くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

靖国考 その2: 靖国問題の解決策 (5)

2006年07月12日 | Weblog
最近、仕事が忙しくて、ブログの更新がおぼつかない。帰宅が遅いわけでもないのだが、疲れてしまって家で何もする気になれない今日この頃なのだ。

さて、筆者は、前稿「靖国問題の解決策(4)」の最後を、かりに無宗教をも含めたあらゆる宗教的信条に対応可能な国家追悼施設を設け(必ずしも新規の建設という意味ではない)、その一部として靖国神社を位置付けることによって、天皇、政府関係者の同神社への「公式」な、すなわち国家による追悼行為としての、参拝を可能にできたとしても、克服できない問題があると述べて締めくくった。

この「克服できない問題」とはまさに、所謂「A級戦犯」合祀問題である。「A級戦犯」が合祀されている限り、それを理由としたしかるべき立場にある人間の靖国参拝に対する批判が止むことはあるまい。更に言えば、合祀が続く限り、靖国参拝が内外の思惑により政争の具にされることは不可避であろう。

では、この問題に処方箋は無いのか。

率直に言って、即効性のある処方箋など分祀の他あるまい。

だが、靖国神社側が分祀に応ずることなどまずありえまい。かりに分祀の将来的な可能性があったとして、以前にも述べたように現在の南部宮司の在職中にそれは絶対にありえないというのが、筆者の見方である。たとえかりに「A級戦犯」のご遺族が分祀に同意されそれを靖国に求めたとして、それに応ずるか否かの判断は靖国側にあるわけで、遺族の意思が絶対のものであるわけではない。それに、そもそも以前から分祀に対しては拒否を貫ている東条家がそうやすやすと態度を変えるとも思えぬ。

「A級戦犯」合祀問題に対する筆者の立場も、「分祀に及ばず」、である。

もっとも、所謂「A級戦犯」の全員ではないが、東条や板垣などの一部には複雑な感情がないわけでもない。東条を例にとるならば、この人の天皇、国家への赤忠は疑うべくもなく、その人柄に対する印象も決して悪かろうはずもない。東京裁判というその正当性が怪しまれてしまるべ法廷の「犠牲者」との見方にも幾分同調しないでもない。しかし、そもそも論で言えば、敗戦という事態に立ち至らねば、その「不当」な法廷に引っ立てられるようなことにはならなかったのではないのか。国策の最高決定機関たる内閣の首班として、国策を過った自業自得ではないのか。そればかりか、神武創業以来未曾有の恥辱を天皇、国家、国民、そして我が国の歴史に与えることとなった事実を前にして、どうして東条を「偉人」としてその「威徳」を仰ぐ気にはなれぬ。

しかし、だからと言って、東条の合祀されている靖国などに頭を垂れられぬ、ということにはならないし、分祀されるべきとも考えない。筆者としては、東条ら当時の国家指導者たちの招来した結果よりも、彼らの志が国家のためにあったことに重きを置きたいと思う。すなわち、結果の如何に拘らず「A級戦犯」も殉国者であることに変わりなくば、二礼二拍一礼をもってその御霊の安らかならんことを祈ることを拒みたくはない。筆者の感情は死者を未来永劫恨みぬくような陰な執拗さを持ち合わせてはおらず、またそれは日本の精神風土のなかに育まれてきた民族感情の一端(注: すべてとは言ってない)ではないかとも思うのである。

そもそも、「A級戦犯」という十把一絡げな合祀批判自体、「A級」と呼ばれる人物を一人一人見てみるとおかしなことだと思うのだが、かりに何らかの意味での「責任」の有無を合祀の基準とするのであれば、合祀の適性を疑問視されざるをえなくなるのは何も「A級戦犯」にとどまるとは限るまい。自らの判断や指揮の間違いにより部下あるいは戦友を死に至らしめた将兵もその「責任」ゆえに分祀されるべきと論争が起こらぬとは言い切れまい。所詮、「責任論」を軸に語合祀の適性を論じたところで、「責任」の定義や多少に明確な線引きなどできるはずもなく、堂々巡りの泥仕合となるのが落ちなのだ。せいぜい、「A級戦犯」に対する「責任論」の明確な根拠といえば、東京裁判での判決ではないのか。

