くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

暴力団との関係って言うけれど・・・・: 大相撲野球賭博問題

2010年06月24日 | Weblog
私は暴力団とかヤクザという連中のシンパでもないし、親族、一族にそういう類がいるわけでもない、私の知る限り付き合いのある限りの「血のつながり」の範囲では。

正直言って、あの類の人間を同等の人間とは思っていなし、あの類の人権の尊重なんていうのにまったく興味がない。理想をいえば、消えてなくなってほしい存在である。特に日本人に「なりすまし」ているヤツラとか、「なりすまし」のくせに右翼やって国士気取りのやつらは消えてしまえ、消せないのなら「祖国」に妻子含めて一族もろとも送り返してしまえと思っている。

でも、相撲界と暴力団の関係について連日騒ぎまくるマスコミには、お前ら一寸待てと言いたくなる。

まず、マスコミが「暴力団とのつながり」を批判できる立場にあるのか? 特に、ここではTVマスコミの皆さまだ。
TVには、ドラマ、歌番組、バラエティーと、所謂ヤクザ、暴力団と直接、間接に個人的なお付き合いや、事務所を通してつながってしまっている連中がわんさといるではないか?暴力団がいかんというなら、今後美空ひばりの映像は一切出すな!あの女と山口組三代目との密接な関係は誰もが知るところではないのか? 相撲取りやヤツラの野球賭博と暴力団の接点どおろの問題ではない。なのに、そっちはスルーで、こっちは大騒ぎというのは「片手落ち」ではないのか? それに暴力団とのつながりをかねてより噂されている某大手プロダクションの「従業員」がわんさとTVに出ているが、それは問題ないのか。そいつら使って番組を作ってタレ流すというのは、これも「暴力団とのつながり」になるのではないのか。たとえ間接的であっても、関係ないことはあるまい?自分たちはOKで、相撲取りはダメってか?そりゃ、デブ差別か、低学歴差別だろう? でも、大学出の力士は、中高しか出てない芸人よりは高学歴だぞ?


それに、暴力団とかかわっちゃあいけないというのであれば、その末端のやつら、はしくれのはしくれ連中がシノギにしている露天商なんてのに場所貸して商売させている神社、仏閣ってのは批判の対象にならんてか?確かに、露天商は野球賭博とは違う。前者は少なくとも知る限りで違法性はないが、後者はあきらかに違法だ。でも、いわゆる反社会的勢力に属したり、それに末端で連なる連中の「資金源」になっているのではないか?そんな連中に、神仏を司る連中が場所が提供することで、やつらのカネ儲けに加担しているというのは問題ないのか?

もっというなら、そういう連中から物をかってる我々一般市民はどうなるのだ?「反社会的集団」と徹底的に戦う、徹底的にヤツラを排除するというのであれば、やつらを食わせている一般市民も批判してみてはどうか?

これをいっちゃあオシマイかもしれないが、そもそも暴力団、ヤクザの類を根絶できるなんて思っている人間がこの世にいるのだろうか。警察は絶対そうは思っていない。いるはずがない。いなくなっては警察が困る。あらゆる意味で警察と暴力団・ヤクザはもちつもたれつの関係なのだ。○暴なんて「紙一重」なんじゃないのか?時々「ミイラ取りが・・」なんてのもいるではないか?

ヤクザをこの世から消して、本当にこの世の中よくなるのか? 世の中必ず「はみ出し者」は存在する。学校だってそうだ。必ず「落ちこぼれ」は出る。ものをつくれば必ず「規格外」が出るのと同じだ。その「規格外」の受け皿が暴力団とかいうあの世界ではないのか。受け皿がなくなって野放しの一匹狼にでもなられた日には、社会の安寧という点では、余計に厄介なことになるのではないか。

確かにヤツラのやっている行為には看過できないものもある。明らかに反社会的であり反国家的ですらあるものもある。ヤクなんてのはその最たるものだ。

一方、「キャシャーンがやらねば」ではないが(知らない?・・・)、ヤツラがやらなくて誰がやるみたいな下下の下下たる商売もあるではないか。下下たるものでもないと不都合な商売。芸能なんてのもそうだろう。どこのまともな家庭や親が自分の子どもを芸人にしたいと思う?衆目を前にして、我が身を晒して身銭を稼ぐなんて商売、売春婦とどこかどう違うというのだ? 50歩100歩だろう。私は、「職業に貴賎あり」と思っている人間だ。しかも「人の平等」も信じていない。「生まれながらの平等」とか「天は人の上に人を・・・」などという何らの根拠もなく、しかも絶対に証明不可能であろうイデオロギーを「真理」などと考えている人間にでくわすと正直言って、反吐が出るとまではいわないが、おもいっきり見下げてしまう類の人間なのだ。(またそういう人間に限って、人間関係がドライであったり、人情の機微を解しないのが多いようにも思うのだが。)「課長島耕作」を読まなくなったのも、フィリピン編だったか(随分古いなあ・・・)、主人公が人間平等を「真理」だという台詞をみて、思いっきり白けてしまってからだ。話はそれたが、昔から人がしたくないような仕事、でも社会にはあった方が良い仕事、ないと困る人もいる仕事を請け負う連中が存在してきた。江戸時代のエ○、非▲なんてもその類だが、ヤクザ屋さんもそうではないのか?

