くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

沢村田之助(紀伊国屋)は、横審委員も役者も辞めるべし!

2009年07月28日 | Weblog
沢村田之助委員は「白鵬の遅刻? 取り上げるべきことじゃない」

↑、語ったとか。

これが歌舞伎座の舞台だったら、この人間国宝氏、あえて看過できるだろうか?
共演の役者が舞台に穴を開けた。しかも主役をはるような役者が。白鵬の協会挨拶遅刻ってそういうことでしょ? それを、「取り上げるべきことじゃない」なんて言いますか?

客をなめるなよ、役者風情が!、とまでは言わぬが、客商売、人気商売という点では男芸者も役者も同じはず。その御同業が、客に無礼を働いたヤツに対して、問題なしというのか?

人間国宝のくせに、そういう腹積もりで舞台上がってるのか? それとも、人間国宝様だからか?いずれにしても、客をなめた役者だ!

こんなクサレ役者、とっとと舞台を下りたがいい!

でもまあ、どこぞにシッポを振っての発言なんだろうなあ。客商売もある意味「シッポ振り」。つまり役者は舞台で尻尾を振る。人間国宝であろうが、三階であろうが。ということは、いかにも根っからの役者ってか?世間がアンチ朝青龍と見れば、批判的発言をして世間にシッポを振る。そして今回はおそらく相撲協会にシッポを振った?

紀伊国屋、お主も役者よのお・・・。(笑)

でも、シッポ振りだか、幇間役者だか知らないが、「定見」だとかいうものを軽んじられる御仁には、横審を辞めてもらいたいものですな。

くだらないこと言ってる暇あったら、舞台で客をうならせろって!
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千葉二女連れ去り事件:マスコミは「言いっ放し」でいいの?

2009年07月28日 | Weblog
日テレだったか、テレ朝だったか、夕方のニュースでのこと。

千葉二女連れ去り事件の容疑者が那覇で身柄確保された速報に触れて、女性アンカー(小宮某ではなかったと思うので、日テレか?)曰く「警察はウラをかかれたわけですね」。

そんな一言が世間の警察批判につながる。それが「公器」としてのマスメディアの影響力であり、怖さでもある。


でも、「ウラ」はかかれていなかった。実は、警察は沖縄に飛んだことを把握していたのだ。

となれば、件の女性アンカー、おそらく速報に対するその場での思いつきのコメントをして、それが正しくはなかった。

子供のとき、親や教師から教えられなかったか。間違ったことをしたら「ゴメンナサイ」だと?「公器」を使って、「ウソ」を垂れ流したのだ、謝れよ!

ん、ああそっか、マスコ(ゴ)ミ様は無謬だったことを忘れていた!

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北野たけし「世界まる見え!テレビ特捜部」(日テレ)はトランスジェンダーの味方?

2009年07月28日 | Weblog
昨晩の「世界まる見え!テレビ特捜部」、なんなんだあれは?

子供を産んだトランスジェンダーの話。

トランスジェンダーなるものについての医学的説明が正しいのか否かはいざ知らず。つまり、トランスジェンダーなんて、同性愛の亜種みたいなもので、外見は女内面は男、またその逆であるという自己認識、実は、自分が同性愛者であるということを認めたくないだけの、いわばアンチ・ゲイ的な意識の産物であり、その実、所詮トランスジェンダーの外見上男が男性を愛したり、またその逆のケースがあるとすれば、客観的には、所詮同性愛に過ぎない、というわけで「亜種」ではないのかと、個人的には、医学的なるあるいは科学的なるトランスジェンダーへのアプローチに対して以前から疑義を抱いているのだ。

知人(といっても仕事上の面識程度なのだが)にもトランスジェンダー(外見女)がいた。正確には、本人は私がそのことを知ってるとはゆめゆめ思いもすまい。でも、世間は狭い。公道を「同性」と手をつないで歩いていたので、最初は「あれ、レズだったの?道理でボーイッシュなんだ」と思ったものだが、偶然にして彼女(彼)のブログを発見。彼女(彼)の自己認識上は、トランスだったことを知る。

本人としては相当な精神的な葛藤があるそうな。性的なアイデンティティーとそれに明らかに矛盾する肉体的現実。性転換をめぐる思巡といたずらに過ぎていく時間。精神的にも浮き沈みがかなりあることは、ブログの文面や更新頻度からもうかがえる。

親御様は、ジェンダーフリー論では一寸知られたお方。歴史教科書問題等にも首を突っ込まれているお方で、どうやらジェン・フリも含めてイデオロギー的には私とはまったくの対極にあるお方なのだが、その娘御がトランスとは、何とも皮肉というか・・・。親の因果が子の因果というべきか・・。彼女(彼)、ご家族にはカミングアウトしたのかな?

