H・P・ラヴクラフト他『怪奇幻想小説シリーズウィアード3』大瀧啓裕編(青心社文庫90)
先に読んできた2冊は、おそらくは編者が腕によりをかけて<ウィアードテールズ>から選りすぐった、いわば「どこに出しても恥かしくない(笑)」傑作群が収録されているようです。シリーズも第3巻にいたって、ようやく(そういう作品も出し尽くしたのか)、しだいにいかにもパルプマガジンらしい(?)作品が雑じってきました。つまりある意味扇情的であったりグログロであったり、要するに「バッチイ(?)」感じをぷんぷんさせているあからさまな小説群ですね。
H・P・ラヴクラフト「壁のなかの鼠」大瀧啓裕訳(24)
著者には珍しくイギリスが舞台。主人公の祖先である第11代イグザム男爵ウォルター・ド・ラ・ポーア(名前からしてノルマン領主ですね)は居館で係累を皆殺しにした嫌疑を晴らしもせずヴァージニアへと逃れ、その地で一家をなす。それが1世紀を経る頃にはディラポア家として知られるようになっている。主人公のディラポア家当主は跡継ぎの息子を第一次大戦で失いディアポラ家は主人公の代で断絶することとなる。そこで主人公は一念発起し大戦中に息子の同僚であった友人が奇しくもイグザムの地を管理している家のものであったことから、旧所領を買い取り、廃墟と化していたイグザム小修道院を改築し移り住む。ところが夜な夜な鼠の大群が壁の中を上から下に向かって走る音を不審に感じ、調べるとからくり扉が発見され、その向こうには広大な――有史以前の古きものに通ずる――地下空間が隠されていた……
ラストは例によって曖昧模糊としており不満。設定は申し分ないのに(ーー;
クラーク・アシュトン・スミス「柳のある山水画」大瀧啓裕訳(39)
『イルーニュの巨人』所収の「柳のある風景」と同作品。
ロバート・アーヴィン・ハワード 「夜の末裔」三宅初江訳(31)
著者のよく使う手で、現代の主人公が、何らかの理由で古代の先祖につかのま一体化する話。これはもう著者の人種差別感がもろに出ていますね。バッチイ(^^;。 ピクト人以前にいたとされる矮人種――モンゴル族ではありえないとあらかじめエクスキューズされていますが――モンゴル系黄色人種の特徴を極端に歪曲強調しているとしか思えません。もっとも著者は白人と敵対するときのピクト人は極端に差別的に描くのですが、そのピクトを主人公にして描く作品もある。プロットの要請にしたがって書き分けており、実は冷静な人種観を持っているような気もしないではない。本篇もその伝でとらえることが可能で、古代から現代に戻った主人公の狂気の所業から、友人たちは当の標的となった人物を逃がすように行動し、主人公は監禁されてしまう。むしろ<ウィアードテールズ>の「主要」読者層に阿った筆法だったのではないでしょうか。
マンリイ・ウェイド・ウェルマン「謎の羊皮紙」大瀧啓裕訳(37)
よく出来たショートショート。発売日でもないのに<ウィアードテールズ>を売りに来た老人から購入した当の雑誌には、古い羊皮紙が挟み込まれてあり、そこにはアラビア語が書き込まれていたのだが、ひと言だけギリシア文字で書かれていて、それは「ネクロノミコン」と読めた……
デイヴィッド・H・ケラー 「地下室になにが」若林玲子訳(32)
11ページのショートショートなのだが形式が面白かった。
小さな家に不釣合いな地下室があって台所と扉で繋がっている。どうやら地下室の地上部分にあった館がなくなった後に小さな家を建てて地下室と繋いだらしい。誰もその地下室の奥のほうまで検分していないという設定。
その家を買った夫婦に赤ちゃんが出来る。この赤ちゃんが異様に地下室を怖がり、少年になっても治らない。親が精神科医の見せると、逆療法で地下室の扉を閉まらなくして台所にしばらく閉じ込めたら、その恐怖が何の根拠もないものだと判るだろうとの診断。で、親がそれを実行し、子供を閉じ込めると……
という話。読者の方は(とりわけウィアードテールズの読者は)、地下室に古き何かがいて、赤ちゃんの鋭敏な感覚がそれを捉えているんだろうと先回りして気づいているわけです。知らないのは作中の両親と精神科医だけ(^^;
