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ほぼ是好日。

日々是好日、とまではいかないけれど、
今日もぼちぼちいきまひょか。
何かいいことあるかなあ。

雲上雲下

2021-05-06 | 読むこと。




最近、本を読む時間が減ったこともあって、なかなかレビューを書けずにいたのですが、
久しぶりにおもしろい作品に出会いました。
それが朝井まかてさんの『雲上雲下』。

朝井さんの作品はこれまで『恋歌』、『阿蘭陀西鶴』、『眩』など、江戸時代の人々を
描いた作品を読んだのですが、この作品はちょっと毛色が違いました。
まず、舞台が・・・物語の中?

語り手は草どん。
丈は二丈を超え、花を咲かせず、種を吐かず、実もつけず、枯れることのない草です。
聞き手は何やらわけありの子狐や山姥。
お話の登場人物は龍の子、田螺に乙姫などなど。
そう、私たちが小さいころからよく知っている昔ばなしの主人公たち。

もう長い間うらうらと眠ったり起きたりを繰り返し、自分が何者であるかも忘れた草どんが、
ひょっこり現れた子狐にお話をせがまれます。
「話なんぞ、わしは知らぬ」と言いながら、「とんと昔の、さる昔」と、するりと
口から言葉が出てくる草どん。
それを自分でも訝しく思いながら、草どんは次から次へと語り始めます・・・


とにかく、読み始めるとまず日本語がとても美しい。
民話なので会話はどこかの地方の方言なのですが、それがまた柔らかく、
懐かしく、できれば声に出して読み聞かせをしてほしいほど。

お話は誰もが知ってる昔ばなしですが、草どんの語りは昔ばなしでは
語られることのなかった出来事まで教えてくれます。
龍の子小太郎のせつない初恋や、恐ろしい山姥が若くて美しかったころ
恋人に裏切られた話・・・
そこにあるのは今の私たちと同じ感情をもった登場人物たち。
草どんの語る昔ばなしは勧善懲悪でも人生の教訓でもなく、ただ人々が喜んだり悲しんだり、
意地悪したり裏切ったりする姿が生き生きと描かれているのです。

小太郎の話、その母親と若い僧の悲恋を聞いた後、山姥は草どんに言います。

「言い伝えの元になった真実を物語ったのか」
・・・中略・・・
「小太郎とお花、犀龍と若僧の恋は、人の口から口へと伝えられる間に
削ぎ落されてしもうたのだろう。長い時をかけて、枝葉は伐られるものゆえ」

「その枝葉こそが、物語の命脈ぞよ」

山姥は続けます。
「お前さんは我知らず、蘇らせたのよ。物語の者らの心を。
酷さと弱さ、身勝手のほどを。いかんともしがたい、いたたまれぬほどの運命を」


「そして、希みを」

嫌われ者の山姥の言葉、なかなか深いです。


そしてこの後、子狐の正体がわかり、そしてまた草どんが何者であったのかを知り、
自らの物語を始めます。
そして・・・、終盤はちょっと映画の「ネバーエンディング・ストーリー」を
思い起こさせるような・・・

昔ばなしとは、所詮語られることがなければ消え失せてしまう世界。
小太郎は言います。

「おらたちの話を、もう誰も聞きたがらない、忘れられてゆくばかりなんだ」

私たちが子どもの頃は、確かに昔ばなしはもっと身近にあったような気がします。
今はありがたいことに、世界中の絵本や物語に触れる機会がふえました。
それはとてもうれしく幸せなことなのですが・・・

我が家の子どもたちが小さい時、ふと、思ったことがあります。
図書館でたくさんの絵本を借りて読んではいるものの、日本の古くから伝わる昔ばなしは
親が語らなければ子どもたちは知らないまま大きくなってしまうのではないだろうか、と。
それでも、あのころはまだテレビアニメで「まんが日本昔ばなし」があって
見たり聞いたりする機会はありました。
(それを本にしたものを義父母が買ってくれて、子どもたちもよく読んでいました)

