玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

ある切れ者の最期

2007年11月03日 | 政治・外交
このあいだ「興味がもてない」と書いた自民・民主党首会談が意外な展開に。

福田首相が党首会談で連立参加を打診、民主は拒否決定 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 福田首相は2日午後、民主党の小沢代表と国会内で会談し、連立政権への参加を申し入れた。

 小沢氏は「党内で協議する」として持ち帰ったが、民主党は同日夜の役員会で連立参加を拒否することを決めた。

大連立構想の噂は聞いていたけれど、慎重な福田氏が就任してすぐ大技を繰り出すとは思わなかった。福田康夫は過小評価されていると思ってた自分が一番福田氏を甘く見ていた。

「大連立」自体について特に意見はない。ぜひやるべきだとは言わないが絶対やっちゃいけないとも思わない。どの政党が政権をとろうが、どの党とどの党がくっつこうが離れようが要は国のため国民のため役に立つ政治ができればそれでいい。
現在のねじれ国会、それも野党第一党が対決路線を堅持して(固執して)いる状況で効率的な政治決定は不可能だ。さりとて衆院解散は政治的コストもリスクも高い。福田総裁が小沢代表に大連立を持ちかけたのは充分理解できる。

理解しにくいのは小沢氏の行動のほうだ。
民主党代表に就任してからの小沢氏の強硬路線を思うと、連立提案をその場で蹴らず「党に持ち帰って検討」するのはいかにも不思議だ。小沢氏の意図はどこにあるのだろう。

可能性のひとつは、小沢氏の強硬路線はうわべだけのことで実は連立の誘いを待っていたというもの。
自民党側からそんな情報が流れているが、あるいは民主党の混乱を狙う謀略かもしれない。もし本当に小沢氏が大連立に前向きなら党内で何の根回しもしていないらしいのは奇妙だ。

民主・小沢氏、早い段階から連立に前向き…自民関係者 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 民主党の小沢代表が、首相から連立の打診を受ければ、民主党内を説得する考えを首相に伝えていたことが2日、明らかになった。

 自民党関係者によると、小沢氏は早い段階から自民党との連立に前向きで、民主党内を説得する考えだったという。

 今回は説得に失敗した形だが、小沢氏はなおも連立参加を模索する意向だ。小沢氏は、最終的に連立を断念した場合は、代表を辞任する考えも周辺に漏らしており、成否によっては小沢氏の進退問題が浮上する可能性もある。

もうひとつは、民主党内の軟弱な妥協派をあぶりだすために仕掛けた罠という可能性。
毛沢東が百花斉放・百家争鳴を「右派」粛清のため利用したような狡猾なやり方である。
だが、今のところ民主党内で大連立に前向きな妥協派はあらわれず、むしろ小沢氏の暴走が顰蹙を買っている。

民主「大連立」に衝撃、小沢氏に批判「なぜ持ち帰った」 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 2日に行われた福田首相(自民党総裁)と民主党の小沢代表との党首会談で、首相から連立政権樹立の打診があったことで、民主党に大きな衝撃が走った。

 同党は同日夜、緊急の役員会などを開き、打診を断ることを決めたが、党内では、小沢氏の対応に不満が募っている。

 民主党は7月の参院選で参院第1党となり、次期衆院選で政権交代につなげようと、臨時国会では政府・与党と対決する路線をとってきた。小沢氏自身も1日の記者会見では「(大連立は)今は考えていない。何としても今度の衆院選で過半数を取ることが当面の最大の目標だ」と大連立構想を強く否定した。

 それだけに、民主党内には小沢氏が大連立構想の打診を党首会談で拒否しなかったことについて「参院選で民意を得て、その公約を実現しようとしている最中に自民党との連立政権を組めば『野合だ』との世論の批判を受け、衆院選にマイナスとなる。小沢氏はなぜ、こんな話を党内に持ち帰ったのか」と指摘する声が出ている。

 枝野幸男・元政調会長は2日夜、記者団に「(大連立は)あり得ない。大政翼賛会になってしまう」と述べた。

 小沢氏は党首会談で、自衛隊の海外派遣を可能にするための恒久法制定の実現を求めた。その際、国連決議があれば、武力行使を容認するよう憲法解釈を変更するよう迫ったと見られる。これは、小沢氏の持論だが、自衛隊の海外派遣に慎重な旧社会党系グループなどからは「大連立が実現すれば、我々は切り捨てられるのでないか」との疑心暗鬼が出ている。

小沢氏の真意がどこにあるのか知らないが、今のところ大連立を検討するそぶりを見せたことが成功したようには見えない。一般国民の目から見て行動に明快さがない。これでは支持のしようがない。



かつて鵺(ヌエ)のような表裏定まらぬ行動で信望を失い、やがて悲惨な最期を遂げた「天下の切れ者」がいた。
幕末の志士、清河八郎である。

清河八郎 - Wikipedia

幕末維新人物名鑑・清河八郎
清河は松平春嶽に「急務三策」を建言する。
これが受け入れられ過去の罪状を許された清河は浪士組の結成を建言する。
これが幕府の意に適い、採用され、上洛を控えた将軍・家茂警護のため浪士が募集された。

文久3年2月、集まった浪士組234名と役員30名を率い上洛した。
京にへ到着すると、清河は壬生新徳寺へ集め
「我らの目的は将軍警護ではなく、攘夷の魁となるためである。」
とかねてよりの策某を宣言し浪士たちのに血判を求めた。
清河は朝廷に働き掛け浪士組の攘夷運動に許しを得た。
反対した近藤勇らが清河暗殺を目論んだが未遂に終わった。
清河の動向に危惧した幕府により浪士組は江戸に呼び戻される。

「将軍警護のため」幕府の資金で集めた浪士を自分の手駒とし、倒幕含みの「尊皇攘夷」のために使う。切れ者らしく鮮やかな策略だが、残念ながら理解する同志ばかりではなかった。将軍警護のためと信じて京都までついてきた浪士にすれば、清川に騙され手品の種にされたようなものである。不信感が募るのは当然だ。
やがて清川は倒幕の志半ばに倒れ、近藤勇らは新撰組として幕府の盾となるのはご存知のとおり。

はたして小沢氏は清河八郎のように「策士策に溺れる」のだろうか。
不謹慎だが来週の政局がどうなっているか楽しみである。