くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

安倍総理の腰砕け

2007年04月21日 | Weblog
靖国あいまい戦術の次は、慰安婦で再び敵の軍門に下った安倍総理。

河野談話などという売国行為を継承する売国内閣を私は支持しません。慰安婦問題は謝る筋合いの問題ではないのです。軍による強制の有無を実証するものがない以上、その点で謝罪など必要なし。安倍総理の言われる広義の責任にしても、それは戦後ないしは今日の価値観から出た責任論でしかない。かりにそうではない、同時代的にも、というのであれば日本だけが責任を追及され、日本のみが謝罪していないとして糾弾されるのは不当である。もし米国ないしは他国が日本の当時の責任を当時の尺度をもってして追及するのであれば、彼らの慰安婦問題や戦争犯罪、人権蹂躙問題も並行して追及すべきだ。自己批判を行うべきなのだ。それをなしに片務的に日本にばかり償いを求めるこの不公正、絶対許してはいけないのに・・・、安倍総理ときたらいともたやすく腰が砕けた。

いただいたコメントに、安倍政権は自民党独裁政権、根っからのファシストというものがありましたが、現政権は公明党との連立政権であり、自民党も公明党とその支持母体である某宗教団体とは切りたくても切れない関係で、独裁なんて大層なものではない。

安倍総理がファシストだとして、私はファシズムを頭から批判するつもりはあるいません、正直言って。危機管理の手段のひとつとして、政治的オプションなんでしょうね。かつて、イタリアのムッソリーニ政権を危機管理政権として支持したではありませんか、ウインストン・チャーチルも、ケネディー大統領のご尊父ジョセフ・ケネディーも、そしてあの非暴力運動のマハートマ・ガンジーも。ファシズムに共通するような側面を持つ戦時体制というのは、先の大戦は民主主義とファシズム・全体主義の戦いだったとほざく国にも存在したのだ。あのキャビネットスタフにメモを取ることも許さなかったという強権4選大統領の国も戦時という非常時には程度の差こそあれそういう側面があったのだ。それを忘れて、ファシズムはけしからんと頭から否定する気には、私はなれない。非常時には非常な体制や手法が必要になる場合もある。その点で政治は柔軟性を欠いてはいけないのだ。

そもそも、安倍総理ってファシストか?ムッソリーニのファシズム論に拠れば、安倍氏がもしファシストを自負しているのであれば、中途半端な腰抜け落第ファシストなんだが?

もう安倍政権はどうでもいい。少しでも期待した私が甘かった。こうなったら、参院選をもって政界再編を期待するしかないのかな?
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春季例大祭、安倍ちゃん行くの行かないの?

2007年04月21日 | Weblog
靖国神社の春季例大祭が始まるが、安倍総理は行くのか、行かないのか?

既に一部新聞報道でも出ていたけれど、たぶん行かないだろう。私はそう見ている。総理が行かないであろう理由は二つ。日中関係と参院選。そしてこの二つはリンクしている。温家宝の訪日まもなくに靖国に行けば、温総理はメンツを失うばかりか、中国政府としても猛反発するだろう。仮にそうしたくなくても、そうせざるをえまい。同時に日本国内でも騒ぐ分子がいるだろうし、そうした輩の声を大きく取り上げるのが我が国のマスコミという奴らだから、それに世論は左右される。世論が安部けしからんという方向性に向けば、参院選は大丈夫かと疑心暗鬼になるばかりか安倍批判を口にする連中が自民党内、政府与党内に出てくるであろう。かくして、安倍総理の靖国参拝は、日中関係と参院選を否応なくリンクさせる。

加えて近頃所謂「従軍慰安婦問題」で議会の一部やマスコミが騒いでいる米国とのこともある。慰安婦に靖国が加われば、NYTをはじめとしたマスコミなんかは更に反日のボルテージをあげるだろう。となれば、米国政府も、ブッシュ政権も安倍訪米をひかえて対応に苦慮するし、それよりも何よりも、安倍政権が対米ということで苦慮するだろう。

だから靖国に行かない?行くべきではない?

