スポーツ紙によると・・
阪神金本の「生みの親」、楽天星野仙一監督が最大級のねぎらいの言葉を送った。
「これだけ厳しくものを見る俺が、頭が下がるくらいの選手だった。
いろんな選手と一緒にやったけど、あいつがNO・1だな。
こんな選手、もう出てこない」。
「この10年、その前を入れても、阪神で最大の功労者だよ」
一番の思い出は、阪神監督だった02年オフ、
広島からFA宣言した金本を口説いた時のこと。
決めぜりふは「俺と一緒に阪神を再生させよう。力になってくれ」。
返事は夜中に来た。
日付が変わる頃、電話が鳴った。
「迷っています。あと3時間ください」「お前の人生。3時間じゃなくていいぞ」
「いえ、3時間で結構です」。
午前3時、再び鳴った。
「お世話になります。一緒にやらせてください」。
吉報だった。
星野監督 最初、何を言っているか、よく聞こえなかったんだ。
決断した時の、わめくような声。
気が変わっちゃいかんと思って、すぐ電話を切ったよ。
それから(阪神の)野崎社長をたたき起こしたんだ。
正式合意後、条件を書いた書類を手渡したが、見もしなかったという。
「監督を信じています」とだけ。
お金ではない。
男の心意気で通じ合った。
金本の獲得成功が2003年、18年ぶりのリーグ制覇に。
「期待以上だった。優勝も、あいつが来てから。
相乗効果で、みんなが1つになって前向きになった」と振り返る星野仙ちゃん。
この日の朝、金本本人から電話で決断を聞いた。
「ありきたりだけど『お疲れさん。また、ゆっくり話をしよう』と。
あいつのおかげで、良い思いをさせてもらったな」。
監督の顔は、寂しそうにも、楽しそうにも見えた。と記事には。
最大の功労者に「監督手形」-。
阪神は引退を表明した金本を将来の指導者候補に位置づけた。
来季のコーチ兼任という腹案を持ちながら、
南信男球団社長が今後について金本と話し合ったのが10日前の2日。
熟考を促し、この日、金本本人の決断に至った。
南球団社長が金本に最大級の賛辞を送った。「03.05年優勝の一番の立役者だった。
星野監督、金本選手がこれまでのタイガースを一番変革して、
いい方向に持って行って引っ張ってくれた功労者です。
この10年間、彼中心のチームだったと思います」。
今年でユニホームを脱ぐ「鉄人」の生きざまは、
再建を急ぐチームにとっても財産。
指導者への適性を問われた南社長は
「もちろん。すぐにコーチというのは考えていませんけど」と否定しなかった。
9月に就任した中村GMも
「残ってくれたあかつきには来季兼任コーチを要請しようと。
本人とは話はしていません。
受けていただけるか分からないが、そういう案を持ち合わせていたのも事実。
彼の経験、技術、いろんなものを若い選手に注入してほしかった」と明かした。
金本の力量を評価し、当初から来季の契約を更新する方針を示していた。
選手兼任コーチという腹案を抱きつつ、
来年の去就について金本に意思確認したのは2日広島戦(甲子園)の試合前だった。
南社長が「自分の進退を含めて、考えてみたらどうか」と話し掛け、
金本も熟考した。
この日の朝、南社長に電話で引退の意志が伝えられた。
「練習に取り組む姿勢、移動日に練習するなど、いい影響をチームに与えてくれた」と南社長。
今後の進路は未定だが、将来的な監督候補の1人に名を連ねた。
金本は引退後について
「全く何も考えていない。
田中秀太がやめる時に、就活の本を送ったんだけど、
新井良太に就活の本をもらいます(笑い)」とジョークを飛ばした。
自己管理を徹底し、
体を張り、
チームの黄金期を築いた実績は不滅。
勝負への執念、
ユーモア、
そして何より人望がある。
チーム再建に着手した阪神にとって、「金本監督」は、いずれ切り札になりそうですなぁ。
選手が引退するときはみんながみんな良いことしか言わないが・
金本だけは本当に若者の鏡になる選手でしたねぇ・・
ご苦労さん「金本」
18年ぶりに日本一を見せてもらって 「ありがとう金本」