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群馬県高崎市のマンホール蓋(その5)旧多野郡新町

2019-10-10 06:02:14 | マンホール蓋

旧群馬町の経緯は、明治22年4月1日に市町村制の実施にともない、緑野郡新町が誕生します。明治29年4月1日には 緑野郡が多胡郡、南甘楽郡と統合して多野郡となります。その後、平成18年1月23日には群馬郡倉渕村、同郡箕郷町、同郡群馬町、多野郡新町と共に高崎市に編入となり新町は消滅となります。

旧新町は、群馬県の東に位置し高崎市の中では飛び地となっています。古くは中山道の江戸から11番目の宿場町として栄え、その後、鉄道の開通により宿駅は衰退しましたが、明治10年の「国立屑糸紡績工場」開設を契機に商工業の町として発展して参りました。また、陸上自衛隊新町駐屯地が、昭和26年に警察予備隊として移駐して以来、自衛隊の町として時代の変遷を共にして参りました。(高崎市HPより)

旧町章は、新町の「新」の外郭を上毛三山、河川、八咫鏡で囲んだものデザインのようです。(昭和9年12月17日制定)

群馬町は、町の花が「サツキ」、「ツツジ」、「キンモクセイ」、町の木が「ハナミズキ」、「ヤナギ」のようです。

前置きはここまでとし、マンホール蓋の整理に入ります。
こちらは、
中央に大きく町の木「ハナミズキ」の花をデザインしたカラーとノンカラーの汚水マンホール蓋です。
 

こちらは、中央に町章が入った亀甲模様の蓋です。
雨水蓋。

汚水蓋。
 
こちらは親子蓋です。

こちらは、毘沙門亀甲模様の雨水蓋です。

こちらは、コンクリート製の汚水枡の蓋と思われます。
上部に黄色で新町の頭文字「S」と思われる文字が刻まれています。

以降は、上水道関係の蓋になります。
旧新町と識別できる蓋は、制水弁の蓋しか見付ける事が出来ませんでした。

以上で、その5.旧多野郡新町のマンホール蓋を終了します。
その6.では旧多野郡吉井町のマンホール蓋を整理します。

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