私は少しもそうは思わない。日中関係、参院選、対米関係、いずれを考慮に入れても行かないことが妥当な判断だとも決して思わない。

日中関係でいえば、総理が靖国に行こうが行かまいが、歴史カードというものは今後も日中関係において中国の「道具箱」の中にあり続ける。温のあの説教じみたというか国会演説みればすぐわかる。歴史を鑑にってことは、日中関係は今後も歴史のくびきに置かれるってことに他ならない。それにしても、よくあの演説を黙って聞いてられたものだね。途中退場した政治家いなかったの?何が2000年来の友好だ? 2000年来、他国を蕃国視、属国視しておきながら、友好だとは片はら痛い。孫文のあの有名な大アジア主義演説もそうだが、中華思想への批判なしに、日中関係を友好の歴史、あるいは兄弟関係になぞらえる。この自己批判のない誤謬だらけの歴史認識こそ、正さねばならないのであって、それさえしない、いやできない相手に歴史を鑑になどとは言われたくはないものだ。説教強盗に説教されるようなものではないか?


話がそれたが、ここで対中関係改善に配慮して靖国を引っ込めれば、引き続き中国にとって歴史カードが有効であることを示すようなものだ。では安倍総理が行ったらどうなのか?やはり中国は歴史、歴史!で騒ぎ立て、対日非難を声高にぶちあげるであろう。結局、靖国の問題にしろ、歴史にしろ、「引っ込める」イコール問題解決にはならない。「引っ込める」イコール対中譲歩でしかなく、問題を引っ込め、棚上げにした結果出し抜かれて今があるのが、尖閣問題であり、ガス田の問題ではないのか?それに今年は7の付く年。もういろいろと歴史がらみで動いているでしょ、中国は。こちらが引っ込めて譲歩しても、向こうは引っ込まないということなのだ。譲歩などしないということなのだ。

要は歴史問題、今までの無為無策が痛いところだが、ここで断固としないともう押され続けるだけだ。押されても背後がまだずっと地続きならよいが、そうとは限らない。


では参院選はどうする? 中国に譲歩せず、中国の反発を顧みず参拝して、勝てるのか?安倍政権は持つのか? 負けてもいいではないか? 確かに負けようによっては今後の政権運営、国会運営は難しくなるが、結局は衆院での優位があることを忘れてはいけない。それにそもそも負けて当たり前の選挙、議席を減らして当然の選挙なのだ、与党にとっては。美空ひばりの歌ではないが、「勝つと思うな」であり、「負けてもともと」の選挙。要は負け過ぎないにこしたことはない、という程度が与党の目標でよいではないか。負けて倒閣ってことにもなるまいよ。倒閣とあいなって誰ぞが総理・総裁になったところで、政局・国会運営が困難なことには変わりないはずだ。今安倍を倒すメリットってありますかね。下手すれば政界再編含みで総理総裁のイスもへったくれもなくなるかもしれない。参院選への靖国参拝インパクトなんてものに臆病になる必要はない、と思いますぞ、安倍総理。

