くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

畏れ多い天皇陛下の大御心

2007年12月27日 | Weblog
先の天長節での御会見において、今上陛下は食品をめぐる問題等に触れられ、国民生活にとっての安全、安心の重要性を指摘された。

当たり前のことと言えばそれまでだが、その当たり前ができていない昨今だけに、陛下のお言葉は重みを持つ。

当たり前のことを陛下に言わしめ、叡慮を悩ませた者どもは、陛下のお言葉を重く重く受け取るべし。

安全、安心を与えるとは、すなわち信頼、信用の醸成、回復にある。信頼、信用は、人間が忠恕をもって相互に交わることによって可能となる。忠恕とは思いやり、誠実を言う。他者を慮り、他社に対してウソ偽りなきようにしようとするならば、偽装、改ざんの類など思いつくはずもあるまい。他よりも、公よりも私を重んじる過ぎるが故に生じる醜悪なる自体。人には不可避にエゴがある。私に勝る重要なものはない。ただ、それを彫刻しようとするところに人に真価が見出される得る。「お国のために」という言葉が日陰者扱いされてきた戦後日本。あるいは「お国」が「私」にすり替えられてきた戦後日本。もう一度自他の関係を見直しつつ、生きていこうではないか。他なくして私はありえない。他者のおかげで私は生きることができる。そう思えば、他を欺き、出し抜きしてまで銭儲けしたいというエゴも幾分は抑えられよう。

大御心に従い、平成21年を生きていきたいものである。
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無理が通って道理が引っ込むの典型: 沖縄戦集団自決問題

2007年12月27日 | Weblog
歴史を扱う教科書において、実証に耐えうるかも定かではないものが、住民感情というエゴに後押しされてまかり通るこの世は非道不義の世に他ならない。

C型肝炎問題での原告団の主張にも幾分言えることだが、筋の通らぬゴネ得がまかり通ってしまっている。それが教育現場でも歴史教科書を通して常態化するとすれば、我が国の行く末やいかに・・。

沖縄県も許し難いが、腰砕けの文科省も許し難い。そして行政の長たる福田総理の責任はさらに重い。亡国宰相、これにありの感否めない。さて、お次は大陸にていかなる醜態を晒す。小沢民主党同様、握手攻めに歓喜悶絶するのだろうか?
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