旧赤城村の経緯は、昭和31年9月1日に横野村と敷島村が合併し、赤城村が発足が誕生します。その後、平成18年2月20日に旧渋川市、伊香保町、小野上村、子持村、赤城村、北橘村が新設合併により現在の渋川市となりました。
旧赤城村の地域は、概ね赤城山の西麓に広がり、四季折々の魅力を持ちます。
地域内にはJR上越線2駅、関越自動車道赤城ICがあり、渋川市や沼田方面と結ばれ、高い交通利便性を有しています。(渋川市HPより)
旧村章は、赤城の頭文字「A」を図案化し、二つの輪は人の「和」を意味したデザインのようです。(昭和41年7月20日制定)
旧赤城村は、村の花が「ヤマユリ」、村の木が「マツ」のようです。
旧赤城村は、農業集落排水施設が樽地区、津久田地区、勝保沢地区、棚下地区、溝呂木地区、横野中央地区、狩野々地区、宮田地区、持柏木地区の9地区で運営していました。
前置きはここまでとし、マンホール蓋の整理に入ります。
最初は、農業集落排水施設が運営されている樽地区、津久田地区、勝保沢地区で撮ったマンホール蓋からです。
左は、渋川市役所第二庁舎2階の水道課西側通路に展示されているカラー展示蓋です。
下部の説明書きには、
赤城村民の和を基調とする「紋章」にシンボルである村の花「山ゆり」と雄々しく成長する村の木「松」をデザイン化したものです。
とあります。
右は、実際に設置されているノンカラーのマンホール蓋です。実設置蓋のカラー蓋は無いようです。
全ての農業集落排水施設を巡ったわけではありませんが、上記3地区は同じデザインでしたので9地区とも同様のデザインではないかと思われます。
こちらは枡蓋でしょうか? 中央の村章の下に「集落排水」と書かれています。
以降は、上水道関係他の蓋を整理します。
と言っても、見付けたのは仕切弁蓋と制水弁蓋の各1種類だけでした。
こちらは仕切弁蓋です。
こちらは制水弁蓋です。
以上で、その5.旧赤城村のマンホール蓋の整理は終了です。
その6.では、旧伊香保町のマンホール蓋を整理します。