それから対米関係。以前に「これぞ好機」ってタイトルで慰安婦問題について書こうとしていてそれっきりになっていたが、米国との間の歴史問題というのも、いつまでも封印しておくのは無理というものなのだ。日中関係が、おおよそ江沢民のあの素人丸出し外交で日本世論の反発を買って以来、日中の歴史認識のズレというものへ封印が解かれて、箍が外れてしまったようなところがある。ネットの発達・普及がそれを更に助長したとも言える。日米関係にしても、歴史認識のズレは封印されてきた。ペリー以来の日米関係をめぐる評価、日米開戦をめぐる評価、原爆・空襲をめぐる評価等々、シリアスな認識のズレがあるにもかかわらず、そこについてはあえて触れてこなかった。というか、日本側が敗者という立場もあり、あえてアメリカの主張するところの歴史解釈に異議を唱えてこなかったというべきであろう。しかし、それもいつまでも続くものだろうか。どこかで封印解いて適度にガス抜きをしないことには。もっとも、歴史認識の差異については、アメリカの日本研究者たちの無作為が批判されてしかるべきだなのだが、実は彼らに今後日米歴史認識において日本にとって好ましい動きを期待しない方がいい、しても無駄というのが、筆者の見立てである。アメリカの日本研究者、中国研究者などいわゆる東アジア専門家たち、研究者にあるまじく、米国の官製歴史認識の信奉者が結構多いのだ。中にはハルノートを読み上げて、米国人の学生に、「君たちが日本人なら、この要求をのめるか?」と問いかける大学教員もいないではないが、そんな人でも、総じて近代日本の対外政策、特にアジア政策には手厳しい。手厳しいというよりも偏っているのだ。事実、中国や韓国の対日歴史認識と米国人のそれとの間には共通点が多い。

ではどうする? 米国内の日本研究者に期待薄である以上、我々日本人が何とかするしか、口を開くしかない。

そんなことをすれば日米関係を歴史問題の泥沼に落とし入れ、中国を利するだけ。北鮮を利するだけ? そもそも歴史認識なんて各国異なるのだから、それを外交問題化すること自体異常なのだ。その以上を恒常化させてしまったのは、我々が中国などに良い思いをさせてしまってきたからに他ならない。手段を選ばず、これは大陸人に限らずのことだ。ただ、日米関係のように、一方的が他方の相手の言い分なり解釈に唯唯諾諾と押し黙り続けるというのは、いびつだ。そのいびつさが生じる「ガス」はどこかで抜いてやらねばならないが、中国の更なる強大化という前提で思考するならば、そのガス抜きの次期は早いにこしたことはない。中国がさらに強大化した後になって、日米関係をぎくしゃくさせては、相手を利するだけになる。一時的な対米関係の困難は生じても、むしろ多様な主張を受け入れる柔軟さが米国にはあり、民主・人権という点に我が国の対外戦略の軸を置き、その点で米国と価値観を共有しているのだ、という点をうまく「演出」できれば、歴史認識の差異は、大同小異ということで、かすんでいくはずだ。

ただ、そのための問題点が一点。それは我が国の英語での発信力の弱さ。対外宣伝、情報戦略の心もとなさである。先月、慰安婦問題をめぐるLAタイムズ記事にかみついたロス総領事、あるいはかつてアイリス・チャンとTV討論という無謀にして愚かな戦を試みた斉藤某駐米大使(当時)の戦い方の稚拙を見れば、我が国がかかえる重大な欠損がわかる。ここを何とかせねば、世界や米国の耳には届かないのだが・・。

安倍総理、今回行かずに何時行くのですか? 終戦記念日、それとも秋の例大祭?春は行かないけど、秋は行く? 胡錦濤国家主席に来てもらえないから行けない?別に来なくていいじゃないですか、今回の温家宝の訪日のようにしたい放題されるくらいなら?もっとも、そうさせたあなたもいけないのですよ、安倍総理。今のままでは、あなたは相手にとって組みやすい相手でしかない。もっと対話のできるタフネゴシエイター にならなければ・・・。


付記 ところで温家宝の演説を受けた扇参院議長の答礼演説、あれは扇女史の意趣返しだったのか? それとも事前準備の原稿をそのまま読んだだけで、温家宝の「読み飛ばし」に即応できなかっただけなのか? もし前者だとしたら、天晴な方ですね。でも、もし意趣返しだったのなら、もう少しはっきりやってほしかったですね、「前もっていただいておりました温総理の演説原稿にありました・・・」と一言付け加えて。それえくらいやってもバチあたらないし、それくらいやらないとダメですよ、あの大陸人というのは。
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「産む機械」ならまだしも「産むだけの機械」