だが、その東京裁判の判決をもってして「A級戦犯」の合祀の是非を論じたとしても、サンフランシスコ平和条約で我が国が講和の条件に受け入れた軍事裁判そのものないしは判決が、靖国神社による「A級戦犯」合祀を阻止する法的拘束力を持ちうるものではなく、同時の講和条約にも合祀をして条約違反とする根拠など何もないはずだ。それに、小泉首相が靖国に参拝したからといって、あるいは国が靖国を直接の管理下においたり国家追悼施設に認定したからといって、それを即東京裁判の否定や講和条約への挑戦を意味するものと断定するのも没論理な暴論に過ぎない。

内外の批判のなかには、アジア諸国民の感情云々というものもあるが、ある国ないし文化圏における行為が他国や異文化圏の感情を害するとの理由で抑制されうるとするならば、旧欧米帝国諸国において「過去」を想起させるものは、その犠牲となった諸国民、民族の感情を害するがゆえに排除されるべきであるという議論がまかり通ることになろう。もしくは、我が国は中国共産党に対して、共産主義は一国における革命で事足りるとするものではなく、また前世紀に共産革命の美名の下に中国はじめ世界各地で行われてきた「過ち」を知る我が国に不安と脅威を与えているため、共産主義の標榜を放棄することを要求できるのかもしれない。と、ここまで言えば、「感情を害する」の類のばからしさの程が知れよう。

「A級戦犯」を合祀しそこに参拝するのは、ヒトラーを祭るようなものとのたまった一人に、確か中国の外交部長李肇星がいたと記憶する。こうした単純(バカ的)な日独同罪論を恥も外聞も無く口にする御仁も御仁でその見識を疑うが、李氏に関しては、内容も知らずに他国の歴史教科書をご批判なさるほどの人物であれば、これ以上叩くのも「武士の情け」に悖ることにもなろうが、合祀に対する氏のような物言いを許す環境があるというのもこれまた事実なのだ。「A級戦犯」とヒトラーを同列に論ずるなど、所謂「南京事件」をアジアのホロコーストと呼ぶに等しく臍で茶が沸くような言い分であり、いちいち相手にするのも馬鹿らしくなる(もっともそうした怠惰が、国際社会で自らの立場や正当性を主張するうえでは、良くないのだが)。ニュールンベルグの法廷で裁かれたナチス・ドイツの指導者に下された判決と「A級戦犯」へのそれとの差異もこれまた、日独同罪論の法的根拠薄弱を露呈していると言わざるをえまい。

かりに、「A級戦犯」合祀が他国の国民感情に触れることがあったとして、一独立主権国家が誰をどのように追悼しようが、それはその国の自主統治権、すなわち主権に属すべきものであり、そこに踏み入ろうとする外国勢力に対しては断固としなければなるまい。米国外交史研究において、National Secrity Schoolに属する学者のなかには、米国の安全保障観には、米国の信奉する"core value"の保全が含まれているとの見解がある。安全保障が国家の主権行為であることは言わずもがなで、価値観の(形成と)保全が一国の主権の範疇とすれば、我が国が、どのような宗教観あるいは歴史観を持ち、どのようなかたちで死者を追悼しようとも、それは我が国の主権に属する問題であり、それが国際法に照らして抵触するものではない限り、他国からの一切の掣肘を受ける筋合いのものではなく、かりに(現にそうなのだが)そのような事態に立ち至りなば、断固自国の主権を保持するの決意のもとに行動する他あるまい。


すなわち、「A級戦犯」合祀問題をめぐっては、国内でも論争は別として、他国からの政治的な物言いに対しては、国家主権への干渉として、断固として跳ね除けるのみならず、国際社会に向けて公然主権侵害の不当不義を批判すべきである。その点、平成13年の靖国参拝を中国に配慮して8月13日とした小泉首相の判断は、主権侵害への意識の薄弱ともとれる「姑息」の(しかも無残な失敗に帰した)策であり、その一方で、近年「心の問題」として外からの批判に対する姿勢は、妥当なものと評価すべきと筆者は見る。ただし、小泉閣下!、「内政干渉」というのはまずい。「内政干渉」などといえば、閣下自らの言われるところの私的参拝は「政治行為」であると認めるようなものではありませぬか。

