くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

民主党反主流派の思惑は、代表戦での勝利にあらず?

2010年08月04日 | Weblog
民主党主流派の菅総理への攻勢が強まっているとのことだが、彼らは本気で代表戦において菅降ろしをするつもりなのだろうか?

どうもそうは思えないのだ。

おおらく代表戦に対抗馬を立ててくるに違いない。しかし、いまのところ名前の上がっている連中、いずれもどう見ても党代表すなわち総理の器ではないか、いろいろとカネ関係で芳しくない噂のある者ばかりである。

しかも、それを信じるか否かはさておき、マスコミの調査では国民の多くは再びの総理交代を望んではいないという。

にもかかわらず果たしてあえて菅降ろしをするであろうか。かりにその結果新たな人物が総理の座に就いたとして、国民世論の支持を得られるとは思えない。むしろ、国民の意思に反して誕生した政権として発足当初から低支持率に苦しめられるのではないだろうか。

ならば、対抗馬を立てるには立てるが本気で勝利を狙うよりも、菅総理自身に自滅してもらった方が得策との判断があってもおかしくはあるまい。今の菅総理を見ている限り、どうも支持率回復を果たすことは難しいように見受けられる。国会論戦でも受身というか低姿勢で、それは党内に対しても変わらない。国民からみればそれは指導力の欠如に見えてしまう。ねじれ国会と党内に相当数の反主流派を抱えている以上、低姿勢を余儀なくされる状況は今後も続くものと思われる。加えて、代表戦で対抗馬を出され、それが行って以上の党内の支持を集めたとなれば、いかに勝利したとはいえ、菅総理の党内での求心力は更に低下し、それが指導力、政権運営の独自色発揮に抑止力として働き、結果、支持率にマイナスの影響を及ぼす。ジリ貧状態のなか、野党の敵失でも発生しないかぎり衆院解散に打って出るという選択も自殺行為以外の何ものではなく、菅政権は行き詰ったまま国民からのソッポ、国会運営の停滞、党内の不協和音の増加のなか、退陣を余儀なくされ。必然的に新たな代表すなわち総理選びという運びとなる。

反主流派からしてみれば、そのときを待てばよいということではないのか。いざとなれば、そのときの自らをめぐる状況いかんでは小沢自らが出馬する可能性も捨てきれまい。海江田あたりが今回出馬するとの向きもあるが、あれは「かませ犬」ということではないのか。本人も自分の「かませ犬」としての役割を理解しつつもその後の論功行賞を見込んでの出馬・敗北ということではないのだろうか。

世界経済の雲行きも不安定である。米国の二番底、今年の秋になくともいずれ来よう。欧州経済は尚のこと不穏である。その他も知れたものではなく、外で何かあれば、日本経済はそれに即影響される。菅政権に適切な対応策を講じる力はあるまい。となれば、ますます「果報は寝て待て」こそが反主流派の今取るるべき選択ではないのだろうか。

民主党支持者ではない私にはどうでも良いことだが、反主流派が党内主導権を回復して、菅周辺の仙石あたりの左巻き、反国家主義者の連中を一網打尽、場合によっては党を割って
政界再編の口火を切るくらいの選択をもって動いてくれればもっけの幸いだと思うのだが。

ちなみに仙石由人、あの男も今が盛りで後はあるまい。いずれ大きな落とし穴があの男を待ち構えているような気がするなあ。あの男には、不幸の臭い、滅びの臭いがする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日本人が稔持すべきこと: 「愛国行進曲」

2010年08月04日 | Weblog
「愛国行進曲」、盧溝橋事件発生間もなくに、国策として作られた一曲である。今時の人はメロディーだけを聞けば、鈴木建設の社歌と思うかもしれない。そう、映画「釣りバカ」で同社の社歌のモチーフにもなっている曲である。

その2番の歌詞は次のようなものである。

起て一系の大君(おおきみ)を
光と永久に頂きて
臣民我等皆共に
御稜威(みいつ)に副はむ大使命
往け八紘(はっこう)を宇(いえ)となし
四海の人を導きて
正しき平和打ち立てむ
理想は花と咲き薫(かお)る

現在ただ今、わが国の将来に向けたビジョンが無い、政治家が国民に国家ビジョンを示せないでいるとの指摘、批判がある。その通りだと思う。冷戦終結この方、この国は向かうべき方向性をいまだ見いだせていない。

しかし、思うのだ。この歌詞は具体的なビジョンとは言わぬまでも今我々日本人が心に持つべきを示しているのではないかと。
政治可が党利党略をめぐる駆け引き、権力闘争に明け暮れているときではない。国民の自己利益の保全・追求のみに汲々としているときではない。母が母たるを捨て一人の女になった姿は、我々日本人の現在ただ今の姿を程度の差こそあれ映し出してはいないか。今日本国民は皇室のもと一つになり、それを守護し奉り、陛下の大御心に沿わんとすべきではないのか。横綱白鵬に示された陛下のお心、日々大内山のうちで祭祀を営まれる陛下のお姿に我々はその思召しを読み取り、それに沿わんとすべきではないのか。

しいては対外的には、日本は四海兄弟、八紘一宇の精神をもって、「道義国家」としての姿を確立し、今世界を、特に東アジアを席巻しつつある覇道に対して「否」を突き付けるべきではないのか。

軍国主義時代の国策歌とレッテルを貼る前に一度聞いて欲しいものである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

相撲協会は大御心に沿うべく粉骨砕身すべし

2010年08月04日 | Weblog
天皇陛下より横綱白鵬へのおねぎらい、横綱自身ならずとも感激せずにはおれまい。

「日本の横綱」への陛下のお心遣い、ただただおそれいるばかりである。たとえ主義者であろうと、アンチ皇室であろうと、あるいは皇室に無関心で敬意を示すことすら知らぬものであろうとも、一視同仁、陛下はすべての国民に御思いを致される。

いやおそらくは、白鵬が「日本の横綱」を自認せずとも、陛下の一視同仁の御姿勢に変わりはなかったはずである。叡慮は八紘を一宇のごとくに思召し、そこにいくばくかの分け隔てもないのではなかろうか。

翻って相撲協会は、陛下の横綱へのお言葉を横綱一人に向けられたものではないと重く受け止め、早急の改革断行、完遂すべし! もしかりに大御心にそぐわぬことになれば、そのときこそ「国技」の看板を自ら下すときと心得よ!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする