう。

やはり研究に研究を重ねたうえで結論を出し、そのための行動をしていく、というスタンスが大事でしょう。

そういう事を考えてしまったのです、この本を読んで。

地球の上に住む以上、そういう事を日々考え、そして行動していくことは誰でも大事でしょう。

その行動が過ちであるとわかったら、それ以降はしないでいればいいだけです。

そのことに賛同してもらえる人にはこの本を読んでほしいと思いました。

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貧乏人の経済学――もういちど貧困問題を根っこから考える

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大塚久雄 『社会科学における人間』

2019-08-17 12:10:11 | 宗教と社会

私が文系の大学にはいっていろいろな本を読んで、いまだに強烈な印象に残りいまだに、読みたいなと思えるような著者の本は限られたものですが、こと大塚久雄氏の本は、いまだにそう思える品位を備えています。

非常に簡潔で分かりやすく、奥が深く、それでいて含蓄が深い。

そういう人こそが注目されてしかるべきだと思いますね。 こういう人のこそ、その人の書いた本をチェックして、メモ帳に書いて、書店に注文してしまうのですね。

中には、難解で読みづらい本を書いてそれでよしとする学者も多いですが、そういう人のは勧めないですし、すぐに売ってしまいます(笑)。

今回は、この大塚久雄氏の本を紹介しましょう。

社会科学は人間を対象にした学問であり、人間の気まぐれで、どの国、どの地域でも当てはまるような法則は抽出することはできない。

しかし行動様式は、ある程度共通項があるがゆえに、それなりに古今東西妥当することはあるのですから、それを探り、これから先の行方を探索していこうというのが社会科学の理念といっていいでしょう。

大塚久雄氏は、まず『ロビンソン.クルーソー漂流記』を引き合いに出して、資本主義とはどういうものかを探求しているのですね。

その著者であるダニエル.デフォーの生きた18世紀の前半イギリスの農村地域の工業生産をモデルにしているのですね。

これを中産的生産者階級といっています。

その著書に出てくるロビンソンは、土地を囲い込み、そこに小麦を播き小麦畑にし、山羊を捕らえてして肉や帽子、日傘にしていたようです。

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最初、主は牧畜をしていましたが、のちに農業に変えたようです。

この頃は、経営者と労働者は相似的で社会層の差はほとんどなかったようです。

この中産的生産者階級が、のちの産業革命の元になったというのです。 デフォーが描いた小麦を植えたら、一部収穫し、一部は播種する。

山羊は一部収穫し一部は繁殖させる。

そのことで生産高が上がり生活が安定するのです。

それのみか、道具や資材を振り分けて、それからの経営を決定する、こういった現実的、合理的な態度が重要なのは言うまでもありません。

マックス.ウェーバーは、こういった様々な事業を数理的、数学的にとらえていこうとするのを目的合理性というのだそうです。

こういった思考が、のちの企業簿記、法理論、科学技術的な思考の支えになったのだそうです。

非常に驚きでしょう。

経営におけるバランスシートをつくるというのは、その最たるものでしょう。

合理的簿記、正確な原価計算、合理的予測といったものが経営者には当然必要です。

こういった合理的な思考法が、脳内になければ経営者には務まらないのですね。

その対極にある考えが、非合理的な思考法や行動ということになります。

ここでは呪術、伝統主義といったものがあげられています。

合理的な思考法や行動が支えになった資本主義をウェーバー風に言えば、合理的産業経営資本主義というのだそうです。

これが、近代ヨーロッパ、とくにイギリスで初めて生まれたというのです。

そういったバランスシートを作り、経営がうまく軌道に乗り、そのことをプロテスタントは神に感謝をささげる。

そのシートをプロテスタントは「信仰の記帳」というのだそうです。

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どうしたらおいしいものが出来て売れるかを考え探索し、模索する、それも合理的な思考法ですね。

しかし、損を出したら企業は潰れてしまう。 この予算内で上手くやり取りしないことには企業は存続していけない。

ではどうするかを考え、模索していく、この精神が資本主義の考えですが、損を出してもいい。

予算内でできなくてもいい。

両方の場合でも税金から徴収すればいいという考えはまさしく社会主義的な思考法ですね。

まさに日本の公共事業は社会主義ですね。

普通の経営者は原価計算や損益計算ができないとだめですね。

また合理的な思考は経営者にとって必要ですが、一般の従業員にも必要な思考法であり行動すべき内容でしょう。

材料を必要以上に使うことで、無駄だと思ったら必要以上には使わない。

お店の経営では、ゴミ入れの袋をパンパンになるまでゴミを入れれるならば、パンパンになるまで捨てない、といった行動の積み重ねが必要と思ったらそういう行動を積み重ねることで将来的にはそのお店や企業にとって損失が小さくて済むのです。

