旧群馬町の経緯は、明治22年4月1日に市町村制の実施にともない、後に群馬町を形成することになる金古町、国府村、堤ヶ岡村、上郊村が独立しました。昭和30年4月1日には金古町、国府村、堤ヶ岡村の3町村が合併し群馬町が誕生します。その後、平成18年1月23日には群馬郡倉渕村、同郡箕郷町、同郡群馬町、多野郡新町と共に高崎市に編入となり群馬町は消滅となります。
旧群馬町は、群馬県のほぼ中央、榛名山東南麓の扇状地から前橋台地にいたる緩やかな斜面に位置しています。標高は北部が260メートル、南東部が110メートルで、面積は21.94平方キロメートルの広さです。前橋市・高崎市・箕郷町そして榛東村に境を接し、「鶴舞う形」といわれる群馬県のふところで、「空を見上げるひな鳥」のような形をしています。(高崎市HPより)
旧町章は、群馬町の「グ」を意匠化したデザインのようです。(昭和47年6月26日制定)
群馬町は、町の花が「ウメ」、町の木が「マツ」のようです。
前置きはここまでとし、マンホール蓋の整理に入ります。
こちらは、中央に馬の埴輪を配し、左右には町の木「マツ」、上下には町の花「ウメ」をデザインしデザインマンホール蓋です。旧群馬町には、上毛野はにわの里公園(保渡田古墳群)があります。
こちらは、小型マンホール蓋です。
一般的に見られるJIS規格模様ほか規格模様の蓋は見つける事が出来ませんでした。
唯一、中央に町章の入ったプラスティック製の枡蓋がありました。
以降は、上水道関係の蓋になります。
最初は消火栓蓋です。
色落ちしたのか、当初からなのか判りませんが黄色の塗り方が色々です。
次は、上水道の制水弁蓋です。
こちらには町章がありませんが、マンホール蓋同様に馬の埴輪、町の花「ウメ」、町の木「マツ」のデザインが入っています。
こちらは、町章が入っているタイプの蓋です。
以上で、その4.旧群馬郡群馬町のマンホール蓋を終了します。
その5.では旧多野郡新町のマンホール蓋を整理します。