くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

関東学院大学林博史教授への質問: 所謂「従軍慰安婦」問題をめぐって

2007年04月15日 | Weblog
15日付朝日新聞に「強制連行を示す調書、東京裁判に各国検察提出」の記事。

まさにタイトル通りの内容なのだが、この資料の所在を確認したのが、関東学院大学の林博史氏である。

氏いわく、「これらは各国が作成した公文書であり、判決でも強制したことが事実認定されている。サンフランシスコ平和条約で戦犯裁判を受諾した日本には、これらの文書の意味は無視できないだろう」とのこと。

確かにそうだ。それらの資料は公文書である。しかしながら、

公文書=その内容はすべて真実、と言い切れるのか?
東京裁判の判決=すべて事実に即して出された妥当な判決と言えるのか?

という疑問を呈せざるをえない。公文書がすべからく真実を語る資料であるなどとは、よほどおめでたいお人好しでもないかぎり信じまいし、東京裁判で主張されたところの共同謀議なるものが、実証史学の検証で耐えうるもあのではないことは、歴史家の林教授に向かって言うのは釈迦に何とやらであろう。

それ以上に私が林教授のコメントを難しい!と感じるのは、「サンフランシスコ平和条約で戦犯裁判を受諾した日本には、これらの文書の意味は無視できないだろう」というくだりである。 一体その「意味」とは何なのだろうか?朝日の読者のほとんどはパンピー(死語?)なのだから、そうした曖昧な言い方はせずに、もっと具体的に語ってもらいたいものだ。少なくとも頭の悪い私には教授が何をおっしゃりたいのかさぱりわからない(もっともカンサンジュン先生の横文字を織り交ぜた不可思議な言説よりかはましだが)。従軍慰安婦問題における強制性の有無の問題をめぐっては、政府としては、確かに教授のコメントの通り、国際法たる平和条約との絡みもあり無視できないものなのであろう。また政府でなくとも、特に歴史研究家にとって、この資料の存在を看過できるものではあるまい。ただし、繰り返しになるが、この資料が真実の「証言者」であると断定するには現時点では拙速であるはずだ。東京裁判を含め戦後各地で行われた軍事裁判に公正性という点から見て幾多の問題があったことが指摘されている以上、教授も歴史家としてそのことを無視するはずはあるまいし、であればあこそ各国検察が東京裁判に提出したこの「証拠」資料なるものが、果たして実証に耐えうる真実を含むものなのか否かについて解明することこそ、まさに林教授を含めた歴史家のなすべき仕事ではないのか?その部分の作業過程を経ていない現段階で、さあ資料が出てきたぞ、これが真実なのだなどと結論付けるおっちょこちょいなどいはしまい(いるかな?)。いたら、豆腐の角に頭ぶつけた方がいいのだが、林先生、まさか無視できない「意味」というのも、このことではないですよね。まさかね・・・。
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