また、お客様に話しかけることで、友達になれて、そしていつまでも来てくれる。

これもまたそのお店にとって大事なことですね。

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こういった事は、ただ単に働くことでもヒントを得て行動につなげることができることですが、他に本をたくさん読んで、ヒントを得て行動につなげることができるのですから、経営者であろうが、従業員であろうが、いろんな本を読んで、行動に結びつける必要がありますね。

良いと思えるものはどんどん取り入れていくスタンスが必要ですね。

また、新しい技術の導入など、常に新しいことを情報として得て、自分の事業に適応させる、ということも大事ですね。

これは自明の理のように思えるのですが、こういった基本的な思考がない国にいって、合理的産業経営を移植しても無駄ということですね。

決してうまくいかないのですね。

北が南を、莫大な資金、技術、人材でもって支援するも支援するも上手くいかない、というのはこういうところに最大な理由があるのですね。

また、人間の行動様式、価値体系、人間観といったものも起因しているのですね。

ある企業が、インドネシアに支店を出して、ある時ボーナスをあげた。

すると、次の日に誰も出社しないので、その家々にたずねてみると、そのボーナスでみんなが酒を買って飲んでよぱらっている、という話もあるのですね。

日本では、ボーナスをもらったからとて、次の日も当然のように出社して仕事をするのが普通ですが…。

これは文化的な違いですね。

また気候的なものも起因していますね。

エジプトに配属になったことのある人に聞いたところ、エジプトではあまりに暑く、昼は仕事にならないから、3時まで寝ているということですね。

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日本では、日本人男性がフィリピン人女性と結婚するという例が山ほどあります。

それはフィリピンでも同様で、昼は非常に暑くて仕事にならず、男性は昼でも寝ているのだそうです。

それに比べ、日本人男性は朝から晩まで一生懸命働いている。

そんな姿を見て、フィリピン人女性は頼り甲斐を感じて、その男性に惚れて結婚してしまうのだそうですね。

しかしこれは単なる気候の違いですね(笑)

日本はフィリピンほど暑くないから、どんな猛暑日でも働けるのです。

このように経済成長のためにはどのようなことが必要か、といった事は残念ながらこの本だけで分かるほど単純なものではないのですね。

私は梅棹忠夫、鳥羽欽一、堺屋太一、飯田経夫その他いろんな人の本を読んで、経済成長には何が必要か、といった事を学んでいったのです。

その一環としてこの本を読むのがいいというだけの話ですね。

それを痛感した人は、いろんな本をむさぼるように その他、日本は産業経営に適した文化を持った国であって、文化的寛容性が高く、自分にいいと思ったものは何の抵抗もなく取り入れようとするのですね。

そういった部分もみのがせないですね。

プロテスタントの精神は反営利性を隣人愛を基調とするのですが、プロテスタントの合理的な精神はどの宗教とも結びつきやすいということですね。

しかし、プロテスタントの精神が=資本主義の精神ではないということですね。

プロテスタントの精神が営利性を帯びて、そちらに重点を置かれて資本主義の精神になったということですね。

また大塚氏は、マルクスを引き合いに出し、人間の行動の集大の結果が予期せぬ結果をもたらす、ということをはなしています。

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先に書きましたように、人間は気まぐれであるゆえに万全たる法則を見出すことはできない、ということです。

今回引き合いに出したプロテスタントの精神にしろ、原始キリストの頃には予測もつかないほどの変質をもたらしてしまったのは明白ですね。

こういう予測不可能なじたいが結果として出来するのですから、科学者たるもの研究を怠ってはならない、ということですね。

その他、ヒンドゥー教、儒教、仏教との比較を通じて、プロテスタントの精神を浮き彫りにしています。

大塚久雄氏のように、これまで書かれていなかったけれども、読むとなるほどと思え、その通りだと思われることを明確に書かれているを読むと、ものすごく感銘を受けるというのは古今東西決まってあるようですね。

