くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

河村たかし名古屋市長の唾棄すべきポピュリズム

2010年01月20日 | Weblog
私は河村たかし市長のやることすべては否定しない。市議会改革等、私はもろ手は揚げないが、理解できるところもあると思う。名古屋市議の面々を見てみるがいい。あの程度の連中に事実上2000万を超えるといわれる報酬が払われていると思うと、「豚に真珠」とはまさにこのことと思わざるをえない。すべてがすべてとは言わないが、年収2000万に値しないレベルの人間が多すぎるのだ。

だが、基本的には、私は河村たかしという政治家を評価しない。あの政治家は所詮ポピュリストだ。あのわざとらしい名古屋弁がその最たるものだが、昨年から市長が言っている住基ネットからの離脱もまだしかり。

住基ネットには個人情報保護という点について不安がないことはない。その点、改善の余地はある。

しかしながら、「人間に番号をつけて中央で管理しようというのは、牛に番号をつけるのと同じようなもの。ソ連のスターリンがやろうとした人間統合システムだ。スターリンもびっくりするような仕組みを日本で導入しようというのは、断固反対しないといけない」という市長の言い分は、子供じみた感情論だ。河村市長はそんなことは承知のうえで言っているのだ。しかし、こういう物言いをすれば世論の一定の支持を得られるとの計算があるのだ。これこそ、まさにこの政治家のポピュリストたるゆえんなのだ。

国民・市民に番号制を入れることは、行政の効率性という点で利点を得ることができる可能性があることはいうまでもない。消えた年金の問題などは、社保庁の体制・体質の問題もさることながら、番号制があれば多分に回避できた可能性もあるのだ。

河村がこの点に気づかぬはずはない。

地方分権に矛盾するというが、この発想もおかしい。地方分権とはあくまでも日本国の統一国家としての国家統合を前提としての話だ。SSナンバーを導入している米国のケースを見てみればいい。SSナンバーによって連邦国家としての統合と州ごとの独自性に深刻な矛盾は生じていない。それによって州の独自性が申告に阻害されるということもない。米国に暮して、SSナンバーは、盗用等された場合の危険性はあるものの、そんな危険性は他のいかなるIDナンバーにもありえることで、むしろ利便性の方を実感させられたものだ。

どうやら、この河村という男、よもや国家という存在を解体するというイデオロギーの影響を受けているとは思わないが、国家観というものが薄弱か欠如しているとしか思えない。さもなくば、上記のような発言はすまい。

あるいは、どれもこれも有権者の支持を得るという目的のためだけにあることなのか。

いずれにしても、住基ネット離脱などバカげた話であるし、この河村という男、今のところ名古屋市民の多くは支持しているようだが、決して油断できる男ではない。「眉に唾して」、この市長のいうことに耳を傾けないと、あとで痛い目にあうのは市民自身ということになる。
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