そして、何かが起こるのですが、精神科医が逆療法と言い出した瞬間に読者はラストを予想して戦慄しているわけです。で、そのラストに向かって粛々とストーリーが進んでいく。この間のサスペンスが本篇の肝。
これって映画やドラマの常套手段ですが、ショートショートでは珍しいのではないか。ふつうはラストでオチがついて、気がつかなかった真相に読者が気づいてアッと驚く、という展開ですよね。
この(オチショートショートとは逆の)進め方が面白かった。
本篇では(ウィアードテールズですし)最後まで(残虐にも)描写されてしまうのですが、ショートショートにこだわるならば精神科医がこうしましょう、というところで終わらせるのも手ではないでしょうか。どうでしょうか(^^;
シーベリイ・クイン「奇妙な中断」大瀧啓裕訳(36)
本篇もバッチイ話。主人公は去勢され(次第に女性化していき)、恋人は主人公の目前で犯される。これでもかというパルプマガジン的残虐描写が続いて、知的な読者は目を回してしまいますが、下世話に面白いのは間違いありません。私は一気に読んでしまいました(^^;
ミンドレット・ロード「裸の貴婦人」児玉喜子訳(34)
編者は「洒落た佳品」としますが、どこが?(笑)
これこそ読者の窃視趣味に迎合したバッチイ佳作です。
オーガスト・ダーレス「吹雪の夜」大島令子訳(39)
雪の山荘もの。毎年、雪が積もるとあらわれる人影。かなりストーリー的に無理がある。
ハネス・ボク「邪悪な人形」河原ゆかり訳(42)
わら人形(蝋人形ですが)の呪法に対抗する白魔術がユニークで面白い。
オスカー・クック「特別料理」植木和美訳(30)
陰惨なトールテール。
ジャック・スノー「夜の翼」大瀧啓裕訳(27)
ファンタジックなショートショート。それ以上でも以下でもない。
ソープ・マクラスキイ「六〇七号室の女」河原ゆかり訳(37)
展開に無理があるのだが、下品で面白い。実際のところ<ウィアードテールズ>(のみならずパルプ誌一般)の誌面を飾った作品の大半はこの手の話だったんでしょうね(^^ゞ
先に読んできた2冊は、おそらくは編者が腕によりをかけて<ウィアードテールズ>から選りすぐった、いわば「どこに出しても恥かしくない(笑)」傑作群が収録されているようです。シリーズも第3巻にいたって、ようやく(そういう作品も出し尽くしたのか)、しだいにいかにもパルプマガジンらしい(?)作品が雑じってきました。つまりある意味扇情的であったりグログロであったり、要するに「バッチイ(?)」感じをぷんぷんさせているあからさまな小説群ですね。
H・P・ラヴクラフト「壁のなかの鼠」大瀧啓裕訳(24)
著者には珍しくイギリスが舞台。主人公の祖先である第11代イグザム男爵ウォルター・ド・ラ・ポーア(名前からしてノルマン領主ですね)は居館で係累を皆殺しにした嫌疑を晴らしもせずヴァージニアへと逃れ、その地で一家をなす。それが1世紀を経る頃にはディラポア家として知られるようになっている。主人公のディラポア家当主は跡継ぎの息子を第一次大戦で失いディアポラ家は主人公の代で断絶することとなる。そこで主人公は一念発起し大戦中に息子の同僚であった友人が奇しくもイグザムの地を管理している家のものであったことから、旧所領を買い取り、廃墟と化していたイグザム小修道院を改築し移り住む。ところが夜な夜な鼠の大群が壁の中を上から下に向かって走る音を不審に感じ、調べるとからくり扉が発見され、その向こうには広大な――有史以前の古きものに通ずる――地下空間が隠されていた……
ラストは例によって曖昧模糊としており不満。設定は申し分ないのに(ーー;
クラーク・アシュトン・スミス「柳のある山水画」大瀧啓裕訳(39)
『イルーニュの巨人』所収の「柳のある風景」と同作品。
ロバート・アーヴィン・ハワード 「夜の末裔」三宅初江訳(31)
