佐伯啓思 『反.幸福論』

2015-10-26 13:13:45 | 現代社会

おススメのネット本スーパー 『honto』です!

書籍や電子書籍を買うごとに、100円につき1ポイントが貯まります!

そのポイントは、また書籍や電子書籍を買うときに使えます。

更に会員になると、毎月10%あるいは20%の割引きのクーポンが送られます。

電子書籍なら30%offの場合も! こんなサービスのいい本屋さんのサイトは知りません!

  ↓

 

この本もまさに、現代人が読んで、自分の今いる社会、今いる現代文明に対して、どのように接していくか?どのような社会を創造していくか、を考えさせられるものだと思いました。

現代日本の社会は豊かです。

自由、権利の幅は広がり、便利なもの氾濫し、乳幼児の死亡率低下しています。

なのに幸福論を求められる社会は何かおかしいでしょう。

幸福論が取りざたされるのは、やはり不幸な人が多いからでしょう。

そこでまず、コミュニティの崩壊を嘆かざるを得ないでしょう。

そこで、佐伯氏は、 「ある特定の社会や文化を背景にしながら、その中で、特定の価値観を負荷されて初めて人間たりうる」 というマイケルサンデルの言を引用しています。

ある特定の社会の中で、どういう生き方をすればいいのか、どういうふうに人と接すればいいのかなどを学ぶことができるのですね。

今の日本では、家族はもはやかつてのような食卓を囲む家族団欒などないです。

しかし、そお反対に、アメリカの半数は教会に行くのです。

日本はコミュニティの崩壊に晒されているのです。

佐伯氏は、

「集団主義にも個人主義でもない、両者の間を揺れ動きつつも身動きが取れない社会」

と表現していますが非常に巧みな表現であると思いました。

saekikeisi.JPG

佐伯啓思

何らかの価値に真を置くことができない「虚無」に侵されている、とも言います。

そして、利益と権利の追及に走っている。

こういった社会の変化は必然のものです。

その変化を普遍のものとみなして、吟味を加えることも著作家の使命であると私は思ってます。

変化を否定して過去を称賛するわけでも、過去を否定して変化を称賛するわけでもありません。

変化と過去を両方吟味したうえで、その内容について評価をすることが大事であると思います。

変化、過去両方ともいい面悪い面があるわけですからね。

このような変化は、われわれ日本人の考えと行動の総体であるということを忘れてはなりません。

明治維新の昔から、日本人は村を捨て、共同体を打ちこわし、田舎から都会へと民族大移動をしてきました。

これは、自然の内に宿る神々によって守られてきた村々の敗北であり、都会の合理主義、近代主義の勝利である、と佐伯氏はいいます。

欲望や利己を求める心、都会へと人々がさすらいでゆくことが経済成長をもたらしたのです。

東京はますます華やかに高層ビルの建設ラッシュに沸くのに、地方は住む人の影も消えて店は廃屋となっていったのです。

shatter.jpg

これは、需要と供給の法則がまさに当てはまります。

東京がますます華やかに高層ビルの建設ラッシュに沸いているのは、そこに住む人が大勢いて、高層ビルを使うようになる人が大勢出てくるという予測が建てられているからこそであり、地方に高層ビルの建設をしないのは、それを使う人はそんなにいないだろうという予測が建てられているからこそです。

人がいない地方で高層ビルを建てたらそれこそ赤字になってしまいますからね。

こうなってしまうのは、人々の欲望や利己を求める心だけではないでしょう。

明治維新以降の中央集権体制も原因としてあるでしょう。

西欧に追いつけ追い抜けという国是の元、またいつでも外国と戦争ができるように、日本社会全体を中央集権体制にして、社会全体を素早く動けるようにしたのです。

地方分権など名ばかりで、地方の権限は非常に少ないが実情です。

しかし、戦争が終わったのだから、もうその中央集権を終わらせて、地方分権にするべきなのに、戦後70年地方分権は遅々として進んでいないのです。

これは嘆くことでしょう。

問題は、そういった地方の地域社会の崩壊のみならず、未婚化や老人の孤独死の数の急上昇という無縁化社会、構造内閣後のフリーターや派遣労働者の急上昇も、この本で取り上げられていて目が覚めました。

これらのことは、政府だけの責任とは思わないです。

戦後われわれが一貫しておこなってきた近代化、都市化、個人主義化、自由な民主主義という理想をもう一度全面的に疑う必要があるでしょう。

コミュニティや絆を取り戻そう、ということはたやすいですが、ことはそう簡単ではありません。

変化は、われわれの考えと行動の総体である、ということを忘れてはなりません。

孤独死や未婚ではいたくないというのなら、人との心の交流を積極的にして、いつまでも一緒にいれるパートナーを必死に探そうとするでしょうし、人との交流をしていく生活や人生が良いならば、フリーターや派遣労働者ではなくきちんとした社員になるでしょう。

