チャチャヤン気分

《ヘリコニア談話室》後継ブログ

地獄に堕ちた勇者ども

2008年10月01日 22時50分07秒 | 映画
ルキノ・ヴィスコンティ『地獄に堕ちた勇者ども』(69)

 ナチス勃興期、「国会焼き討ち」事件から「SA血の粛清」事件にかけての突撃隊(SA)、親衛隊(SS)、陸軍の3者鼎立に巻き込まれるかたちで、(クルップがモデルなのでしょうか)鉄鋼王国の経営者一族エッセンベルク家の人々が、君臨していた家父長老ヨアヒムの殺害後、互いの後ろ盾の代理戦争のように抗争し、滅んでいく……。そんな、まさに神々の黄昏(本作の原題)にも比すべき、血の澱みきった旧家の、壮大なるお家騒動が、いかにもヴィスコンティらしいデカダンな雰囲気のなかに活写されています。蓋しドイツ版横溝正史の世界かも。

 とにかく一族の者たちは(殆ど)すべて普通ではありません。といっては語弊がある。どの人物も紙切り細工ではない、ひと言では割切り得べくもない、一種デモーニッシュな(まさに地獄に堕ちた者たち)、相矛盾する複雑な厚みを備えているのです。ここが横正とは違うところで、その派手派手な舞台装置と相俟って、三島由紀夫が絶賛したというのも納得できます。

 DVDの付録のヴィスコンティのインタビュー(?)で、ヴィスコンティは、69年時点でこの映画を作った動機として、ナチス時代を示すもの(人や風景という意味でしょうか)がなくなってしまわないうちにピンナップしておきたかった(大意)と語っています。
 本篇を観れば、当時のドイツを覆っていた、いわば時代のムードとでもいうべき何かが、確かに伝わってきます。それはいうなれば、強制される四角い「正統」や「公序」の「皮」を一皮捲ってみれば、その下は、すべて小暗い、無定形な欲動(リビドー)で膨れ上がっていて、噴出する寸前で脈動している――といった体の幻像で、そんな切羽詰った思いに、観客をして駆り立てる力にみちた作品でした。
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