著者のよく使う手で、現代の主人公が、何らかの理由で古代の先祖につかのま一体化する話。これはもう著者の人種差別感がもろに出ていますね。バッチイ(^^;。 ピクト人以前にいたとされる矮人種――モンゴル族ではありえないとあらかじめエクスキューズされていますが――モンゴル系黄色人種の特徴を極端に歪曲強調しているとしか思えません。もっとも著者は白人と敵対するときのピクト人は極端に差別的に描くのですが、そのピクトを主人公にして描く作品もある。プロットの要請にしたがって書き分けており、実は冷静な人種観を持っているような気もしないではない。本篇もその伝でとらえることが可能で、古代から現代に戻った主人公の狂気の所業から、友人たちは当の標的となった人物を逃がすように行動し、主人公は監禁されてしまう。むしろ<ウィアードテールズ>の「主要」読者層に阿った筆法だったのではないでしょうか。
マンリイ・ウェイド・ウェルマン「謎の羊皮紙」大瀧啓裕訳(37)
よく出来たショートショート。発売日でもないのに<ウィアードテールズ>を売りに来た老人から購入した当の雑誌には、古い羊皮紙が挟み込まれてあり、そこにはアラビア語が書き込まれていたのだが、ひと言だけギリシア文字で書かれていて、それは「ネクロノミコン」と読めた……
デイヴィッド・H・ケラー 「地下室になにが」若林玲子訳(32)
11ページのショートショートなのだが形式が面白かった。
小さな家に不釣合いな地下室があって台所と扉で繋がっている。どうやら地下室の地上部分にあった館がなくなった後に小さな家を建てて地下室と繋いだらしい。誰もその地下室の奥のほうまで検分していないという設定。
その家を買った夫婦に赤ちゃんが出来る。この赤ちゃんが異様に地下室を怖がり、少年になっても治らない。親が精神科医の見せると、逆療法で地下室の扉を閉まらなくして台所にしばらく閉じ込めたら、その恐怖が何の根拠もないものだと判るだろうとの診断。で、親がそれを実行し、子供を閉じ込めると……
という話。読者の方は(とりわけウィアードテールズの読者は)、地下室に古き何かがいて、赤ちゃんの鋭敏な感覚がそれを捉えているんだろうと先回りして気づいているわけです。知らないのは作中の両親と精神科医だけ(^^;
そして、何かが起こるのですが、精神科医が逆療法と言い出した瞬間に読者はラストを予想して戦慄しているわけです。で、そのラストに向かって粛々とストーリーが進んでいく。この間のサスペンスが本篇の肝。
これって映画やドラマの常套手段ですが、ショートショートでは珍しいのではないか。ふつうはラストでオチがついて、気がつかなかった真相に読者が気づいてアッと驚く、という展開ですよね。
この(オチショートショートとは逆の)進め方が面白かった。
本篇では(ウィアードテールズですし)最後まで(残虐にも)描写されてしまうのですが、ショートショートにこだわるならば精神科医がこうしましょう、というところで終わらせるのも手ではないでしょうか。どうでしょうか(^^;
シーベリイ・クイン「奇妙な中断」大瀧啓裕訳(36)
本篇もバッチイ話。主人公は去勢され(次第に女性化していき)、恋人は主人公の目前で犯される。これでもかというパルプマガジン的残虐描写が続いて、知的な読者は目を回してしまいますが、下世話に面白いのは間違いありません。私は一気に読んでしまいました(^^;
ミンドレット・ロード「裸の貴婦人」児玉喜子訳(34)
編者は「洒落た佳品」としますが、どこが?(笑)
これこそ読者の窃視趣味に迎合したバッチイ佳作です。
オーガスト・ダーレス「吹雪の夜」大島令子訳(39)
雪の山荘もの。毎年、雪が積もるとあらわれる人影。かなりストーリー的に無理がある。
ハネス・ボク「邪悪な人形」河原ゆかり訳(42)
わら人形(蝋人形ですが)の呪法に対抗する白魔術がユニークで面白い。
オスカー・クック「特別料理」植木和美訳(30)
陰惨なトールテール。
ジャック・スノー「夜の翼」大瀧啓裕訳(27)
ファンタジックなショートショート。それ以上でも以下でもない。
ソープ・マクラスキイ「六〇七号室の女」河原ゆかり訳(37)
展開に無理があるのだが、下品で面白い。実際のところ<ウィアードテールズ>(のみならずパルプ誌一般)の誌面を飾った作品の大半はこの手の話だったんでしょうね(^^ゞ