当然のことと思うが、中東の人質釈放のニュース一辺倒である。全豪オープンベスト4進出ならずも、通常であれば、トピックスとして取り上げられるのだろうが、それ以上の報道が優先するため、結果だけという温度差と感じる。現在の状況を、たとえば北朝鮮の拉致被害者家族などは、どういう気持ちで受け取っているのだろうかと考えを巡らせてしまう。もちろん背景が異なり、入ってくる情報・状況は違うため、対応も異なるとは思うが、片や何十年も経過し、遅々として進まない?、進めていない? ほうの対応は今後どうなるのだろうか?
はたまたイスラム国と北朝鮮、成り立ち・背景・狙いなど、すべての事柄が違っても、残虐性・独裁・処刑という点では、どう違うのだろうかと首をかしげてしまうが、どうだろうか?
かってはソ連のスターリンも、親族すら信用せず、次から次へ暗殺していき、反対者を処刑していった。チャウシェスク政権の独裁もあった。ナチスのホロコースト(大虐殺)で、公称180万人ものユダヤ人の命が奪われた。以前にも述べたが、小生の考えの中では、日本の神風特攻隊という名の自爆攻撃を計画した、命じた者は許せないと思っている。その作戦を立てた者が先頭で飛び立っていくならいざ知らず。人間の残忍性、残虐性は、過去の歴史にいくつも現れている。今、目の前で起こっていることに自然と焦点が当てられ、それ以外への意識が薄れるところがあると思うが、時々は、少し後ろへ引いて、全体像や、長い時間軸での経緯などにも触れることも大切なんじゃないかと考える。
昔から世界各地で、争い、戦争、なわばり争いが繰り広げられ、その時々の権力者、征服者により、ここからここまでが自分たちの領地だと決めてきたことは事実だ。その線引きにも現在の欧米諸国のそれぞれの思惑で他人の領地に自分たちの利権を残したいと影響力を行使してきたことも事実だ。獲ったり、獲られたり。その繰り返しが人類の歴史だとも言えなくもないと思う。日本ですら、サムライ同士のイクサで、都度都度、領地の大きさや領地名も変わってきているのだ。