チャチャヤン気分

《ヘリコニア談話室》後継ブログ

グランダンの怪奇事件簿

2007年07月18日 21時02分21秒 | 読書
シーバリー・クイン『グランダンの怪奇事件簿』熊井ひろ美訳(論創社、07)

 あの傑作ファンタジー「道」のシーベリイ・クイン本邦初短篇集――ながら、「道」のような作風を期待するとエライ目にあいます。実は私がそうで、巻頭の「ゴルフリングの恐怖」を読み、あまりの乖離感にがっかりして投げ出してしまったのでした。

 ところがミクシイでそのことを記したら、某氏にそれはあまりにも勿体ないと諌められ、それではと気を取り直して再度着手。着手して正解でした。
 2篇目の「死人の手」もいまいちだったんですが、3篇目「ウバスティの子供たち」あたりからどんどん面白くなってき、あとはラストの「フィリップス家の悲運」まで尻上がりに面白さが上昇していき読了。いや面白かった(>勝手な奴です!)

 途中から読みのスタンスが判ってきたこともあるでしょうが、内容自体も最初の2篇の薄っぺらさから回を追うごとに厚み(ウンチク度?)を増していく。初出情報の記載がないのですが、発表順に並んでいるんだとすれば、作者自身もこの形式に慣れていき自在に操れるようになっていったんだと思います。

 とりわけ「フィリップス家の悲運」は、いわゆるフレンチ・アンド・インデアン戦争が背景にあり、本篇によれば、戦後アカディア人(カトリック系仏人植民者)たちがその宗教性(プロテスタントからすれば偶像崇拝の異教徒となる)により英国人植民者(WASP)に、大変な迫害を受けたみたいですね。本篇で初めて知りました。ちなみに彼らの多くは戦後南部のルイジアナに逃れたようで、「ケイジャン」とはアカディア人の米語発音。としますとレオン・ラッセルの名曲「ケイジャン・ラヴ・ソング」のケイジャンはアカディア人ということになる。それにしてはケルティックな印象なんですが。

 閑話休題。
 「回を追うごとに」と書きましたが、まさに60年代に流行したテレビの連続探偵ドラマの雰囲気なんです。良くも悪くもチープさが横溢しています。作中に多用される「行アケ」も、いかにもここでCMが入るんだな、という感じで、憶測するにクインってテレビの仕事もしていたのじゃないでしょうか。

 ともあれ「道」のクインとは別作家と思って読むべきですね。これはぜひ続きを読みたい。グランダン・シリーズの続刊を希望します。
コメント
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