でも、色鮮やかな絵本やわくわく刺激的な物語がたくさんある今、
わざわざ日本の昔ばなしを手に取る子どもたちがいるのでしょうか。
また、以前のように昔ばなしを語ってやれる親や、おじいちゃん、おばあちゃんが、
どれほどいるでしょう。
私自身もうおばあちゃんと呼ばれておかしくない年齢ですが、小さい時に聞いた昔ばなしを
そらで上手に語る自信はありません。
いつか、「おばあちゃん、お話して!」って言われるようなおばあさんに、なりたいものですねえ・・・


この作品を読んでいて、思い出したことがあります。
私の両親はともに忙しく働いていて、また姉たちとは年が離れていたので、
私はいつもひとりおとなしく遊んでいるような子どもでした。
休日に家族で出かけることもなく、小さいころの思い出といえば、怒られて
祖母にお灸をすえられたとか、姉妹喧嘩をしたことぐらいしかないのですが

そんな中で今でもよく覚えているのは、父が私を寝かしつけるのに
(ということはかなり小さかったのでしょうね)、自分で童話をアレンジしたお話を
してくれたことなのです。
それが、とてもうれしくて、面白くて。
今でも覚えているのは、ジャックと豆の木かなんかのアレンジで、
空に向かって豆の木を上っていたら途中から倒れてしまい、太平洋をまたいで
アメリカに着いてしまった、みたいな話(笑)
いや、豆の木ではなく梯子だったかな?

父が私を寝かしつけること自体珍しく(と思います)、またお話をせがんでも
してもらえるとは限らなかったので、実際聞いたのはほんの数回のことだと思うのですが、
半世紀以上過ぎた今でも覚えているものなんですねえ・・・

物語を語る時間は、語り手にとっても聞き手にとっても幸せな時間。
私にとって今は亡き父との幸せな思い出です。

今思うと、それが今の私の原点になったのかなあ・・・



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麒麟の年

2021-02-02 | 読むこと。



実は昨年の初めに、このタイトルでブログを書くつもりでいました。
というのも、昨年始まった大河ドラマが「麒麟がくる」。
明智光秀が主人公ということで、地元に多少ゆかりのある人物ということもあり
(実家のすぐ近くにある公園には、光秀の盟友細川幽斎〈藤孝〉の古今伝授の松があります
楽しみにしていたのです。

それに加えて、もうひとつの理由が・・・
はい、上の画像でおわかりのとおり『十二国記』です。
もう一昨年の秋になりますが、このシリーズの最終話となる『白銀の墟 玄の月』が出版され、
このシリーズが本屋さんに山積みにされておりました。
実は私、この作品に興味はあったものの、これまで全然手をつけていませんでした。
というのも、アニメで見たときに違和感を感じて、ちょっと拒否してしまったのですね。

それが、たまたま本屋さんで手に取ったそのときから、私の長~い旅が始まったわけです。
そう、私にとって去年は、コロナだけではなくまさに麒麟の年になってしまったというわけ。
どうして『十二国記』に麒麟が関係するのかというと・・・

『十二国記』というのは、私たちが住む世界と中国風の異世界を舞台に描かれた壮大なファンタジーです。
(私はこれまでレビューの中で何度か“壮大な”を使ってきましたが、その中でもこれは上位・笑)
この世界では十二の国が存在し、天意を受けた霊獣麒麟がそれぞれの国の王を見出します。
その王が善政をしけばその王の御代が何百年と続き(王は不老不死となる)、その国は繁栄し
人々は豊かになります。
しかし、その王が道を誤れば麒麟は病の床につき、命を失えばその王も死んでしまう・・・
それほど王と麒麟は深い関係で結ばれているのです。

麒麟が死ぬと新たに麒麟が生まれて、その麒麟がまた新たな王を選ぶ、ということになるのですが、
王が不在の間は国が乱れ、妖魔が飛び交い、人々は苦しい生活を強いられることになります。
この物語は、私たちの住む世界〈蓬莱〉から王として選ばれた女子高生陽子や、
〈蝕〉という現象によって〈蓬莱〉で生まれ育った麒麟泰麒の、壮絶な戦いとある意味
成長の物語が中心ではありますが、それだけの単純なお話ではないのですね。