ゆえにこの本は77年が初版なのにもかかわらずいまだ新本で入手可能なのですね。

やはり日々前進してくためには、単純明快な抽象的な理論を学び、それを日々の生活の中で具体的な行動に落としこんでいくのです。

その抽象から具体という経路を何度も行ったり来たりする。

それが王道ということを書いてあるメルマガを読んだことがありますが、私のこれまでの人生からも、そうと頷けますね。

その単純明快な理論の本を読んで、そこから人生、生活内でどのような行動にしていくかは、このような紹介ページを読むだけではかなうはずもないのです。

実際に本を読んで、自ら考えなくてはならないのですね。

そして他の本もいろいろ濫読していく、そういうスタンスが王道と思いますね。

それに賛同してもらえる人にはこの本はお勧めです。

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社会科学における人間 (岩波新書)

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谷沢永一 『歴史が遺してくれた日本人の誇り』

2019-08-11 15:14:50 | 歴史学

この著者の谷沢永一さんとは衝撃的な出会いでした。

私の家の近くにある中古本屋さんの店頭に「自由にお持ちください」と書いてあるコーナーがあって、そこにあるのは無料でもっていっていいようなので、この人の某本を貰っていきました。

するとその本を読んだらどうでしょう…非常に慧眼で、人の気が付かないことだけれども、非常に示唆に富んだことを書いてくれているので、一気にこの人に関心がわきました。

いつしか、この人の書いた本を新品で買って読みたい衝動にかられたのを覚えています。

そしてネットで検索をかけて買ったのがこの本になります。 読んでやはりこの人の脳は凄いと思いました。

この人は歴史が専門ですが、その領域にとどまらず、いろんなジャンルの学問に長けているのがわかります。

知識人としてあるべき姿を体現しているのがわかりますし、そういう人だからこそ読みたいなと思えるのです。

谷沢氏曰く、「歴史通になるという修練には現代がみえてくるという効能がある」ということですね。

歴史とは、人類の行為の総体の結果ですから、それを深く見ていく、観察していくことで、やはり現代が見えてくるのは当然でしょうね。 やはり人類の行動様式には共通するものがあるわけですから、その歴史を深く観察することで、やはり現代のことがわかる、ということですね。

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私は大学受験の際に、日本史を第三科目として選択しましたが、その時買った日本史の参考書の冒頭には、「現代を知るためにはやはり歴史を学ぶ必要がある」といった旨の言葉が書いてありましたが、そこで「どうして?」という疑問がわいてきましたが、受験のために暗記するのに忙しくその検証をしている時間もなく時間が過ぎてしまいましたが(笑)、そういう理由も歴史をまなぶ1つの効用だったのですね。

ただ受験勉強のように年表を暗記するのではなく、個々の事例を詳らかに観察していって、そこで人間の行くべき道、人間として人道上選ぶべき道を選択し行動するというスタンスが重要なのは言うまでもありません。

日本史や世界史の受験勉強によって、こういった事についてアレルギーになっている人からすれば(私もその1人ですが.笑)「うえっ、また暗記?」と思うでしょうが、そういった暗記をすることではなく、個々の事例からエッセンスをあぶりだす作業ですから拒絶反応はする必要は全くありません(笑)。

楽しんで、この本を読んでほしいとおもいます。

そして谷沢氏がいうに、「歴史通になれば、博学博識になり、連想力が豊かになる」ということも書いています。

いろんな人間の行動の結果が現代ですから、その行動様式をいくらでも学べば、連想力が豊かになる、ということですね。

また、歴史にしろ他の科学、経済学、法学、政治学といったものを学ぶのは、単なる知識を得るのみならず、現代の社会をよくするためにあるのですから、現代への問いかけがないとやはり学んでもしょうがないでしょう。

谷沢氏曰く「現代に対する問いかけがあるからこそ、歴史の勘所がわかるのである」「歴史通になることは、現代を知ることであると同時に、現代を知ることが歴史通になるということである。」ということですね。 全くのどうかんですね。

やはり学校で学んだ歴史にしろ、やはり人間が資料を基に出した結果であって、本当の歴史など導きだせる性質のものではないのですね。

私の小学校の6年生時代のクラスの人、毎日先生から日記を課されていました。

その時、私は、クラスにいたガキ大将について書いた思い出があります。

その回数はたかだか2~3回と記憶してましたが、その日記のファイルを今見ると、20回以上も書いていたのが判明しました(笑)。

自分のことですら正確な記憶などできないのですから、歴史上に出てくる人物の正確な記録など不可能に決まっています。

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アレクサンダーは何故、インドの端まで遠征したか、をいくら議論したところで疑問は残るのです。

