以上、三つの選択肢に対して、筆者は、次の選択肢を提案してみたいと思う。
筆者は、「選択肢4」として、あらゆる信仰のあり方と無信心をも想定した国立追悼施設を設けることを提案したい。
「無宗教」一本やりではなく、「すべての宗教」プラス「無宗教」の施設である。筆者は「無宗教」を唯一の前提とした追悼施設建設には反対である。理由は簡単で、それでは靖国神社への天皇陛下の御親拝復活と首相による継続的な参拝という筆者の立場と矛盾をきたすからである。平成14年の暮れ、当時の福田官房長官の私的懇談会である「追悼・平和記念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」が、最終報告として、戦争犠牲者追悼のための無宗教追の国立悼施設の建設を提案した。こうした懇談会が設けられた背景には小泉首相の靖国参拝をめぐる内外からの批判、反発があったわけだが、率直に言って、この提案「噴飯物」としか言い様がない。筆者のこの懇談会提案に対する批判は、衆議院議員の高市早苗とほぼ同じである。(http://rep.sanae.gr.jp/tusin/
contents.html?id=5)まず、「無宗教の追悼施設」という点からして、論理矛盾を含む。追悼それ自体既に宗教性を帯びる可能性を持つ。また、かりに宗教性を帯びない追悼というものがあるとして、そして提案されたような追悼施設が建設されたとして、宗教性を帯びた追悼感情なり行為といものも現に存在する以上、懇談会が言うような「何人にもわだかまりなく訪れられる」施設足りうるかどかは、はなはだ疑問である。靖国神社こそ国家の追悼施設であるとする立場からすれば、国立追悼施設の建設など容認できようはずもなく、その時点で「何人にもわだかまりなく」受け入れられるはずの追悼施設の建設目的は既に挫折しまうのである。高市氏が指摘するように、追悼対象をそこに訪れる人の心の問題とする曖昧さは、靖国に合祀されていることで内外の批判の原因となっている「A級戦犯」をも追悼対象として排除しないということではないのか。すなわち、新施設を持ってしても、「A級戦犯」合祀をめぐる論争に終止符を完全に打てるかどうかは、疑わしいのだ。更に言えば、新施設が首相や政府関係者の靖国参拝を止めるものではない、といことを忘れてはなるまい。小泉首相のように、新施設建設後も首相が「私的」に靖国に参拝し続ければ、内外での反発、論争も今後も続くということになる。
筆者にとって一つ理解できない点は、戦没者追悼施設の在り方をめぐる昨今の議論が、どういわけか靖国か「無宗教」の新施設かという二者択一論に収斂されてしまう傾向にあるということである。靖国神社ならびにそれへの政府関係者の参拝に批判的な立場から、靖国ではない追悼施設の建設を求める声が上がるのはわかるが、なぜそれが「無宗教」でなければならないのか。中にはおかしな言い分もある。例えば公明党は、米国のアーリントン国立墓地を例にあげながら、「無宗教」の追悼施設建設を主張するが、アーリントン墓地は、無宗教者も受け入れるといだけで無宗教施設ではなく、むしろ多宗教である。あらゆる信仰を想定している。公明党はそのことを理解しながら、「無宗教」という。(www.komei.or.jp/news/daily/
2004/0812_04.html )同党の支持母体の方々との対話の難しさを、個人的な経験として幾度か感じたことはあるが、公明党もまたしかり、ということなのだろうか。(http://dentotsu.jp.land.to/seisaku_koumei.html )憲法20条の政教分離原則に則って、無宗教でなければいけないとする考え方もあるのかもしれない。ただし、忘れてはなるまい。20条は同時に「信教の自由」を保障している。こうした条文を持つ憲法の下で、もし国家が特定の宗教形式によって国家としての追悼を行えば、それは憲法20条第1項はもとより、3項にも抵触することになる。