オヤジのひとり言

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頭痛の病因は、前世の髑髏の仕業

2012年11月28日 | オヤジのひとり言

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魔界への誘い・京に伝わる魔界伝説

 

後白河法皇の頭痛の病因は、前世の髑髏の仕業

 法住寺の向かいには蓮華王院(三十三間堂 )が広がっています。

蓮華王院は、法住寺殿の中に建てられた御堂で、

現在の御堂は鎌倉期の再建ですが、

もとは長寛2年( 1164 )に後白河法皇の願いをかなえるために

平清盛が奔走したものです。

蓮華王院 三十三間堂(れんげおういん さんじゅうさんげんどう)

千一体の観音様が並ぶ、荘厳な寺院


 蓮華王院 三十三間堂について  

蓮華王院

三十三間堂の名で知られるが、正式には蓮華王院といい、

現在は妙法院門跡が管理している。

後白河法皇の法住寺殿の一画に平清盛が建立したのがはじまりで

一度焼失しているが、

文永3(1266)年に現在の本堂が再建された。

鎌倉時代の仏師、湛慶が手がけた木造千手観音坐像、

俵屋宗達の『風神雷神図屏風』のモデルになったとも言われる

木造風神・雷神像、木造二十八部衆立像が国宝に指定され、

左右に合わせて千体並ぶ千手観音立像、

南大門、太閤塀は重要文化財に指定されている。

 東山の地で不動を貫く「蓮華王院」

一度の消失はあったものの、

再建された文永3年(鎌倉時代)から変わらず同じ場所、

同じ建物を維持し続ける不動の寺「蓮華王院」。

豊臣秀吉の覇権から徳川家の支配する江戸時代へと移り変わる際、

権力闘争の舞台ともなった京都・東山の地では

寺社の移転や寺名の変更は当たり前に行われていた。

また、明治期には廃仏毀釈も行われ、多くの寺が廃寺にされている。

激変する歴史を乗り越え、

東山の地で不動を貫いた寺社は珍しい。

同じ場所から京都の移り変わりを見続けた蓮華王院は、

東山を語る上では欠かせない歴史の証人ともいえる。

 柱と柱の間が三十三間(約120メートル)という横に長い御堂に、

黄金に輝く1,001躰の千手観音像が安置されている眺めは壮観。

その一躰、一躰、顔には十一の顔があり、

両脇には四十本の優美な手が、

一つの手が25の世界の救済にあたるので、

1000の手が差し伸べられていることになります。

中尊の両側( 左右十段五十列)に、

千の手をもつ観音菩薩が千躰現われ、

御堂に一歩踏み入れると無限の慈悲に包まれる。

毎年成人の日にあたる日に、

この本尊の前でヤナギのお加持が行なわれます。

このお加持を受けると頭痛が癒えるといわれています。

なぜ、頭痛かと言うと、

後白河法皇が偏頭痛に悩まされ続けたことに起因する。

頭痛に苦しむ後白河法皇は、

夢のお告げによって

前世の髑髏が熊野の岩田川の水底に埋まっていることを知る。

其れを救済し、

手厚く供養したところ

痛みがすっかり無くなり治まった

との逸話によるもののようです。

 柳の御加持で7日間加持祈祷した香水を、

柳の枝で頭上に振り掛けて貰うと頭痛が治り、

無病息災で暮らせるといわれています。

昔なんだかやってもらった記憶が有るが??

 

今回はここまで・・    

続きは次回に・・ 

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