それをやむを得ないと考えて、比較的真実に近い線を探っていくことが大事なのだといいますね谷沢氏は。 「これは知識や学問の問題ではなく感覚の問題である」といいます。

そういう連想を重ねることで、比較さもありなんというなりゆきがわかってくるのです。

また興味深い事例を引き合いに出していますが、松沢静山は、田沼意次に頼み事をしてあっさり断られているので、松沢氏は、それを恨みに思い、田沼が賄賂をしたといった事をでっちあげて書きまくったようですね。

歴史の教科書で田沼が賄賂を受け取ったといった事を学んだ人も多いかと思いますが、そんな事実はないというのが、真実のようですね。

これには、私も驚き目が覚めました。

このような史実の真偽があいまいなことはいっぱいあるのです。

先にも書きましたように、私個人の歴史ですら正確な記述などできた話ではないのですから、正確性を期待すること自体がおかしいということですね。

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おそらく、こういうことだったんだろうという留保をつけたまま、正確性を目指しながら、完璧な正確性を喫することはできない、こんなスタンスでいいのではないでしょうか?

そうすれば、歴史に関する本を読むと楽しくなるのではないでしょうか。

どんな事件も、どんな出来事でも、それを伝える人の性格と好き嫌いで書かれ方が違ってくる、ということですが本当にその通りですね。

神に誓って一生懸命にしているのに、一向に褒めてくれない、認めてくれないひとがどの職場にもいますが、その反面、そのことを褒めてくれる人もいますから、その時は安心しますね。

「きちんと褒めてくれる人がいるから自分は気張っていていいんだ!」と自分をほめていいんですね、その時は。

ただし、その職場の誰もがみとめてくれなかったらその時は問題ですけれども(笑)

どんな事件も、どんな出来事でも賛否両論ありますから、その両者の意見をきいてみる、あるいはその事件や出来事について書いた両者の本を読むとやはり興味がそそられて面白いですね。

そうやっていくとどんどんお金がなくなっていきますね(笑) 小学校や中学校時代は、だれだれが良くないといったうわさを聞き、それを吟味しないで、その噂にあがった人を鵜呑みにして忌避したりする時期があるのは、誰しも仕方ないですが、それ以降は、自分の目と耳で判断してから評価を降すようにしましょう。

だいたい、そんなことはわかっているとおもわれがちですが、その団体に入ると、その団体のしていることは誰しも無批判になってしまうのですね。

殊に、宗教団体に入ると、その団体のしていることには無批判になってしまうのが人間の悲しいさがですね。

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そうならないように注意しましょう。

また興味深いことが書かれていますが、

『平家物語』はがあったから、それ以降の日本の権力者はあまり驕らなくなった。

驕り昂った末に没落していった平家を教訓にしたのである。

その意味で、『平家物語』は日本の政治のありかたを作っている。

こうした美しい物語から、人情話、復讐劇、教訓まで全部入れたものが『平家物語』なのである。

『平家物語』の中身がすべて嘘でも構うまい。

それでも、これだけ人を感動させる話をつくった者を私は偉いと思う。」

ということですね。

単なる歴史の年表を暗記することに陥ってしまった日本の教育界ですが、それはやはり多くの人が大学に行きたくなる現代においては、やはり歴史の内容の吟味や、そこから教訓を得るといった作業よりも、そういった暗記科目になってしまうのは不可避であるとしても、もう一度歴史を学ぶ意義を思い出してもらいたいものですね。

いろんな国の歴史を学んでいくと、我が国では信仰に固執して激発し、衝突する闘争意欲が諸外国の宗教に比べてないという事実がわかります。

それが、神仏習合ですが、その内容についてはこの本を読んでいただくとわかりますし、非常に興味深いですね。

このように博学になるためには、歴史のみならず、いろんな分野について関心の赴くまま本や雑誌を読み、人の話をきいていろんなことを学ぼうという気概がなければ難しいのは明白ですね。

そういうスタンスを谷沢氏も勧めています。

ただ闇雲に勉強しても仕方ないですから、1つの専門を基軸としながら、いろんなことを勉強していく、雑学し、濫読していくというスタンスが望ましいでしょうね。

そうでなければただの雑学者ですからね(笑)

そのように知識人として望ましいスタンスを維持している谷沢氏の魅力の一端を垣間見れる本ですし、同時に人生の愉しみ方を教えてくれるので、この本は非常におすすめですね。

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