しかしながら、それとは逆に国家が「無宗教」の追悼施設を建設し、国家としてそこで戦没者の追悼を行うことは、「信教の自由」を保障された主権者たる国民への「無宗教」の強要であり、国民「信教の自由」を冒涜することにはなりはしないのだろうか。無宗教への過剰に原理原則論に徹した固執は、かえって我が国の国民感情やそれを裏打ちする伝統や文化、今日の社会情況との齟齬をきたしかねない。政教分離の原則が現実に即して解釈、適用されるべきことは、愛媛県の靖国神社や護国神社における祭祀への公費の支出を違憲とた平成9年の最高裁判決でも示されている。
筆者は考えるのだ、現行憲法において、国家の行為が無宗教である必要はないのだと。昭和52年に津地鎮祭訴訟判決で最高裁が示した「目的効果基準」をもってするならば、国が関与する追悼施設が必ずしも無宗教でなければならない、といことにもなるまい。「目的効果基準」とは、政府ありは政治による行為の宗教的「目的」の有無と特定宗教への助長あるいは圧迫という「効果」の有無を判断するもので、上記訴訟に対して最高裁は、地鎮祭は習俗であり、社会通念上、政教分離に抵触しないとの判断を下している。地鎮祭が宗教行為ではなく単なる習俗か否かといことは異論のあるところと認めざるをえないが、あくまでもこの判決に沿って考えるならば、追悼という行為も宗教行為ではなく社会通念上は習俗とみなすことは可能なのかもしれないし、国や自治体もそうした認識の下に各種の追悼行事を行っているのであろう。毎年終戦の日に武道館で行われる政府主催の戦没者追悼式っでは、会場の壇上中央に「全国戦没者之霊」を記された柱が立っている。昨年8月6日の広島での原爆慰霊祭では、秋葉市長は「御霊」という言葉を使っている。「霊」にしろ「御霊」にしろあらゆる宗教普遍のものではない以上、「特定宗教」に基づく宗教的行為とみなされても致し方あるまい。だが、「全国戦没者之霊
」や被爆者の「御霊」をして、政教分離に反すると批判する者はまずいまいし、されるべきでもあるまい。なぜならば、法的に言うならば、「霊」や「御霊」が特定の宗教に由来するものだとして、それらをもって、国や自治体(広島市)が特定宗教の助長を目論んだわけでもなく、「目的効果基準」に照らして問題がないからに他なるまい。
「目的効果基準]原則を尊重したうえで国家による戦没者の追悼を目指すのであれば、何が何がなんでも無宗教である必要はあるまい。いかなる宗教に対するのと同時にいかなる宗教にも信仰を持たない立場に対しても等距離の配慮をすることで行う必ずしも無宗教ではない国家のよる追悼という方法もあるはずである。いかなる宗教にも、同時に無宗教という「思想」にも分け隔てなく対応した追悼は、宗教的「目的」をもった行為と見なされるべきではものではあるまい。そうではないというのであれば、それはいかなる形であれ追悼という行為そのものが、宗教的目的を持つ行為であると主張するに等しい。だが、終戦の日の戦没者追悼式や広島、長崎での追悼行事を「目的効果基準」原則に悖るものとする批判を耳目にしたことはないが、ということは、追悼という行為も地鎮祭同様、社会通念上の習俗として見なしうるものとして考えて差し支えないということではないのか。ましてや、筆者がここで主張するのがあらゆる宗教並びに無宗教の立場にも配慮した追悼であれば、それは特定の宗教に対する助長ないしは抑圧という「効果」を狙ったものでもないといことにもなる。
多宗教(すなわち、あらゆる宗教)、無宗教双方に配慮した国家による追悼であれば、靖国神社も国家の追悼施設の「一つ」としての地位が与えられ、無宗教である必要はないのだから、現在只今行われている神事を維持したままで存続することができるのだ。国家の追悼施設であれば、首相の参拝はおろか天皇陛下の御親拝も問題なしといことになる。