このシリーズを読み進むにつれて、主人公たちの目を通してこの異世界というものが
読者である私たちにもわかってきます。
王というものについて、麒麟であることについて、国づくりについて・・・

そしてこの、私たちが住む世界と全く異なるシステム(仙籍に入ると何百年と生きることができたり、
子どもは里木から生まれたり、天があり妖魔が存在する等々)でありながら、人々は
同じように苦しみ、悩み、絶望する。
しかし、わずかな希望を支えに、何を信じ、いかに生きるのかを模索しているのです。
それは、王も、麒麟も、将軍も、市井の人々も等しく。
それが壮絶なドラマを生み、読者を引き込んでいくわけです。

このシリーズはエピソードゼロとなる『魔性の子』が1991年に発表されてから、
1~2年に一作のペースで出版されていたようですが、長編は『黄昏の岸 暁の天』で
長い間止まっていたようです。
私は一昨年から去年にかけて一気読みできたから、どっぷりこの世界に浸ることができましたが、
長年のファンにとっては何とも待ち遠しかったことでしょうね~

でも一昨年発表された『白銀の墟 玄の月』は、けっこう厳しいコメントが多く
私もしばらく読むのをためらっていました。
それでも、一度読みだしたらもう止まりません。
やたらと多い登場人物(しかも、似たような役回りが多い)に、行方不明になった王を探すため
あっちへ行ったりこっちへ行ったり、そのわりに話はなかなか進まず・・・
途中で、この人誰だっけ?と思うこともしばしば。
それでも。
登場人物の多さも、なかなか進まない展開も、ある意味必要なことであったのだろうな、
と思います。
何度ももうだめだと絶望を感じながら、それでも様々な人々の思いがあり、それに支えられ、
多くの犠牲を伴いながらも最後の最後で事を成し遂げた李斎や泰麒。
長年続きを待ち続けたファン、特に泰麒のファンにこの最終章はつらいかもしれないけれど、
『魔性の子』から泰麒が背負い込んだ運命を考えると・・・、こういう展開であることに
納得したのでした。
というか、『十二国記』が出る前に、すでに『魔性の子』でこの世界観を思い描いていたのは
凄い!のひと言です。

「麒麟がくる」も、残すところあと一話。
いつも落ち着いた雰囲気の光秀が、最近エキセントリックな表情になってきましたね。
さて、どんな本能寺を迎えるのか日曜日が楽しみです

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久しぶりに本のこと 〈2〉

2019-07-23 | 読むこと。
こちらは久しぶりに読んだ三浦しをん氏の作品。







現代版『細雪』ということで、古びた洋館に住む女四人(母・鶴代と娘の佐知、ひょんなことから
同居することになった佐知の友人雪代とその後輩多恵美)の穏やかな共同生活を描く・・・
なんてことはなく、水漏れ騒動に開かずの間の謎、元カレのストーカー事件に泥棒騒ぎなど、
同じ敷地に住む謎の老人山田さんを巻き込み、四人のまわりで次々と珍事が起こります。

途中でこの話を語っているのが、善福寺川のほとりに住みこの家の歴史を見てきたカラスであると
わかったときには思わずのけぞってしまいました(笑)
そのあたりから、ストーリー展開が意外な方向に進んでいきます。

確かに唐突感は否めませんが、37歳で独身、結婚のあてもなく刺繍を楽しみに母と暮らす佐知の、
これまで父親を知らずに生きてきたことへの漠然とした淋しさや欠落感、ずっと抱き続けた
もやもやした思いなどが、それら珍事のあとには自分を肯定できるまでに変わっていくところが
よかったなあと思います。

私たち生者は気づいていないけれど、いつも死者に、それも自分のことを大切に思ってくれてる
死者に見守られている。
そう思うことで、生きていく勇気ももらえるし、少し孤独感からも解放されるんじゃないかな。
でも、それだけではなくて、佐知には(普段人使いはあらいけど)自分のことを愛してくれている
母親と、気心の知れた友人がそばにいる。
この関係がいつまで続くかわからないけれど、この四人の共同生活がとても羨ましく思えました。







さてさて、還暦も過ぎると、そろそろ自分のゴール地点を意識するようになり、
悔いのない老後を迎えるにはどんな風に暮らしていけばいいのだろう、と気になり始めます。
というか、老後の不安ばかりが募る今、自分らしく、人生を楽しんで暮らしている
そんなお手本になるような素敵なお年寄りないないものかしら、と思っていたのところ
見つけたのがこのご夫婦の本でした。







これは、つばたしゅういち・英子ご夫妻を長期間取材して書かれた本です。
このご夫婦の暮らしを描いたドキュメンタリー映画「人生フルーツ」が話題になりましたが、
残念ながら見る機会がなく、DVDも出てなくて、とりあえずお二人の本を何冊か読みました。

ご主人のしゅういちさんは建築家で、建築事務所を経て日本住宅公団に入社し
多くの団地の計画や設計を手がけます。
愛知県の高蔵寺ニュータウンを任されたとき、道路以外は全部山のままで
山なりに家を建てるという計画を立てましたが、高度経済成長の時代、結局は山を
平らにして住宅地を造成する、ということになってしまいました。
その後大学教授などを務め、ヨーロッパでキッチンガーデンに出会ってから
自分が手がけた高蔵寺ニュータウン内の300坪の土地に家と畑をつくり、
“自分の食べる野菜を、自分の庭でつくる”という取り組みを始めます。

その畑仕事の担い手となり、キッチンガーデナーとして大地に根ざした丁寧な暮らしを
実践されたのが奥様の英子さんです。
しゅういちさんは2015年に、英子さんは2018年にどちらも90歳で亡くなられましたが、
それまでご夫婦で土地を耕し野菜をつくり、自分たちの納得のいく手作りの暮らしを
されていました。

最近、定年後に田舎で暮らす人生の楽園的な生活がよく紹介されます。
(私もそういう暮らしをときどき羨ましくおもうこともありますが)
お二人がそれと一線を画しているのは、その生活が自分たちの生き方の延長であること、
つまりは自分たちの暮らしに意志と覚悟を持って実践されていたからなのでしょう。
本の写真で拝見する限り、穏やかな表情のおじいちゃん、おばあちゃんですが、
そのきりっとした潔さと行動力は誰にでも真似できることではないと思います。

老後の生活といっても、結局はこれまでの生き方の積み重ね。
誰かを真似しようとじたばたしても、そう簡単にできることではないのですね。
今の生活を楽しみ、充実させなくては。


我が家でも主人が趣味で畑を始めてからというもの、野菜つくりにのめりこんでおりますが、
この時期待ったなしに収穫する夏野菜に、調理担当の私としては頭を抱える日々。
手作りの丁寧な暮らしに憧れはするものの、それは主婦が他の時間(読書だとかお昼寝とか)を
犠牲にした上で成り立つものなのですよ!

あ、久しぶりにブログ書いてたらもうこんな時間
夕方になると、主人がまたどっさり野菜を持って帰ってくるんだろうなあ・・・
それまでに野菜庫のキュウリとナスとトマト、なんとかしなくちゃね







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久しぶりに本のこと 〈1〉

2019-07-18 | 読むこと。
先日、東京オリンピック代表の内定第一号に、飛び込みの寺内選手と坂井選手が決まりました。
この記事に心がざわついたのは私だけではないと思います。
あ、ちなみに我が家の長女もそのひとりですが(笑)
だって、飛び込みで坂井といえば・・・そう『DIVE!!』の知季を思い浮かべるじゃないですか!






まだ娘たちが小学生のころ、母娘三人でこの作品にはまり、
図書館で借りては奪い合って読んだものです。
当時私は森絵都さんの大ファンで、児童書はほとんど読んでいたと思いますが、
その中でも『dive!!』は図抜けておもしく、最後は感動して涙で文字が読めなかったほど/face_ase2/}

オリンピックで飛び込みがあったときは、実際の飛び込みを見たくて
夜中に子どもたちを起こしてみんなで見たような・・・
寺内選手の名前を知ったのもそのころだったと思います。
その寺内選手が、シンクロ板飛び込みで坂井選手と東京五輪出場内定とは!
う~ん、DIVEファンとしては感慨深いものがありますね・・・


