くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

千鳥ヶ淵には行っても靖国には行かないという、菅の見え透いたパフォーマンス

2010年08月18日 | Weblog
千鳥ヶ淵と靖国、まつられている戦没者の数は、比較にならない。

いうまでもなく、後者が圧倒的に多い。

先の大戦に限っても、そうだ。

にもかかわらず、菅首相は千鳥ヶ淵には行き、靖国にはそっぽを向いた。

宗教法人である靖国には行かず、特定の宗教色を有しない千鳥ヶ淵には行く。

いずれにも行かないという選択もあっただろうが、それはそれで批判を受ける。逆にいずれにも行けば、それ以上に批判されるどころの騒ぎではなくなる。どのみち何をしても批判から逃れられないのが政治家であるならば、もっとも批判の少ない選択を採ることを最上とする、という考えからもある。その是非はともかくとして。これを前提にすれば、千鳥ヶ淵を選んだという選択は正しい。

この選択に、菅という人間の個人的なイデオロギー的傾向がどれだけ反映されているかは知るよしもないが、少なくとも政治的な配慮があったことは間違いあるまい。「政治はバランスだ」ともっともらしいことを書いているブログもあるが、それは支持率等の数字を取ることを目的とした場合には確かにそうなのだが、国家運営なり国家指導という点からいえば、バランスというのは、
視点の置きどころしだいではアンバランスとも評価されうるものである以上、では何がバランスなのだということにもなりかねず、バランスさえとれば国が上手くいくのかといえば、そうとは限らない。バランスばかりにとらわれては、ドラスティックな改革なぞはおそよできるわけもあるまい。

「政治はバランスだ」などいってのけてしれーっとしている輩というのは、所詮平時において既成の組織や秩序のなかでは要領よくいくていく人種なのだろうが、乱世動乱のなかにあっては、そっ首取られてお終いということになりかねない。さもなくば、はたから見ていやしく薄汚く生き延びて行くのだろう。もっとも、本人はバランス感覚で生き延びたと自画自賛にふけるのかもしれないが。

それはさておき、菅の政治パフォーマンスは見え透いてしまっていて、何とも味気ないというかくだらな過ぎる。根性のかけらもみえない。根性にごへいがあるのであtれば気概とでもいおうか。無名の市民運動家から位人臣を極めるまでに成り上がった男も、昇り詰めてどうもすっかり脂っ気が抜けたものか。

もっとも、10月まで最終的な評価は避けるべきかもしれない。来る靖国の秋の例大祭に菅がどう再びパフォーマンスするか。ここで「バランス」を取るか、スルーでいくか。

まず間違いなく後者でああろうが、それこそに後に「毒酒を飲んで渇きを癒す」ということになるかもしれない。菅がかりに総理を辞しても政界で生きていこうと考えるのであれば、スルーではないやり方で首の皮一枚つなげておく方法もあると思うのだが、まあそれもあるまい。

かくして、菅はやがて歴史にその「汚名」を残す。





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