そうではなく、人との交流に重きを置かないでいいという人間が多いからこそ、孤独死、未婚化、フリーター、派遣労働者が増えるのであって、そういったものとは正反対の人間が多いからこそ、今の状態になっているのです。

私の知っている孤独死した人、フリーター、派遣労働者の人は概して人との交流を忌避している人がほとんどです(苦笑)。

こちらが挨拶しても、反応しているんだかどうかわからない人や、無反応な人、友達もこれと決めた人としか付き合わないと非常に狭い人脈で満足している人がほとんどです。

私からいわせれば信じれないことですが、彼(女)らはそれで満足しているのです。

昔は、そんなでは生きていけなかったですが、社会は豊かになり権利の幅が広がったことによって、さらにそういう人が多くなっていることは間違いないでしょう。

私はそうはなりたくありませんから、積極的に人との交流を欠かさないでいます。

こういった人の増加にも原因があるわけですから、何も孤独死、未婚化、フリーター、派遣労働者の増加は、政府や企業だけの責任に帰するものではないと思います。

ここで思い出されるのは、心理学で学んだ以下の事です。

「人は2種類に分類され、1つは人と心に敏感な人。もう1つは人の心に無頓着な人。」

後者に分類される人にこちらがいくらアプローチしてもその人が心を開くことはありません。

しかし、前者の人は心優しい人ですから、いつまでも一緒にいたいと思います。

やはりどんなに近代化、都市化、個人主義化が進んでも、前者のタイプの人は厳然と発生し存在し続けます。

ですから、日本の人間社会が完全にいびつなモノになるとは全然思っていません。

このような人が多くなることを願っているのです。

希望は全然あるのです。

前者のタイプの人は、やはり人との交流を積極的にしていこうという気概がありますから、宗教にハマる人が多いです。

宗教は人との交流を求めるのが前提ですから。

religeonous.JPG

ですから、私はいろんな宗教の人と交流していますし、いろんな宗教の本を読んでいます。

だからといって特定の宗教に入ったりはしません。

その宗教の教義だけで、人間社会だ語られるほど、単純なものとは思いませんから(苦笑)

その宗教で学べるものを学びつつ、さらにいろんな事象について学んでいく姿勢はいつまでも貫きたいと思います。

この本で一番印象に残ったのは、日本が明治以降、村を捨て、共同体を打ちこわし、田舎から都会へと民族大移動してきた、そのことで経済発展をしてきた、ということですね。

しかし、その結果、近代化、都市化、個人主義化が進み、コミュニティが崩壊した、ということですね。

日本は世界を見渡しても異常な国で、非常な集権国家です。

大学や専門学校の半数以上が東京にありますから、高学歴をめざしていろんな地方から東京へ集まってきます。

東京に学びに来た人たちは、それだけでは生活していけませんから、当然親からの仕送りが毎月10万円以上が地方から東京へ送られてきます。

それのみか、大学や専門学校を卒業した人たちのほとんどは東京やその他首都圏で就活をします。

それのみならず、学歴取得目的以外にも、安定した職を求めるために地方から来た出身者はかなりいます。

祖父母から3代で東京にいる人、所謂「江戸っ子」は東京在住の人の2割にも満たないようです。

ということは、地方から東京へ人のみならず大量のお金が集まってしまうのです。

これでは、東京が栄えて、地方が疲弊するのは当然の帰結でしょう。

keizaitaikounippon.jpg

こうならないためには、やはり地方に人が留まるような制度がなければいけないのです。

職の安定や多様性、そしてとどまらざるを得ない魅力が地方になければ、この動きは留めることはできないでしょう。

地方から来た人で、地方に帰ることを考えていない人に訊いてみたところ、「何故地方にいたくないのですか?」という問いに対し、東京の都会の便利さや豊かさに慣れたら地方での生活など考えれない、と言うのです。

なるほど、私は江戸っ子ですから、地方の不便さを実感したことはありません。

ですが、このまま東京に人やモノやお金が集まってしまうままでいいかと言うとそうではないと思います。

ですから、この実態を見て、やはりこのまま地方が疲弊していくのが堪えられないというのであれば、やはり地方で生活すべきではないでしょうか? 東京にきてそのまま東京で生活しようなどと考えずに、自分の生まれ育った地方のために地方で生活しようとしたらどうか?