2007年04月21日 | Weblog
「バカ親」の続編。

先日の柳沢厚相の「産む機械」発言。私も柳沢氏の政治脳の小ささを非難したが、授業参観やPTAで声をひそめることもなくペラペラ、くちゃくちゃの母親どもを思い出して、こりゃヒトであっても、人間ではないなあと思ってみる。「産む生き物」か、まさに柳沢氏曰くの「産む機械」だ、ありゃ。

いや、「産むだけの機械」なのかもしれない。産んで満足に育てていないもの。授業参観で自分や他人様の子供の背後で状況を憚らずしゃべり続ける「機械」たち。それを見た子供はどう考えます。「なんちゅう大人たちだ!」と思う子もいるかもしれないけれど、中には「あれOKなんだ」と思ってしまう子もいるだろう。特にその「機械」たちの「製造物」たちは、まだ幼い。中学生とか高校生のように親をある種客観的かつ批判的に見る年ごろではない。親、教師は相当に絶対的な存在として眼に映る年齢だ。その子らを前にしてあのようなマナー違反の常識外れをするということは、子供を育てていない、100%譲ったとして、育てているとして十分ではないし、適正な育て方ではない。つまり、産んだあとは、放ったらかしか、それに近い状態。

「産むだけの機械」しかも、その機械自体が良質でないときているものだから、当然のことながら生産された「モノ」も良かろうはずがない。

しかもその無印不良品「機械」のメンテと「製造物」のQCが十分にできていないことがことを更に悪化させる。すなわち、家庭における夫、父親のプレゼンスの少なさ。中には「機械」の尻に敷かれてしまってチャップリンの映画状態の夫たちも。
「機械」に自家製の油さして、自家製の原材料放り込んで、それでおしまいかい、夫、父親の役目って? 

「産むだけの機械」に生産設備の管理やアフターケアが全然ダメな製造者。親にもPL法適用が必要かもしれない。犯罪者の親も何らかの処罰受けるとか。非行や問題行動に走った子供の親は何らかの罰則を受けるとかね。被害者への損害賠償も含めて。世が世なら、一族に凶状持ちを出せば、社会的な制裁を受け大変なことになり、反逆者や謀反人ともなれば豊臣秀次の例に見るまでもなく、族滅なんてことにもなる。前近代のむごい話と思っていたが、「産むだけの機械」たちが引き起こす負の連鎖反応の可能性と怖さを考えると、家族・血縁つながりの連座制って、結構合理的な考え方かもしれないなあと思ってもみるのだ。

血とか家系、家柄って怖いってことなんだな、要は。犬や猫や馬の場合は、血統というものを大ぴらに語るくせに、ヒトの場合はそれはタブー。「お前のところは兄貴もバカだった。血が悪いんだ!」などとテープにとられているとも知らずほざいた教師が昔いたが、それは現実問題問題にならないはずがない。一国の指導者が血の優劣をを平気でのたまうことができるのは、私が知っている限りではシンガポールくらいじゃないかな? ただ、結構皆さん、心のうちではそれに近いこと思ってるんじゃない?そして、それって結構正しいと思うんだけどねえ・・・。細木先生がよく、占いは統計学っていうけれど、統計的な裏付け結構取れちゃったりしてね。例えば東大生の家計とか家柄とか見たら、代々東大出なんてことあるでしょ?あれ偶然とは言い切れないよね。血と長年によって培われてきた家系・家柄が能力を形成する、ってあるんじゃない? 

ならば、社会的に有害な結果をもたらす危険性が否定できない「産むだけの機械」やその管理者、製造物に対して社会は、何らかの予防措置取らないに越したことないかもよ?、などと極論なんだろうけど、憲法的にもそれはできない話でもあるし。それになんたって、そんな予防措置法みたいなのができたら、私もその対象者だね、血も家系も家柄も、下々の下々たるド平民だから。
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