くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

宮内庁に韓国からの「略奪」文化財など存在しない。

2010年08月18日 | Weblog
日韓併合が合法のものである以上、少なくとも国際法史研究の分野においてそれが通論である以上、宮内庁が文化財を返還する正当な根拠はないばかりか、略奪という認識自体、併合の合法性に矛盾する。


したがって、宮内庁は、文化財を返還するいわれはない。


かりに宮内庁が返還するとしても、「略奪品」であるからという理由で返還しては決してならない。あくまでも旧宗主国の慈悲、温情として譲り渡すということにしなければならない。

そもそも、朝鮮の古物など持っていてそれが何だというのだ。「ととやの茶碗」の話もあるが、基本的に欲しければくれてやればあよいのだ。ただし、くれぐれも「返還」という形ではなく。

ところで個人による古物の商取引の結果我が国にあるものはどうなるのだろうか? これも「略奪品」と強弁して手に入れようと、かの国は考えているのだろうか。この前のNHKの討論での崔洋一がいい例で、「ああいった類」の連中である。強引な理屈にもなっていない物言いで声を荒らげて押してくるのであろう。だが、売買というかたちで手に入れた以上、売るか買うかは個々人の自由である以上、必ずしも先方の思うようにはなるまい。

二束三文で「略奪」された。

この理屈が大手を振ってまかり通るのであれば、わが国も維新期に流出の美術品を「略奪」と言いたてて取り戻しますか?

だが、それをやっては人面獣心、いや人でなくてはそのような悪行卑劣は重いつくまい。いずれにしても、日本人も堕ちるところまで堕ちたといわざるを得なくなる。


ということは、既にそれを既にしているかの国の連中は「堕ちてしまった」ヤツラということか?

個人的には、言わずもがなと思うのだが、ことあの連中に関しては。まあ、チンピラ、ヤクザの類。痛くもない腕を痛い痛いと叫んだハマコーと同じ類ということだ。
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千鳥ヶ淵には行っても靖国には行かないという、菅の見え透いたパフォーマンス

2010年08月18日 | Weblog
千鳥ヶ淵と靖国、まつられている戦没者の数は、比較にならない。

いうまでもなく、後者が圧倒的に多い。

先の大戦に限っても、そうだ。

にもかかわらず、菅首相は千鳥ヶ淵には行き、靖国にはそっぽを向いた。

宗教法人である靖国には行かず、特定の宗教色を有しない千鳥ヶ淵には行く。

いずれにも行かないという選択もあっただろうが、それはそれで批判を受ける。逆にいずれにも行けば、それ以上に批判されるどころの騒ぎではなくなる。どのみち何をしても批判から逃れられないのが政治家であるならば、もっとも批判の少ない選択を採ることを最上とする、という考えからもある。その是非はともかくとして。これを前提にすれば、千鳥ヶ淵を選んだという選択は正しい。

この選択に、菅という人間の個人的なイデオロギー的傾向がどれだけ反映されているかは知るよしもないが、少なくとも政治的な配慮があったことは間違いあるまい。「政治はバランスだ」ともっともらしいことを書いているブログもあるが、それは支持率等の数字を取ることを目的とした場合には確かにそうなのだが、国家運営なり国家指導という点からいえば、バランスというのは、
視点の置きどころしだいではアンバランスとも評価されうるものである以上、では何がバランスなのだということにもなりかねず、バランスさえとれば国が上手くいくのかといえば、そうとは限らない。バランスばかりにとらわれては、ドラスティックな改革なぞはおそよできるわけもあるまい。

「政治はバランスだ」などいってのけてしれーっとしている輩というのは、所詮平時において既成の組織や秩序のなかでは要領よくいくていく人種なのだろうが、乱世動乱のなかにあっては、そっ首取られてお終いということになりかねない。さもなくば、はたから見ていやしく薄汚く生き延びて行くのだろう。もっとも、本人はバランス感覚で生き延びたと自画自賛にふけるのかもしれないが。

それはさておき、菅の政治パフォーマンスは見え透いてしまっていて、何とも味気ないというかくだらな過ぎる。根性のかけらもみえない。根性にごへいがあるのであtれば気概とでもいおうか。無名の市民運動家から位人臣を極めるまでに成り上がった男も、昇り詰めてどうもすっかり脂っ気が抜けたものか。

もっとも、10月まで最終的な評価は避けるべきかもしれない。来る靖国の秋の例大祭に菅がどう再びパフォーマンスするか。ここで「バランス」を取るか、スルーでいくか。

まず間違いなく後者でああろうが、それこそに後に「毒酒を飲んで渇きを癒す」ということになるかもしれない。菅がかりに総理を辞しても政界で生きていこうと考えるのであれば、スルーではないやり方で首の皮一枚つなげておく方法もあると思うのだが、まあそれもあるまい。

かくして、菅はやがて歴史にその「汚名」を残す。





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