くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

綸言汗の如し その2

2007年04月27日 | Weblog
昨年、所謂富田メモなるものに関する報道により、靖国神社への所謂「A級戦犯」の合祀に対する先帝陛下の叡慮あるいは大御心"思われるもの"が公になった。

その結果、先帝陛下の思し召しなるものを恃みに、A級戦犯の分祀を主張する向きもあれば、富田メモの史料的信頼性を問う声もまたあり、更には、ネット上では選先帝に失望したなどという声まで上がった。

私は、専門家ではないので、あるいは所謂アーキビストではないので、富田メモが先帝の思し召しをどこまで正確に伝えているか判断する術を持たない。すなわち、メモの史料的な価値を云々する立場にはない。

但し、富田メモの内容は決して驚愕すべきものではないと考えている。メモによれば合祀されたA級戦犯のうち、松岡外相と白鳥駐伊大使の具体的な名前は挙げられているが、先帝がこの二人の「英霊」としての合祀に抵抗感を持たれたとして、昭和史を若干でもかじったものならば驚くことではないはずだ。独伊との軍事同盟をめぐる問題で、二人は積極推進派であったのに対して、先帝はその対極にいらしたのであるからして、我が意に添わず三国同盟を推し進め、結果、国運を未曽有の難局に追い込んだ者を「英霊」として親拝することを忌避されたとして不思議ではあるまい。

名前こそ出てこなかったが、もしや先帝陛下、板垣あたりにも抵抗感をお持ちだったのではあるまいかと推察するが、私のような下々の最たる者が、叡慮を詮索するは僭越至極、不敬の極みというものだ。

この富田メモをもって、「さあA級戦犯分祀だ!」と息巻くのはいいが、上記のごとくそこには一部の個人名しか出てこず、先帝がA級戦犯全員の合祀を疑問視されていたとは断定できないのではないのか。

そのことは、今回の卜部日記にも言えることではないのか。

それはさておき、それにしても、卜部侍従の所業に、不快を覚えるのは私だけであろうか。以前の入江日記もそうだが、叡慮のお側に身を置く者どもが、勝手に見聞したことを他言ないしは暴露するというのはいかがなものであろうか、君臣の関係において、果たして妥当のこととは到底思えない。戦前ならともかくも、戦後の」象徴天皇制の下にあっては天皇と侍従の関係はもはや君臣のそれではなく、天皇が公的存在である以上は、侍従によって記された天皇の姿は公にされるべきものということか。あるいは、歴史学的な学問的な重要性において意義ある行為と自己評価してのことなのか。私的には、学問的な価値や意義が「錦の御旗」よろしく大手を振ることに、学問ないしは研究というものがそんなに偉いかといいたくなる。研究者・学者という連中が上から下に世の中や自身の研究対象を見ているのではないかとすら思えてくる。侍従の方々もどういうつもりだったかは知らないが、こっそり記録して観察対象の死後になって暴露するというのは、あまり品のよろしいことではないとしか思えぬのだが。もっとも、先帝陛下の御許しのもとで記しかつ公開したというのなら話は別だが。

閑話休題。

続く。
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安倍政権は倒されねばならない!

2007年04月27日 | Weblog
カルタゴは滅ぼされねばならない。大カトーは演説の終わりをこの言葉で締めくくったというが、私はここで言いたい。

安倍政権は倒されねばならない!、と。

なぜか? 今回の訪米ののっけからいたく国益を損ない我が国の体面を傷つけたからである。

つまり慰安婦問題での「謝罪」である。

慰安婦が辛酸をなめた? 確かにどうかもしれない。売春の世界をこの世の苦界とも呼んだことからして、身をひさぐことの辛さは筆舌に尽くしがたいものがあるに違いない。

ただ、だからと言ってなぜ謝罪なのか。インドネシアの旧宗主国オランダの女王ないし首相が、「からゆきさん」に申し訳なく思うと「謝罪」を求めるバカがどこにいるというのだ。

米国大統領が、終戦後我が国に設置された進駐軍向け「慰安所」に関して、「辛酸をなめた方々に申し訳なく思う」などと言うであろうか?あるいは元パンパンの皆様、ご苦労をお察し申し上げ、米国元首並びに軍最高司令官としてお詫び申し上げるとでも?

