個人的には、大連立はもっと早くにやっておくべきであったと思っているが、今となっては仕方がない。
では、森(サメ脳)元首相が含みをもたせたという選挙後の大連立だが、民主の獲得議席数と政権の行方しだいというよりも、むしろ大連立の可能性が高まるとすれば来る選挙の次の時点になるのではないだろうか。
もっとも、大連立を願望する立場なので、希望的観測というものがたぶんに含まれてしまっているので、自分でも「たぶんダメだろうなあ」と思っているのだが。
かりに大連立がなったとしたら、国民に対して期限を切り、期限が来たら総選挙に出るべきである。
ただし、大連立で政治的に何かが達成させる、国民の期待・要望にこたえた政治がおこなわれると期待してはいけない、と思っている。大連立は、政界再編のプロセスに過ぎない、おそらくそうなるだろう。つまり、政治的には対してこれといった成果は上げられないだろう。随分と混乱した大連立で、まさに、寄り合い所帯状態で内輪もめを国民の前に晒すことであろう。しかし、仕方がない、いやそれで良いのかもしれない。今の自民・民主は不純物が多過ぎる。自民は公明と手をきるべきだし、民主はまさに寄り合い所帯だ。双方ともに、純化が必要なのだ。連立はそのためのよい過程になるのではないだろうか。
つまり、大連立の成否は、連立解消後にどのような政党の枠組みができるかというこちによって判断・評価されるべきなのだ。
でも、でも、この国が抱える問題が解消されることはないだろうけど。大連立・政界再編くらいでは、この国は立ち直れない。もっとも、もっと苦しみ抜いて、変えてはいけないものを変えず守りつつ、抜本的に変わらないと。私が自身を保守主義者とみなす理由はここにある。保守すべきを何が何でも保守しつつ、大胆かつ迅速に革する、これが今の今後の日本には必要である。しかし、それを我々が真に理解するにはまだ機が熟していない。