くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

代理母って・・・単なる悪あがきだわな

2007年04月19日 | Weblog
人間、分際をわきまえないとね。というか、分際をわきまえてなさ過ぎですな、最近は。言い方かえれば、自分の置かれた境遇というか、自分を取り巻く所与の条件みたいなものに悪あがきし過ぎなのだ。もっと言い方を変えれば、自分の欲望・願望丸出し。ぜんぜん抑えが効かない。

某女性芸能人のMさん(ところであの人の芸能人でのカテゴリーって何なんだ?昔から疑問に思ってたのだがとプロレスラーTさんの子供も問題もそうだ。子宮頸がんになり、子供をあきらめた経緯はお気の毒としか言いようがない。というか、無事二人の子供を授かった私なぞには、想像の附かぬ悲しみと苦しみであった)あるに違いない。

だからと言って、代理母はいただけませんな。

子宮が無い=子供を産めない、これはもう現実として受け止めていくしかないでsじょ? 自分の欲望、子が欲しい、親になりたいという欲望を満たすためには、手段を構わず、なりふり構わずですか? それで子供を得たとして、親になれますか?子供をまっとうに育てられますか?目的のためには手段を選ばぬことに躊躇しない倫理感しか持ちあわせていない人間に育てられた子供がまともに、世間様に迷惑をかけない人間(これって重要でしょ!)に育ちますかね? トンビが鷹を産むこともある?確かにありますけど、そんなのレアなケースであって、一般論かすべきものではない。

少子化の昨今、代理母のぜひなどに拘っている場合ではない? これまた、手段を選ばぬ同じ穴の狢の言い分。

結局、上述の芸能人とレスラーの子供の件だって、最高裁判決が出てしまって、一番お気の毒なのはその夫婦ではなくて、子供ではないの? 無謀なことをしたものだから、親の因果を子供が重荷として背負わされてしまって・・・、罪だわな。私も人のことは言えんばいんだけどね、子供には罪なことしてしまったからね。

子供が産めない体になってしまったのなら、その現実に正面から向き合ったうえでどう生きていきか、それができなかったのだね。そしてその結果が・・。

人間もって生まれた分際はあるからね。親や家系、家柄は選べないし、性別も選べない。親も生まれてくる子をオーダーメードできないからね。イケメンになるべくして生まれることもあれば、不細工になるべくして生まれてくる。すべて分際なのだ、それをそれとして受け止めて生きていくしかない。

それができない人間多過ぎなんだよなあ、ほんと。

個人を強調し過ぎたせいもあるんだろうね、ここ数十年。もっとも、その反面、日本は個人を軽んじるというか大切にしなさ過ぎなところもあるけどね、別の部分で。

コメント
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