世の中からはみ出しながらその隙間を埋める存在というわけだ。

これを排除しようとしたら、世の中いっぺんにガタピシ建てつけがわるくなる。警察なんてのは、そこらあたり一番よくわかっているはずで、「暴力団の撲滅」なんてのは要は社会秩序を保つための御題目であって、真実暴力団と呼ばれる連中に向けられたものではない。そりゃ、程度問題で、程度をこしたら取り締まらねばならないし、ヤクザ屋も自分たちの都合があるし、そもそもはみ出した連中だから世間様の都合なんて考えずに自分たちの私利私欲だけで動くことがあるから、それに対しては当然「ムチ」もつかうし、それだからこそ、警察と暴力団はまったく一から十までなれあいというわけではない。

売春防止法なんてのをつくってみたが、できてみたら、その道の同性方には目の敵にされたなんて「日本昔話」の寓話の一つでも加えたいような笑い話でありながら含蓄のある実話もあるわけだが、世の中えてしてそんなものである。たしかにあの世界は女性にとって「苦界」であった。入りたくて入ったわけではない。向け出そうにも抜け出せない。だが、そこで生きていかねば他に道がないという女性にとって、その世界が「違法」ということになってしまっては、これまた自分たちの存在そのものを否定されたに等しいということになる。男が社会からはみだし、あぶれてヤクザ、チンピラになるように、女もやはりはみだし、あぶれる。そんな女が生きて行くには、水商売か「苦界」しかあるまい。要は受け皿だったにもかかわらず、その受け皿を取り上げて、じゃあ、この世の「苦界」は消えたのか?

世の中そんなものである。

清き水に魚なんとかというが、人の世の中そんなものだし、人は知らず知らず清濁を併せのんでいるのだ。

相撲界だってそうだ。「相撲」という神代からの「伝統」を背負い、力士は綱を締めば超人的ともみなされるように、「清」を背負わされる一方で、昔から、がちんこばかりではなく八百長もあれば、その筋と関係を持ち、またそうすることで飯が食えてきた。いわば、濁を飲んできたわけだ。

マスコミだってそうではないか。「公器」ぶったところで、裏では清濁なんでもありではないか?「公器」といいつつ私利私欲で動くところもあるではないか?

世の中凡そ皆が皆そうして生きているのではないのか?

「清」ばかりに生きる企業人がいるか、百姓農民がいるか? カネのわらじをはいてでも、そんな連中にはお目にかかれまい。
もし自分こそはと思っている御仁がいるとしたら、そいつは真性の馬鹿である。救いがない。おそらくいるとすれば、竹の園生の奥深くにしか・・・、かもしれない。一視同心、そこには清も濁もないのかもしれない。いや、清は清のままに、濁は濁のままに包容するということではないのか。それこそ否定されねばならないという向きもあろうが、私はむしろそこに「神」を見るのである。司りはしない。これは世に広くある「神」のイメージとは異なるかもしれないが、一方で受け止める力、これもまた常人のなかなか及ぶところではなく、その意味において天地始まって以来の連綿のなせる「神的」なものであると思うのである。

話を戻せば、野球賭博は法律上問題がある。したがってそれに関与した以上は刑罰は免れまい。率直に言って、「相撲界というのはそうしたものだ」、「いたずらに伝統に手を突っ込むな」とは思いつつも、現在ただ今の社会法制度、価値観にあらがえるわけでもない。それらに照らして現在ただ今のバッシングは「致し方なし」とも思う。琴光喜の追放もやむを得ないかもしれないし、名古屋場所の中止もまたその際致し方ないとも思う。デーモン小暮閣下はじめ熱烈な相撲ファンのなかには名古屋場所開催を主張する声もあるが、中止は対世論対策的観点からもひとつのケジメとして必要かと思う。

もっと言えば、武蔵川理事長はじめ首脳部は総入れ替えにすべきであろう、やはり、武蔵川ではダメだった、やはり。
協会の運営の主導権を力士出身者から取り上げるべきかもしれない。理事会から元力士を徹底排除しろとは決して言わないが、理事長は力士で無い者、しがらみのない無いものがつくべきかもしれない。

相撲の伝統はわかるが、相撲界はドラスティックに変わることでしか生き残れないような気がしなくもない。

だが、その一方で、マスコミの「自分たちこそ正義でござい」とか「相撲界と暴力団の関係なんてまったく知らなかった!」みたいなスタンスでの報道姿勢、相撲界叩きにはウンザリする。

もしかしたら、マスコミ連中、相撲界バッシングによって、相撲協会の公益法人資格のはく奪、NHKでの放送中止(永久)によって相撲放送を自分たちのものにしようなんて・・・、そんなセコいこと考えていないよなあ?


















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