もう一度読み返したくなって角川の文庫本で買おうかと思っていたら、長女から
買うなら講談社版!と言われてしまいました。
1巻は持っているので、講談社版だと2~4巻か・・・
割高になるのでちょっと思案中。







最近いろいろとおもしろい本を読んだのですが、なかなか記事にできなくて
とりあえずここに覚書を。











上橋菜穂子氏の『鹿の王』のその後の物語『水底の橋』。


・・・といっても主人公はヴァンではなく医術師ホッサルです。
あの~、個人的なことを言いますと、数ある上橋菜穂子さんの作品の登場人物(男性)の中で、
このホッサルは私のお気に入りのひとりなんですよね~

ファンタジーなので架空の国の物語ではありますが、いつものことながら上橋氏の世界観というのは
国や民族の争いから人々の暮らしまで実に細かいところまで考えて設定されているので、
実在する(あるいはした)どこかの国のように思えてしまいます。

今回は医術師ホッサルが次期皇帝争いに巻き込まれていくのですが、権力者たちの様々な思惑が
うごめく中、新旧対立しあう二つの医術が軸になり、医療とは何かということを考えさせられます。
それと共に、身分違いのホッサルとミラルの恋の行方も描かれ、もうどうにもならないと
思えたいろんなことが、最後には一挙に解決にむかうという展開には見事!というほかありません。

守り人といい、獣の奏者といい、鹿の王といい、上橋氏の作品を読んでる時間は
私にとって至福の時
これからも、ず~っと続編や番外編、あるいは新しい物語を書き続けていただきたいものです。





こちらは、新聞の書評を読んで気になってた本『雪の階』。







独特の美文調で始まり、時代は昭和初期で華族の娘や青年将校が登場すると、ふと
『春の雪』的なストーリーを思い浮かべたりしたのですが、こちらは華族の娘 惟佐子が
友人の心中事件の謎をといていくというミステリーであり、戦前という時代を描いた
歴史小説でもあり、惟佐子と共に謎を追う当時珍しい女性カメラマン千代子の
恋愛小説でもあり・・・いろいろな面で楽しめる小説でした(笑)

2.26事件につながる時代背景も、それぞれの持つ思想もシビアなのですが、
一歩引いて見ると、自分の思想に一生懸命な登場人物たち(男性)が
ちょっと滑稽に思えてしまうから不思議です。
政界とのつながりを画策する惟佐子の父親の笹宮伯爵も、純粋日本人を天皇にという
荒唐無稽な企てを持つ兄惟秀も、惟佐子に振り回される男性たちも、どこか頭でっかちな感じ。
そういう時代だったからでしょうか。

それに比べて女性たちの健康でたくましいこと!
冷静で美しく、そのくせ甘いものが大好きという謎の多い惟佐子も、
幼いころの惟佐子を知る、ごく普通の健康的な女性カメラマンの千代子も、
そんな男性陣と比べてとても魅力的なのです。

けっこう分厚い本ですが(故に登場人物も多い)、いろんなことがてんこ盛りで
謎解きもおもしろく読めました。
もう一度読み直したかったけれど、やっと読み終えたのが返却日前日!
もう若い時のように一気読みはできませんねえ・・・



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今年は・・・2

2019-02-08 | 読むこと。
今年の目標を書いてるうちに2月に突入してしまいました
去年パソコンが壊れてしまい、ずっと確定申告の準備を先送りにしていたのですが、
今新しいパソコンに必死でデータ入力しているところなのです



さて、今年の目標のもうひとつ、読書では今年に入って数冊読みました。

こちらは去年読んだ守り人シリーズの外伝を再読。
この本を見つけたとき、まさかまた守り人の世界を楽しめるとは思ってなかったので、
小躍りして即ポチッとしてしまいました。