大学で教授される科学というものは、社会にある問題点を取りだして、それをよき方向へもっていくことにあるのです。

そのためには、こうなったらいいなと心で思うだけでなく、そうなるために行動をしていくことであると思います。

その地域で働き、金を使う人間がいればいるほどその地域は活性化するのは間違いないです。

経済学では自明のことです。

そのためには書物を読み、ニュースやインターネット等から情報を見つけ、それを吟味して行動していくことが大事だと思います。

このように文字に力によって良き社会を目指すのが科学の役目であると思いますが、年末試験時だけ勉強して、その後は得た知識は雲散霧消…これでは、科学を学ぶ意味がないのです(苦笑)。

自分たちの力で良き社会を目指す人たち、これを「市民」と呼びますが、その市民が日本には不在である、とカレルヴァンウォルフレンは過激な発言を彼の多くの著書で言っています。

wolfren.jpg

カレルヴァンウォルフレン

確かに、そのような市民がそのようなことをしても、栄誉がつくわけでも、お金が貰えるわけでもないでしょう。

しかし、そのようなことに生き甲斐を見出すのも悪くないですし、逆に充実した人生になるのではないでしょうか。

この書物の中で、他人の幸福を目指すことが己の幸福だと思うことこそ幸福になると悟ったトルストイを紹介しています。

そういった感情をうやむやながら心に抱いていたが、このような文をたくさん読むことによってそれが明確な思いになり、確固たる意志になり、そして行動に移す。 本にはこういう効用があるのです。

ですから、こういう触発されざるを得ない本を読むことを私は大いに勧めているのです。

そのような市民が多く出ることを、私は望んでいるのです。

そういう触発されざるを得ない書物としてこの佐伯啓思氏『反幸福論』はお勧めしたいです。

お買い求めは以下からどうぞ!

反・幸福論 (新潮新書)

モバイル

反・幸福論 (新潮新書)

その他、佐伯啓思氏の本について書いたページは以下!

『経済学の犯罪』

『西田幾多郎』

『従属国家論』

『科学技術と知の精神文化』

『正義の偽装』

『貨幣と欲望』

『日本の宿命』

『自由と民主主義をもうやめる』


堀米庸三 『歴史を見る眼』

2015-10-25 17:35:25 | 歴史学

  おススメのネット本スーパー 『honto』です!

書籍や電子書籍を買うごとに、100円につき1ポイントが貯まります!

そのポイントは、また書籍や電子書籍を買うときに使えます。

更に会員になると、毎月10%あるいは20%の割引きのクーポンが送られます。

電子書籍なら30%offの場合も!

こんなサービスのいい本屋さんのサイトは知りません!
  ↓



歴史は何のために学ぶのか?

 小学生から「日本の歴史」を学び始めてから高校生まで、私は理由が分からなかった。

しかし、大学生時代この本をよんで、歴史を学ぶ意義が分かった!  

私と同じ疑問をもっている人はおそらくたくさんいるであろう。  

本来は、そういう人には、内容を明かすべきではないのかも知れないが、その意義の概略だけを以下に記しておこう。

  我々が生きている社会というものは、しばしば想像もできなかったような事態が起こる。

  これから、我々の社会がどのように進むか、これまでどうであったかを知ることなしに判断はつかないものである。

 現在がそこから生まれでた過去をふりかえらざるを得ないのである!

 それは、現在のように急激な変革の時代にもっとも多く顧みられるものである。
 

  このような方法論でえがかれた歴史学の名著として、作者はまず、  アウグスティヌス「神国論」を挙げている。

 この本は、アウグスティヌスが古代が去り、中世がまさに来ようとする時代に生きた人であり、その際の歴史意識というものを明瞭に打ち出し、歴史の変化のなかで、危機に立った人間の歴史的意義について問いかけをおこなったものである。

   また、作者は  シュペングラー「西洋の没落」を挙げている。

 この本は、第一次大戦後のヨーロッパの位置づけを明確に描いている。

  大戦後、空想でしかなかった社会主義がロシアに出現した。

 また、アメリカの経済的な発展とそれによる国際社会での発言権の増大により、ヨーロッパが著しく脅かされる脅威になったという様を描いている。

  ヨーロッパの国際社会での中心的位置ではなくなったのである。

   これと同じ立場から描かれたものとして、作者は  トインビー「歴史の研究」という著作や、またはニーバー、ベルジャーエフ、ヤスパースといった歴史家を挙げている。

   このような著作の数々が、これからの社会の行方を占う上で重要な指針になりうるというのだ!

   なるほど、人間社会を理解するには、その歴史を学べといわれるのはこういう理由があるのであるのかというのがわかった。

 であるならば、歴史を学ぶ意義というのは、なにも歴史家といわれる人たちだけでなく、経済、経営、商業、政治その他あらゆる科学の領域を研究する人たちに研究される必要があるだろう。

  経済史、経営史、商業史、政治史などの領域が存在する所以がわかった。

 たえず歴史を見る、この手法を駆使している学者では、真っ先に堺屋太一が思い浮かぶ。

 彼の言わんとすることは  「人間の思考様式は古今東西そんなに変わるものではなく、歴史を学ぶことによって先のことは大抵見渡せる」  というのだ。

 「歴史を学ぶことによって、これからの行き先を分析することは可能である」  という。

 その言葉通り、彼の「人物の行動の予想」は見事にあたることが多いのだ!