あらゆるという意味での多宗教となれば、靖国以外の宗教形式の追悼施設も必要となるが、何もすべて新たに建設することはあるまい。正直言うと、元々筆者は、靖国と千鳥が淵以外に、他のいかなる宗教と無宗教者を対象とした施設を新造する必要があると考えていた。ところが、あるところでこの考えを開陳したところ、何も新たに建設するには及ばないとの指摘を受け、次のように考えるようになった。国内の諸宗教から意見を聴取し、場合によっては各宗旨宗派が持つ既存の施設を国家が追悼施設として認定すれば良いのではないだろうか。もし新たな追悼施設を求める声があれば、適地を選定しアーリントンのようなさまざまな宗教と無宗教を想定した追悼施設(かならずしも墓地である必要もない)を設ければ良いのではないか。
新たな追悼施設では福田元官房長官の私的懇談会の提案したものと変わりないではないかという批判が出るとすれば、それは誤解である。懇談会が最終報告で取りまとめたものは、純粋に国家による唯一の追悼施設であると同時に「無宗教」なのであるが、筆者のいう新施設は国家の追悼施設たる靖国や千鳥が淵では網羅し切れない追悼のあり方を補うためのものという位置づけである。だが、そもそも、国家の追悼施設が一箇所でなければならないという必然性がどこにあるというのか。米国も国立墓地はアーリントンだけではないし、それが国内最大規模といわけでもない。筆者の記憶が正しければ、米国内の国立墓地のち埋葬者数で最多は、ロードアイランドの墓地のはずだ。英国もまたウエストミンスター寺院など複数の追悼施設
を持つ。
以上のように、筆者は、あらゆる宗教だけではなく無宗教をも対象とした、かつ一箇所ではない靖国神社をも含んだ戦没者に対する国家追悼施設の設定を提案してきたが、加えて以下の点にも触れておきたい。
それは、追悼の対象をどのように規定するのか、という問題である。
まず第一に、日本国民のうち、軍人、非軍人のいずれかあるいはどちらも追悼の対象にするのか。お国のために戦い死んでいった軍人ないし戦闘員を「英霊」と呼んでも、空襲や戦闘に巻き込まれて死んだ非軍人ないし非戦闘員を「英霊」とは呼ばない。例えば、東京大空襲や広島、長崎の犠牲者をそうは呼ばないように。では「英霊」でなくば、殉国者ではなく国家として追悼するに値しないのか。そうではあるまい。戦地に赴かずとも市井にあってお国にためにと思いながら日々をすごすち、空襲に遭い死んだ人もいるだろう。こした人々が「英霊」とは差別化され、国家による追悼対象から排除されてよいものだろか。あるいは、国策としての戦争に反対の気持ちを持ちながら、戦災に巻き込まれて死んでいった人もいたかもしれないが、こうした類の同胞を追悼対象から排除してしまってよいものか。筆者はそうは思わない。現に靖国神社の「英霊」も広田弘毅の例に明らかなように、軍人限定というわけではないのだ。筆者は、殉国という行為が国民としての尊い行為でるとの観点から、戦没者を追悼顕彰するための国家施設の設定を求めるのであるが、「殉国者」という範疇を軍人に限定することなく、非軍人にも拡大することに何ら躊躇しない。さもなくば、広田やその他の非軍人の「英霊」を靖国の「御祭神」から分祀あるいは排除を主張せざるをえなくなる。
ただ、戦争で無くなった戦闘員と非戦闘員を単一ではない複数の追悼施設において追悼するのは良いが、どの施設を国家の追悼施設に認定するかによっては、施設間の追悼姿勢にズレが生じるが出る可能性がある。例えば、靖国神社と広島の平和記念公園がともに国家が認定する追悼施設になったとする。言うまでもなく、両者の追悼対象は異なるのだが、違いはそれだけではない。前者は明治天皇の大御心に沿って建立され、そこに祀る戦没者を「英霊」と位置づけるのに対して、後者の慰霊碑には「過ちは繰り返しませぬから」の碑文が刻まれている。「過ち」の意味するところは、かつて広島では「日の丸」「君が代」の実施率が極めて低かったことから考えても、容易に理解することができよう。原爆投下という行為とともに、先の大戦自体が肯定すべからざる「過ち」であるとの歴史観がそこにはあり、その戦争の責任の所在を「ある方向」に求めるがゆえに、「日の丸」、「君が代」には抵抗感があるということなのだ。「過ち」が米軍による原爆投下に限定されるか、あるいは「負けてしまって残念」、「次には必ず勝ちますから」的な意味合いのものとして解釈されるようにならない限り、靖国との間の隔たりは大きすぎる。この歴史観の溝をどう乗り越えていくかという問題への対応は、既存の追悼施設を国家のそれとして選定、認定する際に、小さかならぬ問題となろう。