米国を含め西洋列国の指導者が、我が国に対して、かつての横浜等外国人居留地での買春行為を我が国に謝罪したとも聞かない。

もっとも、中には、いや米国に限らず我が国と同じような経験を持つ国々はすべからく謝罪すべきであり、他国が謝罪しないからと言って我が国もそうしなくてもよいということにはならない、などという考えもあるのかもしれない。

しかし、少なくとも当時と今では我が国の法制度を含めて売春をめぐる環境ないし認識はずいぶんと異なるものがある。当時、我が国の法制化にあって、売春は合法であり、また売春というものは合法・非合法を問わず、個人の商行為に過ぎない。

安倍総理自身が言った「狭義の強制」、これ自体間抜けなことを言ったものだと思うのだが、つまり政府ないしは軍の慰安婦集めへの関与を実証する確たる証拠も無い段階で、そうした個人間の商行為に対して国家が謝罪するなどというバカげた話があってよいものか?


しかも、なぜアメリカで謝罪なのだ。米国はこの慰安婦問題とは無関係のはずだ。関係のない国で謝罪をする。安倍総理、ご乱心か?

いや、乱心しているわけではないのだ。米国下院での慰安婦決議阻止と米マスコミの日本非難を沈静化させようとの狙いだとか。

乱心はしていなくても、学習能力は無いらしい。そのあたりは元家庭教師の平沢衆院議員に聞いてみるしかあるまいけども、これまで歴史問題で我が国政府が何度となく事態の沈静化を図るべく、謝罪めいた言葉や自分たちに非があるような発言や対応を取ってきたことを、安倍総理はご記憶にないのか? 昭和57年の教科書問題しかり、河野官房長官談話しかり。

だが、その結果、事態は果たして沈静化したのか? そうではないではないか?歴史教科書のありもしなかった文部省による検定を通しての記述内容の「歪曲」は、いまだにあったということで内外に広く認識されているではないか。河野官房長官談話に関しては今更何もいうまい。

歴史問題で、その場しのぎで安易に妥協したり、矛を収めて、うまくいった試しがないのだ。

今回も、一部報道によれば、安倍発言があったからと言ってマイク・ホンダらは対日非難の攻撃の手を緩める気はないというではないか。あくまでも日本政府の公式謝罪を要求すると。

どこぞの国は、今回の安倍総理の対応を見て、歴史カードの有効性を再確認しているのではないだろうか。先日の某指導者の国会演説にしても、歴史問題は今後一切持ち出さない、歴史カードは一切切らないとは一言も言っていないどころか、むしろ内容的にはその逆。日中関係は「過去」によって規定されるべきであると明言しているに等しい内容であったではないか。

歴史で飯は食えない。もっといえば、歴史で自己の主張を貫いたところで腹の足しにはならない。たしかにそうだ。だが、歴史問題をめぐる歴代政権や政治家たちの杜撰かつ浅はかな対応の結果、国際社会における我が国の体面を大きく損ね、その結果さまざまな側面において我が国が不利益をこうむってきているという事実を直視せねばなるまい。対中ODAなどその好例ではないか。歴史問題でのいたずらな妥協や、歴史事実を無視した過度な贖罪意識がなければ、あれだけの援助を続けることはなかったはずだ。中国側は日本からの援助には賠償性があると公言しているではないか。そしてそのODAが中国という決して親日的ではない国家の勃興の一助となってきたのだ。これを国益を損ねる行為、国を危うくする行為といわずして何と言おうやである。

私は、安倍政権をして売国・亡国政権と呼ばずばなるまいとさえ思っている。

再度言おう。安倍政権は倒されねばならない!
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