   それは、例を出すと、今、日本は少子高齢化社会を迎えている。

 そこで、どうするべきか、堺屋氏は某近著のなかで、15世紀イタリアを引き合いに出して以下のように説明する。

 イタリアは、1340年から1500年にかけて4割の人口減少を経験した。

 人口が減少すると、生産性の低い土地は耕す喪のがいなくなって捨てられる。

 人々が生産性の高い場所や職に集中するから、一人当たりの生産性は増え、所得が高まる!

 その結果、一般庶民にも工芸品や美術品を買う余裕ができた。

このため、ヴェネティアのガラス器やフィレンチェの絹織物が売れるようになった。


 こういった、製品は海外に輸出され、その輸出でもうけた収入で安価な小麦や材木が輸入され、消費者は一段と安価な食料に恵まれ、生活に余裕を持ち、ようきな気分が世間を覆った。

 当時のイタリア経済はおおいに成長したのである!

 だが、このようにとうじのイタリア経済が発展したのは、単に人口が減少したからではなく、

 労働力の移動と産業転換が比較的自由に進んだからであるのと、封建領主の権力が弱かったからであると分析する。

 当時の封建領主に当たるのは、今の官公庁であるとする。多くの人材を非効率な職場に抱え込み、旧態依然とした人事を変えようとする兆候が見られないとする。

 こういった官公庁のありかたはこれからの少子高齢化社会にはネックになるだろう堺屋氏はいう。

 なんと、希望の持てる著述家であろうか!

 昨今、少子高齢化社会は、国の財政が重くなるだの、国民の負担額が増えるだの、読み手が憂鬱になるようなことしか書かない経済学者が多い中、 堺屋氏の文は、読み手に光明を与えてくれるすばらしいものであるといわざるをえない!

 知識人のあるべき姿を見ました。
 

  歴史を学ぶことの重要性を認識し、堺屋氏の歴史に関する深い造詣には降参してしまった!

   日本は勿論、アメリカ、南米、ヨーロッパ、中東、アジア諸国、オセアニアなど幅広い歴史の知識には恐れおののいたほどである。

 それを垣間見たいひとは「東大講義録」(講談社)を読まれるといいと思う。

 堺屋氏は経済企画庁長官を務めた人物であることからして、専門は経済である。

 にもかかわらず、歴史に関するこの深い造詣。これほどまで深い歴史に対する造詣をもっているのは、歴史家でもそういるものでない。


●購入希望のかたはコチラ
  ↓

 東大講義録 ―文明を解く―



 例えば、ヨーロッパやアメリカなどは、日本と従来もそうであるが、これからもいろいろな仕方で関係をもつのは疑いない。

 もちろん、アジアやオセアニア、その他多くの国々の歴史研究も重要であることはいうまでもないが。

 これらの国々に対し、歴史の関心を持つのは重要である!

 既に、他の著者が研究して世に出されたが、日本と欧米との間での歴史的発展の類似点で重なるところがたくさんある。

 
共通の要素を日本と欧米はもっているのだ。

 日本研究には西洋史研究が役立つのだ。
 

  歴史を学ぶ意義は、以上書いた通りである。

 歴史を学ぶにあたり、情報の取捨選択の仕方、分析の仕方、他の科学との比較の仕方など細かい方法論については2章以下に詳細に説明しているのでそちらを参照していただきたい。

 この本は歴史を学ぶ人にとってわかりやすい入門書である。

●購入希望者はコチラ
 ↓ 

歴史をみる眼 (NHKブックス 15)

モバイル
歴史をみる眼 (NHKブックス 15)


佐伯啓思 『自由と民主主義をもうやめる』

2015-10-18 17:24:12 | 現代社会

おススメのネット本スーパー 『honto』です!

書籍や電子書籍を買うごとに、100円につき1ポイントが貯まります!

そのポイントは、また書籍や電子書籍を買うときに使えます。

更に会員になると、毎月10%あるいは20%の割引きのクーポンが送られます。

電子書籍なら30%offの場合も!

こんなサービスのいい本屋さんのサイトは知りません!
  ↓


  この著者佐伯啓思は一貫して、保守主義の立場をとり続けている。

 保守主義とは何か?

 一概に言われている保守主義は、変化に対してこれまでの状態を維持して、変化を好まない態度を指すように感じられがちだが、そうではない。

 また、左翼嫌いの人、アメリカ追随主義者、自民党支持者、こういったひとたちを指すようにも取られがちであるが、そうではないと佐伯氏は言う。 これらのどれでもないという。

 保守とは、その国の歴史や文化から出発する思想であるという。

 それは、経済や政治の制度は、あくまで社会の土台に立っており、この「土台」は、歴史的条件、国の文化、人々の価値観と切り離せないのである。

 これを根本から変革するのは無理というものである。

   最近の日本のアメリカ追随主義を、佐伯氏は思想的に批判するのである。

  amerika.jpg

 歴史、文化が異なる日米が、根本的なところで価値を共有するのは無理、日本を混乱に貶めるだけだという。

 日本とアメリカは、表面的には、自由、民主主義、資本主義を共有していても、「目にみえない価値」までくると、相当に異なっている。

 とても、価値観を共有しているとはいえない、という。

 保守は、具体的な局面で、その国の歴史や文化に目を向ける。

   アメリカの進歩主義は、個人の自由を重視し、個人の欲望を解放し、一人一人が幸福を追求することを重視する。

そして、それらを実現し、すべてを解決するために、技術を徹底して利用しようとする。

それをつきつめれば、人間が、自分の行動を律する共通の規範や道徳を見失っていくのは当然である。

 内面の葛藤や、精神の苦闘などというものは影をひそめ、それに代わって自由を実現できないときには、ひたすら社会に対して不平、不満を述べ立てることになるであろう。

   社会の共通の規範が崩壊し、確かな価値が見失われる社会は、「ニヒリズム」と呼ぶのがふさわしく、今われわれの目前に展開されているのがまさに「ニヒリズム」であると佐伯氏は言っている。

 その「ニヒリズム」との戦いが保守主義に課された課題であるとも。

 近代文明は、価値規範の喪失、放縦なばかりの自由、窮屈なまでの人権主義や平等主義、飽く事なき物的富の追求、そして、刹那的な快楽の追求へと向かっている。

 それを、文明崩壊の兆候とみなし、食いとどめようとするのが、保守主義の役目なのだという。

   

ヨーロッパは、明治以降、日本が模範としてきた対象ではあるが、  ヨーロッパは一方では民主主義を非常に重視するが、他方ではそれを警戒する。

環境においては、昔の自然をそのまま残そうとし、田園生活を大事にしている。

 都市と都市の間はほとんど田舎、森林地帯である。

 ヨーロッパでは、どんな学者でも、どっしりとした伝統の上で議論するという。

自分たちの思想が、ギリシャ・ローマ中世、ルネッサンスの遺産の上になりたつものであることを当然の大前提にして考える。

   ここで、保守的であるとは、

 見知らぬものよりも慣れ親しんだものを好むことであり、

 試みられたことないものよりも試みられたものを、

 神秘よりも事実を、

 可能なものよりも現実のものを、

 無制限のものよりも限度のあるものを、

 遠いものよりも近くにあるものを、

 有り余るものよりも足るだけのものを、

 完璧なものよりも重宝なものを、

 理想郷における至福よりも現在の笑いを、好むことである
」という、    戦後を代表する思想家の言をとどめおいても損はないでしょう。

 なるほど、ここまで読むと、やはり思い出すのは、明治維新期の夏目漱石、森鴎外、永井荷風でしょう 。


sousekiougai.JPG

 これらの小説家は、この時代に西洋の政治の機構、思想、文化、風俗といったものがわんさかと入ってくることについて疑問を呈し、これまで築いてきた日本の文化的な土台が脅かされることを嘆き、日本のアイデンティティが崩れる事を危惧したことが、この3人の小説家を有名にした、ということを受験時代に学びました。

 アジアと西洋、この2つは相いれないものであってそれを野放図的に取り入れることをこの3人の小説家は危惧したのです。

 だからこの3人は有名になったのであって、素晴らしい小説を書いたからではないといいます。

 こういった世界のの流れだから、という理由で闇雲に国をそれに流すことは戒めなくてはなりませんし、そういう精神は忘れてはならないと思います。

何事も、良い面と悪い面が存在するのですから、その両方を吟味したうえですすめることが重要であることは言を待たないです。

そういう精神の重要さを、この本を読んで実感しました。

夏目漱石、森鴎外、永井荷風…この3人と佐伯啓思氏は、オーバーラップして見えてきます。

saekikeisi.JPG
佐伯啓思

私は、これまで佐伯氏の本をたくさん読んできました。

「読まなくては…」というのではなく、この人の新刊本の告知がなされると、自然と近所の書店に注文してしまうのです。

ですから、これまでの佐伯氏の本の研究結果が私にはありますから、「夏目漱石と佐伯啓思」あるいは「森鴎外と佐伯啓思」と言った題でブログを書く、あるいは本を書くこともできるのではないかなと正直思っています。

機会があったら書こうと思います。

 進歩主義が蔓延している現在の日本において、  ひとびとの価値観とは、その国の歴史や文化を土台にして成り立っているのであるから、長い歴史のなかで積み重ねられた、日本的精神、考え方・感じ方、そして美意識を遡っていかなければならないとして150ページ以降、万葉集の昔から日本の思想史を洗いなおしている。

   佐伯啓思は、いつものことながら博学で、その博学ゆえの独自の分析頭脳をもって抽出された理論は明晰であるため、自分のなかでもやもやと漠然としたものが、佐伯氏の本を読むと端的となり、心晴れやかになって快感になり、いつも何時間も読み進めてしまうのである。