次に、非日本人戦没者をも日本国による追悼の対象とするのか。我が国においては、靖国神社、千鳥が淵、そして各地の護国神社や戦没者追悼式もそうであるように、かつて日本国民であった人々をも含めた日本人のみを追悼の対象としてきた。それに対して、既述の福田元官房長官の私的懇談会では、追悼対象の特定化を避けているが、それゆえにそこには旧敵国の将兵も含まれるうる。ドイツのノイエ・ヴァッヘ(国立中央戦争犠牲者追悼所)に至っては、追悼対象をドイツ国民か否か、軍人か文民あるいは民間人かの区別すらしない。もっとも、そこで追悼する犠牲者とは、「ナチスの配下における犠牲者」である。この点からして、そもそもノイエ・ヴァッヘが、筆者が考えるところの殉国としての戦没者を追悼顕彰する施設とは大差があり、ここで持ち出すことすら無意味なのかもしれない。追悼施設の趣旨しだいなのであろが、自国に準じた者に対する国家による追悼に主眼を置く筆者にとって、追悼の対象に元日本人は含まれても、非日本人までもが含むことはまったくの「想定外」のことである。もし他国の「戦争犠牲者」を追悼したければ、別施設を設ければよいだけのことだと思うが、是非ともそこにおかしなイオデオロギーないし歴史認識を持ち込むことだけはよしにしてもらいたいものだ。
ところが、多宗教にも無宗教にも対応した国家追悼施設に靖国神社を位置付けたとしても、それだけでは自動的に解決しえない問題がどうしても残ってしまうのである。
続く
筆者は、「選択肢4」として、あらゆる信仰のあり方と無信心をも想定した国立追悼施設を設けることを提案したい。
「無宗教」一本やりではなく、「すべての宗教」プラス「無宗教」の施設である。筆者は「無宗教」を唯一の前提とした追悼施設建設には反対である。理由は簡単で、それでは靖国神社への天皇陛下の御親拝復活と首相による継続的な参拝という筆者の立場と矛盾をきたすからである。平成14年の暮れ、当時の福田官房長官の私的懇談会である「追悼・平和記念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」が、最終報告として、戦争犠牲者追悼のための無宗教追の国立悼施設の建設を提案した。こうした懇談会が設けられた背景には小泉首相の靖国参拝をめぐる内外からの批判、反発があったわけだが、率直に言って、この提案「噴飯物」としか言い様がない。筆者のこの懇談会提案に対する批判は、衆議院議員の高市早苗とほぼ同じである。(http://rep.sanae.gr.jp/tusin/
contents.html?id=5)まず、「無宗教の追悼施設」という点からして、論理矛盾を含む。追悼それ自体既に宗教性を帯びる可能性を持つ。また、かりに宗教性を帯びない追悼というものがあるとして、そして提案されたような追悼施設が建設されたとして、宗教性を帯びた追悼感情なり行為といものも現に存在する以上、懇談会が言うような「何人にもわだかまりなく訪れられる」施設足りうるかどかは、はなはだ疑問である。靖国神社こそ国家の追悼施設であるとする立場からすれば、国立追悼施設の建設など容認できようはずもなく、その時点で「何人にもわだかまりなく」受け入れられるはずの追悼施設の建設目的は既に挫折しまうのである。高市氏が指摘するように、追悼対象をそこに訪れる人の心の問題とする曖昧さは、靖国に合祀されていることで内外の批判の原因となっている「A級戦犯」をも追悼対象として排除しないということではないのか。すなわち、新施設を持ってしても、「A級戦犯」合祀をめぐる論争に終止符を完全に打てるかどうかは、疑わしいのだ。更に言えば、新施設が首相や政府関係者の靖国参拝を止めるものではない、といことを忘れてはなるまい。小泉首相のように、新施設建設後も首相が「私的」に靖国に参拝し続ければ、内外での反発、論争も今後も続くということになる。
