くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

臭うな、古賀・そのまんま(東国原)会談、結論先送り

2009年07月07日 | Weblog
古賀先生を寝業師、策士という前提で、以下の通りに推測してみる。

思うように利用できないと分かった自民は、いずれそのまんまの「毒」を抜いてしまう気ではないのか? 毒気がなくなったところで捨てれば良いのだ・・。毒を抜かれたそのまんまなぞ、ただのハゲネズミだ。

本人も、今更芸人に戻っても、大した将来はないことくらい分かっているはずだ。

では、どうやって毒を抜く? 結論先送りも、毒を抜く手段の一つではないのか?
先送りになって困るのは、焦るのはどっちだ?焦って、さあ、どうする、どうなる?

主導権は今、古賀・自民党にあると見るのだが?

さあ、そのまんま、どうする? このまま仮に出馬・国政進出の大望が実現しても、もう後はないぞ。「お前はもう(政治的に)死んでいる」になる。もっとも、「死せる孔明」何とやらとも言ったものだが。

「研ぎ辰の討たれ」という芝居がある。研ぎ師上がりのにわか武士が、敵となり、結局は手玉にとったはずの世間に翻弄されてあえない最期を遂げる。安芸人上がりの政治家が、パフォーマンスで一時は世論を味方にうまくやったものの、最後はその世論に背中を向けられ、あえない最後。自作自演番「そのまんまの討たれ」にならねば良いのだが・・。



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幸福実現党(幸福の科学)に騙されるな!

2009年07月07日 | Weblog
いたずらに恐怖をあおり、そこに漬け込むやり方は、カルト集団の常とう手段である。

それをアニメという手法でやってきたところは目新しいのかもしれないが、所詮は使い古された手口だ。

騙されてはいけない。この胡散臭い奴らに。こいつらは、国を乗っ取ろうとしているにすぎない。あのバカボンの面の元商社マンをこの国の主にしようとしているに過ぎない。

幸福実現党ならぬ、降伏実現党になってしまう。

前にも言ったが、このカルト集団は我が国・国民にとって「悪」である!
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幸福実現党(幸福の科学)に騙されるな!

2009年07月07日 | Weblog
いたずらに恐怖をあおり、そこに漬け込むやり方は、カルト集団の常とう手段である。

それをアニメという手法でやってきたところは目新しいのかもしれないが、所詮は使い古された手口だ。

騙されてはいけない。この胡散臭い奴らに。こいつらは、国を乗っ取ろうとしているにすぎない。あのバカボンの面の元商社マンをこの国の主にしようとしているに過ぎない。

幸福実現党ならぬ、降伏実現党になってしまう。

前にも言ったが、このカルト集団は我が国・国民にとって「悪」である!
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やはり古賀誠は寝業師!?: かくしてそのまんま東こと東国原は策に嵌った

2009年07月07日 | Weblog
先日、古賀誠のことを床下手なんて言いましたが、もしかしたら、やはり寝業師なのかもしれない。

そのまんま東の件だが、実は、古賀氏の真の狙いはそのまんま潰しだったのでは?
そのまんまを調子づかせておいて、こけさせて、自民はおろか民主にとっても利用価値を失くしてしまおうと・・・。

きっと、あわよくば利用しようとしたんだろうけど、会談を繰り返した結果、こりゃダメだということになって、潰しにかかったと。ただし、単に自民との連携の目をつぶしただけではなく、民主にも利用させないようにしたと。「総裁候補」云々なんてのを表沙汰にしたのも、ワザと。案の定、調子に乗ったそのまんまは、自民に一気に傾斜して、民主岡田にはけんもほろろにされた。一方、自民からも反発、世論も反発、で今の状態。今では、言うことすべて、「はあ?」状態。

かくして寝技師、策士、古賀の勝利。古賀も「総裁候補」云々で批判を受けたが、あれくらいの批判なら、肉を切らせて骨を断つレベル。つまり、乗せられたそのまんまは、やり過ぎて、骨を切られたかたち。

以上、私の勝手な推測ですが、そうだったら、そのまんまはホント、頭悪いな。もっとも、もともと番組の空気読めずにカスることが多かったけどね、あの人。どうみても計算ずくのカスリ芸でもなさそうだたから、単なる芸人としての素質の問題? 素質のなさは政治でもいかんなく発揮されたってことかな?

九仞の功をいっきに欠く、というのか何というのか、高転びにこけた?

いやまて、寝業師古賀、もしや、それでもそのまんまを利用しようとするかも?
でも、今度はそのまんまも苦しいから、主導権は古賀に?

そこまで計算づくでそのまんまに近づいた?


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役者の血、役者のニン

2009年07月07日 | Weblog
役者の血というものはスゴイと思った。

ひい爺さんや大伯父の当たり役を演じて、そこに彼らのおもかげを見せる。もっとも、本人もビデオにも残っている大伯父の名演技を研究したのだろうが、それだけで面影から似せることはできまい。後半いささかキャラが変わって雲助らしさが減ったが、演じ続ければ、持ち役、当たり約になるのは間違いあるまい。愛嬌たっぷりだった。芝居の面白さというのは、こういうところにある。だから、世襲があっても良いのだ。


役者のニンとは面白いものである。

ニンの合わぬ役をやることほど役者にとって損なことはない。たとえば、先日TVで見た梅玉の源蔵。あれはまずかった。こんな源蔵があってたまるかというような、大名とは言わないまでも旗本崩れのような源蔵では寺子屋も台無しである。ところが、この人のニンではないだろうと思っていた役が意外によくて、収穫を得るときもある。だから初役というのは、見る側を期待させる。もっとも、観終わって、喜ばせも、ガッカリもさせてくれるのだが・・。
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