 進歩主義は飽くなきものの追求、刹那的な快楽主義になり、それが文明の崩壊の兆候とみなす。

 この視点は、本一冊を通して主張した彼の「現代民主主義の病理」と一緒である。
        
現代民主主義の病理―戦後日本をどう見るか (NHKブックス)


 なるほど、確かにその通りである。

 テレビ、ラジオ、インターネット、看板、中吊り広告その他いろいろな広告がいやがうえにも目に入ってきて、それを見た人間の世界ではめまぐるしく流行が変わり、それを追いかけて自分もいち早くそれを手に入れようと躍起になる。

 まわりにあわせるように気がいっぱいで休むひまもない。

 だが、流行が終わればたちまちの内にそれらは捨てられてしまう。

    そこには思想とよばれる領域の入り込む隙がない。

 また、モノが豊かになりすぎれば生きる気概もなくなってしまう。

   これを文明の崩壊といわずして何と言おうか?  

 日本全国などといわずに、日本の都市人類といわれるひとたちには、悪い意味での進歩主義が蔓延していることは確かであると思う。

 その弊害をなくすためには国民が行動して是正していかなくてはならない。

 そのために、思想的に一助になる本であると思います!

   

自由と民主主義をもうやめる (幻冬舎新書)

 

モバイル

自由と民主主義をもうやめる (幻冬舎新書)


エーリッヒフロム 『フロイトの使命』

2015-10-13 00:37:41 | 心理学

 

おススメのネット本スーパー 『honto』です!

書籍や電子書籍を買うごとに、100円につき1ポイントが貯まります!

そのポイントは、また書籍や電子書籍を買うときに使えます。

更に会員になると、毎月10%あるいは20%の割引きのクーポンが送られます。

電子書籍なら30%offの場合も!

こんなサービスのいい本屋さんのサイトは知りません!
  ↓


 私は、この本を読んで、科学(社会科学、自然科学、人文科学全て含める)は何のために存在するのかを考え、答えを探していた大学時代を思い出しました。

 科学は、人の世に絶えず生起する問題点を探し、その生起する構造を明らかにし、よりよき状態にもっていくためにあるという事がわかった。

   そのためには、  国民がより良き状態にもっていくために、社会で起こることに関心を持ち、一人でも多くの人間がそのための行動に移さなくてはいけない。

 こう大学時代に考えたが、今でもこの考えに変わりはないです。

 フロイトは心理学ではおなじみの、精神分析学の祖である。

ji-mukunto.JPG

 そして、  フロイトは偉大な教師であり、真理のために何者も恐れず、妥協せず、家族を愛し、虚栄心や利己心はなかったという。

 彼によれば、  理性は、人生を意味あらしめ、幻想に頼らなくてすむために、さらに自らを拘束する権威からはなれ、そして我々自身の権威を確立するための唯一の道具、または武器であった。

 
 それとは対照的に、一般大衆は、フロイトによれば御都合主義であるという。

 一般大衆は、安楽な眠りだけを求め、信念と意見、理性と常識、真理と理屈は違うと強調するだけであるとして、非常に低く看做していた。
 

 フロイトユダヤ人であった。

ユダヤ人の伝統それ自体が理性の伝統、知的訓練の伝統であったのです。

    軽蔑された少数民族であることが、暗黒、非合理性、迷信を打破することに関して強い情緒的な関心を持たせていた。

 それにくわえ、フロイトの特殊な生活環境(例えば生活の不安定さ)が、大衆の意見に頼らず理性に頼ろうとした。

  フロイトの青年時代に全オーストリアの経済変動がフライベルクを襲い、窮乏をもたらすと、彼のより理性に頼ろうとする性格を強めたのだという。

 

  なるほど、かれは学者という職業柄、いろいろな本と接し、いろんな知識を蓄え、知的な武装を行ったのだといえる。

 私もよくあることだが、何か困難にぶつかったときに、それにはめげない。

他の人なら逃げてしまうところを。

 それは、私もいろんな知識を蓄えて知的武装を行っているために、違う側面からものを考えることが出来るのだと思います。

 例えば、仕事上で何か失敗をやらかして、上役にしかられる。

そこでめげてしまう人間は、しかられたことで頭がいっぱいになり自分はそれに向いていないなどと悪いほうにばかり考えて、その仕事を辞めてしまうのです。

他に、自分にいい点があるにもかかわらず。

  しかし、私はこういうパターンではめげない。

たとえしかられても、その点で悪かっただけであって、全部が全部自分は悪いわけではないと、自分にいい聞かすことが出来る。

違う側面からものを見ることができる。

 それが=理性というものでしょう。

 それは、たえず知識や情報を得るという行動が習慣化されなくてはきたえられないのではないだろうか?