筆者にとって一つ理解できない点は、戦没者追悼施設の在り方をめぐる昨今の議論が、どういわけか靖国か「無宗教」の新施設かという二者択一論に収斂されてしまう傾向にあるということである。靖国神社ならびにそれへの政府関係者の参拝に批判的な立場から、靖国ではない追悼施設の建設を求める声が上がるのはわかるが、なぜそれが「無宗教」でなければならないのか。中にはおかしな言い分もある。例えば公明党は、米国のアーリントン国立墓地を例にあげながら、「無宗教」の追悼施設建設を主張するが、アーリントン墓地は、無宗教者も受け入れるといだけで無宗教施設ではなく、むしろ多宗教である。あらゆる信仰を想定している。公明党はそのことを理解しながら、「無宗教」という。(www.komei.or.jp/news/daily/
2004/0812_04.html )同党の支持母体の方々との対話の難しさを、個人的な経験として幾度か感じたことはあるが、公明党もまたしかり、ということなのだろうか。(http://dentotsu.jp.land.to/seisaku_koumei.html )憲法20条の政教分離原則に則って、無宗教でなければいけないとする考え方もあるのかもしれない。ただし、忘れてはなるまい。20条は同時に「信教の自由」を保障している。こうした条文を持つ憲法の下で、もし国家が特定の宗教形式によって国家としての追悼を行えば、それは憲法20条第1項はもとより、3項にも抵触することになる。しかしながら、それとは逆に国家が「無宗教」の追悼施設を建設し、国家としてそこで戦没者の追悼を行うことは、「信教の自由」を保障された主権者たる国民への「無宗教」の強要であり、国民「信教の自由」を冒涜することにはなりはしないのだろうか。無宗教への過剰に原理原則論に徹した固執は、かえって我が国の国民感情やそれを裏打ちする伝統や文化、今日の社会情況との齟齬をきたしかねない。政教分離の原則が現実に即して解釈、適用されるべきことは、愛媛県の靖国神社や護国神社における祭祀への公費の支出を違憲とた平成9年の最高裁判決でも示されている。
筆者は考えるのだ、現行憲法において、国家の行為が無宗教である必要はないのだと。昭和52年に津地鎮祭訴訟判決で最高裁が示した「目的効果基準」をもってするならば、国が関与する追悼施設が必ずしも無宗教でなければならない、といことにもなるまい。「目的効果基準」とは、政府ありは政治による行為の宗教的「目的」の有無と特定宗教への助長あるいは圧迫という「効果」の有無を判断するもので、上記訴訟に対して最高裁は、地鎮祭は習俗であり、社会通念上、政教分離に抵触しないとの判断を下している。地鎮祭が宗教行為ではなく単なる習俗か否かといことは異論のあるところと認めざるをえないが、あくまでもこの判決に沿って考えるならば、追悼という行為も宗教行為ではなく社会通念上は習俗とみなすことは可能なのかもしれないし、国や自治体もそうした認識の下に各種の追悼行事を行っているのであろう。毎年終戦の日に武道館で行われる政府主催の戦没者追悼式っでは、会場の壇上中央に「全国戦没者之霊」を記された柱が立っている。昨年8月6日の広島での原爆慰霊祭では、秋葉市長は「御霊」という言葉を使っている。「霊」にしろ「御霊」にしろあらゆる宗教普遍のものではない以上、「特定宗教」に基づく宗教的行為とみなされても致し方あるまい。だが、「全国戦没者之霊
