オヤジのひとり言

好奇心一杯のオヤジ田舎暮し蕎麦打ち陶芸からヨットレース情報マデお役立ち情報や業界の裏話も有 最近ロードバイクにハマッテ枡

昨日に関連する住宅事情ですが・・

2012年10月02日 | オヤジのひとり言

<URニュータウン事業>未利用地900億円売れ残り

毎日新聞 より

独立行政法人「都市再生機構」(UR)が所有する

ニュータウン事業の1000平方メートル以上の未利用地が

全国で約220ヘクタール(約900億円)も売れ残っていることが

会計検査院の調査で分かった。

政府は18年度までに全ての土地の処分を決めているが、

昨年度は目標の5割しか売れず、

実現は極めて難しい情勢だ。

URは国がほぼ全額を出資し、

経営が悪化すれば国民負担につながるため、

検査院は改善を求める。

 ニュータウン事業は

都市部の住宅不足を解消するため60年代に始まった。

 URの前身・日本住宅公団が主体となり

多摩(東京)や千里(大阪)などで大規模な開発を行い、

これまでに全国で281地区(約4万2000ヘクタール)が整備されている。
 

だが、計画通りに人口が増えずに開発が進まない場所も多く、

政府は01年、事業からの撤退を決定。

13年度に新規工事をやめ、

18年度までに残った土地を処分することにした。


 URが設立された04年時点で、

売れ残りの土地は約5900ヘクタール。

07年度までに約3600ヘクタールまで減らしたが、

リーマン・ショック後には処分ペースが落ち、

今年3月末時点でまだ約2600ヘクタールが売れ残っている。

 検査院は売れ残りのうち

事業用地などに利用できる1000平方メートル以上の土地に絞って

全国約140地区を現地調査。

うち105カ所で、敷地内にのり面が含まれるなど

利用しにくい土地があることが分かった。

ニュータウン中心部から離れた場所が多く、

駅前など利便性の良い土地だけが売れ

不便なところや利便性の悪いところが残ったとみられている。

 検査院は平地に改良するなど環境整備に努めるよう求める模様だ。

 UR広報チームは「検査中の事案でお答えできない」とコメント。

 

典型的な例がある。

 ◇ススキ茂る「夢の跡」…千葉ニュータウン

 千葉県船橋、白井、印西3市にまたがり

東西約18キロに細長く延びる「千葉ニュータウン」。

都心から北東に約35キロの巨大ベッドタウンを思い描いて

67年から用地買収が始まったが開発は進まず、

放置された空き地には一面にススキが生い茂る。

 「見てください。草っ原ばかりでしょ。

開発のペースが遅いし都心からも遠い。

企業も人も全然集まらない」。

地元のタクシー運転手が

千葉ニュータウン中央駅前に広がるURの更地を見て嘆いた。

計画では2912ヘクタールに34万人が暮らし、

鉄道網や高速道路が整備され

「都心から近い」中核都市に発展する予定だったそうだ。

 しかし、人口は伸び悩み、

現在の居住人口は9万1384人にとどまる。

URの土地は351ヘクタールが売却できずここもご他聞にもれず塩漬け状態。

地権者の合意が未だ取れず、

用地買収が進まずに開発が虫食いになったことが低迷の一因とされている。

ニュータウンを貫く北総開発鉄道がようやく都心と直結したのは、

構想始動から四半世紀近く過ぎた91年だった。

入居者の一人
 松戸市から第1次入居組として移住した山田さんは

「現実を見ないで画を描いたお役所仕事だったってことです。

大風呂敷を広げたけれど見通しが甘かった」 と振り返る。

最初は抽選になるほどの人気ぶりで

山田さんも大きな期待を寄せていただけに、

歯がゆさを覚える。と

総事業費1兆1982億円の夢の計画は13年度での撤退が決まっている。

一方、関西では

全国初の大規模ニュータウンとして開発された千里ニュータウンは、

1952年9月に入居が始まってから50年を迎えた。

高度成長期に多くの若い家族が移り住み、

にぎやかだった街も、

70年代半ばからは徐々に人口減少が続き、

住民の高齢化率はついに30%に達した。

「オールドタウン」 と皮肉られることもあったが、

近年は老朽化した建物の建て替えや

分譲マンションの新規建設が動き出し、

人口増加に転じている。

半世紀を経た千里の街並みに変化が生まれつつある。 

千里ニュータウンは、

都市部の人口増に対応し住宅不足の解消を図る目的で、

大阪府が豊中、吹田両市にまたがる千里丘陵1160ヘクタールに開発。

両市によると、

ピークの75年には子育て世代を中心に12万9860人が居住。

その後は建物の老朽化などで人口流出が進み、

05年には初めて9万人を割り込んだ。

住民の入れ替わりも進まず、

80年には4.7%だった65歳以上の高齢者は

00年に19.1%、

10年には30.2%に達した。

しかし、

11年には30.0%と一定の歯止めがかかった。

 

交通の不便なニュータウンの過疎化が益々進みそうです。

 

○ ○ ニュータウンや △ △団地などは

すでにもゴーストタウン化していますがねぇ~

 

 

 

 

 


上菓子は、菓子木型で作った菓子

2012年10月02日 | オヤジのひとり言

10/2

千年の古都のタイムトンネル

京都の歴史 その556

 

上菓子は、菓子木型で作った菓子が主流でした、

京都には大勢の木型職人がおり、

代々伝承されてきたデザインと共に、

新しい意匠の開発を進め、

それと共に多くの本山や大寺社を抱えることから、

供物としての干菓子のの需要が高く、

寺紋や社紋の入った干菓子は恒常的に必要とされたのです。

今や採算の合わない木型製作に携わる木型職人は殆んど居なくなり、

伝統的なデザイン開発の土台部分が崩れてしまった。

京の町中の商家などには、

戦の後でも

(ここで言う戦はおばあちゃんが言う『応仁の乱』のことではありません)、

菓子屋が菓子木型で作った上菓子を

箱に詰めて売りまわっていたと言う。

各家では、

季節や自家の好みに合わせて必要な分だけ購入したのです。

呉服商などでは、

目の肥えたお客さんの対面販売が、

デザイン力向上に果たした効果も見逃せない。

 

今回はここまで・・   

続きは次回に・・    

電話かFAXで、メールでお気軽に・・

E-mail Kyoto-ee@gaia.eonet.ne.jp

URL kyoto-estate.com

ここを・ ・・ ポチット・・・・クリックして下さい。 

    ↓   ↓   ↓

京都南部の不動産は京都エステートへご相談ください。

只今 at home Web より、より詳しい最新情報が見られます。

オールジャパンで頑張ろう!! 東日本にエールを・・

 必ずや立ち上がってくれると・信じてる。

5年10年掛かるかも知れないけれど・

ずっと・ずっと・応援してる・

みんなでがんばろう !!  日本

みんなでがんばろう !!  日本

 

http://info.shinsai.yahoo.co.jp/311/story/