 

人間のパーソナリティー形成には、周りの人間からの影響は見逃せないです。

 フロイトのパーソナリティーの形成にあたって、対女性、対父、対母、対友人の特徴が詳らかに説明されている。
 

  また、彼は、偉大な将軍たちへの憧れを持っていたという。

哲学、政治学、倫理学へ深い関心を持ち、政治的指導者になろうとしていたのだという。

 
   人の心の完全な理解、これこそが不合理性を明らかにすることができ、人をその宿命に応じて導いていくことが出来るとし、  信頼に足るものが出来るのは国家主義でも宗教でも社会主義でもなく理性  であり、彼は世界を改革したいと考えていた徹底的な合理主義者であった。

 そのため、普通に生活しているだけの一般人にはなじめなかったといいます。

   なるほど人間社会は、動物のそれとは違って、問題点があらば、それをより良きものに変えていくためには、人間が一人でも多くその問題点に気付き、どうしたらその状態から良き方向にもっていけるか考え、合理的に行動していかなくて良くははならない。

 そのための道具になるのが科学であるのはいうまでもない。

それは、環境問題や政治、経済は勿論、人間関係その他あらゆる領域においてもいえるだろう。

 その際、必携の道具となるものが科学的な知識やものの見方である。

それをフロイト理性とよんだ。 

  社会をより良きものにしていく市民として、科学的な知識は必携のものなのに、試験直前にだけ頭に詰めて、試験終了と同時に頭の中から抜けてしまう。

こういう事態を私は憂ていたのである。

 その嘆きとフロイトの嘆きは同じものであったのだと思う。
 

  ただ日々をすごしているだけの一般人をフロイトは卑下していたが、そこまでには及ばないです。

 不断の生活を見渡してみれば分かるように、我々は住居に住み、食物を食べ、飲み物を飲み、テレビやオーディオ、パソコン、バイク、車、その他電気機器を使い、消費財を使って生活している。

 これは、フロイトのような学者だけでは生活が成り立たないことを示している。

 フロイトの卑下した一般人がいるからこそ生活していけるのだ。

一般人がいるからこそ、フロイトのような学者が勉強する時間ができるのだ。

 それを卑下するなどというのは、傲慢の極みであるのはいうまでもない。

 しかし、フロイトの提唱した理性の重要性は看過することは出来ない!

 科学的な知識やものの見方を身につけ、社会を良くしていく営みは誰もが日常生活の中で実践していいかなくてはならない  のは大賛成です。

 その精神をこの本から汲み取って貰えればこの上ない私の喜びです!   

精神分析学で有名なフロイトだが、その精神分析学については、別の機会に紹介したい。

●この本購入希望のかたはコチラ! 

フロイトの使命 (みすずライブラリー)

 

モバイル

フロイトの使命 (みすずライブラリー)


ダンカイリー 『ウェンディジレンマ』

2015-10-04 16:29:39 | 心理学

 

おススメのネット本スーパー 『honto』です!

書籍や電子書籍を買うごとに、100円につき1ポイントが貯まります!

そのポイントは、また書籍や電子書籍を買うときに使えます。

更に会員になると、毎月10%あるいは20%の割引きのクーポンが送られます。

電子書籍なら30%offの場合も!

こんなサービスのいい本屋さんのサイトは知りません!

  ↓

 ダンカイリー氏の前作「ピーターパンシンドローム」では、  わがままいっぱい夢を追い続け、大人としての責任を回避し、大人になりきれない男 が引き起こす社会的心理学的問題を取り扱っている。

 一方、この「ウェンディジレンマ」では、このピーターパン型男を好きになってしまうウェンディ型女性を扱っている。

  ウェンディ型女性は、極度に責任感が強く、責任を取りたがる「殉教者精神」を多分にもちあわせているのだ。

 夫に不満があっても、夫を失うまいと一言も文句を言わないのである。

 自己犠牲を自分のアイデンティティとするために、自分の心から欲する男ではなく、大人になりきれない男に惹かれ結婚してしまうのだ。

 この精神状態は歳をとれば成長するわけではなく、逆にとればとるほど、恐怖や不安を母親役を演じることで隠そうとするのである。 (なるほど、父親がダメな男だと、娘は父親と同じようなダメな男に惹かれてしまうというのは、岩月謙司の分析と一致している。詳しくは,かれの著「女は男のどこを見ているか」を参照してもらいたい。)

女は男のどこを見ているか (ちくま新書)

 なぜ、はたから見てどう見てもおかしいこのような精神状態に成長してしまうのだろうか?

それは、その女性の父親が原因であるダンカイリーは分析する。  

 ウェンディ型女性の別の特徴として、「自分は人より劣っている」というネガティヴシンキングを常にしているのだ。

 そして、常に世間体を気にしながらいい母親を演じて生きているのだという。

 それは、そのウェンディ型女性の父親が未成熟で、子供じみた態度で妻や娘に自分のわがままを押し通す男であった!