」や被爆者の「御霊」をして、政教分離に反すると批判する者はまずいまいし、されるべきでもあるまい。なぜならば、法的に言うならば、「霊」や「御霊」が特定の宗教に由来するものだとして、それらをもって、国や自治体(広島市)が特定宗教の助長を目論んだわけでもなく、「目的効果基準」に照らして問題がないからに他なるまい。
「目的効果基準]原則を尊重したうえで国家による戦没者の追悼を目指すのであれば、何が何がなんでも無宗教である必要はあるまい。いかなる宗教に対するのと同時にいかなる宗教にも信仰を持たない立場に対しても等距離の配慮をすることで行う必ずしも無宗教ではない国家のよる追悼という方法もあるはずである。いかなる宗教にも、同時に無宗教という「思想」にも分け隔てなく対応した追悼は、宗教的「目的」をもった行為と見なされるべきではものではあるまい。そうではないというのであれば、それはいかなる形であれ追悼という行為そのものが、宗教的目的を持つ行為であると主張するに等しい。だが、終戦の日の戦没者追悼式や広島、長崎での追悼行事を「目的効果基準」原則に悖るものとする批判を耳目にしたことはないが、ということは、追悼という行為も地鎮祭同様、社会通念上の習俗として見なしうるものとして考えて差し支えないということではないのか。ましてや、筆者がここで主張するのがあらゆる宗教並びに無宗教の立場にも配慮した追悼であれば、それは特定の宗教に対する助長ないしは抑圧という「効果」を狙ったものでもないといことにもなる。
多宗教(すなわち、あらゆる宗教)、無宗教双方に配慮した国家による追悼であれば、靖国神社も国家の追悼施設の「一つ」としての地位が与えられ、無宗教である必要はないのだから、現在只今行われている神事を維持したままで存続することができるのだ。国家の追悼施設であれば、首相の参拝はおろか天皇陛下の御親拝も問題なしといことになる。
あらゆるという意味での多宗教となれば、靖国以外の宗教形式の追悼施設も必要となるが、何もすべて新たに建設することはあるまい。正直言うと、元々筆者は、靖国と千鳥が淵以外に、他のいかなる宗教と無宗教者を対象とした施設を新造する必要があると考えていた。ところが、あるところでこの考えを開陳したところ、何も新たに建設するには及ばないとの指摘を受け、次のように考えるようになった。国内の諸宗教から意見を聴取し、場合によっては各宗旨宗派が持つ既存の施設を国家が追悼施設として認定すれば良いのではないだろうか。もし新たな追悼施設を求める声があれば、適地を選定しアーリントンのようなさまざまな宗教と無宗教を想定した追悼施設(かならずしも墓地である必要もない)を設ければ良いのではないか。
新たな追悼施設では福田元官房長官の私的懇談会の提案したものと変わりないではないかという批判が出るとすれば、それは誤解である。懇談会が最終報告で取りまとめたものは、純粋に国家による唯一の追悼施設であると同時に「無宗教」なのであるが、筆者のいう新施設は国家の追悼施設たる靖国や千鳥が淵では網羅し切れない追悼のあり方を補うためのものという位置づけである。だが、そもそも、国家の追悼施設が一箇所でなければならないという必然性がどこにあるというのか。米国も国立墓地はアーリントンだけではないし、それが国内最大規模といわけでもない。筆者の記憶が正しければ、米国内の国立墓地のち埋葬者数で最多は、ロードアイランドの墓地のはずだ。英国もまたウエストミンスター寺院など複数の追悼施設
を持つ。
以上のように、筆者は、あらゆる宗教だけではなく無宗教をも対象とした、かつ一箇所ではない靖国神社をも含んだ戦没者に対する国家追悼施設の設定を提案してきたが、加えて以下の点にも触れておきたい。
それは、追悼の対象をどのように規定するのか、という問題である。
