11/22
京に伝わる魔界伝説
怨霊が愛した藤の花
崇徳院が讃岐でなくなって十数年後、
現在、東山の安井金毘羅宮が鎮座する地に崇徳院の霊が現れたそうです。
そこはもともと藤原鎌足が建てた寺で、
藤を植えたことから、
通称「 藤寺 」と呼ばれていました。
崇徳院が都にいた頃ここの美しい藤が大好きだった。
それで愛する阿波内侍を住まわせていた。
崇徳院が亡くなった時には阿波内侍が、
寺の観音堂に崇徳院自筆の御影を祀ったといわれるほど縁の深い地なのです。
その寺に大円法師が参拝した時。
とっくに亡くなった筈の崇徳院が現れた。
驚いた法師は、後白河法皇にこのことを伝えた。
後白河法皇はすぐさま法皇の勅使で光明院観勝寺が創建され、
この地に崇徳院が祀られるようになりました。
さらに江戸時代に入って、
崇徳院ゆかりの讃岐金毘羅宮を勧請して鎮守さまとしました。
怨霊にあやかり縁切り石をくぐる
崇徳院が讃岐の金刀比羅宮に籠もった時、
一切の欲を捨てて祈願したことから、
「 断ち物 」の祈願所といわれ、
境内には縁切り・縁結びの碑が安置されています。
高さは1.5メートル、幅は3メートルの巨石の中は、
自然に彫れた穴が開いています。
石の表面には身代わりの御札がギッシリ張られて、
札に願い事を書いて、
石の前から後ろへ穴を潜って悪縁を切る。
また、反対に後ろから表に潜ると良縁を結ぶと言われています。
男女の仲は勿論人の縁。
これは崇徳院の強烈な一念に肖り、
病気や悪癖を断ち切るのも良しとされています。
あまりに人目につかないが、安井の北門を出て、
万寿小路西側に崇徳院の霊を慰めるために建てられた御廟があります。
祇園のど真ん中祇園甲部の歌舞練場の東側の裏手に、
ひっそりと祀られています。寵妃 阿波内侍が、
崇徳院の遺髪を埋めて供養したと伝わっています。
今回はここまで・・
続きは次回に・・
電話かFAXで、メールでお気軽に・・
E-mail Kyoto-ee@gaia.eonet.ne.jp
URL kyoto-estate.com
ここを・ ・・ ポチット・・・・クリックして下さい。
↓ ↓ ↓
只今 at home Web http://kyoto-estate.com/より、より詳しい最新情報が見られます。
オールジャパンで頑張ろう!!
東日本にエールを・・
必ずや立ち上がってくれると・信じてる。
5年10年掛かるかも知れないけれど・
ずっと・ずっと・応援してる・
みんなでがんばろう !! 日本
http://info.shinsai.yahoo.co.jp/311/story/