国際社会において、もの言わぬは美徳にあらずして愚者の所業と、日本人は改めて肝に銘ずべきである。言い換えれば、国際情報戦略の一環として対外広報戦略により一層尽力すべきである。数年前、米国において、小泉首相御自らご出演の日本観光PRのTVコマーシャルを見たが、あれではダメ。あのような味も素っ気もない宣伝では、だめなのだ。まさに我が国の官製対外広報活動の稚拙、ここに着まわれりの一例であり、在外邦人として痛く情けなく思ったものだ。整形前のノムヒョンが出ていた韓国のCMの方がインパクトがあった。アジア近隣の靖国批判には、断固「主権侵害」をもって反駁せよ。そして首相・政府関係者による靖国参拝が講和条約の否定とは無関係であることを説くべし。靖国参拝がいまのままであり続けようとも、筆者の願うように靖国が国家追悼施設に位置づけられようとも、合祀問題に秘策なくば、これらの対外的主張を断固堅持し、かつより声高に表明することを根気と忍耐をもって持続する他はない。

もうひとつ忘れてはいけないのは、処刑された7名の所謂「A級戦犯」の死は、国内的には「公務死」ということになっている。それは、日本国憲法が定めるところの国民の代表機関にして、国の唯一の立法機関にして、そして国権の最高機関たる(三権分立論から見て「最高機関」という言い回しには問題があるのだが・・)国会が昭和28年の決議をもって決したところのものなのだ。「戦犯」遺族の生活の球状を救うための恩給の給付を可能にするための便宜上の措置であったとの言い分もる。確かにそうした背景がなかったわけではないが、一旦国会で「公務死」扱いと決した以上、それに注釈を付けて、あたかも但し書き付きの決議でるかのような含みや解釈を入り込ませるべきではるまい。そして国会議員たるもの、この決議を尊重した上で、「A級戦犯」合祀問題を考え、もの言うべきではないのか。

最後に、靖国を国家追悼施設とするにあたり、一点のみ、内外に生ずるやも知れぬ疑念を払拭する必要がある、と指摘しておきたい。それは遊就館の扱いである。筆者は靖国神社が国家追悼施設の地位を獲得するにあたっては、「A級戦犯」ではなく遊就館を靖国神社から分離させなければいけないと考えている。賛否や好悪は別として、遊就館は特定の歴史認識によって色取られていることは否定できない。筆者は個人的には、その歴史認識に概ね賛同するが、全面的にというわけにはいかない。一部あまりにも自己弁護的に過ぎ、自己批判の精神に希薄な点は受け入れがたいと感ずる。英霊を顕彰し、その威徳に報い護国と祖国の更なる雄飛を期すのでのあれば、歴史の偉業を称揚することはもっともなれど、我が国の近代史は成功のみの歴史ではないはずだ。成功のみならば、国土を焦土たらしめ、300万余の同胞を失い、神武創業以来未曾有の異民族支配を蒙ることはなかったはずだ。英霊の遺書に涙し、近代における我が国の悲運と苦悩に涙するのはいいが、それで国家の行く末を靖んじられるほど、この世の中甘くはあるまい。国家の更なる繁栄を英霊に誓うのでれば、英霊の偉業に倣うばかりではなく、犯した錯誤をも直視し、そこからも学ばねばなるまい。自己弁護や己れの悲運に涙して精神を充たすは、負け犬の所業に過ぎないというものだ。遊就館の歴史認識や展示の仕方には、傷をなめあう負け犬臭さがなくもない。筆者の遊就館への見方はさておき、あのような特定の歴史認識を持つ施設をも含めて国家追悼施設とすれば、日本国としてその特定の歴史観を肯定するということを不可避に意味することにならざるをえない。靖国を国家施設化することと、歴史認識の問題は別儀であるべきで、そこを混同すれば、靖国問題は留めようのない泥沼にはまり込むどころか、それこそ今以上に外交問題化するのは必至だ。靖国の国家護持を実現し、天皇、首相の参拝を国家追悼行事化するという目的を遊就館の一件で損ねるという木を見て森を見ずの愚策を犯してはなるまい。


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