まず第一に、日本国民のうち、軍人、非軍人のいずれかあるいはどちらも追悼の対象にするのか。お国のために戦い死んでいった軍人ないし戦闘員を「英霊」と呼んでも、空襲や戦闘に巻き込まれて死んだ非軍人ないし非戦闘員を「英霊」とは呼ばない。例えば、東京大空襲や広島、長崎の犠牲者をそうは呼ばないように。では「英霊」でなくば、殉国者ではなく国家として追悼するに値しないのか。そうではあるまい。戦地に赴かずとも市井にあってお国にためにと思いながら日々をすごすち、空襲に遭い死んだ人もいるだろう。こした人々が「英霊」とは差別化され、国家による追悼対象から排除されてよいものだろか。あるいは、国策としての戦争に反対の気持ちを持ちながら、戦災に巻き込まれて死んでいった人もいたかもしれないが、こうした類の同胞を追悼対象から排除してしまってよいものか。筆者はそうは思わない。現に靖国神社の「英霊」も広田弘毅の例に明らかなように、軍人限定というわけではないのだ。筆者は、殉国という行為が国民としての尊い行為でるとの観点から、戦没者を追悼顕彰するための国家施設の設定を求めるのであるが、「殉国者」という範疇を軍人に限定することなく、非軍人にも拡大することに何ら躊躇しない。さもなくば、広田やその他の非軍人の「英霊」を靖国の「御祭神」から分祀あるいは排除を主張せざるをえなくなる。
ただ、戦争で無くなった戦闘員と非戦闘員を単一ではない複数の追悼施設において追悼するのは良いが、どの施設を国家の追悼施設に認定するかによっては、施設間の追悼姿勢にズレが生じるが出る可能性がある。例えば、靖国神社と広島の平和記念公園がともに国家が認定する追悼施設になったとする。言うまでもなく、両者の追悼対象は異なるのだが、違いはそれだけではない。前者は明治天皇の大御心に沿って建立され、そこに祀る戦没者を「英霊」と位置づけるのに対して、後者の慰霊碑には「過ちは繰り返しませぬから」の碑文が刻まれている。「過ち」の意味するところは、かつて広島では「日の丸」「君が代」の実施率が極めて低かったことから考えても、容易に理解することができよう。原爆投下という行為とともに、先の大戦自体が肯定すべからざる「過ち」であるとの歴史観がそこにはあり、その戦争の責任の所在を「ある方向」に求めるがゆえに、「日の丸」、「君が代」には抵抗感があるということなのだ。「過ち」が米軍による原爆投下に限定されるか、あるいは「負けてしまって残念」、「次には必ず勝ちますから」的な意味合いのものとして解釈されるようにならない限り、靖国との間の隔たりは大きすぎる。この歴史観の溝をどう乗り越えていくかという問題への対応は、既存の追悼施設を国家のそれとして選定、認定する際に、小さかならぬ問題となろう。
次に、非日本人戦没者をも日本国による追悼の対象とするのか。我が国においては、靖国神社、千鳥が淵、そして各地の護国神社や戦没者追悼式もそうであるように、かつて日本国民であった人々をも含めた日本人のみを追悼の対象としてきた。それに対して、既述の福田元官房長官の私的懇談会では、追悼対象の特定化を避けているが、それゆえにそこには旧敵国の将兵も含まれるうる。ドイツのノイエ・ヴァッヘ(国立中央戦争犠牲者追悼所)に至っては、追悼対象をドイツ国民か否か、軍人か文民あるいは民間人かの区別すらしない。もっとも、そこで追悼する犠牲者とは、「ナチスの配下における犠牲者」である。この点からして、そもそもノイエ・ヴァッヘが、筆者が考えるところの殉国としての戦没者を追悼顕彰する施設とは大差があり、ここで持ち出すことすら無意味なのかもしれない。追悼施設の趣旨しだいなのであろが、自国に準じた者に対する国家による追悼に主眼を置く筆者にとって、追悼の対象に元日本人は含まれても、非日本人までもが含むことはまったくの「想定外」のことである。もし他国の「戦争犠牲者」を追悼したければ、別施設を設ければよいだけのことだと思うが、是非ともそこにおかしなイオデオロギーないし歴史認識を持ち込むことだけはよしにしてもらいたいものだ。
ところが、多宗教にも無宗教にも対応した国家追悼施設に靖国神社を位置付けたとしても、それだけでは自動的に解決しえない問題がどうしても残ってしまうのである。
続く
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