それはさておき、私的には、トランスジェンダーなるもの、到底理解できない。いわゆる「他者への想像力」をかきたてても、理解不可な領域だ。ましてや、トランスジェンダーの妊娠・出産ともなると、これはもうゲテモノ、フリークショーの類
だ。まるで宝塚歌劇を見るほどいたたまれない気持ちになる。逃げてしまいたくなる気持ちとでも言おうか。ただひたすら生理的に耐えられないのだ。(そうか、私が宝塚を(期せずして)見るときに感じる精神的拷問のような感覚とは、このトランスジェンダーを見る感覚だったのだ、と今これをかきながら今更ながらに自分で納得)

トランスジェンダーそれ自体見るに堪えない、造形的な美醜とかではなく、私の内なる部分において耐えがたい感覚をもよおす存在なのだが、それに加えて、女のカダラを持ちながら男としての自己認識を持ち、身体的には女から男になることを選択しながら、子供欲しさに残された女の部分を利用して妊娠するという、この功利性・・・。耐え難いという表現をはるかに超えてしまっている。「(その存在を)知りたくはなかった!」というのが率直なところだ。

異態にして功利性を備えたイキモノ。エイリアンのマザーに感じるものと共通のものがあるなあ・・・。共存したくない、とてもできそうにない存在。

それを上記の番組はヒジョーに肯定的に、同情的に、美談風に取り上げていたのだが、何で? 今の日本はそこまでトランスジェンダーを認知しているか?それとも、「マスコミ様」による「啓蒙活動」とか? あるいは制作側に、トランスが紛れ込んでいる?何であそこまで、トランス側からのアングルで作るかなあ・・・? それが証拠に件のトランス妊婦とその「妻」に対する批判は「悪意」の誹謗・中傷ということになるそうだ。もうこうなると、ほとんど勧善懲悪劇仕立てだ・・。
「誹謗・中傷」する側、つまり批判者側のロジックや道徳的・宗教的背景なんてのは、まったくと言ってよいほど触れられていない。十把一絡げで「悪意」なのだ。

これって、所謂マスゴミお得意の「偏向報道」ってやつでは?

かつてマスコミは、芸人どもの「できちゃった婚(でき婚)」報道を繰り返し、世間から「でき婚」への批判的視点、後ろめたさを完全にではないにしろ麻痺させ、奪っていった。今でも、有名人の結婚報道があるたびに、「妊娠はしていない、ということです」との一言が付け加えられる。これは意図的なモラル崩しの陰謀ではないのか?そうでないとすれば、マスコミとはいかにアンチ・モラルな存在なのか・・・。「既成マスコミは滅ぼさねばならない!」と言わざるをえない。

日テレに、トランスジェンダーとその結婚、妊娠・出産を社会的に認知させようとの策動があるとしたら、これまたおぞましい限りだ。これからトランスジェンダーがらみの報道、番組は他局の番組も合わせて注意深く見ていく必要がある。

さもばくば、「そして、どこかしこに『でき婚』一般人」みたいな状況になったように、「そして、そこかしこにトランスジェンダー夫婦、しかも子持ちの」のごとき状況が社会に蔓延してしまっては、この世も末というか、社会そのものが見世物小屋か、お化け屋敷になり果ててしまう。

誤解のないように言えば、トランスジェンダーをクレンジング(浄化)してしまえ!なんて言っているのではない。それは不可能だ。犯罪者、変態、同性愛同様、トランスジェンダーはいなくならない。ただ、「異種」は所詮「異種」だ。絶対に多数派にはなりえないのだが、社会的影響力だけ、不釣り合いに拡大する場合がある。そういうことだけにはならないようにしなければ・・。


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