あれこれと、操作をするタイプなのだ。

大人のフリをしているだけなのだ。

 そのためウェンディ型女性は、じっと感情を押し通すことを強いられてきた。

感情を大切にすることは女々しいと教えられれば、それを吟味することなくそれを踏襲してきた父は、愛情や温かみなどのメッセージをくれたことがないのである。

 このような環境で育った女は、どうすれば気に入られるか考えるようになる。

人を愛そうとしなければ自分はもっと幸せになれると思うようになる。自分の才能を仕事で発揮することで、それを気にしないで暮らすように努める。

そして、他人に気に入られるように努める。

 この繰り返しを永遠に繰り返すのだという。

 しかし、このような精神状態でしあわせなはずがない。

いずれは伴侶になったピーターパン型の男との破綻が待っている。

 その破綻のパターンの類型第三章に8つの例が出ている。

 

このような女性が、ウェンディ型の状態から抜け出して自立した女性になるためには、どうすればいいか、自分がウェンディと思う女性は、第四章にいろいろと書いてあるので、そこを参考にして実行してもらいたいものである。

 なるほど、これまでの多くの心理学者の指摘するように、パーソナリティの形成は親からの影響が大きいのは間違いないようである。

   しかし、この本を読んで痛感したのは、親になるのは大変難しいということであり、誰でもがなるべきではないということである。

 ピーターパン型の父親の下で育てられた娘は、これほどにも精神的にきつい人生をおくることになるのだというのがよくわかった。

 不幸な女性を、この先、生み出したくないという男性は、絶対にピーターパン型の男になってはいけない!

 ピーターパン型の男とは

 「未成熟で、子供じみた態度で妻や娘に自分のわがままを押し通す男。あれこれと、操作をするタイプ。大人のフリをしているだけ。愛情や温かみのあるメッセージをくれない。」

 こういうタイプの男である。  

 では、なぜこういう男性ができてしまうのだろうか?

それは「自尊心」がないからだ。

では、どうすればその自尊心が持てるか?私の経験で知る限り、2つある。

 ●1つは、小さな頃から、親から愛情たっぷり育ててもらうこと。

小さい頃からというのがポイントである。

「三つ子の魂百まで」とはよく言ったものである。

小さい頃、親から愛情たっぷりで育てられた子は自尊心があり、人に優しく出来る。

 では、小さい頃親から愛情なしで育てられて、自尊心がない男はどうするか?

 ●それがもう1つの、格闘技をやって自信をつけることです!

 経験者は語るというが、まさにそのとおりです。

某男性の言を引用しましょう!

  「 恥をしのんで経験談をさせてもらうと、実は私も高校時代までは、「未成熟で、子供じみた態度で自分のわがままを押し通す男。あれこれと、操作をするタイプ。大人のフリをしているだけ。愛情や温かみのあるメッセージをくれない。」    こういうタイプのピーターパン型の人間であった。  このままではいけないと思い、ある武道を真剣になって練磨した。

すると、男としての自信がでてきて、このようなピーターパン的な行動がばかばかしくて出来なくなった!

そういった意味で、武道には感謝している。

最近、家庭内暴力や学校でのいじめが、社会問題になっているが、それはいじめをするほうが自尊心を持ってないからだとしか思えない。自分に自信があれば、暴力やいじめなどばかばかしくて出来ないものである!

 こういった自尊心のない人に心理カウンリングを施したり、宗教的な祈りを捧げたってなんの効果もあろうはずがないし、解決がやってこようはずもないです。

私は、武道を学校の教科に取り入れるのを提案したい。 かつて、沖縄では、学校の教科に空手が取り入れられていたと聞きます。」

ということです。

 かつて読んだ、心理学の本の中で、人間にはふたつのタイプに分別されるという。

それが本当の事であると思うので、そのまま書きますが、

 1つは、人の心に繊細な人。

この人は、絶えず人の心を大事にし、人を傷つけることができない人。

 もう1つは、人の心を慮ることが出来ない人。

 この人は、人を傷つけても平気だし、人から嫌われようが好かれようが全然気にしないという。

この人に、人の心を慮れというのは、猫に英会話を教えるようなものだという。

 後者の人には土台期待していないし、無理だと踏んでいるので全く相手にしないが、 自分が前者だと思い、尚且つピーターパン的な人間であると思うのなら、この本を読んでこれに書いてあることを実行するか、なんでもいいから格闘技をやって自尊心をつけて、幸せな男女関係(恋人関係、夫婦関係)を作り上げていってもらいたいものです!

 その助けにこの本がなると思います。

 ウェンディ型の女性がかわいそうと思う心の優しい男性、これ以上ウェンディ型の女性を生み出したくないと思っている心の優しい男性には、是非ともこの本を読んでもらいたいのです!


ウェンディ・ジレンマ―"愛の罠"から抜け出すために


モバイル

ウェンディ・ジレンマ―"愛の罠"から抜け出すために