あの戦いの後、ようやく穏やかに暮らしているのであろうタンダとバルサを
垣間見ることができて、もうそれだけで胸が熱くなりました。

物語はバルサが若いころジグロと共に護衛したサダン・タラム〈風の楽人〉と再会し
彼らを助けたことで、再び旅の護衛を頼まれるところから始まります。

サダン・タラムとは、旅をしながら鎮魂の歌や舞を舞う楽隊のことです。
そしてその頭〈かしら〉とはシャタ〈流水琴〉を奏で、異界への道を開くことが
できる存在。
命を狙われている、ジグロの娘かもしれない(!?)サダン・タラムの若い頭を
守ってロタへ旅立つことになったバルサ。
その折々でジグロと共に旅をした過去や、当時サダン・タラムを護衛したときのことを思い出します。

ジグロが守った当時のサダン・タラムの美しい頭と、その娘である若い頭。
その二人の命が狙われたのは、ロタ北部の歴史に隠された秘密があったからなのですが、
それをめぐる二つの氏族に関わって話は展開していきます。

そして過去と現在が交叉する中で、まだ若くて痛々しいほどのバルサと、いろんなことを経験した
現在のバルサがうまく描き出されているなと思いました。
この守り人シリーズが始まったとき、バルサはかっこよかったけど、どこか手負いの獣のような
荒々しさを感じたものです。
でも、チャグムと出会い、アスラを救い、タルシュ帝国との戦いを経て、バルサ自身も
ようやく自分の過去と折り合いをつけ受け入れられるようになったのかもしれない。
だからこそ、悩む若い頭にこう伝えることができたのでしょう。

人はみんな、中途半端なまま死ぬもので、大切なことを伝えそこなったな、と思っても、
もう伝えられないってことがたくさんあるんでしょうが、自分では気づかぬうちに
伝えられていることも、あるのかもしれない。
・・・略・・・
思いは血に流れてるわけじゃなくて、生きてきた日々のあれこれに宿っているものなんでしょう。
・・・略・・・
先のことは、そのとき生きている者に任せるしかないんです。


ジグロの娘として育てられたバルサが、ジグロの娘かもしれない若い頭に
自分の思いを伝えるのですよ。
血はつながっていなくても、バルサには妹のような存在になるわけで・・・
そこまで考えるとちょっとうるうるしますね。

そして今回何より驚いたのは、幼いバルサを連れて故国から逃げ出し、以来ずっと
仲間から命を追われることになったジグロが、ほんの一瞬でも心許す女性に出会えてたということ。
おまけに娘がいたかもしれない、なんてね、本当に嬉しいサプライズ。

できればいつか外伝で、タンダとバルサの子どもの物語も読めるといいなあ・・・






さてこちらは久しぶりに図書館へ行ったときに見つけたもの。
昨年亡くなられたアーシュラ・ル=グウィンの作品です。






これは、古代ローマの詩人ウェルギリウスの叙事詩『アエネーイス』を題材に、その中の登場人物
ラウィーニアを主人公に描いた作品です。
『アエネーイス』というのは、トロイア滅亡後の英雄アエネーアスの遍歴を描いたもので
ラテン文学の最高傑作とされるそうです。

・・・・・

なんか難しそう・・・
おまけにややこしいのは、その主人公ラウィーニアが若き日、森の中で作者ウェルギリウスの
生霊に出会い、将来トロイア戦争の英雄アエネーアスの妻となる運命を告げられるのです・・・

???

つまり、将来この叙事詩を書く作者が、過去に戻って自分の作品の登場人物に運命を告げる
ってこと?

でも、設定が難しいと感じたのはここまでで、物語が進んでいくと困難に精一杯立ち向かう
ラウィーニアという女性にとても好感を持ちます。
なぜならラウィーニアは、ル=グゥインが描くだけあって私たちとかわらない自分の意思を
持った、ある意味現代的でとても賢く魅力的な女性だからです。
さすがに現代では、自分の結婚相手を選ぶために国をあげて戦いが起こることはないでしょうけれど

この作品はもちろん日本訳で読みましたが、とても格調高い美しい文章で、おそらく原文も
美しい英語で書かれているのだろうなあと思いました。
ル=グゥインの最高傑作とも言われているようです。
図書館の返却日が迫って最後慌てて読んでしまったけれど、もったいないことをしたと反省。
もう一度じっくり読みなおしたいと思える作品でした。




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