オヤジのひとり言

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大津祭は

2012年10月08日 | オヤジのひとり言

所用で滋賀県に行った帰り道、

大渋滞に巻き込まれてしまった。

3連休の中日だから仕方ないかとあきらめていたその時

小さな路地から小ぶりの曳山が・・

どうやら今日は大津祭のようです。

近くのコインパーキングに車を止めてしばし祭り見物としゃれ込みました。

 

大津祭りは江戸時代の初期から300百年以上も続く歴史のある

大津市の地元のお祭りで

13基の曳山(ひきやま)が

太鼓や笛、鐘の音で奏でるお囃子にあわせて大津市内を巡行する。

大津祭り13基の曳山

江戸時代の初めに鍛冶屋町(かじやちょう)塩売治兵衛(しおうりじへい)が

狸面で踊ったことから始まったとされています。

今でも大津祭りの巡行順のトップは

西行桜狸山(さいぎょうざくらたぬきやま 通称:狸山)で

狸山は「くじ取らず」といって

毎年13基の曳山の先頭を巡行することが決まっている。

大津祭り狸山のからくり人形と狸

 

 

写真は、大津祭りの曳山巡行で先頭を巡行する狸山です。 

狸が大津祭りの先導役となってお祭りの日のお天気を守ってくれているそうですよ。

狸山以外の他の12基の巡行順番は毎年くじで決められます

 

大津祭り先頭を巡行する狸山

大津祭の日程

大津祭りの日程は、10月10日の体育の日に本祭、

その前日の10月9日に宵宮が行われていたのですが、

ハッピーマンデー導入で、

体育の日が10月の第二月曜日となってから、

体育の日の前日(日曜日)に本祭、その前日に宵宮と変更になっています。

なので毎年大津祭りは曜日は、土日と固定ですが、日程が毎年かわります。


今年の大津祭は10月6日(土)に宵宮、10月7日(日)に本祭が開催

大津祭りはこうして10月の土日月三連休の土日開催とされるようになって、

ここ数年の間に、関西でもかなり認知されて、

年々観光客の方も増えているようです。

外国人の観光客の方も多くみられ、英語のパンフレットも用意。

アマチュアカメラマンの多いこと多いこと、

 

京の祇園祭りをスケールダウンした感じで、

祇園祭りが厳かで絢爛豪華な感じなら

庶民的な賑やかなお祭りのように感じました。

でも一見の価値はありそうですよ・・

来年はゼヒ一度ごらんになってはいかが??

祇園祭りでは今はもうやってない粽まきや手ぬぐい撒きなど

とても庶民的な一般市民との距離の近い祭りに感じました。

祭りの歴史が「五穀豊穣」を祝う祭りだからなのかもしれませんね・・

 もっと詳しく知りたい方は・・コチラ↓ ↓ 大津祭りのホームページです。

 http://www.otsu-matsuri.jp/festival/

 

 


「 物集女 」「 桂女」

2012年10月08日 | オヤジのひとり言

10/8

千年の古都のタイムトンネル

京都の歴史 その562

 

現京都市右京区梅ヶ畑一帯の女性もまた

行商をする女性で「畑の姥」と呼ばれ

又は「 物集女 」

北山杉の残木で作った梯子や

鞍掛や蓮木などを頭に載せ売り歩いていた。

大原女同様、近年までその姿が見られましたが、

近年では殆んど見掛けることがなくなりました。

「物集女」 の語源を辿ってみると・・

河内国大鳥郡の百舌鳥(もず)に勢力をもっていた一族が、

この地に移り住んだことによるとされている。

「物集女」はかなり古くから記録に出てくる地名で、

9世紀ごろの記録には

「物」と「集」の2文字だけで

「もず」と発音していた事例も見られるそうです。

このような、北山の女性たちに先駆けて、

京都市近郊農村の女性行商集団として

早くからその名を知られたのが、

「 桂女 ( かつらめ ) 」です。

 http://www.google.co.jp/search?q=%E6%A1%82%E5%A5%B3&hl=ja&prmd=imvns&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=qPBnUI_EF4-ZiQeph4HgDw&sqi=2&ved=0CCAQsAQ&biw=1600&bih=683

桂女は、江戸時代には御所や公家諸家、

京都所司代などに年頭と八朔の礼を行ったり、

一般庶民の家にも、

婚礼・出産・家督相続などの際に祝言を述べたりしていたそうで、

また、葬儀の際に悔みの言葉を述べたりもしていたと言う記述もあります。

「桂女」は

桂飴という蒸米に麦芽を混ぜて糖化させて作る飴を売り歩いていたという。

 

その活動は古く平安時代後期に遡る。

もともとは桂川の鵜飼の関係者だった彼女たちは、

鮎を入れた桶を頭上に載せて都に売りに出たものだったとか。

 

桂飴は旧くは「 菅飴 」とも言われ、

現在でも桂辺りでは販売されているお店もあるそうですが

当方では現在のところ確認は取れていません・・

 

今回はここまで・・   

続きは次回に・・    

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